小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2014/10/05

過去掲載した編集◇コラム23

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バカになることと信じること (14/08/14)

 鴨長明は『方丈記』のなかで「世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。」と書いています。

 先日のオフ会では初の試みとしてオンロードバイクでオフロードを走り抜けました。こう書くと聞こえはいいかもしれないが、たかが数kmとはいえ決して褒められたものではありません。オンロードバイクでダートなんて不安定この上なく、とんでもないとお考えの諸兄もお見えでしょうし、もしかしたら参加された方々の中には、二度とゴメンだという感想をお持ちの方がいても何ら不思議ではありません。それが至極まっとうな感覚でありましょう。リスクを避けて賢い選択をすべきですから。バカにはつき合ってられないですよね。

オフ会のひとコマ  しかしバイク乗りって、そんなに賢くて合理的な考えをするのでしょう? そつが無く、外れたことはしないのでしたっけ?
 私は違います。バカで浅はかであります。今どきのバイク乗りとしては失格なのかもしれません。まともな人たちにとって、バカをやることには何の意味もなく、ただの無軌道行為で時間の無駄に見えるのかもしれません。
ただ、程度問題でしょうが、バカのほうが楽しい。もちろん万一の事態に備えてあれこれ準備することは必要であろうけれど、面倒なことがあったりカッコ悪いことも印象に残り、思い出になると私は考えます。

 だからといって、私はオフロードを走ることを推奨しているわけでもなければ、今後のオフ会でダートを採り入れるわけでもありません。そのような方法論を言いたいのではなく、もっと大事なことが隠れていると思うのです。
オートバイで走っていて悪路に出くわした時、そのまま進むのも引き返すのもライダーの自由。どちらが良くてどちらが悪いということもありません。天候や時間帯、装備、路面状況にも左右されるでしょう。

 いざ、悪路を進み始めたライダーは、世間の価値観ではなく、自分を信じた。無意識的に自分の愛車も信じた。他に信じられるものがありませんから。オフ会では、何だか安直な主催者に対して疑念が湧いたかもしれません。だけど、信じてみた。
主催した私にとっても同じ事です。私は参加者を信じた。もし信じていなければ、走るルートをありきたりの無難なものにしていたことでしょう。


 大事なことは目に見えない。メディアやネットで評価されることもありません。
世間の良識とか他人の考えに同調することではなく、自分を信じることです。
自分の愛車も、自分が走る道をも。

 ひめゆり部隊の仲間が死んでいった火焔地獄のレプリカの前で、生存者である宮良さんが訴えているのは戦争の悲惨ではなかった。戦争は悪いことだからしちゃいけない、そういうわかりきったことじゃなかった。こんな、悲惨な戦争がなぜ起こったのか。なぜ、この壕で少女達が、丸こげになって死ななければならなかったのか。その理由は、もしかしたら一人一人にあるのではないか。あなたにも、私にも。だから、どうか自分の頭で考えてください。強い言葉、多くの人の言葉に惑わされないで、逃げないで、もし少しでも変だな、おかしいなと思ったら考えなさい。自分の力で。 田口ランディ著『ほつれとむすばれ』(角川文庫)より

人生は紙ヒコーキ (14/06/15)

 社会というのは、基本的には見知らぬ者同士が集まっている集合体であり、だから、そこで生きるためには、他者から何らかの形で仲間として承認される必要があります。そのための手段が、働くということなのです。働くことによって初めて「そこにいていい」という承認が与えられる。 姜尚中著『悩む力』(集英社新書)より

 社会は他者との関係性によって築かれているのでしょうか。だとすれば、偉人やリーダーのサクセスストーリーを繰り返し吹き込まれた現代日本人にとって、私のような、特に取り柄もなく、何の役にも立っていない愚かな者たちの人生には価値が無いのかもしれません。では己の人生にどのような意味をつけて理解すればいいのでしょうか?

 私はここ数年、人生とは紙ヒコーキのようなものだと考えるようになりました。何の価値も無い考えですけれど、どのようなものか書いてみたいと思います。くだらない話ですので、ポジティブ思考で賢明な諸兄はどうぞここでお止めください。


 この世に生まれ物心ついたとき、気がつくと私たちはリリースされた紙ヒコーキのごとく上昇しています。いったい誰が、なぜ、どうやって私たちを空へと放ったのか、知る由もありません。
とにかく上昇している。その勢いに戸惑い、コントロール不能なことを感じながらも、さらに上昇していきます。

