小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2014/02/23

過去掲載した編集◇コラム22

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冬のバイク乗り (14/01/26)

 出発時の気温は3℃。二十四節気の大寒にしては気温が高いほうです。
スギ花粉が飛び始める前のこの時期、冬季のツーリングには良好なコンディションでしょう。それでも寒さを見くびってはなりません。都市部はまだしも、気温の低い山間部や冬に風の強い海沿いを走るからには、しっかりと着込む必要があります。
 上半身はヒートテックに起毛の保温着、タートルネックのシャツにセーター、保温とは関係ないが胸部&脊椎プロテクター、その上にウルトラライトダウンジャケット、仕上げにウインタージャケット。これで合計7枚。
下半身は下着に起毛のタイツ、ジーンズ、防風に安価なウォームイージーパンツを。合計4枚。さらにレッグウォーマーも。すねからくるぶしまで、冷気が入りやすいところをガードしてくれます。
靴下は2枚履き。2枚目は作業用品店で購入したネオプレーン素材のもので、冷気を防ぐのが目的です。
 これだけ着込むのに5分以上はかかると思います。時間もそうですが、この上なく面倒であります。
 バカですよねえ。四輪ならそうした準備も無く、すぐ乗り出せるのに。
オートバイに乗らない人々にはまったくもって理解できないことでしょう。

冬ツーリング  どうして真冬にわざわざオートバイで、しかも気温の低い田舎に出かけるのか? なぜ四輪ではダメなのか。電車やバスではダメなのか。私にもどうしてなのか、うまく説明できません。

 日照時間が短い冬、少しでも日光を浴びるためかもしれません。寒い中を走っていくと温かい食事がおいしいからというのもあるでしょう。冬は街中を出れば空いているから、空気が澄んでいるから。
 どれも当たってはいますが、しかし私にとってはどれも本質ではない気がします。

 オートバイが好きとはいえ、若い時分は真冬になると買い物程度に走らせることはあっても、郊外まで出かけていくことはほとんどありませんでした。着膨れしてカッコ悪いし、着込んだ状態ではバイク関係以外の店舗には入りづらい。
 だいいち道路が凍結してる場合だってあるし、そうでなくともタイヤの温度が上がりにくく、制動距離が長くなるし、スリップしやすいし、ヘルメットのシールドが曇りやすく、リスクが上がる。
 ところが加齢によって寒さが身に堪えるようになったというのに、賢くリスクを回避するべき年齢だというのに、どうしたことか私の気持ちは外へと向いていき、雨や雪でない限りなるべく凍結路を避けて郊外へと出かけるようになってしまいました。

 きっと冬の自然に会いに行くのが一番の理由なのでしょう。雄大な景色とか、緑でいっぱいの山々ばかりが自然ではありません。山地から下流へと続く、冬の寒々した河川と、その流域に点在する、凍てつく農地や、一枚の葉もない果樹園に枯れ草。
 自然を畏れ、自然と調和してきた昔ながらの木造建築。山村の小さな集落に見られる、代々受け継がれてきた素朴で落ち着いた暮らしぶり。
 そうした小さなひとつひとつの風景が言葉にならないほど美しい。冷気に直接身体を晒すオートバイや自転車でなければ感じることができません。車やバス、鉄道ではどうもしっくりこないのです。
 いったい何が楽しいんだ、と訝る人々が大半でありましょう。結果とかメリットとか対価とか、そんなものはありません。うんざりだ。そもそも季節にかかわらず、いい年してオートバイを乗り回すライダーたちがマトモなはずがありませんから。

 冬の自然に会って得られるのは、貨幣価値に置き換えられるものでもなければ、他人に自慢できるものでもありません。満足感とも違います。幸福感、いえ、憧れとも安心感ともつかない、此岸に対する彼岸的なものを感じている気がします。私たちは自然と、大地と繋がっているからです。
 真冬、自然の中へ出かけていくライダーたちは、親の愛情を確認する子供のようなものなのかもしれません。

旅と出会いと[5] (13/12/22)

 「人生は選択の連続である」と言われることがあります。
選択肢が無限に拡がっていて、つまり果てしなく可能性が実在するということです。言い換えれば、己の浮き沈みはその選択の産物であって、自己責任の結果だと。
だけど本当にそうなのでしょうか? 人は皆、周囲の状況を見定め、進む道をセレクトしているのでしょうか?
 仮にそうした、人生を能動的に邁進してきた方々が数多くお見えだとして、他方では受動的、いえ、幾多の苦難を素直に受け止めて謙虚に過ごす人生行路も、決して少なくないはずです。
 10月末に自転車で旅した瀬戸内海西端では、こうしたことを考えさせるような様々な出会いがありました。

