小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2018/07/01

過去掲載した編集◇コラム28

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ゆるふわカフェ番外編 (18/04/28)

 数日後、Tさんから便りが届いた。メールではなく、ペンで書かれた手紙だった。
「講演を聞くためだけに往復四十時間という“バカバカしい旅”(すみません・笑)に、最初は自制心も働き、迷いました。でも偶然ある言葉に出会い、行くことに決めたんです。仏教の教えだそうです。『同席対面五百年』。見知らぬ人と席を同じくして顔を見合わせるというのは、五百世代も前からその約束ができていた、というのです」
 目の前でパンと手を叩かれ、まどろみから起こされたような気分になった。
 ──そうだった……。
 僕は出会いの意味を、もしかしたら少し軽んじていたんじゃないだろうか。 石田ゆうすけ著『地図を破って行ってやれ!』(幻冬舎文庫)より

 強い北西の冷たい季節風が吹きつける真冬のこと。朝は当たり前のように氷点下。なのに何を血迷ったのか250TRを走らせました。これでもかと防寒着を重ねたモコモコ姿で。目指すのはあのカフェではありません。冬の初めに共用スペースでお話させていただいた女性が勤める、別のカフェです。その場限りの出会いだったはずですけれど、お店でランチを食べてみたい。
 出発時にようやくプラスに転じた気温は、浜松を通り越す頃に5℃を越え、どうにか震えずに走れるようになってきました。私はバカでM体質の変人。それも重症のようです...

 4時間近くかかって到着したカフェは、開店時刻を過ぎているというのに入口が閉ざされ施錠されたまま。前日、お店のサイトで営業日であることを確認してはいましたが、臨時休業かもしれません。しかたない。まぁ、こういうこともあります。やはり縁が無かったということなのでしょう。

 空腹の私はほかに選択肢が無く、隣接する件のゆるいカフェへ。薪ストーブの前に陣取って凍えた体を温めます。店内に他の客はまだいないようでした。
と、そこへ若い女性3人組が入ってきて、薪ストーブ横のテーブルにつきました。私とそのテーブルとの距離は1〜1.5メートルほど。女子トークが嫌でも耳に入ってきます。店主とは知り合いらしい。
 このような場合、みすぼらしいオッサンの私はもっと離れた席へ移動すべきなのでしょうが、あいにく冷え切った体が言うことを聞かず、ストーブの前から離れられませんでした。しかし知らんぷりしてそっぽを向くのも感じ悪いかもしれないし、ニコニコデレデレしてたら変態オヤジだという、居心地悪いどころかかなり難しいシチュエーションに陥ってしまいました。

 どうにも困っている私を無視するかのごとく、女性店主が「みんなで一緒にお昼を食べよう」と提案し、厨房に引っ込みました。ああ、やめてくれ。若い女性たち3人と隣のテーブルに田舎臭い貧相なオッサンが1人、ほかに誰もいないという異様な画が展開され、もはやお店を出るという選択肢すら失い、弱りきった私はお店に置いてあった雑誌をひたすら見ることに。それ以外にどうしろというのか...
 そして成り行きで一緒にランチを食べ始めると、1人だけ雑誌を見てる場合ではなく、女子トークを傍観いや傍聴というべきか、何となく参加するようなしないような、ますます微妙な立場に追い込まれてしまったのでした。
 映画の話、俳優、ペット、バイトのこと、恋バナ、旅行行きたいとか車欲しいとか... ペースが早いし話題がころころ変わります。とてもついていけません。そもそも、何を言ってるのか中身を理解できないのです。店主を含めた女子4人は私よりも一回り、いや二回り若いでしょうか、話が理解できなくて当たり前。わかるほうがおかしい。

 ただ、彼氏やダンナや子供の自慢とか愚痴のような発言が無い。他人を攻撃したり排除するような空気が無い。いつの間にか引き込まれて、私もポツリポツリと口を挟むように。ただ聞いているだけでは気味の悪いオッサンになってしまいます。なるべく出しゃばらないように、決して不協和音にならないように。オートバイや自転車の話題なんて御法度。間違っても自慢めいたことを話したり、オレ語りなんてあってはなりませぬ。

