小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2011/09/18

過去掲載した編集◇コラム17

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続々)つながるスタイル (11/08/14)

「皆様お急ぎのところ人身事故の影響で電車が遅れまして誠に申し訳ございません」

 平日、空席が目立つ、地方を走る特急電車の車内放送。もう何度目になるのでしょう。放送は、遅れを丁重に詫びつつ、責めるべき原因は他にあることを示していました。
 時間通りの運行が正義。人々のスケジュールや経済活動が正義なのです。それらを妨げる事故や遅れは悪。きっと疑う余地も無いことなのでしょう。

電車  震災前の今年3月に、金沢とその近郊を訪れた帰路のことです。
名古屋へ向かう特急列車が、途中の駅で停車したまま動かなくなってしまいました。車内アナウンスによると、人身事故が発生、警察や消防まで出動し、現場検証中だということでした。

 「何だよ、やれやれ」
大都市圏ならさほど珍しくもなくなってしまった人身事故。乗客からはこんなボヤキも聞こえてくるのですが、ここは都会からは遠く離れた福井県の片田舎。ビジネスマンらしき格好の人たちが めいめい携帯で連絡を始めているものの、あまりイラついている様子は見られません。
 私は仕事中でもないのだし、急いでいるわけでもなし。いつ運行再開するかはわからないけれど、どうにもならないのだし、ぼんやりと景色でも見ながら帰宅時刻の心配をするくらいでした。

 停車時間は2時間になろうとしていました。現場検証までしているということは、軽い事故ではなく、重い類のものかもしれません。偶然起きた可能性もあるけれど、自死である可能性も高そうです。大都市ならともかく、どうしてまたこんな平和で静かな地方で?
 そう考えたときでした。 当事者の思いが、私の中に少しだけ入ってきたような気がしました。いえ、気のせいでしょう。なので以下は私の個人的な妄想です。


 彼は孤独でした。いえ、孤立していました。事情はわかりませんが、社会から、世間から必要とされない存在でした。仕事の縁を失っていただけではありません。地域のつながり、家族のつながりも失くしていました。
 もちろん彼自身も努力しました。彼なりに頑張りました。しかし世間は落伍者に冷たかった。
“自己責任” という言葉を押し付けられ、彼の孤立は深まりました。

 それでも彼は自分を責めることはあれど、世間を恨んだりはしませんでした。
彼もただの一人の人間だったのです。順調な人生ならともかく、うまくいかなかったり、つまづいたりしたとき、孤独に陥ったときこそ、人の温かさに触れたい。居場所がほしい。世間につながっていたい。

 最後に、彼は経済活動の象徴である特急電車を選択しました。そしてとうとうつながることができたのです。その尊い命と引き換えに。


「皆様お急ぎのところ人身事故の影響で電車が遅れまして誠に申し訳ございません。電車は間もなく運転を再開いたします。」

 自死の手段・場所として、鉄道を選び、その結果として列車の運行を停めてしまい、大勢の乗客や貨物輸送に支障を来たすのは、確かに迷惑な行為であり、慎むべきです。
 もし、仮に自死を選択するとしたら、人様に迷惑のかからないところで、というのが正論、いや、大きな声では言えない本音なのでしょう。

 しかし、それは社会の側、世間の側からの、多数派の意見、一方的な見方ではないでしょうか。それは不適格者は排除されて当然、取引や予定に支障が出たら当事者が責任を取るべし、というドライな考え方でもあります。 私たちはいつからそんなに偉くなったのでしょう?


「皆様お急ぎのところ人身事故の影響で電車が遅れまして誠に申し訳ございません。各駅の到着予定時刻をご連絡いたします...」

 当事者は自分勝手に自死を選んだように見えます。
けれど、彼を追い詰めたのは世間であり、不適格者は排除すべし、という世間の側なのです。非効率的なもの、無駄なものを許容できない私たちであり、貴方がたのほうなのです。
 その刃は他者に向かっているようでいて、無意識のうちにいずれは自分自身を蝕み、己の中の不都合な、醜い部分を許容できなくなっていくこともあるのです。


「皆様お急ぎのところ人身事故の影響で電車が遅れまして誠に申し訳ございません」

 当事者を責めたり、あるいは鉄道会社を責めたり、自分は運が悪いと嘆く乗客たち。そんな中、一人ぐらい当事者の側に立つ人間がいたっていいじゃないか。

 ただ純につながりたかった当事者のことを思い、私は心の中で合掌したのでした。

異なる世界 (11/07/03)