 名古屋駅を出発した下り新幹線は週末ということもあって、ビジネスマンがぽつぽつ混じる中、旅行客や家族連れで混雑していました。
 京都駅で大勢が乗降したように、次の新大阪でもたくさんの乗客が降りては乗って来ました。乗客たちの中に見慣れない一群、いえ、ひときわ目立つ一群があって、私の席の数列前に着席しました。
失礼ながらとても普通の稼業に就いているようには見えない強面の男性と、あまりにも対照的な、とびきり甘いマスクの若いイケメンが5名ほど。乗り合わせていたご婦人たちがにわかに騒ぎ始めました。どうやらこのイケメンたちは韓流アーティストのようです。言われてみれば、強面の男性はプロデューサーらしく、よく見ればひどく疲れた表情のマネージャーらしき人や、存在感を消すよう強制されているかのように暗い顔をしたアシスタントらしき人が同行しています。
 彼らがどうしてグリーン車ではなく一般車両に乗車するのかはわかりませんが、騒がしいおばさまたちを横目に、プロデューサーが取り仕切る一群は、静かに移動時間を過ごして岡山駅で降りました。降車の際、通路を歩む強面プロデューサーの後ろで、おとなしく従うイケメンたちは、やや緊張した表情に笑みを浮かべ、熱っぽい視線を送るおばさまたちに応えています。
私は韓流ドラマにも音楽にも全く興味が無く、彼らが誰なのか知る由もありませんでした。ただ、ぼんやりと視線をやった先のイケメンたち数名と、目が合ったその瞬間、何かが私の無意識を走りました。
 カネの亡者は言い過ぎでしょうが、ビジネスに徹している感のあるプロデューサ―やマネージャーとは違い、イケメンたちの特徴ある美形は、日本人には見られない、はにかむような謙虚さがあると同時に、地に足をついてないかのような、現実感の無い、淡いはかなさも持ち合わせているように見えます。一定の人気を得ている理由のひとつがわかった気がしました。
 そして彼等もまた、運命に翻弄される人々でありました。芸能界に身を置く人たちは、私のような凡人とはまるで縁のない別世界の住人だと思っていましたが、実際にこうして見てみると少し親近感が湧くのでした。


 各所を巡った周防大島ではこのような話も聞きました。
「田舎暮らしに憧れ、島に家を建てて移り住んでくる都会の人もおる。じゃが、それですばらしい田舎暮らしが待っちょるかというと、そうは問屋がおろさんのじゃ。
 都会から来た人は、たいていまた都会へ戻っていきよる。何もない島の生活に耐えれんのじゃろ。」
都会へ戻った人たちは選択を誤ったのでしょうか?
 私はそうは思いません。人それぞれ様々な事情があります。おそらく考えに考えた末の選択でしょうし、それまで住んでいた場所からの移住を余儀なくされたのかもしれません。
それに、都会と地方の対立の構図を取り上げたいわけでもありません。島の人々はもちろん、都会に戻っていった人々だって、運勢に左右されているのですから。


猫  四国へ渡り、訪れた札所、太山寺の閑散とした駐車場に自転車を駐めると、一匹の猫が近寄って来ました。エサが欲しいのでしょう、さかんに鳴いて人懐こい。私は野良猫にエサをやることはありませんが、このときばかりは根負けして、持っていたお菓子をやってしまいました。何か平常ならざるものを感じたのです。
私がたまに行くカフェのおねえさんが、新婚旅行へ行ったときのおみやげですといって親切にもくれた、フィンランドのお菓子だ。じっくり味わって食べんしゃい。
 かつてここで命運尽きて行き倒れたお遍路の魂たちに、この猫がわずかながら感応しているような気がして、私にはどうしても無視することができませんでした。

石段
 太山寺の本堂と太子堂を参拝した後、境内のベンチに座り、ゆっくりと気持ちを落ち着けていると、この境内が娑婆から離れた別世界のように感じてくるのでした。
お遍路さんたちが読教する般若心教が、静かな秋色に沁みていく。私は時間の経つのを忘れて、ここの世界とシンクロしていきました。
 ふいに山門の近くの枝から、まとまって葉が落ちました。その刹那、何かが私の中を貫き、意味もなく涙が溢れてきました。この場所は、はるか昔より何百年間も、数え切れない人々の悲しみや苦しみ、念といったものを受け止めてきたのです。
これからも、多くの人々の祈りの場所であり続けるのでしょう。私の中の無意識の何かが感応し、そして何かが浄化されたような気がしました。私の体は私だけのものではなく、私の人生も私だけのものではない。この札所を訪れたのも、私の自発的な意志ではないのかもしれません。


