過去掲載した編集◇コラム27
ソロツーリングでの出会い (17/12/17)
夏に出かけたソロツーリングで寄った、湖畔のカフェでのこと。
スタッフのお兄さんは初めてお会いした方で、一見口数が少ないタイプに見えました。でもコーヒーのことで私が思い切って話しかけると徐々に会話が弾み、話題はいつしかお兄さんが数年住んでいたという東南アジアのことに。現地で旅行代理店関係の仕事をされていて、それはそれで様々なストレスがあったそうです。特に日本人客とのストレスとか。若かりし頃、私も普通ではないスタイルで東南アジアを旅したことがあったため、お兄さんに共感してすっかり話し込んでしまっていました。
私は人付き合いが苦手です。幼少の頃からずっと。寂しがりのくせに、甘ったれのくせに、他人との距離の取り方がわからない。今でもその気質は変わっていません。50年以上人間をやっていても変わることができませんでした。
秋のソロツーリング。初訪問のカフェではおやつタイムにコーヒーとチーズトーストをいただきました。当日の日替わりコーヒーはケニア。爽やかな酸味、それでいてしっかりとしたコクがあります。おいしかった感想を店主に伝えると「本来はもっと荒々しい風味の豆なんです」と、お忙しいにもかかわらず、コーヒーのことを熱く語ってくださいました。自己主張よりも飲みやすい味を目指しておられるそうです。
私は自分がカラッポなのに、良く見せようとしていました。良く見られたかったのです。自分は多数派でマトモである。他者を批判し、己は中間あわよくば上というような相対的な価値が欲しかった。今考えると、意味の無い、実につまらないプライドです。他者とは上下な関係、あるいは支配-被支配といった垂直的な関係、あるいは排他的な意識でしか捉えることができませんでした。
夏のソロツーリングの帰路、お気に入りのカフェに立ち寄り、スムージーを味わいつつ、優しいママさんと料理の話などをしていると、そこへママさんの古くからのご友人というおばさまが来店し、簡単な紹介を受けました。観葉植物の店で仕事なさっていること、食のこと、旧いスチールボディのベスパにお乗りなこと... なぜか話が弾み、気がつくと1時間半も過ぎておりました。
いくら良く見せようと、私はカラッポ。所詮中身がカラなのです。自己アピールすることなど何も無い。相対的な価値などありませんでした。自分のことをわかってもらおう、あわよくば好意的に見てもらおうなどというのはただの思い上がり。自分をよく見せたところでたちどころに看破される、そういうものなのです。カラならカラらしく振る舞えばいいのでした。
秋のソロツーリングで昼食に寄ったのが、小さな小さなハンバーガーショップ。
今回いただいたチキンバーガーは常識を覆すおいしさ。チキンもパンズもソースもそれぞれ味と香りが引き立っているのにどれもが自己主張せず上品で優しい。儚さすら感じさせるほど、他所には無いオンリーワンの味であります。
「お店に入ってこられたときに、あ、常連さんだってわかりました」と仰る若い店主の言葉がありがたい。私は1年に1回訪れるかどうか、しかも今回約2年ぶりだというのに。
「これでもギリギリの価格で提供しているんです。ウチはチェーン店と競争しても絶対に負けてしまう。他には無い味を出すため、なるべく価格を抑えるため、労力をかけています。労力をかけることで何とかなるなら頑張ってかけます。もしうまくいかなかったら、それでも労力をかけて待ちます」とお話ししてくださいました。
この「待つ」ということがなかなかできない。私たち現代人はうまくいかないとすぐに原因を探し、あれこれと他のことに手を出すことが多い。己が信じた道をブレずに進む姿が眩しく見えるのでした。
自分の中身がカラなことを受け入れ、己の立ち位置などどうでもよくなると、そこには上下とか支配-被支配のような垂直で閉じた関係は一切無く、代わりに頼りなげな、水平で開かれた関係が存在していました。
だからといって、人付き合いが上手くなったわけではありません。市場経済の真ん中を生きている人たちや、組織の中で己の立ち位置を確かめ保身に腐心する人たちとは相変わらず距離の取りかたがわからない。話が合わない。きっとこの先もどう努力しようがダメでしょう。でもいつもというわけではありませんが、カフェやバーなどで、名前も知らない人たちと、楽しく話せるようになってきただけでもありがたいことだと思います。あくまでもその場限りの話、その場限りの関係が、かえって本物のような気さえしてきます。
