小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2009/01/25

過去掲載した編集◇コラム12

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クリスマスに寄せて (08/12/14)

 今年は不況の影響もあってか、例年ほどではないように感じますけど、それでもクリスマスはやってきます。いつの頃からか、私が物心ついた頃には既に、日本はクリスマスに大騒ぎする国になっていました。近年では11月から、いえ、早いところでは10月終わりには準備を始め、12月にはあちこちの店舗で飾り付けが進められ、クリスマス商品が並び、数々のイベントも開催されるようです。
 本来クリスマスとはキリスト教徒のものであることは百も承知なのですが、キリスト教徒とはいえないであろう人々のほうが おそらく多数派であるにもかかわらず、これほどお祭り騒ぎをする日本人とは何だろう、と考えることもあるかもしれません。

 私もその多数派と同様、その騒ぎにのっかっている部分があると思います。
子供時分は何かもらえると思うと指折り数えていたし、若かりし頃は 何かしないと、と気負っていたこともありましたし。
 でも、私はキリスト教徒ではありません。かといって、仏教徒かというと、出家したわけでもありません。多くの日本人がそう言われたりするように、無宗教・無神論者なのかもしれません。
 神前式や教会式の結婚式に参列し、葬儀では数珠を持って念仏をつぶやいたり、クリスマスにはおいしいものを食べたり、大晦日は除夜の鐘を聞き、初詣は近所のお宮へ、神社に行けば2礼2拍だったっけ、とかやっていますし。あれ、少なくとも無宗教・無神論者ではありませんね。そうかといって、読経するわけでもなく、教会に通うわけでもなく、何かひとつの宗派の信者の方々からは ずいぶんといい加減な、とお叱りを受けるかもしれません。
 せっかくなので、ついでといっては失礼極まりないのですけど、この機会にキリスト教のことに少し触れてみたいと思います。


 先日 『隠された聖書の国・日本』という本を読みました。
隠された聖書の国  日本にキリスト教を伝えたのはフランシスコ・ザビエルではなく、それよりもずっと以前の古代、聖徳太子の時代には、既に原始キリスト教の影響を強く受けていて、日本の言語・神話から精神構造までもが原始キリスト教と無関係ではないというものです。
 日本はなんとなく、歴史的にも仏教中心の国、と考えていた私にとって驚くべき内容でした。史実がどうだったかは、高名な歴史学者の方々に考察を委ねるとして、こう考えたほうが説明がつくことが多いのかもしれません。

 しかし、根性無しというか屈折した性格の私が冷静に考えたとき、違和感のようなものがどうしても拭えません。分析・分類好きで、ルーツを意識するという、欧米人的な自己主張、ともすると、自我主張的な雰囲気を感じます。また、日本人はもっと誇りを持って、世界的にリーダーシップを発揮できる、という意見にも、反対ではないものの、そうかといって気が進むわけでもありません。
 それに、この本に感銘してキリスト教信者になろう、とも思いません。

なぜこれといった信仰が無いのか、信仰を持ちたいとは思わないのか、わからない。何なんでしょうね?


 もう一冊、上述の本とは、個人的に対照的とも思える書籍を紹介します。
沈黙  『沈黙』
 小説家 故遠藤周作の代表作のひとつです。
作者自身カトリック教徒であるにもかかわらず、信仰に対する疑問・悩み・迷いを見事に表現している点でも、広く読まれる名作となっている所以だと思います。愚かな私にも、この作品の主人公を中心にした、信仰に対する問いかけは響いてきます。
  神は信者の祈りを聞いているのだろうか?
  本当に神は存在するのだろうか?