 この日、昼食に入ったカフェのカウンターには、次の言葉が飾ってありました。
「古今無二路」

 他人の人生が選択肢に満ちているのかどうか、転機は掴むべきものなのかどうか、そんなことはどうでもよろしい。私には他に選択肢はありません。災禍が伴っていようと、孤独なものであろうと、不運を恨もうと。
刺激の少ない平板のようなものであろうと、数多くの失敗を後悔しようと。

病魔は突如襲いかかる (13/10/20)

 「なーんだ、病気の話なんぞ聞きたくもない」と思うか「明日は我が身かもしれない」と思うか、それは諸兄の自由です。ご興味のある方々だけご覧ください。
 「死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり」と、『徒然草』に記したのは吉田兼好でありますけど、病魔だって行く手に待ち構えているのではなく、背後からやってきて突如パンチを食らわせるようなものでしょう。

 シモのお話が出てまいります。不快にお感じの方はここで読むのをお止めください。

 猛暑に苦しんでいた7月下旬のこと。
自転車通勤の帰路、唐突に違和感を覚えたのが始まりでした。その違和感は一両日で鋭い痛みに暗転し、まともに座っていられなくなってしまったのです。痛い部位はあろうことかお尻。恐る恐る触って確認すると肛門ではなく、わずかに外れたところに腫れ物ができておりました。
 細菌でも入って化膿したのかなあ、ともかく膿を出してしまおう。そう考えた無知な私は、恐ろしいことにこの腫れ物を針で突き刺すという暴挙に出たのです。消毒薬を準備して手鏡を床に置き、みっともない体勢でプスっと...
「アッ! いてェ〜!!」 ガーゼが鮮血に染まりました。膿が出てくる気配などありません。ただでさえ敏感な部位であるのに、不用意に刺激したからでしょう、よけいに痛みが増してしまい、ひとまず休戦としました。

 もう素人の手には負えません。肛門ではないからと、当初は皮膚科に受診することを考えた私でしたが、症状をネットで調べるうち、どうやらこれは外痔核(イボ痔の一種)というものらしく、肛門科へかかるべきであることを自覚。週末を耐え抜いた翌週の平日、勤務先に休みをもらって病院へ行ってきました。
 病院って、どうしても好きになれないですね。少なくとも初診あるいは初診に近い状態だと、自分の症状が軽いのか深刻なのか、手術が必要なのか早めに治るのか長期化しそうなのか、自分では何もわからないのでドキドキしてますし。病院の待合室はご高齢の方々だけでなく、若者や女性も少なくありませんでした。お尻の症状に苦しむのはごく少数というわけじゃないんだ、そう考えると少しは気持ちがラクになるのでした。

 医師の診察の前に問診があって、現在の症状を詳しく申告しなければなければならないのですが、相手の看護師は妙齢の女性でした。若かりし頃であれば、多少なりとも意識してしまい、つぶさに症状を話すなんて恥ずかしくてできませんでしたけど、今やもうオッサンの私。赤裸々に語ろうと何だろうと、どうでもいいじゃないですか。腫れ物の大きさとか、痛みの度合いとかを詳しく話した後、針で刺してみた話もしてしまいました。そんなおバカな患者などありえないのでしょう、「えっ? 刺しちゃったんですか? 痛いですよね?」 看護師は吹き出すのを懸命にこらえ、苦しそうな表情のまま問診が終わりました。

 いよいよ私の診察順が巡ってきました。診察室の中に入ると、担当の医師がまだ来ておらず、待機するようにとやや年配の看護師から言われました。「ベッドに横になって、そこの壁際のイラストを見て、同じ姿勢にしてください」との指示。白く無機質な壁に目をやると、単調な色彩のイラスト。実に健康的なイケメンの若者が体育座りの態勢をとっている様子が描かれています。ただ普通と違うのは、そのイケメンがパンツを膝まで下ろし、ベッドに仰向けになっていることでした。
いかにも病人です的な、弱々しい高齢者が描かれていたら、あるいはもっと素直な気持ちになれたかもしれません。病気の類とはまるで無縁そうなイケメン君は、診察室の雰囲気にあまりにもそぐわず、妙なもの悲しささえ感じさせるのでした。
 とはいえ、ここまで来ておいてごちゃごちゃ考えてる場合じゃありません。私は潔くイケメン君と寸分違わぬ体勢をとって医師を待ちました。プライドとか、羞恥心とかは要らんのです。ハハ、年齢を重ねてオッサンになり、こうした要らんものは少なくなりました。