 勢い任せだった日々が過ぎ、奔放にすら感じた軌道をわずかながら変更可能なことに気づきます。フラップを調整し、機体をよじると、機首の方向が微妙に変化する。それだけでも十分です。何しろ特に気にしなくても、十分に上昇力がついているから。少々不安や戸惑いはあるものの、前途に希望があり、何となく自信があるから。

 己のことで精一杯だった時期が過ぎると、やがて上昇のしかたが人によって異なることを発見します。螺旋状に上っていく者、垂直上昇し失速する者、低い航跡のまま上昇が鈍い者、初めから翼に穴があいていて上昇できない者、…
だが他人には構っていられない。仮に構いたくとも一瞬だけで、自らの上昇力が大きく、あとは何もできないのです。下方に位置する機体を気の毒に思うこともあるでしょうが、遠く、関わりのない世界であることがほとんど。引っ張り上げることは叶いません。

 “縁” を感じ始めるのもこの時期。同じ航跡を辿る機体に助けられることもあるでしょう。互いに近づきたいのにどうやっても距離が縮まらないこともあり、全く気が合わなくても同じ飛行ルートになってしまう機体もあるでしょう。

 この推進力は、自らの機体が生んでいるのかと錯覚するようになった後、今度は己の航跡が放物線を辿っているらしいことを認識します。そして多くの場合、望む望まざるにかかわらず、他者と競うようになります。その指標は、最高到達高度、瞬間最高速度、区間最高速度、飛行姿勢の美しさなど様々。シングル部門もあれば、ダブルほか、団体部門もあるでしょう。競争だけではなく、協調することで得られる勝利もありますし。


 放物線のピークを過ぎればどの機体も落下し始めます。栄枯盛衰は世の常であり、引力に抗うすべはありません。自然落下するケースだけでなく、中には乱気流に巻き込まれたり、上方から落ちてきた機体に激突する場合もあり、何が起きるかわからないものなのです。
 自らが落ちていることを、多くの人は認めない。まだ十分な高度があるし、上昇気流に乗れば、また競争に加わることもできますから。

 無視できないほど落下速度が大きくなってくると、はっきりと認識せざるを得なくなります。落ちていくのが恐ろしい。ひたすら機首を上げるだけでなく、再上昇すべくあらゆる手段を尽くしてみます。
 しかし、もはや揚力を生む翼はよれよれで、湿気を帯びたせいか数々の執着を引き摺ったせいか重たく、フラップは擦り切れて思うようにコントロールできなくなっているのです。


 気づくと周囲も高度を下げている機体が多いようです。
静かに沈降していく者もあれば、激しい乱気流にキリキリ舞いしつつ落ちていく者もある。まぁいいか、他者よりは落下速度が小さいようだと安心することもあるでしょう。
 その安心も束の間、翼が破れたり、穴があくと、もう八方塞がり。いくら機首を上に向けようと、落下速度は増加の一途。

 下方には大地が見えます。それは雲のようにも見えるし、凍てつく氷原のようでもあります。大海原かもしれませんし、柔らかい草原なのかも。どのような感触かは誰にもわかりません。何しろ一度も降りたことがないわけですから。

 じたばたするよりも、むしろ思い切って機首を下方へ向けてみることも良いでしょう。今まで見えていなかったものが見えてきます。己が見ていた世界は小さかった。闇の中を飛ぶもの、地を這うように航行する紙ヒコーキもいるではありませんか。どれも自力航行しているものはおらず、上方の明るい光の中にいたときにはわからなかったことでした。

 瞬間最高速度などに価値はない。飛行姿勢の美しさとか滞空時間を競うのも、シングルだろうが団体だろうが、あらゆるものが無意味でした。輝かしい功績にプラスの価値が無ければ、貧困は自己責任と決めつけるようなマイナスの価値も無い。外的な指標で測る価値のことごとくが儚いものでありました。

 機体、つまり自分の本質を変えることはできない。自分の、自分なりの人生を生きていればよかったと後悔しても既に遅い。
 とはいえ、高みを目指して努力を続けるのも、他者のために尽くすような立派な生き方も、世間の風に吹かれるがまま転々とするのも、自堕落に暮らすのも、どれもが相対化できる価値などなければ、浮き世の人間が理解できる意味もありません。
 すべてのものは地表へ落ちていき、土に還るのです。おそらく。


 何かを期待していた方々、申し訳ない。この話には救いがありません。
人生に意味は無い。ストーリーなど無いようです。因果や物語の無い出来事を、人間は理解することができない。受け入れることは非常に難しいことでしょう。
 だけど理解できないことを理解できないままに受け入れることから、違う何かが開けるような気がします。