 物語は3人の登場人物を中心に展開します。
キリスト教禁止の江戸時代、日本に宣教師として潜入するロドリゴ。およそ理想的な信者からはほど遠いと思われる、卑怯で醜く、弱虫のキチジロー。そしてキリスト教を徹底的に弾圧する奉行所の井上筑後守。

 私はこの小説を20歳前後のときに1度読んだことがあるのですが、そのときは異国での厳しい境遇に耐えながら、布教の使命感に燃える主人公ロドリゴに感情移入したものです。当時は若かったせいか、「もしかしたら殉教というのも ちょっとかっこいいかも」などと空想し、殉教には至らないロドリゴに少々落胆しつつ、体制側の代表ともいえる井上筑後守には、ただただ反発心を覚えていたし、神の起こすドラマチックな奇跡を勝手に期待していました。
 思うに、当時の心境は単純というか浅はかというか、いかに この小説を読解できていなかったか、うかがえるというものです。読解できる精神年齢になっていなかったというほうが正しいのかもしれません。

 今この本を読んで... 20歳の頃とは全く違う感想を抱くようになりました。挫折したり苦しんだり行き詰ったり妥協したり、なんとなくキチジローと自分との共通点も見えてきたからでしょうか。
 さらに、かつては大いに感情移入したロドリゴの、別の側面が見えてしまうのです。彼は布教に燃え、キリスト教の信仰が日本庶民に必ず幸福をもたらすと信じて尽力するのですが、果たしてその行為は1点の曇りも無く美しいものなのか? キリスト教が日本庶民のためになると思っているのはロドリゴ自身が考えたこと、いえ、教えられたこと。 布教することで、彼が日本社会の中で司祭という一定の地位を望んでいたこと。そして日本での布教に成功し、その功績を本国のローマ教会に認められたかったであろうこと。
 希望に燃える若者ならば当然ともいえる、一途で、名誉や地位に対する欲望。ロドリゴも「見返り」を求めてしまう普通の若者の一人だったということなのでしょう。

 物語中、拷問などの弾圧活動を少々やりすぎかとも感じる井上筑後守。さすがに今でも感情移入はできません。もっとも、彼はそういう立場ではなく、ロドリゴ、ひいては読者に対しても思考や行動における大きな疑問を投げかけている点で、重要な役割を果たしているといえます。キリスト教が なぜ日本に広くは定着しないのか、それは弾圧だけが原因でないらしいことも、問いかけのひとつでもあるように感じます...

 だからどうすればいいのか、どうあるべきなのか、そんなことを追求する作品ではありません。
信仰とは、教徒以外には想像もつかないような、深いものかもしれません。また、日本社会が未熟なのかというと、そうなのかもしれないし、必ずしもそうとはいえないのかもしれません。

「名作」は深い。決して青少年にだけお勧めするものではないことを痛感しました。



 この時期、日暮れはますます早く、街はクリスマスムード一色に染まっていきます。
不況や地盤沈下といった、暗い空気を吹き飛ばすべく、TVや商業施設でクリスマス・ミュージックが流れ、人々が集まるところや大通りには、イルミネーションが きらびやかに光り輝きます。

 その過剰なまでの電飾が照らし出すのは、うっとりとしている若い恋人たちだけではないはずです。
家族のもとへ家路を急ぐ人たちも、大きな買い物に胸ときめかせている人たちも、明日という日を憂慮する人たちも、すり減ってしまった魂を載せ、疲弊した肉体を引きずって歩く人たちも。

 クリスマスの過ごし方は人それぞれ。
この機会にごちそうに舌鼓を打ったり、家族でゲームをしたり、仲間と楽しいときを過ごしたり、会社の不満、社会の不条理を嘆いたり、孤独を噛み締め、他人を妬んだり。
自らの境遇に失望することもあるかもしれません。純粋な祈りをささげることもあるでしょう。

 でも たまには しんみりと本を読み、信仰について考え、物思いにふけってみるのも悪くないように感じます。

ひと区切り (08/11/23)

 現在の愛車、ZZR250に乗り始めてから もう10年、いえ、11年以上が過ぎました。
もうすぐ12年を迎えてしまうわけで、干支がひと回りします。
 巷では たいして評判の高くないZZR250に、まさかこんなに乗りつづけるなんて これっぽっちも思っていなかったですし、しかも数年で飽きたりせず、乗りこんでいくごとにバイクライフが充実していくという、変わった経過をたどるなんて想像すらしたこともありませんでした。そんな、味わい深いバイク、ZZR250と過ごしてきた年月もひと区切り。これまでの12年近くを振り返ってみたいと思います。