 すっかり食事も済んだころ、「お茶飲もうよ」って、女性店主がお茶を入れてくれまして。「ラスク持ってきたから食べよ」って、お客の女性たちが持ち寄ったお菓子をポリポリつまみ始めます。「どうぞ」って促され、恥ずかしながら私もご相伴にあずかってしまいました。はぁ、こんなことになるとわかっていたら何か持ってきたのに。手ぶらがカッコ悪い。しかもいよいよ帰るタイミングを失っていくのでした。

 女性たちの話は弾み、いつしか銘々の夢や生活の話題に。
 彼女たちは男性たちに依存してはいない。会社組織にすがってもいない。決して順風満帆ではないものの、個人個人が自立し、それぞれもがきながら、だけど己の人生に責任を持ち、キラキラ輝いて見えました。
 立派な人たちです。魂のレベルが高い。覚悟のない、ショボクレた私とは比べものにならないほど。いだたいたお菓子をつまみながら、恥ずかしさで極限まで小さくなった私は、閉じなくなった蓋を蹴っ飛ばされたような気がして、さらに苦しくなるのでした。


 気づけばなんと3時間も滞在しておりました。冬は日が短く、日没後の冷え込みがキツイ。失礼ながら話を遮って中座いたしました。防寒ジャケットを羽織る前にバイク用の脊椎プロテクターを着込むと女性たちが怪訝な表情を見せたので、「これ着ないと家内が許してくれないんです」とご説明、「ふ〜ん、なんかカメさんみたーい。あはは」なんて笑われながら...
 変な風体のみすぼらしいオッサンが邪魔してしまって申し訳ありませんでした。またそんな私を排除しないてくださり、本当にありがとうございます。

 私にとって衝撃的な、初めての女子会体験は幕を閉じました。帰路は日が沈み、急速に気温が下がる中、いい年していったい何をやってるんだろうと自分でも呆れるというか不思議というか奇妙な気分のまま、どこにも寄らずに北西の冷たい強風に向かって震えつつ東名高速を250TRでひた走りました。
 家では妻に「なにぃ? お菓子までいただいてきた? 何も持たずに行って! 恥ずかしい、やめてよね!」と罵倒されるオマケまでつきまして。

        *        *

 それから1か月以上経った冬の終わり。
 あの日臨時休業だったカフェを再訪、女性にお会いすることができました。
1回短い時間話しただけ、しかも4か月近く経っているのに、女性は私のことを憶えていて「お会いできて良かったです」なんて優しい言葉をかけてくださいました。

 女性がつくったヴィーガンのパスタをいただくと、潜在力というか生命力というか、驚くほど力強い。植物の力がこれほどとは知りませんでした。地元産のしいたけを揚げてオリーブオイルに漬け、トマトソースに水切りした豆腐を加えるなど、大変な手間をかけていることも一因でしょう。すごいです。
「あたし結婚することになりまして。
 引っ越すのでお店を今月で辞めるんです」
「ああ、そうでしたか。
 おめでとうございます。良かったですね」

 物事は変転する。永続的な価値やサービスなどあり得ない。その場限りの縁、いつ消えても不思議ではない縁は、やはり終わるのでした。ありがとう、おねえさん。どうかお幸せに。

 あの三人の青年と、もしかしたらもう一生、会うこともないかもしれないんだな。あんなにいろんな話をして楽しく過ごしたのにな。不思議だ。
 屋久島に来て、こうして見知らぬ人たちと一時だけ楽しい時間を過ごすと、自分がどんなにさびしくって、人間を求めていて、そして人間から救われているか、うんと思い出す。 田口ランディ著『ほつれとむすばれ』(角川文庫)より

続々)ゆるふわカフェ (18/03/25)

 でも、彼女が僕のいちばん弱いところに触れたときの、指の感触ははっきりと覚えている。そこに触れたのは、この世で彼女だけだから。そこにはたぶん僕にとっていちばん大切な場所。いまもとても痛いのだけれど、マミ子に触れられたことによって、その痛みは神聖なものとなった。痛みは泉のように滾々とマミ子を溢れさせる。 田口ランディ著『ゾーンにて』「牛の楽園」(文春文庫)より