 こういう私のざまを「精神の荒廃。」と言う人もいる。が、人の生死には本来、どんな意味も、どんな価値もない。その点では鳥獣虫魚の生死と何変ることはない。ただ、人の生死に意味や価値があるかのような言説が、人の世に行われて来ただけだ。 車谷長吉著『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫)より

旅のスタイル (14/03/30)

 3月の初め、福井県の越前大野と敦賀を旅してきました。
 何をしに行ったのか? と訊かれても、派手なことは何一つ無く、そもそも温泉に入ってカニを豪勢に食するプランを立てようとしたところ、冬だけなのでしょうが、越前海岸など有名どころの宿泊料が軒並み高額でたじろいでしまい、なぜかパッとしないところを目的地に選んでしまったというわけです。
 鉄道で訪れ、閑散としたオフシーズンの目的地を歩いて散策しただけ。温泉無し。カニは少量を海鮮丼として敦賀で食しただけ、たいして土産物も買わない、少々落莫とした旅でした。なあんだ、つまんねえなあ、と感じる諸兄もお見えでしょう。ごく表層的な見方をすれば。

越前大野の寺町  名水の町として知られる越前大野では、繊細な料理の味の元となる湧水を中心とした、城下町としての規模の大きさに驚きました。しかも地方にありがちな、疲弊した表情が見られません。
 だからよけいに市街中心部ではチェーン店の類がほぼ無いことが意外でした。コンビニすら見あたらない。それがかえって大野の静穏な空気を印象づける気がしました。
 城下町を整備した、織田信長の家臣、金森長近は当時傑出した事業を行ったのですね。

 次に巡った敦賀では、かつて直接ウラジオストクと航路で結ばれ、欧亜国際連絡列車でヨーロッパへ行くことができた、最先端の国際都市であったことを初めて知って感動しました。


 しかし旅はこれだけではありません。
敦賀駅前の食堂で、話好きの大将が敦賀の歴史を長々と教えてくれました。
敦賀港華やかりし明治末期〜戦前より遡ることわずか。明治維新のほんの3年ほど前、関東の水戸藩士で構成された、攘夷を主唱する天狗党の構成員を幕府が捕縛、大量に処刑した史実があったのです。
敦賀市と水戸市が姉妹都市だったことも初めて知りました。

 越前大野の、見事に整備された城下町は、華やかさが無い代わりに、騒々しさや猥雑さも無い佇まいであるとともに、城下町整備以前の気配が一切感じられず、どことなく引っかかる感触が残っていました。そこで帰宅してから詳しく調べてみると、やはり…
 戦国時代末期、自治を目指していた越前地方の農民を主な門徒とした一向一揆は、信長方の軍勢に敗北、大虐殺の悲劇に遭ったのでした。その数、十万人以上とも伝えられています。


 攘夷なんてバカげているとか、一向宗なんて信仰しなければいいのにとか、現代の私たちが、切って棄てるような考えかたをするのは自由です。
 当時彼らには他に選択肢が無かった。私はそう思います。それに、私たちの平穏は、今や名も無き大勢の犠牲の上に成り立っていることを改めて心に刻みたい。ほんのわずかでいい。惨苦や痛哭を想像し、死者たちに寄り添いたい。
 考えすぎかもしれませんけれど、こう感じることは、広義のグリーフワークに参加しているようなものかもしれません。

 訪れた地方を、より深く知ることで、その地方をさらに好きになる。近年、私の旅はこうしたスタイルが色濃くなってきたような気がします。


 何をメンドクサイことをごちゃごちゃ書いているんだ、そう思われるかもしれません。旅が深まるということはカッコいいことでも何でもなくて、何でもないことをあれこれ考えるような、メンドクサイことなのかもしれません。
 つまらないことで悩むことは苦痛ではありますが、反面、単調な人生を彩るものでもあると思います。それが綺麗な色でなかろうと。

 最後に、越前大野の寺町で出会った言葉を引用して締めくくりとします。

 迷いがなくなる救いよりも
 どこまでも安んじて
 迷ってゆける道があった
 そのことがたのもしい

食にこだわる[4]─原罪 (14/02/23)

 人は他の生き物を殺し、それを食うて生きています。私は三十代の八年間、料理人をしていたので、多くの魚・エビ・カニなどを殺し、給料をいただいていました。直接殺さないでも、食べている人には深い原罪があります。この原罪のない人は、この世にはいません。 車谷長吉著『人生の救い』(朝日文庫)より