金銭が絡む以上、対等な関係ではないと考える方々も少なくないでしょう。でも金銭を意識するあまり、上下や主従にとらわれていると関係性は変化しません。そうした意識を捨ててしまうことで別の座標系が開き、関係性は限りなく水平方向に近づいていく。
冒頭のカフェでお兄さんと意気投合して話し込んだ後、顔なじみの店主に「仕事とか全部投げ出して東南アジアに行きたくなりました」と半分真顔で言うと、女性店主は「どうぞどうぞ、行ってらっしゃい」と返してくれました。
決していい加減な返答でないことは、以前店主のお話をあれこれ伺ったことからもよくわかります。その返答に店主の器の大きさや深さを感じた私は、幸福な気分に一瞬浸ったのでした。
ぶつかって曲がらなければいけない時もあるし、引き返さなければいけない時もあるのだ。やり過ごしてさらに進めばいい時もあるのだ。第二十二章で、「曲がることで生をまっとうできるのだ」というのがあったのだが、まさにこれなのだ。人生には、いたるところに分岐点があるのだ。まっすぐなだけでは必ずいつか折れてしまうのだ。そして、破れることで新しくなるのだ。 ドリアン助川著『バカボンのパパと読む「老子」実践編』(角川文庫)より
ゆるふわカフェ (17/10/01)
7月初旬、珍しく平日に休みが取れた私は静岡郊外へと250TRを走らせました。梅雨の合間で雲が少ない上に、夏の日差しが照りつけて蒸し暑く、道路脇の気温表示が34℃に達していました。
初めて訪れたカフェはこの日、オーダーから料理が提供されるまで45分かかるほどのユルい空気。しかもランチメニューはセット一択。コスパも良くはありません。人によって好みが分かれるカフェでしょう。
後日2回再訪したときはいずれも満席だったのに、この日偶然にも他に客がおらず、海外からいらしたという店主と私は何気なく会話を始めました。汗臭くてくたびれたオッサンの私が迷惑だったかもしれませんが、次第に店主は店主の顔を引っ込めて、気づけば店主と私は様々なことを語り合っていました。
時間にしてせいぜい30分ほどなのに、それが何時間にも感じるほど。店主が心を開いて話してくれた気がします。詳しいことを書くわけにはいきませんが、店主の内面には花鳥風月を愛し、晴耕雨読的なところがあり、まるでフワリとした妖精のような雰囲気もあります。
妖精は人間界ではなく自然界に住まう。
妖精は人間の支配に入ることはなく、管理されることもない。
妖精は気まぐれ。
妖精は他人のために生きることはない。
妖精は他人の価値観を生きることはない。
妖精は今この瞬間を生きている。
人間界において妖精は悩み迷う。
くたびれた中高年の私とあれこれ話をしてくださり、本当にありがとうございます。うまく言葉にできませんけれど、外国人の若い店主に強い刺激を受けたようで、私はこの後一週間以上微熱が出たようになっていました。楽しいことばかりではなかったからです。むしろ苦しい。自分自身が少し解放されたと同時に、己の醜さが発露したから。
日頃私は集団の中で、一社会人として振舞っています。若いころ、あれほど嫌だった組織の歯車に、牛馬になって働いていた時期がありました。自らの心に重い蓋をして。はっきりとは自覚していないだけで、実は今でも蓋をして自分でないものになろうとしているのかもしれない。休日にオートバイや自転車に乗ることで一時的に蓋を少し開けて、平日にまた閉じる。そんな日々を過ごしております。
カフェを訪れてから蓋がズレてしまい、完全に閉じなくなってしまいました。自然を愛し己に素直なあの店主に対して、私の性根は小さく汚れている。カラッポな器のくせにどうでもよい小さなプライドにしがみつき、自分が大事なのに利他が重要であるかのごとく繕い、怠惰な心を隠して勤勉ぽく装っているのでした。
私はまともに自分と向き合っていない。50歳を過ぎたというのに、無用な人間だと覚悟したはずなのに、その覚悟はブレブレで社会からバッサリと外れてしまうことが怖くてオロオロしているだけじゃないか。
私は善良な市民なんかじゃない。社会規範に則った良き勤労者でもない。何の役にも立たない、怠惰でいい加減な旅人だった。今、自分がやりたいことができているのか。そもそも私は何をしたいのだろう?
