小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2010/12/12

過去掲載した編集◇コラム16

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旅の記録とカメラ (10/10/24)

 ここ何回かマニアックな話題を続けてしまったので、ユルイ話を、と思い、私のお気楽カメラ歴などを紹介しようと思います。カメラ歴と言ったって、つまらないもんですよ。試行錯誤も何もあったもんじゃない。何たって、今まで数えて4台だけ、しかもコンパクトのものしか所有したことがないのですから。素人のよた話だと捉えて流していただければ、と思います。

 まず最初はOLYMPUS XA2。 XA2
高校生の時、周囲にカメラ好きの友人が何人かいて、少し刺激されたのですが、面倒くさがり&お気楽志向の私は、XAすら避けて、より素人向けのXA2を買ったのでした。これが私の用途に ぴったりハマったのか、何と20年もの間、第一線で活躍しました。
 小さくて軽く、壊れない。自転車やバイクで走り回るたびに連れていき、何度落としたことか。海外で何度も厳しい環境に晒しました。

 画質も、この手の、オモチャみたいなカメラにしては悪い方ではなく、夜景も撮影できますし、さすがに細部の描写力こそありませんが、色合いが自然で、旅の記録にはピッタリだったのです。
 でも良いのは現像段階までで、その後のプリントとなると、写真屋によっては過剰なまでに彩度を上げてしまうので、その非現実的な色合いに閉口したこともありました...
 PCを使うようになってからスキャナーを購入し、ネガフィルムから画像ファイルをつくってみると、撮影した風景の色がきちんと再現されている。
 私にとってカメラ選びの基準は、今でもこのXA2であると言えるのかもしれません。
あまりに長く使いすぎたために、その画質が良くも悪くも比較対象になっている気がします。今でも。

 巷にデジタルカメラが流通するようになっても、コンパクトで画質がそれなりのカメラがなかなか見当たらず、しばらくXA2を使い続けていましたが、これなら満足できそうだ、というカメラに巡り会いました。

Canon PowerShot S45です。 S45
 今となってはたいした性能ではないかもしれないけど、XA2と比べるとプリント写真の解像度が上がったメリットに対し、色調表現がそれほど変わらず、画質のデメリットは ほぼ無し。今でも簡単に手放そうとは思っていません。
 しかし難点が、カメラ本体が小さい割に分厚いことと重いこと。やや起動時間が長いこと。レンズバリアも大げさで、今一つ軽快性に欠け、5年ほど使い込んでくると自転車やオートバイとともに持ち歩くには さすがに気になることが増えてきて、買い換え、いえ、買い足すことにしたのです。

 カメラ本体のデメリットを解消すべく購入したCanon IXY800IS。 IXY800IS
サイズも重さも、持ち歩くには申し分なく、当時は新聞広告も出されていて、メーカーの意気込みを感じるカメラでした。
 およそ3年、それまでとはケタ違いの出動回数を誇り、旅の記録だけでなく日常にもカメラが進出するようになってきたのでした。
画質も解像度はほどほどに高い気がしました。

 しかし・・・
しかしどことなく色も奥行きも少々のっぺり。時折感じる、過度とは言えないまでも、現実から離れた、やや派手な色合い。赤はより赤く、黄色は派手に、緑はさらに鮮やかに。表現に乏しいといえばいいのか。コンデジの画質に奥行きを求めても仕方ないのであろうし、デジタルですから、後で修正すればいいことではありますが、それほど容易ではない上に、何より違和感が大きいのが気になりました。
 多少はマシなのがAUTOではなく、マニュアルモードで、露出や色調を設定してから撮影するという方法。
ただし、設定を呼び出すのにやや手間がかかり、軽さ・小ささと引き替えに、お手軽さは少々失われた感じがしました。

 おそらく世の中が、写真にある程度の演出を期待しているのでしょう。少なからず私も。日常を写すだけではツマラナイ。もっとドラマチックな写真にしたい。雑誌のグラビアのような写真を撮ってみたい。他人に評価される “作品” として...