 地方都市の、比較的大きな川にかかる、とある橋。
田舎とはいえ、橋の上では車や人が頻繁に行き交い、朝夕の通勤時には数々の車両が道を埋め、先を急ぐ人々の刺々しい空気で満ちるのが日常です。

 一方、橋の上から川べりまで降りてみると、気持ちのいい風がそよぎ、実に穏やかな時間が流れています。特に黄昏時など、全く違う空間に思えるほど。

 橋の上は市場経済が席巻する世界。企画書やマニュアル、手順の世界です。
目標を定めて走る世界、目的とか夢とか、行動の対象が必要な世界。
合理的でないものを切り捨てていく、乾いた世界。
勝者と敗者がいる世界、勝者を目指すことになっている世界。
社会への貢献度とか、世間に迷惑を掛けないとか、人の価値が相対的な世界。
人間中心、いや、社会には人間しか存在しないかのような、息詰まる世界。

橋の下  一方、橋の下は、人間たちが支配していない世界。
自然が支配しているわけでもありません。“支配” とか “合理的” とか、そういった概念は無い。PCやスマートフォン、ケータイに意味は無い。どんな車を持っているかとか、何のバイクに乗っているかとか、そんなことはどうでもよろしい。現実に対する理想郷とか、そういった座標でもありません。

 それぞれの生物や無機物までも、その存在が相対的でなく絶対的と思える世界。だからといってドライではなくって、むしろその逆で、万物が愛おしく、何か温かいものに包まれているかのような世界です。合理的には説明できない世界。


 橋の上からは下の世界が見えない。
いや、見えるんだけど、“景色” として目に映っているだけなのです。
スクリーンに映し出される光景、空調の効いた車や電車やバスの車窓に映る景色。忙しい人々にとっては、もはや景色でもなく、空間を埋める色相と明暗でしかないこともあります。経済社会に浸っている人たちや、世の中に収まってしまっている人たちにとって、橋の下の世界は、合理的でないどころか、実体の無い、空虚なものなのかもしれません。

 橋の下から見た上の世界だって理解しがたく映ります。
何か見えない巨きな世間とか、永遠だと錯覚している仲間とかにしがみついている世界。細切れに区切った時間を予定で満たし、何か忙しく活動していることが充実しているかのような、空虚な世界。重さの無い世界。自分を生きていない世界。


 上の世界にとって、下の世界を潰すことはたやすい。大規模な護岸工事をして柵で囲ってしまえば、下の世界に行くことも無くなるでしょう。
でも、下の世界、無くなっていい世界ではないのかもしれません。なぜそうなのかは うまく言えませんけれど、おそらく明治維新以前は多くの人々が共有していたであろう世界、大事にすべき世界であるような気がします。

 一方、上の世界無しには、私たち人間は生きていけない。生活していけない。こちらも うまく説明できないのですが、世俗とはまるで縁の無い人生というのが、あり得ないことと同義のように感じます。


 これだけ近接した空間でありながら、橋の上と下では、あまりにも違う世界が拡がっていました。此岸と彼岸 ─ 仮に浮世に対して “あの世” といわれるものが存在するとしたら、もしかしたら こういうものかもしれません。そんなことを ふと考えてしまうほど、近くて遠く、なぜか永久に交わることのない世界のように感じたのでした。

「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」 コレアンダー氏はいった。
「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな。きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」 ミヒャエル・エンデ著 『はてしない物語』より

本を旅する (11/04/24)

 ぼくは握手しようと手を伸ばした。すると彼は、去りし日のガンマンもかくやと思わせるほどのすばやくてなめらかなひと振りでぼくの手をはらい、金属製の小さな青い拳銃を顔のまん前につきつけてきた。テリーサが叫び声をあげ、膝をついて神に祈りだした。小さな男の子が走ってきて、巨大な母親のとなりに立った。口の中がからからになった。めまいがした。
「この人、撃たれるの、ビル?」小さな男の子がたずねた。 ロン・マクラーティ著 『ぼくとペダルと始まりの旅』より

ぼくとペダルと始まりの旅  以前、旅での出会いについて触れたことがあります。

 旅先で交わした何気ない会話が楽しかったり、ちょっとした親切が嬉しかったり。TVやインターネットで知った、グルメを求めて出会ったり。
 それでも忙しい現代人にとっては、旅といっても長くて数泊というケースが多いことでしょう。しかもガイドブックなどで事前に入手した情報を確認する旅になりがちです。予定を消化する行程になっていることも少なくありません。
私にもそういうケースがあてはまることがありますし、それが何も悪いわけではありませんけれど、でもそれが全てではないのです。