いい年してみっともないと笑ってくれ。中高年が青臭いことを口走ってキモチワルイと蔑んでくれ。
ユルいカフェは機能的でもなければ、トレンドや話題性とも縁が薄く、洗練されたサービスもメッセージ性も無い。直線的で強いものはありません。あるのは柔らかで弱いリズム。その柔らかで弱い波動によって、私自身に変化が起きている。
あのカフェを訪れて以後、悩み迷っています。日々苦しい。小さくてメンドクサイ私自身の性根と向き合っています。
「苦しそう……」
マミ子が、僕の背中をなでている。
「ごめんね、なにもしてあげられなくて」
何言ってるんだよ、それはこっちのセリフだ……と言いたいのだけれど、咳が止まらない。情けないったらありゃしない。
「ここ痛いんでしょう……。痛いんだよね」
しゃがみ込んだマミ子の指が痛いところにさわる。そこに触れる人はだれもいなかった。僕のいちばん弱い部分……。
僕の顔がマミ子の瞳に映っていた。
「牛みたいだもの。牛が痛みをこらえているのと、おんなじ目をしていた」
なんだかマミ子が怖かった。
田口ランディ著『ゾーンにて』「牛の楽園」(文春文庫)より
20年が過ぎたZZR250 (17/07/09)
乗り続けようと思って20年経ったわけではありません。
思い入れがあるとか、こだわりがあるとか、大きな理由もありません。あったとしてもそう思う時期はとうに過ぎています。オートバイは趣味の乗り物。早い人は賞味期限2〜3年前後、そうでなくともたいてい5年程度で飽きて乗り換えたり、あるいはライフスタイルが変化して乗らなくなってしまうことが多いと聞きます。
私の場合、今振り返るとバイクを降りてもおかしくない時期は幾度もあり、乗り換える機会だって数多くあったはずですが、私が優柔不断だったのか、変化を嫌ったのか、250TRを増車しておきながらZZR250を手放さないでいたのも、今となってはよくわからないのです。
継続は力なり、という言葉とはまるで異なり、やや消極的な20年ですから、乗り続けることに価値は無いし、乗り続けるコツのようなものもありません。何か有用なものを期待していた方々には申し訳ない。
さっさと乗り換えたほうが幸福だったのかもしれません。でも中断することなく、同一車種に20年とはいえ、バイクライフを継続できただけでも幸せなのだと思うこともあります。
乗り始めて10年経過する頃は、他に積極的に乗り換えたい車種も無く、多少大がかりになろうとメンテナンスして乗り続けようと思っていました。私にとって15年超も乗り続けることは未知の世界でしたが、20年も経過してしまうと、消耗品や交換部品の供給不安もあって、快調に乗り続けるには難しく、もはや素人が扱いきれないのかもしれません。オーナーの使い方や保管状況で千差万別ですが、オートバイの20歳、人間に例えると齢80ほどの高齢者でしょうか。維持するにはそれなりの覚悟が必要になる気がします。
きっかけがあればあっさりと乗り換えてしまうかもしれません。一時激減していた中型二輪クラスもある程度は選択肢が増え、実際目移りします。モアパワー、もっと快適に気楽にとも思います。だけどZZR250でいったん走り出せば、これで十分と思えてしまうのが私の優柔不断さですね。メンテナンスで手間取ると嫌になるときもあるのに。
不思議ですけど、手間がかかっているからこそ手放すことを考えづらいのかもしれません。自分で手入れしていることのみならず、エンジンやサスペンション、シートなど、個人店で手を入れてもらったせいか、人と人のゆるい繋がりがある気がします。オートバイや自転車で走って訪れた地方で、カフェをはじめ微かな縁のようなものを感じるのも、ZZR250にかける手間と無関係ではないのかもしれません。
熱く充実したバイクライフを送っている方々から見れば、フラフラしていて受動的な私は、ブレてないわけでも何でもなく、ただ流されているだけな気がします。
しかしだからといって計画的にバイクライフを送る必要も無いし、過去に価値をつけようとすることも無意味ではないかと開き直っているのでした。
夜になってついマユちゃんに電話してみた。
「ここに住んでる意味ってあるのかしらって考えちゃって」
前にも同じような相談をした気がする。
「ふーん」
彼女はしばらく考えていたが、
「別に意味なんかないんじゃないの。ただ単純に、その部屋が空いていて、家賃が予算内だったっていうだけでしょ」
「はあ、まあ、それはそうです」
「変に意味づけをしようとするから、あれこれ悩むのよ。ほら、昔からいうじゃないの。下手の考え休みに似たりって」
「たしかにねえ。結局、やることがないから余計なことを考えるのよね」
「そうそう。今は何も考えないのがいちばんよ」 群ようこ著『れんげ荘』(ハルキ文庫)より
オートバイや自転車が紡ぐ小さな縁 (17/03/26)