 いえ、写真だけではありません。仕事やレジャーではもちろん、外見や日常行動においても自分自身を飾り、脚色する。それは自分自身の内面を豊かにするというよりも、アウトプットをよく見せているといえます。
 そしていつしか、他人を判断するときにまずそのアウトプットを見るようになっているのです。そう、判断基準はアウトプット。その判断基準は、無意識に自分自身にも適用され、自らの価値の有無が、アウトプットに左右されるようになったりしています。


S90  IXY800ISを我慢して使い続けても大きな不便は無かったのですが、PowerShotの、わざとらしくない色合いが忘れられず、3ヶ月ほど前にとうとう買ってしまいました、PowerShot S90。

 RICOH CX3も候補に上がりましたが、実際に触ってみて、少々キャラが違うような気がしました。操作系にすぐに慣れることができなかったのも影響したかもしれません。
 Panasonic LUMIX DMC-LX3も考えましたが、レンズキャップだけがどうしても 引っかかりまして...
きっとXA2の影響でしょう。

 IXY 30Sも量販店の店頭で、手にとって確認しました。同じIXYの系列だし、使用性から選ぶとしたらこっちか、と思ったのですが、露出などの設定を呼び出すのが容易ではないのが私には合わなかったです。そもそもAUTOでガンガン撮影するタイプなのでしょう。

 大きさと重さはIXY 800ISで、画質や操作性・機能はPowershot S45、それに手ぶれ防止がつけば 私には十分。それ以上の表現力を求め始めるとキリがありません。そんな私にS90はピッタリでした。
何よりも手軽に携帯してサッと取り出し軽快に撮れ、露出やホワイトバランスをすぐに変更でき、その気になればシャッタースピード優先や絞り優先に設定できるのが魅力です。
 しばらく使ってみて、細かい不満はありますが、肝心の色調には概ね満足しています。ただ、あまりに細かい描写力には多少戸惑うこともありますけど。

しまなみ
 ところで、自然な色のアウトプットがほしい、これ自体も一種の脚色なのかもしれません。

 そもそもアウトプットを重要視しなければいいのです。
どんなカメラを使おうが、写真がどんなに美しかろうが、カメラはカメラ、写真は写真であって、実物ではない。
実物は他人に惑わされることなく、結局は自分自身の眼で見て判断しなければならない、そう思います。

 人間を、その人のアウトプットだけで判断できるわけがないのと同じように。

旅と出会いと[1] (10/09/12)

 旅の醍醐味のひとつに “出会い” があります。
旅行者どうしの出会い、地元の人々との触れ合い。
出会う相手が人間だけとは限りません。風景、建物、ウマいもの、民芸品。
 だが他にも、目には見えないものと出会うこともあります。

 先月、岐阜県木曽〜長野県飯田を結ぶ大平街道を自転車で走った時のこと。
木曽側をスタートし、妻籠、あららぎを抜けて広瀬から狭い街道へ入りました。
 車も人も通らない、何も無い森の中、平均勾配6〜7%の狭いクネクネした上りがずっと続くのです。
気温30℃以上、軽いギアを選択してはいても、息が荒くなり、汗が滴り落ちてきます。
 ここでじっくり己の肉体と対話するはずでした。キツイ、こんなところでバテてどうする、引き返そう、いったいオレは何をやっているんだろう、...

 しかし今回は違っていました。
木立の中を走り進めるにつれ、意識を己に集めるにつれ、なぜか荒い呼吸が落ち着いていき、頭や手足の上気が収まり、頑張っていない肉体がありました。 速くないとはいえ、それほどペースを落としていないのに、苦しいとか楽しいとか、様々な感情や雑念までもがきれいに消えていきました。
 対峙したはずの私自身は、澄んで、カラッポだったのです。

 続いてこの峠道の、豊かな自然がいっせいに入り込んできました。
大平街道
それはふだん目にしたり聞いたりするもの ─無機的で堅い建築物や液晶画面、数々の書類、電車やクルマの騒音、商業広告、人間たちの虚勢や怒声、愚痴─ とは違うものでした。
そよ風に揺れる木々の葉ずれの音、鳥たちや虫たちの声、薄雲のかかった優しい空。


 いつしか私は視界に入る木々だけではなく、この森、この山全体の、穏やかな気配まで感じているような気がしました。
 今、私はこの山の自然に調和した旅人であり、山の自然は旅人とともにありました。
それは私自身の、先祖から引き継いだ太古の旅人としての記憶に出会ったのかもしれません。いえ、この悠久の自然が記憶する、いにしえから近代までの旅人像に出会ったのかもしれません。