 この、『ぼくとペダルと始まりの旅』、小説の中とはいえ、そんな予定調和的な旅とは あまりにかけ離れた世界が描かれています。
 主人公は、確かにアル中で、大食漢で、くだらない毎日を送っていたかもしれない。
しかし、忙しい現代日本人には理解できないかもしれませんけれど、旅に出た主人公は、世間や集団、物にしがみついていません。ケータイやネットにもしがみついてない。生活に支配されていないのです。
 脇役も、旅先で出会う人たちも、必ずしも親切な人ばかりではないどころか、価値観や人生観がまるで違っていたり、互いに理解する気もなかったりします。
 ところが、その登場人物 誰もが魅力的なのです。個人の生き方よりも、集団の秩序を優先させてしまう日本人にはわかりかねる部分もあるとは思いますが、尊敬できるとか、立派だとか、才能があるとか、友達が多いとか、そういった魅力ではありません。自己流をつらぬいて成功しているわけでもありません。失敗していたり、不器用だけど、それぞれに、それぞれのやりかたで、それぞれに自分に正直に生きている。その姿が美しい。
 著者の、深く温かい愛情を感じるのです。人類愛というべきものかもしれません。博愛主義のような、立派だと称えられる類のものではないでしょうけれど。


 私もできればこういう旅を実際にしてみたいですけれど、おそらくムリでしょう。やってやれないことはないでしょうが、そのために犠牲にしなければならないであろうことがとても多く、勇気も無いというのが正直なところです。今回の震災に遭った方々はもちろんのこと、それでなくとも日々の生活に精いっぱいで、旅なんて考えられない、という方々も少なくないのではないかと想像します。
 でも本の中なら。今日もこの本を読み返し、しばしの時間、本の中の旅を楽しむのです。心ここにあらず、頭ここにあらずという時間に浸るのです。
 必ずしも体を動かすことが旅ではなく、心を動かすことが旅だとしたら。
たとえ遠方へ行ったとしても、体は動いているのに旅になっていないこともあるわけで、逆に一冊の本で、心がふるえることだってあるのです。

 本の世界だってすばらしい。他にも、旅の本をいっぱい読んでみたいと思います。

続)つながるスタイル (11/03/06)

無縁社会
 『無縁社会』
   NHK「無縁社会プロジェクト」取材班 編著

 この本を読んでタイヘンだと騒ぎたてるつもりもなければ、逆に批評するつもりもありません。
あれこれ言う人はいるでしょうれど、そんなことよりも、様々なケースを、丁寧に、細かく掘り下げた取材は、誰にでもできることではなく、それだけでも十二分に読む価値のある本だと思います。

 無縁社会 ─それは独居の高齢者だけの話ではありません。ごく普通の人たちが、ひとつ歯車が狂えば、会社とのつながりを無くし、地域とのつながりも失う。
家族も頼りないものになりつつあります。
 経験のある方々しかわからないことなのかもしれませんが、今、かけがえのないもの、盤石なものに感じている家族や仲間との絆も、実は微妙なバランスの上に成り立っていて、病気や失職などの要因で、思ったよりも容易に崩れていくことが少なくないのです。

 「呼び寄せ高齢者」が孤立する実態も書かれています。子供がいても、肉親がいても、現在所帯を持っていても、人生の終盤に孤立する可能性は誰にでもあるということ。
 また意外にも、比較的若い世代の30代、40代の無縁についても取材記事が載せられていて、まさしく他人事ではないと感じます。

 一方、絆をつかむ努力をしている方々のこと、それに、無縁の人々をつなぐために、孤立させないために、活動している方々のことにも触れてあります。
すばらしい。本当に頭が下がります。無縁な人々が一日でも早く、無縁でなくなるといいと思います。


 しかし、私には別の疑問が頭をもたげてくるのです。
人間は、必ず能動的につながっていなければならないのでしょうか?
つながるための努力を常に持続していなければいけないのでしょうか?
努力を怠ったために、その報いとして、もしつながりが切れてしまうとしたら、なんだかやりきれません。

 確かにつながりがゼロだと人は生きていけないと思いますが、つながらなければならないという認識は、まるで強迫観念にさらされているような気さえしてきます。


 つながる─それは決してONかOFFか、だけではないと私は思うのです。

人の輪に入らなくてもいい。
役に立たなくてもいい。
必要とされなくていい。

 役に立つかどうかは二の次。
世の中、よく見れば必要とされるものだけで構成されているわけではないと思います。

 それに、必ずしも能動的につながらなくとも、人々は無意識につながっているのではないかと私は思うのです。それはつながりたい人とつながってるだけではなくて、実は気が進まない人々ともつながっている。切ろうとしても、切っているように見えても、つながっている。