 冬の初めのこと。
防寒装備を固め、あのカフェへZZR250を走らせました。なぜまた行きたくなったのか、わかりません。異国の風に触れ悩み迷うだけで、メリットとか得など無いに等しいのに。今でも蓋がズレて閉じずにいて、さらに苦しくなる可能性もあるのに。

 ユルいだけあって、開店時刻を過ぎても扉は閉ざされたまま。
今日は休業かと少々落胆していると、共用スペースに若い女性が姿を見せました。何か作業されています。ライダーズジャケットだけでなく、モコモコに着込んだ怪しいオジサンの私は通報されてしまうかもしれませんでしたが、ランチの当てが外れたこともあって思い切って話しかけてみました。
 食材を干す作業をされていて、イチジクやヒメリンゴだけでなく、月桂樹やビワの葉を見せてくださいました。こうやって手をかけているのですね。すごいなあ、勉強になります。
 どうしたことかそれから話が弾み、気づけば互いに出身地の話などしていました。愛知県から走ってきたこと、生まれは東京都でもはや地元に帰る居場所がないことなど、私は完全によけいなことを喋っていました。すみません、お仕事中に。ショボクレたオッサンの私が、さぞかし迷惑だったことでしょう。でもまた一つ、その場限りの縁、いつ消えても不思議ではない縁、これっきりで終わってもおかしくない縁ができた気がします。


 この後、諦めていたユルいカフェに入ることができました。開店予定時刻から1時間近く経ってから。店内はエアコンがない上に気密性も無い。ようやくストーブに薪をくべるところ。ランチの提供は大幅にずれ込んだし、とてもオフ会では利用できません...
 ランチの後は本など読みつつ、すっかりくつろいでしまいまして。店に入ってから約2時間もゆったりと。他の客が途切れたときには、店主と互いに旅の話をして時間を忘れました。双方、類型的な旅の話ではなく、ややマニアックで少々ズレたスタイル。交わす会話もどこかぎこちなく、スムーズな意思疎通ではありませんでした。
 私はくたびれたオッサンで店主は若い女性。逆立ちしても話が合うわけがない。でも話は噛み合わなくとも、管理社会に合わず、はみ出していて旅が好きな、数少ない共通点が引力となっているのか、いえ、私が勝手にそう感じただけのことです。


 もう蓋を閉じることなど考えなくていいのかもしれません。覚悟がブレブレなのを見透かされようと構わない。私は善良な市民なんかじゃない。社会規範に則った良き勤労者でもない。サラリーマン生活が合わない。きっと自営に手を出しても同じように悩むことでしょう。こういうダメな奴は何をやってもダメなのです。私は何の役にも立たない、中身がカラなレシーバー。怠惰でいい加減な旅人でした。
 忘れかけていた自分自身が戻ってきました。蓋をして見ようとしなかった醜い自分が。それでいいのです。己の立ち位置を思い出しました。ありがとうございます。
 苦しさが解消したわけではない。それどころかこれからもずっと苦しいのでしょう。そう覚悟する機会になったようです。


 予約の客がもうひと組来店したところで引き上げました。
「ああー、もっと話したかった」なんて、優しい言葉をかけてくださった店主でしたが、だけど旅人は長逗留しないもの。留まらないし約束もしない。それが旅を愛する者だと思います。

 私たちはいろいろな人たちと出会ったり別れたりする中で、「この人だけは他人のような気がしない」という感覚を抱くこともあるし、「この二人の間にしか分かり合えない感覚を共有できた」という感覚を抱くこともあります。その実感は確か。
 ですがそれは「そういう気がする」だけの話です。どんなに近しい人であっても、ホントのところを言えば、それぞれ見ている世界は違い、どこまで行っても「他人同士」であることも、やはりまた確かなのです。
 つまり「身近」とは、誤解、さもなくば幻想と申せましょう。 小池龍之介著「沈黙入門」(幻冬舎文庫)より

旅と出会いと [7] (18/02/18)