 私の肉体は、変わらずにずっと、自転車とともに街道を走り続けていて、なぜか心安らぐこの道程が、このままいつまでも続くかのようでした。


 木々の高さが低くなり、標高も相当上がってきた頃、背後から調和を乱す、クルマの音が聞こえました。
狭い道です。私は自転車を左端に寄せて先を譲ると、音の主の、ありふれた国産のステーションワゴンには夫婦とおぼしき一組の男女。
 女性のほうは、まるで汚物でも見るかのような表情で私を一瞥しただけでしたが、中年男性のほうは少しの驚きと、羨望と、後悔と、なんとなくそういったものが入り交じったような、複雑な表情をしていました。
ステーションワゴンは少しためらったかのような動きをしつつ、私を追い越すと そのまま先へ進み、すぐに見えなくなりました。


多人数ならではの楽しさも、少人数だからこその出会いもある。
一人旅でしか会えないものもある。
偶然の出会いもあり、会いたかったのに会えないこともある。

 それだから旅はやめられないのかもしれません。

「ファンタージエンへの入口はいくらもあるんだよ、きみ。
 そういう魔法の本は、もっともっとある。それに気づかない人が多いんだ。
 つまり、そういう本を手にして読む人しだいなんだ。」

─中略─

「それに、ファンタージエンにいってもどってくるのは、本でだけじゃなくて、
 もっとほかのことででもできるんだ。きみも、やがて気がつくだろうがね。」 ミヒャエル・エンデ著 『はてしない物語』より

座標 (10/08/01)

「はたぼうさんは どうやってそのような座標をつかむことができたのですか?
 やはり病気になったからこそ得られたものなのでしょうか?」
目の前の若い女性は、落ち着いた口調がやや崩れ、好奇心を隠せない様子で質問してきました。

イメージ  ここは診療所の一室。
今年の2月、私は過労とストレスから抑うつ状態となり、1ヶ月以上療養した後、会社に復帰しました。ただし無条件復帰ではなく、産業医から仕事上いくつかの制約をつけられただけでなく、当面の間こうして1〜2ヶ月に一度、看護師の問診を受ける指示を受けたのでした。

 冒頭の質問をしてきた女性は産業医の指示で今回問診をする看護師。
私の経験上 このような場合、決められたことだけを質問し、相手から相談されてもマニュアル通りの回答をする、まるでロボットのような看護師や、その日その時間だけを消化すればそれでいい事務員的看護師、あるいはもはや何事にも動じないベテランすぎる看護師が多いのです。
 それは おそらくこの問診作業が社員の健康状態をチェックし、秤にかけ、一定の基準を満たさないものは さっさと振り落とすための、組織側の作業であって、決して個人の体調・事情について相談を受け、良い方向へ変える類のものではないからだということも一因なのかと想像します。
ですから、私もこんな無機的な問診は感情を交えずにさっさと済ませるつもりだったのです。

 しかし、今回の看護師はまだ若く、ビジネスライクな作業の範囲を超えて、カウンセリング的領域まで踏み込んでるかのような印象を受けました。この人なら、ドライになりきらずに多少本音を話しても良さそうです。

 産業医に指示された日々の睡眠・体調の記録を私が提示、いくつかの質問に回答すると、彼女は「うつ病にしては回復が概ね順調で、しかも早い」と驚いた様子でした。

看護師「気力が無くなってきたと感じたり、
    今日は仕事に行くのが無理だと思う日はありませんか?」
私  「気力なんて もともとあまり無いから、
    無くなってきたように感じることもないし、
    仕事に行くのが嫌なのは 誰でも一緒でしょう。」
 毎日おおよそ規則的に起きて就寝。体調も気分も特に良くもなく悪くもなく、というか仕事や気候にある程度左右されて、少々良いときもあればそうでもないときもある。時折漢方薬のお世話にもなる。仕事は山・谷があるし、こう暑いとどうしても睡眠が短くなりがちですけど、だからといって あまり気にするほどのこともない。
フツーなのです。