 しかも私たちは人間とだけ、目に見えるものとだけつながっているわけではありません。
ひとつは故郷。─理屈でなくつながっているのだと思います。
何らかの事情があって仮に断ち切ったとしても、望郷の思いが一時的に消えたとしても、故郷を完全に忘れてしまうことは無いでしょう。それは生まれ故郷でなくとも、私のように、幼少期に何度も引っ越しを経験した者でも、いつかどこかでつながりを感じる土地に出会うように思えてなりません。
 故郷とは、たとえ孤立してでも、将来戻りたい場所なのかもしれません。


目に見えるものだけを追っているとわからない。
先を急ぎ、速度を上げるとわからない。
立てた計画を消化するようなツーリングをしているとわからない。

river
でも、旅が好きなオートバイ乗りならわかるはずだ。
旅を愛するサイクリストなら感じることができるはずだ。


ふとした瞬間、旅先の何気ない自然や土地、空気とつながっていることを。

つながるスタイル (10/12/12)

 近年、日本では人と人とのつながりが希薄になったと言われます。確かに地域や親族とのつながりは薄れ、個人活動が多くなったようです。そこには利己主義や、競争、損得勘定といったものも関係しているのかもしれません。
 効率的で、便利な、豊かな生活に慣れきってしまった私たちは、もはや昔に戻ることはできず、どことなく感じる不安感から、さらに多くの情報を求め、豊かさを維持しようと、あるいは さらに豊かになろうと、半ば受動的ともいえる消費活動をしているようにも見えます。

 でもそんなことなどしていられない、経済的にも精神的にも苦境にある人、どうにもならなくなってしまった人も世の中には少なくなく、行政サービスも行き届かない場合、宗教に頼らざるを得ないケースがあるようです。このような場合、宗教は心のセーフティネットとしての役割も担っています。
 私は幸か不幸か、冠婚葬祭以外、宗教との接点はありません。もっとも、旅先で訪れた古刹で手を合わせたり、クリスマスや初詣も薄い接点だと言われれば、そうなのでしょうけれど。
そんな私も、過去に2回ほど宗教との濃密な接点があったのです。

以下は私の個人的な体験であり、特定の宗教を推奨したり、批評するものではないことをお断りしておきます。

 今から20年以上前のことになります。
当時、仕事は連日深夜に及び、休日も働くのが当たり前。体力と神経はすり減っていく一方でした。
はじめは少ない休日にストレスを発散させるべく、レジャーに、飲み会にと出かけておりましたが、若さに任せた そんな生活が続いたのも数年。私は疲労とストレスから、激しい偏頭痛を頻発するようになっていました。
 市販の薬では全く効き目が無く、病院にいっても治まらず、休日に遊びに行けないどころか、仕事も順調にはこなせなくなりました。職場でも徐々に孤立し、次第に不安と焦りが大きくなっていったのでした。

 偏頭痛が酷く、独身寮で床に伏せていたある日。それまで あまり話もしたことが無かった職場のある先輩から突然連絡がありました。私を苦しめている、どうにも対処できない、その病魔を取り除いてくれるというのです。そして、先輩はご家族とともに私の独身寮を訪れると、私を連れ出して、とある宗教の集会所に連れて行ったのでした。
 そこで私は何やら奇妙に思える儀式の中に加わりました。別に病状が改善した感じはありませんでしたが、他に頭痛を除く方法が無いわけですし、痛みで判断力も鈍っていた私は、よくわからないけれど頼ってみてもいいのかも、と時折そこへ通うことにしたのでした。

 3回目に集会所に行ったときだっとと思います。急に私は教団幹部に呼び出されました。何か頭痛に効くことをしてくれるのか、あるいは崇高な説話が聞けるのかと思って期待した私でしたが、あいにく全く違いました。
 その幹部の話とは、私個人に対する批判でした。
まず集会所に頻繁に顔を出していないこと。それに各種活動に参加していないこと。これから本部に立派な神殿を建設するのに、協力費を納めていないこと。いや、正式に入門していないのだから、と言っても全く聞いてくれません。
 幹部が最も気に入らなかったのが、私がオートバイを乗り回していること。革ジャンとか革パンといった、その服装すら許容できないとのことでした。
 不思議ですね。教義とか、理念とかそういった話は全く無く、少なくとも その集会所を拠点としていた その教団支部は、皆が同じ集団行動をしなければならなかったのです。

 集団行動が苦手な私に続くわけがありません。そもそも私はそんな濃密な集団に入りたかったわけではありません。
 こうして私は教団を破門となり、出入り禁止になったのでした。私にとって、宗教はセーフティネットではなかったようです。一方、私を勧誘した先輩は数年後に職場を去りました。