昨年末のこと。寒空の中を一人、自転車で出かけました。行先は25km以上離れたカフェ。近距離ではないわけだし北西の強風が吹きつけているのですから、四輪車で移動するのが至極まっとうです。なのに鼻水を垂らしながら漕いでいると体の中は温まってきて汗すら出てくるものの、疲れて止まると瞬く間に冷えて凍える悪条件をあえて選択する考え方が、かなり異常な気がします。
そんな変人な私がヘロヘロとペダルを回して1時間半弱、目的地へ到着しました。センスの良い本が並び、居心地がよいカフェ。約1年前の冬にZZR250のプチオフ会で初めて訪れてからすっかり気に入って何度か足を運んでいます。
トマトとチキンのカレーが実においしい。調味料が最小限でスパイスに頼っておらず、良い材料にこだわっているばかりか、火加減まで気を抜いてない印象。
この日は珍しくお客の出足が遅く、大将とあれこれ話をさせていただきました。私が11月に九州を自転車で旅したことを話すと、ご出身が九州だという大将は、佐世保や平戸のことを懐かしんでおられ、愛知県へ越してきてからのことなど、思いがけず話が弾みました。若い大将にとって、私はおそらく20歳近くは離れているでしょうし、上下ウインドブレーカーを着込んでセンスゼロの変な恰好にもかかわらず、快く接してくださるのは本当にありがたい。
「また自転車で走ってきますね」
カフェの温かさに心から癒された私は、帰りがけなぜかそう口走っていたのでした。
帰路、おやつを食べに寄った別のカフェでも、カフェのおねえさんが九州へ行ってみようかとあれこれ話をしてくださいました。
別の日、他の小さなカフェでは、3年ぶりに訪れたにもかかわらず、私と妻のことを憶えていてくれて、若い店主が温かく迎えてくださいました。
オートバイや自転車に乗って、ヘンな格好で(すみません)小さなカフェを訪れ、時には楽しくお喋りするなんて、若いときには考えもしませんでした。カフェの方々が私のことをなぜか憶えていて優しく迎えてくださることが信じがたいほどありがたい。ヘンな格好で訪れる以外、私には何の特徴もありませんから、オートバイや自転車が、小さな縁を紡いでくれるのかもしれません。いえ、縁と呼べるほどのものでもない。もっと小さくて儚い、水面に現れて消えていく僅かな波紋のようなものでありましょう。
初めに紹介したカフェの大将は、隣市にある違うカフェのオーナーと偶然出会い、それ以来仲良くされているそうです。そのカフェ、昨年10月に私が4〜5年ぶりで訪れて、しかもオーナーが私のことを奇跡的に思い出してくださったお店でした。
世間は意外と狭いことがあるというか、ふだんは見えないところで繋がっているというか、波紋は消えてしまう前に、拡がっていくことがあるのかもしれません。
カフェで他人と話をするなんて考えられないという方もお見えかもしれません。ですけど、何も構える必要はありません。流行の話題を用意する必要は無いし、気の利いた会話も要りません。無理に話さなくても良い。己を取り繕う鎧を脱ぎ捨てて、格好つけずに素の自分をさらけ出し、包まれてしまえばよろしい。忘れていた本来の五感が蘇り、自転車やオートバイで行くからこそ、あらゆるものを敏感に知覚し、脳ではなく魂が刺激を受けることでしょう。ふだん触れる経済活動とは違い、世間の常識とか序列とかを気にする世界ではなく、外見や肩書きや仕事で人を判断しない自由な空間に。オーナーや店主の人間性とか信条とか温かさが溢れる世界に。
良いことばかり書いているようですけれど、楽しいことばかりではありません。すごく良質な刺激を受ける反面、日常取り繕い、蓋をしている己自身の醜さが顕わになる。ちっぽけなプライドとか名誉欲、怠け心、劣等感などの数々... 「縁」だなんて、私は己の中の小さな承認欲求を満たしたいだけなのかもしれません。自分も起業しカフェを始めればいいという甘いものではありません。そんな器ではないことはわかっていますし、ダメな勤め人が陥りがちな、現実逃避願望ですから。
飾らない、澄んだ青空のように清々しいカフェの方々とは対照的な、何も進歩がない幼い人格の自分が恥じ入ってしまう思いです。
まあバイクなどどうでもよい。さわさわと風のように生きてみたいものだ、と思う。
(中略)
「さわさわ」とは、世のいかなるものにも執着がまったくないことである。もう、この段階で無理なのだが、社会からほとんど降りてしまえば、ある程度可能かと思われる。だが「風のように」ができない。いくつになっても人間はけっこう生臭いものである。自我があるからである。年をとってくると、これがもうわずらわしい。他人の自我もそうだが、自分の自我もわずらわしいのだ。 勢古浩爾著『定年後のリアル』(草思社文庫)より
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