 看護師が、私の睡眠・体調の記録のコピーをとると言うので、私が「コピーしなくていいです。私には不要なものだから」と言うと、ちょっと当惑した表情になりました。
 看護師によると、この記録はとっても大事なもので、いざ大きく崩れたときにそれ以前の状態を振り返り、変化点を見つけて、崩れる “きっかけ” を知り、今後の再発を防ぐために有用だというのです。早い話、“傾向と対策” を把握するというものなのでしょう。
確かにそれは正論なのかもしれません。医療関係者には大事なものなのでしょう。
 しかし、今の私にはこんな記録の保管なんてどうでもよろしい。
チマチマと過去のことを振り返ってどうする? 昨夜、夜中に目が覚めたかどうかなんて、どうでもいいし、今までの気分の変化なんてものも興味は無い。昨日食べたものを、別に記録しておく必要が無いのと同じです。
回復してるとか、してないとかすらどうでもよいし、“対策” もどうでもよい。そのときそのときで、なるようになるし、じたばたしたって なるようにしかならない。


 しかし思い起こせば、7年前、初めて うつ病でぶっ倒れたときは睡眠も体調もずっと安定しない期間が続き、きっちり記録をとっていました。“傾向と対策”をつかもうとしていたのです。意識して規則的な生活になるよう心がけ、運動習慣とか食事にも気を配っていました。
 “頭” で心と体をコントロールしようとしていたのです。
会社に復帰する際も、以前は、“いよいよ明日から復帰だ。うん、大丈夫”、“最初は飛ばしちゃダメだな。そう、頑張らないように頑張ろう(?)” などと少なからず気負っていた部分が多かったように思います。

 それが今や、座標が変わってしまいました。
意識的に “頭” で健康を考えるのではなく、無意識的な “心と体” に任せる部分がかなり多くなったと言えばいいのでしょか。
 仕事に復帰するときだって、特に感慨も何も無く、どちらかといえば淡々と、仕事しないと生活に困るから しかたなく復帰した、というようなもので、希望も期待も無い代わりに やりがいとか失望とかも無い。会社は、生活費を稼ぐために行くところ。それ以外の何かを期待するほうが間違っているのです。


 問診に対する私の回答を 不思議そうに聞き、半分安心したような、しかし半分納得できないような表情になった看護師は、冒頭の質問を私にぶつけました。


「確かに病気になっていなかったら、私は望む望まないにかかわらず働き詰めの日々を続け、会社生活は充実したものになっったかもしれませんが、反面、それ以外のものはほとんど何も得られずに定年になるとガックリときてしまうタイプだったのでしょう。その前にもっと別の病を発症していたかもしれませんけど」

看護師は自らの思いを吐露するかのように話し出しました。
「多くのうつ病経験者は、回復しきったわけではないのにがんばろうとします。周囲のペースに早く合わせたり、かつて自分が働いていた仕事量に 早く戻ろうとするのです。そして再びダウンすることが多い。
周囲はそこまで期待しているわけじゃないのに、なぜそこまで頑張るのですか?
なぜ自分の体を大事にしないのですか? ご自身の家族が大事ではないのですか?
復帰した人が再びダウンしないようにするにはどうしたらいいのか、わからない」

 彼女は、問診の場で ただ決められた作業をこなすだけの存在ではありませんでした。見た目は おとなしそうに見えても、その内面には、こんな看護魂とも言うべき熱いスピリットを秘めていたのです。

「日本人男性はたいてい仕事が大部分あるいは全て。そしてなぜかたくさん働く人に合わせなければならないと思い込んだり、思わされてしまうのです。
過去、多くの仕事をこなしてきた男性ほどプライドがあり、ダウンしても自分の境遇を受け入れられない。いつか元に戻りたい、早く周囲に合わせなければならないと思うのです。そう要求されるのです。

なぜそうなのか。なぜ周囲に合わせなければならないのか。
女性のあなたには理解しがたいことかもしれません。男性の私にもなぜなのか、よくわかりません。家族のため、生活のため、と言いますけど、本当に100%そうなのか当人もわかっていないのではないでしょうか?」

 回答にならない回答ですね。
こんなつもりはなかったのに、ずいぶん話してしまいました。ありがとう。

 失礼ながら あなたのような人が何を変える力があるとは思ってないですし、病気の人が楽になるとも思っているわけでもありません。

イメージ 世間の座標じゃない。
他の誰かの座標でもない。
あなたには、あなた自身の座標があるはずだ。それを見つけてほしい。
あなたのような人が存在していると思うだけで、弱者を取り巻く環境が、いずれほんの少し温かいものになるはず、そう感じた診療所での時間でした。


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