<出会い編>
ZZR250  それまでZXR250に乗っていたんですけど、だんだんと乗らなくなり、もっと疲れない、等身大のバイクを探していて出会ったのがZZR250でした。激安価格で新車を入手できて喜んだのもつかの間、乗り始めて相当に驚いたことを今でもよく憶えています。なんだこれ? 遅っ! ものすごいエンブレ! この買い物、大失敗だったかも、と。
 それでも我慢して乗りつづけ、慣らし運転が終わった頃には、きついエンブレも徐々に緩和されていったものの、低回転域での遅さは変わらず、かといって回せば振動がきつく、快適な速度域というか快適なエンジン回転数の幅がとても狭いことがわかってきました。失敗したなあ、という後悔を覚えつつ、少しでも快適にならないか あれこれ画策し始めました。

<ライトカスタム編1>
ZZR250  マフラーは購入して半年もしないうちにBEET製に交換しました。即効性のあるパワーアップパーツの定番ですし。バクダンキットは購入後1年で導入、ノーマルタイヤは2年で交換。我慢できない状態ではなくなってきたものの、まだ遅いし、曲がりにくい。特に大型バイクと走りにいくと、とっても疲れました。 コーナーリング中に一度 強烈な前後同時スライドを経験したのも このころです。

<売却画策編>
 リアサスプリロードも変更し、ハンドリングは多少まともになったものの、私の心はZZR250から離れていきました。こんだけ我慢したんだから、もういいよね。次だ、次。
 あちこちのショップを見に行きました。当時購入候補だったのはSV400S、ZRX400、ZZR400、それにシャドウスラッシャー。今でもカタログ持ってます。
もういい年なんだしと思って、下取り価格の見積もりも出してもらい、商談を進めたのがシャドウスラッシャーでした。実車もカッコ良かったんです。ところが、いざ実車にまたがると…
クルーズに振った車体(あたりまえですが)と、やや中途半端な上体のポジションに違和感が出てしまい、契約書に判を押すには至りませんでした。
かといって、すぐに他の機種を契約する気分にもなれず、ずるずるとZZR250を乗り続けていたのです。

<ライトカスタム編2>
 数年後、BEET製のマフラーに寿命がきて、排気漏れと異音に悩まされるようになり、現在も使用中のツキギ製のマフラーに交換しました。それがけっこう好印象だったせいか、もっと乗り続けてもいいかと思うようになり、DPS、フロントフォークオイル、ターボフィルターなど、チマチマとカスタムした結果、ずいぶん快適に乗れるようになってきました。

<マニア向けカスタム編1>
 このHPを開設し、あれこれ情報交換するようになると、まだまだ性能向上、いえ、いじくる余地があることに気づき、プラグコード交換+キャブセッティング、前後サスのカスタムまで手を出してしまいました。

<マニア向けカスタム編2>
ZZR250  もう引き返せなくなってきました。乗り続ける覚悟もできてきたのもこのころです。エンジンヘッドオーバーホール、パワーフィルター化+キャブセッティング。苦労しました...

 こんな経過をたどり、現在に至ります。
なんでこんなに手をかけてしまうのか自分でもよくわかりません。
苦労も多かったですけど、それなりに長いこと楽しむことができるバイクも多くはないでしょう。


 大げさかもしれませんけど、思えばいつもコイツが傍にいたような気もしてきます。
  ロングツーリングを満喫した時も、
  大型バイクのペースについていけなくて愕然としたときも、
  ちょっとしたカスタムに自己満足していた時も、
  周囲の知人が次々とバイクを降りていった時も、
  公私ともに多忙を極めて あまり乗れなかった時も、
  多くを失い、絶望の淵をさまよった時も、
  数々の不幸をもたらすのは このバイクではないかとあらぬ嫌疑をかけた時も、
  真っ暗な夜道を一人で走っていて心細かった時も、
  このHPをご覧の方々から温かいコメントをいただいた時も、
  キャブセッティングに苦しんで、うまくいかないのをバイクのせいにした時も、
  オフ会に多くの方々が参加してくださって、感激した時も...