 昨年10月に旅した周防大島での2日目。
16:00の閉店時間間際にはちみつ店へ入った私の目を強く引きつけたのは、巨大なスズメバチがはちみつの中に漬けられているいくつかの小瓶でした。国産、しかも地元大島産にこだわっているという若い養蜂家が世話をしているミツバチにとって天敵のスズメバチ。徹底的に探索し、早期に駆除、焼却処分してしまうのが都会的な発想かもしれません。駆除者以外は、その凶悪な姿を目にすることも無く、安心を確保するという、いわば “有害なものは排除” の考え方です。まさか有害物であるスズメバチを食に利用するなど、あり得ないことでしょう。
 店のおばちゃんによると、このはちみつ漬けにするスズメバチ、死んだものではダメだそうです。恐ろしいことに獰猛なオオスズメバチを生きたまま捉え、はちみつの中に漬けると、スズメバチは苦しみもがいて毒を放出します。万一血管に注入されれば大変危険な毒素も、はちみつ漬けにした上で消化器系から人体に取り込むと効能があるそうです。
はちみつ まるで薬のように効く成分がこんな凶悪な姿からいただけるなんて、にわかには信じ難い話ですけれど、凶々しいオオスズメバチを生け捕りにし、なおかつ串刺しにしてはちみつの中へ投入するという、その勇気にあやかりたくて一品購入しました。お洒落な店舗ながら、これらの小瓶を目立たないところには置くのではなく、ちょうど来客の目線上に陳列する姿勢も、巷の小売店とは一線を画す姿勢が感じられて、私には好印象でした。

 帰宅後にこのはちみつを舐めてみると、見た目とは裏腹な、経験したことのない澄んだ味でいて、優しい感触ながら底力を感じる味。もう一発で虜になりました。島のミツバチたちの穏やかさ、ひたむきさ、豊かな自然が入ってくるようです。
 今まで購入したはちみつはいったい何だったのでしょう。甘さとコクというよりも、私にはえぐみというかクドさというか、あるいは作為的ともとれる甘みが舌に残ってしまう感触があり、それは多かれ少なかれ国産でも輸入品でも避けることができないでいました。あくまで私の勝手な想像ですが、何か混ぜものがされているか、または人工的に植生された花畑に、人の手で運び込まれたミツバチたちが半ば強制的に集蜜する。そのように合理的に生産されたはちみつには、不自然な風味が隠しきれない。
 けれども、今回購入したはちみつには、そのような不自然さが感じられませんでした。生産性を優先しない、ストレスの少ない環境で、ミツバチたちは思い思いに様々な場所の様々な花々から採蜜する。そんなイメージが拡がっていきます。

 他方、スズメバチの毒は、少なからず私に影響しました。考え過ぎなのかもしれませんけれど、1日ほんの1〜2滴のはちみつで、ずいぶん違うものです。まず風邪を引きにくく、疲れにくくなります。お手軽なサプリメントとは次元が異なるということでしょう。一時は睡眠が浅くなって困りました。元気になる、ということでもありますけれど、だからといってバリバリ仕事ができるわけではなく、積極的に体を動かしたくなるので、頭脳労働が多い場合はむしろ違和感が募ることになります。残念ながら脳には効かないらしく、都会の人々には向いていません。都会の生活に何一つ疑問を感じない方々にも合わないことでしょう。もっともそれ以前にこの小瓶を見ただけでコワイ、キモイと言って遠ざけることでしょうが。
 これを読んでくださった貴方もスズメバチの毒を取り込むなんてとんでもない、見たくもないとお考えのことかもしれません。そのお考えは正しいと思います。なぜなら、人間は危険なもの、害の有りそうなものには近づかないことで無用なトラブルを避ける能力が備わっているからです。
 敬遠するだけでなく、認めない、有害どころか排除してしまうのが欧米的な発想。反面、人間にとって歓迎できないものも、許容し受け入れてきたのが昔ながらの日本でありますけれど。

 食べる食べないはともかく、他者から搾取するのみならず、ときには巣箱を殲滅する残忍さに満ちた肉食性のオオスズメバチ、万物の霊長だという人間のやることにも通じるような気がしてくるから不思議です。
 一方、花々の蜜を集めて暮らすミツバチは小さいながら、他者に何の犠牲も強いないばかりか、植物の繁殖に貢献するという、周囲との見事な共生関係を作り上げており、この点では高等な存在なことに、改めて胸を打たれました。
 人間は深い原罪に満ちているどころか、他生物を犠牲にしていながら多量の食品廃棄までしている、霊長どころか畜生にも劣る存在に思えてきます。


 原罪のカタマリのような凶悪なスズメバチが、原罪とは無縁の清純なはちみつに包まれ、毒素が浄化されていくとしたら…
 小瓶の中に不気味さどころか、何やら哲学的な世界すら感じませんか?


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