 もう1回の接点は30年近く前の、高校生だったとき。
やや荒れていた中学から、ほどほどの公立高校に入った私。早くも学校生活に馴染めず、自分でもどうすればいいのかわからない状態でした。
 まず授業中にクラス全員が静かに前を向いて教師の言うことを聞いているということも信じられなかったし、少し大人びた、どことなくよそよそしい雰囲気にも違和感を感じていました。教科書やノートの類は学校に置きっぱなし、授業をフケたり、遅刻や早退も多かった私は、そうでもしなければ バランスを崩してどうかなっていたかもしれません。

 ある日中、学校からは相当離れた、乗降客の多い私鉄の駅をフラフラしていた私は、日本語を話す、若い白人男性に声をかけられました。
 当時日本人よりも外国人に少し興味があり、ヒマだった私は、その白人男性と話し込むうちに、落ち着いて話せるところに行こうと言われ、ついていきました。到着したのはマンションの一室。そこは とある宗教団体の活動拠点で、その男性は、いわば宣教師でした。いまさら気がついてももう遅いのかもしれませんが、私には この白人男性がどうしても悪人には見えず、しばらく話したのを覚えています。
 「あなたはどこから来たのか、そしてどこへ行くのか」
そんなことがテーマだったような気がします。当時の私はガンダムとかイデオンを見ていただけでなく、ルソーやヘーゲルなど、何も判りはしないのに何か影響を受けていて、男性の話に対し、あれこれと意味の無い反論をしていたような、かすかな記憶があります。

 今でも少し不思議なのですけど、この男性、高校生の分際であれこれヘンなことを喋る私の言葉を、ひとつひとつ聞いてくれました。 そして、互いに価値観の共有ができそうもないことを認識すると、この男性は笑顔で私を送り出してくれました。しかも最後に「あなたの神に祈ります」とまで言ってくれて。


 こうして振り返ってみると、対照的な経験ですね。
前者の教団は、個人ではなく集団を重視していて、かなり日本人的とも言えます。
信者は同じ体験をし、同じ活動を行い、同じ時間を共有しなければならない。信者のアイデンティティは集団によって確立され、その狭い世間には濃密なつながりがあるものの、ONかOFFしかなく、OFFは排除される。
 それが良いのか悪いのか、私にはわかりませんが。

 一方の後者。
前者に比べれば、接した時間は圧倒的に短かったですけれど、教義に近い部分を話し合えたのは有意義だったと思っています。中身はすっかり忘れて何も憶えていませんけれど。
ここでも私は集団に帰属することはありませんでしたが、それでも価値観の違うものを強引に押さえつけるようなところはなく、むしろそれはそれで違うものでも尊重するような懐の広さを感じたような気がしました。
 それも良いのか悪いのか、私にはわかりません。

 つながりが希薄になっている現代、私たち大衆の情報源はTVや雑誌、ネットなどのメディアに偏っていると思います。そして年末、クリスマスに合わせて何となくケーキを食べてみたり、年が明ければ初詣に行く。それは世間と同じことをしていることで、どことなく世間とつながっているという安心感に通じるのかもしれません。

 私はいろいろなスタイルがあっていいと思っています。

 しかし、頑張って、神経を使って気を配って しがみついていかなければ振り落とされてしまうような世間とか、仲間の集まりって、本当に必要なものなのかどうか、わからなくなります。
それは、その集団内での貴方自身、私自身の明確な役割とか、アイデンティティが果たして必要なのかということと同義です。

 “無縁社会” が社会問題となりつつある現代、何だか甘っちょろいことを言うようですけど、ONかOFFか、ではなく、もっとユルイつながりかたがあってもいいと思うのです。
moss
緊密にコミュニケーションしていなくてもいい。
互いに違うことをしていてもいい。
時間や経験を共有していなくてもいい。
価値観が違っていてもいい。
排除する必要もないし、逆にあえて優しくある必要もない。
今まで話をしたことがなくても、これからも必要でなければ無理に話さなくてもいい。

固く、狭く考えずに、構えず、柔らかく。

 そんな、脆くて、か細い、テキトーなつながりかた。 すぐに消えてしまう代わりに、造作もなく新しいつながりができる。一方、何もしていなくて消えたと思っていたのに、切れないつながりもある。
 そう思うと、見知らぬ人にも穏やかな気持ちで接することができるし、世の中、けっこういいところもいっぱいあるような気がしてくるのだから不思議なものです。

 ダメかなあ、こんな考え方。
世知辛い現代日本には、あまり馴染まない考え方かもしれませんね。


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