 このZZR250、速く走ろうとするとバイク任せでは思うように走れないことが多いです。
もしかすると こいつと共に過ごすバイクライフもそんなところがあるのかもしれません。
バイクを手に入れたから世界が広がるわけではない。バイクに乗っているから自然に仲間ができるわけでもない。走りの面だけでなく、ZZR250の良さを引き出し、自分なりの楽しさを味わうのも すべてライダーが主体。良い方向にせよ悪い方向にせよ、人生を変えていくのもオーナーの行動次第のような気がします。

 これまでの12年近く、楽しい時も苦しい時も共に過ごしたコイツ。
今でもあちこち手を入れつつ、ちょっとした変化に驚いたりしています。
何よりも ここのHPやオフ会を通じて、多くの心優しい方々との出会いに恵まれたからこそ、長く、楽しく乗り続けることができていると感じています。
 このHPをご覧の皆様方に感謝しつつ、今後も乗り続けていきますよ!

年齢力 (08/09/27)

 例に漏れず 私も年齢とともに記憶力が低下、仕事中に「えー、その件はほら、“あれ” だから…」なんて言ってしまっているときもありまして、体力も落ちていき、やれ血圧とかガンマなんとか、BMIとかを気にかけるようになり、介護保険料なるものも年々増加。そのー、年は取りたくないものですね。
 そんな、マイナスイメージばかりの “加齢”。年を重ねるというのは悪いことばかりなのでしょうか?

 先日 地元の路線バスに乗ったときのことです。信号待ちの際、一人の中年女性がプリペイドカードの残高確認をしたい、と運転手に申し出たのです。この地方では料金後払いのため、この女性も降りるときに料金を払うことになります。
初老の運転手が応えました。
「降りるときにな、ここに残高が表示されるもんで、足りんかったら そんときに新しいカード使えばいいが」
中年女性「それが、私、目が悪くて何も見えんもんで」

  ─なるべく当時の様子を再現するため、また、地方の暖かい雰囲気をお伝え
   するために方言を使っております。一部表現がおかしなところがあるかも
   しれませんが、私がこの地方出身ではなく使い慣れていないせいです。
   ご容赦ください。─

 その女性は全盲だったのです。そして続けました。
「こないだ降りるときにカード入れたら足りんかったんだけど、私わからんもんで、もたもたしとったら、若い運転手さんにスゴイ勢いで怒られちゃって… ほだで、こうやってあらかじめ確認しとかんといかんもんで...」
そういう事情があったのです。

 こういうとき、皆様が運転手に期待するのは どんな言葉でしょうか?
もし皆様が運転手だったら、全盲の女性に何て回答するでしょうか?
「お客さまにおかれましては大変ご迷惑をおかけし、まことに申し訳ございません。今後このようなことがないよう社内に展開しますので、その、先日の件は ご容赦お願いいたします」と言えばいいのでしょうか。
あるいは、自分には関係ない、と だんまりを決め込み、乗務に徹するか。

 ところが その初老の運転手は予想と違う発言をしました。
「んもぅ、誰だァ、そいつはァ! そんなトロいこと言っとっちゃいかんで、ほんと...
お客さん、(わしらが)悪かったなぁ。えらい嫌な目にあったと思うが、まー その若い運転手も きっとわからんかったのと、急いどったんだわ。オレも会社のほうに言っとくで、まぁ、勘弁したってなぁ」

 緊張気味だった車内の空気が、一気に和みました。これだ! これなんだ!!
若者にはできない、一流のサービスだ。経営効率とも成果主義とも無縁の、いわば「年齢力」」なのです。
鴨  全盲の女性が席に戻ると、周囲の中高年女性がいっせいに話しかます。
「まー、ひどいこと言う人がおるねぇ」
「怒れちゃうけどね、あんまりいつまでも気にしとっちゃいかんよ」
というように、見ず知らずの相手に親しげに喋っていました。これも若者にはできないだろう「年齢力」のなせるわざでしょう。
 全盲の女性は周囲とコミュニケーションをとれたことでも多少気が晴れたのでしょう、元気な表情で、付き添いなど無いまま、途中で無事に降車していきました。