 2017年秋の自転車旅でも様々な、印象深い方々との出会いがありました。

 萩で立ち寄ったカフェではチーズケーキの繊細な風味に驚き、おいしいコーヒーもいただきました。カフェのおねえさんは、遠方から来た一見さんの私たちに、決してメジャーな観光スポットではないであろう藍場川のことを丁寧におしえてくださっただけでなく、カフェの庭園を流れる藍場川をわざわざ見せてくれました。藍場川を大切にする、地域の人たちの思いに触れたようでした。
 萩での夕食。家族経営のお店では板さんと楽しくお話させていただきました。自転車がご趣味だそうで、私たちが翌日走る予定の秋吉台のこともおしえてくださり、アドバイスというよりもご自身の体験を楽しそうに、厨房でニコニコしながら語っていて、自己主張しない料理の味にも板さんの人間性が現れているようでした。

 秋吉台を駆け抜けた日、夕食に訪れた中華料理店では、あまりの美味に感動。おいしかったことを女将さんに伝えると、醤油と塩以外、調味料もすべて手作りだということを聞いて驚いていると厨房から若大将が顔を見せました。私たちが愛知県から来たことを知ると、「愛知県って岡山より先じゃろ?」とのお言葉。地域の人たちの素直な感覚なのでしょう。博識多才なことに意味は無い。余計なことに左右されずに目の前の仕事を黙々とこなすような、実直な人柄が現れているような気がしました。

 門司で宿の場所を尋ねると丁寧に道案内してくださった、地域の観光アドバイザーをなさっているというおばさまは、どこの誰とも知らない私たちに地域のことをたくさんおしえてくださいました。路地界隈や風情ある旅館のことだけでなく、往時は芸娘さん200人以上抱えていたこと、限られた範囲だけ奇跡的に戦災に遭わなかったこと、護ってくださったとお不動様を地域の人たちが信仰していること...
 最も強く印象に残っているのが旅の最後に宿泊した古い旅館。格安な旅館なのに中がピカピカに磨き上げられ、静かで清々しい空気に包まれていました。優しく接してくださる女将さんは、凛としていらして自分に厳しい。己を律して暮らす人の崇高な美しさを感じます。失礼ながら、ご高齢のご夫妻がいつまで旅館を続けられるのかわかりません。しかし有限であることを認め、覚悟なさっていることも感じます。だからこそいっそう美しい。

 この文章を書きながら聴いているBGMは、関門海峡を渡る前、長府で寄ったカフェで流れていた音楽が良かったので、カフェのおねえさんにおしえてもらった、DIANA KRALLというジャズシンガーのCDです。旅の思い出とセットになった音楽もいいものであります。

 四輪車に乗って見たいところを効率よく巡る旅もあるでしょう。オートバイでも自転車でも何km走破したとか、どことどこを1日で行ってきたとか、結果や実績を重視する旅もあるでしょう。でも先を急がない旅では、何だか俗界から離れたかのように心身が解放されたり、内面が立派な人々に出会えたりすることがあります。ありがたいことです。

 今夜の宿の相客は、人生の生存競争に遅れを取ることばかり心配している男だった。私が「人生の生存競争は、一番びりッ尻が一番いいんですよ。」と発言すると、非常に驚いていた。私は二十五歳の時から、一番びりッ尻が一番いいんです、と考え、かつそれを実行しているうちに作家になった。それを自慢とは考えていないが、この四国遍路に来て思うことは、「先へ。」「先へ。」という考え方の愚かさである。四国遍路を一日でもゆっくり、とは考えないのである。出来るだけ早く、それ以外には考えないのだ。これでは極楽へ行けない。出来るだけゆっくりと、これ以外に考えないことが大事だ。私たちが「一日10キロぐらいと考えています。」というと、「私は30キロぐらい先へ行かないと心配です。」と言うのだ。これでは救いはない。何のために遍路に来ているのか、と思うような人ばっかりだ。みな、手っとり早く極楽へ行きたいのだ。それを「虫のいい考え。」とは考えない。どこ迄も世俗の考えを引き擦って来るのだ。 車谷長吉著『四国八十八ヶ所感情巡礼』(文藝春秋)より

続)ゆるふわカフェ (18/01/21)

(前回の続き)
 ゆるふわカフェの外国人店主に、もし何か私ができることがあるとすれば果たして...日本市場の傾向を解説するとか、日本の文化を紹介するとか、店主の一部不完全な日本語を直してあげることでしょうか。だけどそのどれもが上から目線であり、思い上がった発想であり、余計なお世話なのかもしれません。カラッポの私にできることなどありはしない。