 年配の医師がすぐにやってきて診てくれました。
「あー、こりゃ血豆だ。しばらく痛いけど、一週間ぐらいで治まるよ。え? 手術なんて要らん。まぁ、1ヶ月もすれば豆は引っ込んじゃうから」
 さすが専門医。毎日毎日、数え切れないほどの患者の局部を診てきているのでしょう。落ち着き払っていて、言葉の端々に説得力がありました。
「んーと、念のため肛門も診させてもらうよ」
は? どういうことですか? と口を開く間もなく何かを突っ込まれました。はう! イキナリとは卑怯な...
「よし、問題ない」
はぁ、よかった。とにかくたいしたことなさそうで、ひと安心だ。ありがとうございます。

 この後処方された薬を塗る日々がしばらく続き、医師の言うとおり痛みが引いて、1ヵ月後に完全に治りました。シリアスな展開を期待していた方々、ご期待に沿えず申し訳ない。
 8年ほど前、大腸精密検査を受けてからというもの、自分なりに食事や生活リズムに注意していたにもかかわらず、心当たりになるようなことも無いのに今回病気になったわけですのでしかたありません。体調管理とか、健康は自己責任というような風潮も見られますけれど、どだい完璧にはできないものだと思います。人間の体もコントロールできない自然の一部であり、自然現象にはかなわない、そう考えたほうが納得いく気がします。
 人間は四苦 ─生・老・病・死から逃れることはできないと言われます。
不幸にして病に苦しむ人々を、他人事だと思って憐れんだり、鼻で笑ったりしてはならない。四苦に苛まれるのが人生、思い通りにならずに苦しむのが人生だ。これから待ち受ける苦難が少しでも軽くなりますように。そして今、苦境にある方々の痛みが少しでも和らぐことを願っています。


 ところで、プライドなど要らないなんてエラそうなことを書いておきながら、実は少々裏腹な行動をしておりました。痛みに耐え抜いた週末というのが、宿泊付きのオフ会。何食わぬ顔をしてグルメを楽しみ、山道を走ってしまいました。お尻の痛みは間断無く続き、片時もリラックスできなかったのに、とうとう参加メンバーにカミングアウトできませんでした。
 私はええかっこしいで、ダメな人間です。屈折した性格も併せて、コントロールできません。思うようにならないものを、それぞれに抱えて生きているのが人間ではないかと思います。

夏のバイク乗り (13/08/18)

「いやー、乗ってないなー」
「久しぶりに乗ろうとしたらバッテリー上がっちゃって。それで用品店に行っても在庫が無くって」
「しばらくぶりに乗ったらブレーキがスカスカ」
「おっかなくって、こんな不安定だったのかって」

 上記は、私の勤務先の数少ないバイカーの会話です。
それまでよく乗っていた連中も、中年にさしかかると滅多に乗らなくなり、ほとんどが降りてしまうようになります。若手のバイカーも「忙しくって、乗ってる時間無いです」と言うので、降りてしまうのは中年だけではありません。
 バイクに乗り続ける、というのはとても難しいことのようですね。

 それでなくとも今年の夏は特に暑さが厳しい上に夜間もあまり涼しくならず、バイクに乗るどころか屋外へ出ることすらためらわれるほど。バイク乗りにとって、冬だけでなく夏も厳しい季節です。Tシャツや短パンで乗るわけにはいかず、ジャケットなどを身につけるだけでもうっとうしい上に、エンジンをかけて、少々暖機しながらヘルメットを被ると、走り出してないのに既に暑くてたまらない。


 走り出せば爽快、なんて、少なくとも都市部ではウソ。
夏の日差しに容赦なく炙られ、アスファルトの照り返しと放射熱、コンクリートの建物からは輻射熱、途切れることのない車やトラックから発せられる熱気と排気をまともに浴びるわけ。その中をバイクに乗るなんて、正気の沙汰じゃないことは容易に想像できるでしょう。体力の落ちてきた中高年にとっては、明らかに健康に悪いかもしれません。おまけにエコでもなければ環境にやさしくもない。
 賢明な大人はバイクになど乗らないのです。乗る理由はひとつもありませんから。


 だが世間には、私のような、少数派ながらバイクに乗り続ける変人がいます。夏だろうと冬だろうと、ツーリングに出かける人たちがいます。
 バイクに乗り続ける理由? そんなものがあってたまるかと思います。乗り続けるメリットなんてのも存在しません。
 もし乗り続ける理由があったとしたら、それはライダーがバカだから。賢明な大人たちには、そう説明したほうが話が早いことも多いです。


夏のバイク  でも夏のバイク乗りは知っている。

 目眩がするほどの熱気の中、まぶしい夏空も、道端の木々も草花も、電車や車から見えるものとは違うことを。命を燃焼させていることを。
 社会の構成員としてではなく、己がひとつの生命として、自然の中に生きている実感を取り戻すことを。
 仲間どうしで過ごすような閉じた空間ではなく、心が外へ向かって開かれていくことを。


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