 そういえば若かりし頃は なぜだかわからないけど 席を譲ることが苦手だった私も、近年は ごく自然に年配の人たちに席を譲ることができています。
これも「年齢力」なのかもしれません。

だとしたら、“加齢” も悪いことばかりではないのかもしれませんね。

共振 (08/07/06)

丘の上の小さな街で
 ─丘の上の小さな街で─

 小説を読んだのは何年ぶりだったのでしょうか。
ふだん目にする印刷された活字といえば、仕事以外では新聞や雑誌が大半で、じっくり “読み物” と向き合うことは ここ数年なかったですので。


 それが何か巡り合わせがあらかじめ決まっていたかのごとく、偶然書店で目に入り、パラパラとページをめくっただけで、かつての自転車少年・自転車野郎、それも一人旅をしたことのある変わり者にしかわからない、マニアな世界が広がったのです。競技ではない。仲間とのふれあいでもない。冒険旅行でもない。
 世間の多くの人々には理解しがたい世界。日々の暮らしにはONとOFFがあって、ONは組織に貢献し組織から必要とされ、OFFはレジャーか休息か、あるいはエンターテイメントか家族サービス、といったような人たちにとって、孤独を滲ませる自転車乗りは理解の範囲を超えているであろうことは、私にはわかっています。

 ハチロク、セブン、シビックという言葉に回想を始める諸兄もお見えでしょう。AR50、RZ50、ミニトレという言葉に ある種の郷愁を感じる諸兄もいるでしょう。
だが自転車の世界は少々違う。もちろんロードマンやルマンと聞いて、ああ、と思うケースもあるでしょうが、趣味として自転車をやっていた場合はこんな単語に反応するのです。
DURA ACE  カンパ・レコード、シマノ・DURA ACE/EX、600/EX、サンツアー・シュパーブ/プロ、ユーレー、サンプレックス、オーストリッチ、...
 パーツばかりじゃない。3 RENSHO、ZONOW、チネリ、ケルビム、石渡022、タンゲNo.2、レイノルズ533、...
 組織の力関係や人間関係にうまく溶け込んで渡ってきた類の人たちには何の意味もない単語だったり、ただの過去の言葉だったりするものに、私は反応しました。

 そんな私だからなのか、ろくに中身も見ていないのに、カバーに惹かれたわけでもないのに、まるで初めからそう決まっていたことであるかように この本を買い求め、小説の世界に引きずりこまれたのです。

 いや、引きずりこまれたという表現は正確ではないのかもしれません。ストーリーに感激したとか、主人公とその周りの登場人物に共感したとか、旅情をかき立てるとか、往時の記憶が蘇るとか、そんな次元での話ではないのです。
 紙面に記された活字の、行間から溢れてくる、著者の、あるいは著者と関わった人々の思いが、私の体内に入り込み、奥底を ぐいと掴んで揺さぶりました。 何でもない文章なのに、クライマックスでもないのに、意味もなく動揺し、勝手に目頭が熱くなってくるのがわかるのです。

 昭和の匂いだ。華やかで成長路線だった、一種の熱気を懐かしむものではありません。勝ち組でも主流でもない。そうかといって反主流派でもサブカルチャーでもない。
 平成という、したたかに、たくましく生きる必要のある時代の中に、取り残され、忘れ去られてしまったような、それでいて 振り払うことができずに底のほうに沈殿している澱のような、影の部分とでもいうべきものです。不器用で、中途半端。見方によってはそう片付けてしまってもいいのかもしれませんが、しかし私自身を構成しているものの一部であることを再認識したかのような、不思議な感覚でした。しばらく茫然自失というか、仕事にも趣味にも身が入らない状態が続きました。

 あの感覚は一体なんだったのだろう? 境遇や経験は違えど、同じような時代を生き、同じように感じた世代どうしの、奇妙な共振とでもいうべき現象なのか、それとも私自身が勝手に舞い上がっただけなのか、いまだにわからないままなのです。


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