管理人はたぼうの編集◇コラム
定年を前にして (25/03/30)
私は今年定年を迎えます。仕事の成績が悪く、勤務先からは再雇用の資格無しと言われていて、何の準備もなく人脈もありません。無職になります。とても安穏としていられる経済事情ではなく、ハローワークに通いつつ、自力で仕事を探す予定です。
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しばらく前に勤務先の職場で、1年先輩の同僚が挨拶会を開きました。彼は再雇用されるそう。挨拶の中で、ご自身のこれまでの実績をとうとうと述べ、ご自分がいかに有用な人材かということをこれでもかとアピールされていました。そうでもしなければ職場に残れないということなのでしょう。
先日は別の職場から同期入社の同僚がひょっこり訪れて、なじみのある人たちに挨拶し、私にも声をかけてくれました。約20年ぶりでしょうか、長い歳月はお互いの老化を改めて認識することになりました。
彼は再雇用ではなくコンサルタント、なんと個人起業するとのことです。既にノウハウを習得し、広い人脈づくりもできていて、実務面も営業面も万全なのかもしれません。しかし、あるいは準備不足のままうまい話に乗せられて受注がうまくいかず、コンサルタントは名ばかりでただの即戦力な道が待っているのかもしれません。まぁ、ある程度勝算があってのことでしょうから後者ではないでしょう。
他方、自己アピールすることなど一切無く、ひっそりと去る方々もいます。関わりのあった同僚が、この3年ほどで 3名が定年退職し職場を去りました。定年直前に会話する機会はあったのですが、皆一様に口数少なく、定年後の計画を聞くことは叶いませんでした。退職が決まっている職場では多くを語らないのが賢明なのでしょう。
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さしあたって困るのが経済面です。己の年金額を確認するべく、事務所へ相談に行ってきました。年金の種類ほか説明を受け、年金額の概算を試算してもらました。想像してはいいましたが、やはり直視できないほど少ない...
再雇用の可能性がないことを告げると、今からでもハローワークへ様子を見に行ったほうがいいとアドバイスをもらいました。これまでのサラリーマン生活のキャリア、といっても大したものではありませんが、ともかく全く役に立たない、無いに等しいそうです。これまで定収を得てはいたものの、私のサラリーマン人生は馬齢を重ねただけでありました。少なからずショックですが、変に夢を見せてもらうよりも、こうしてはっきり現実を突きつけてもらったほうがはるかに良い。
定年後の準備など何もしてこなかった代償ということかもしれません。でもいざ定年を前にした今、周到に準備していれば違った道が開けたのかというと、甚だ懐疑的です。仕事を通してスキルを体得できるような職場ではありませんし、在職中に別の資格を取得するような活動は、体力的にも精神的にも余裕が無かった。
資産を増やそうにも元手が無い。人づきあいも苦手なので人脈を拡げることもできませんでした。再雇用されるためには集団内の競争に勝ち続けなければならず、退職後にすんなり仕事にありつけるような人脈というのも私には想像がつきません。
今更ながらわかってきたのは、私のような凡人は、準備に時間をかけ、じたばたしても道は開かないということ。定年を迎えてから経済事情や体力に合わせてじたばたするしかないということ。定年後の計画は個人個人の事情でそれぞれであり、他人の話はほぼ自分の役には立たないということです。
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実は、つい先週上司から「1年だけ再雇用してやってもいいぞ」と言われました。今までさんざんダメ出ししてきたのに、どういう風の吹きまわしなのか? 怪しい。胡散臭い。
この年度末の繁忙感から思わず出た軽口かもしれません。もし再雇用の話にホイホイ乗っかったとして、1年どころか3か月で契約打ち切りという可能性もあります。
あるいは、定年後再雇用の実績作りのために雇用者側の都合で声がけしているだけかもしれません。私自身のことなど考えられているはずが無い。自分の面倒は自分でみなければならない。うまい話などあるわけがないのです。
当然のことだが、みんな豊かな「セカンドライフ」派(安心組)に入りたいのである。
そのために、本や雑誌やテレビで役に立ちそうな情報をせっせと集める。みなもっともらしいことをいい、役立ちそうなことを書いてはいるが、結果、役に立たない。あたりまえのことである。ほんとうの「安心組」はそんな情報など必要とせず、それを必要とする人間はそんな情報を聞いたところで、生活の条件が変わるわけではないからである。 勢古浩爾著『定年後のリアル』草思社文庫より
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