 訪れたカフェで己の心が開き、蓋が閉じなくなってしまった私は、しばらくしてから自分でもまったく考えられない行動に移っていました。実利的な行動でも、計画的な行動でもありません。
 雑誌や売れ筋の本ばかり揃えてある近所の書店ではなく、文芸書も少々取り扱うやや離れた書店にときどき行くのですが、どうしたことか初めて外国語のコーナーに向かい、上段に並ぶ英語やフランス語、中国語の書籍には見向きもせず、最下段に1冊だけ残っていたベトナム語の本を選んで購入しました。
 仕事で使うわけではなく、旅行の予定があるわけでもないし、なぜそうしたのか自分でもよくわかりません。ベトナム語を少々覚えたからといって今の私の生活で役に立つとは思えません。
件のカフェだって店主が日本語ペラペラでベトナム語を話す必要など無い。損得で考えれば損のほうが多く、英語あるいは中国語のほうがよほどメリットがあることぐらい頭ではわかっています。だいいち50歳を過ぎて物忘れも目立つようになり、新しいことなど頭に入らなくなってきている私にとって、未経験の言語の勉強を始めるのはまるで無意味なことなのかもしれない。

 しかし私の内側が意図せず強い刺激を受けてしまっています。それはカフェの店主が話してくれたことだけではありませんでした。言葉にはなってない、アジアの空気やベトナムの世界を私は受け取っていました。30年以上も前に訪れた、タイやマレーシアのあの空気、インドネシアの思い出が蘇ってきました。とっくに封印し、はるか過去のものであったはずだったのに。

 英語がほとんど通じなかった。日本語なんかもちろん通じない。いや、通じるという表現がそもそも傲慢な発想なのかもしれません。タイではタイ語、マレーシアではマレー語が必要であり、当時旅の最中、私は片言の単語を懸命に覚えました。食べるために、寝床を確保するために。そうして私から近づけば、現地の人たちが心を開いてくれることも少なくありませんでした。
 似たようなケースが日本でも見られる気がします。標準語を話している限りビジネスライクに構えてしまい、どうしても硬くなりがちなのに、方言で話すとリラックスして優しくなれたりします。

 出身地が東京都な私は長い間、特に若いころはそうした感覚が理解できないバカな男でした。方言はコミュニケーションの障害であり、是正すべき、標準語に統一すべきだと思っていました。標準語しか話そうとはせず、自ら方言を話すなんてありえない、嫌な輩でした。仕事で英語に接する機会が増えたときなんて、自分自身の無能をさしおいてビジネスの世界は英語に統一すべきと思った時期もあります。思い返すのも恥ずかしい。


 月日は流れ、今やすっかり考えが変わり、昔とは正反対に方言に抵抗がないばかりか、方言が持つ温かみを大好きになっています。旅先でその土地の方言を会話に挟むことも時々するようになりました。たとえ使い方が間違っていても。そのほうが言葉だけでなく表面的でないコミュニケーションができる気がするのです。ひと言だけでもいい。敬意を払い、相手の言葉を話すことが大事だと思います。

 昔々覚えた中国語もタイ語も、マレー語もインドネシア語も、すべて片言で中途半端であり、年月が経つうちに忘れてしまった単語のほうが多いのに、仕事や日常生活で役に立ったわけではないのに、今でも何一つ無駄なことはなかったと思います。なぜそう感じるのか自分でもよくわからないのですが...


 本を買っただけでベトナム語が話せるようになるなんて思っていません。錆びついて老化しつつある私の頭には無駄なこと、無意味なことかもしれない。でも、勉強とか目標とか、構えなくていい。気が向いたときにユルくやるだけ。すぐに忘れたっていい。己の内側から起こったものを正直に受け止め、無意味なことをするのもまた、人間臭い一面でしょう。悪くはないと思っています。

 自然とともにあり、自然の一部である動物は自然を知りえていようが、人間は自然を知らない。なぜなら、人間の前には自然も世界も言葉としてしか存在してはいないからだ。
 言葉は人間にとって、もっとも根底的な表出、表現行動である。人間は言葉する行動的な存在、否、文化の水準(レベル)でいえば、言葉こそ人間であるといってもいい。 石川九楊著『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫)より

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