小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2005/03/27

過去掲載した編集◇コラム3

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変身ヒーロー (05/03/06)

「私だ! わからないのか? ジロー!
 悪の笛に負けるな、良心回路を使うんだ! 東映『人造人間キカイダー』第36話よ)

 皆様がバイクに乗りたいと思ったきっかけは何でしょうか? 「ビューティフルライフ」のキムタク、それともWGPでの各レーサーの活躍、それとも「バリ伝」のグンでしょうか?
 だいたい35歳以上の私くらいの年代以上の方々の中には「仮面ライダー」を見てバイクに興味を持った人も相当多いと思います。私が小学生のころは「仮面ライダー」や「ウルトラマン」など、変身ヒーロー物がブームでありました。
サイドマシーン
 私にとってのヒーローは仮面ライダーではなく「キカイダー」。約30年前に放映され、「ハカイダー」という悪役が登場することで知られています。カワサキGTスペシャルマッハVというサイドカーがほぼそのまま劇中で使用され、カウル付きバイクが好きなのは、これに影響されたせいかもしれません。
 「キカイダー」は左右完全非対称という異様な造形もさることながら、当時としては子供向け娯楽番組にあるまじき複雑な設定でした。地味なアクションシーンの影響もあったのか、人気は今ひとつだった記憶があります。
 人造人間(アンドロイド)である青年ジローが、記憶喪失になった生みの親の光明寺博士を、各地をさすらいながら探すのですが、悪の組織ダークの首領プロフェッサーギルは、裏切り者である光明寺博士を抹殺すべく殺人アンドロイドを次々と差し向ける。ジローには光明寺博士により良心回路が搭載されていて、悪事をはたらくダークのアンドロイドと闘うのだが、その良心回路が不完全で、プロフェッサーギルが悪魔の笛を吹くと、ギルの命令に従いそうになり、ジローは苦しむのだ。それでも毎回に笛の誘惑を切り抜けてダークの殺人アンドロイドを倒していくジロー。笛に打ち勝ち、ピンチを切り抜けるのがパターンになっていました。

 しかし物語後半のある回 そのパターンは破られ、ジローが狂う。ダークに捕らわれそうになった光明寺博士を見つけたジローは悪の笛に苦しむのだが、とうとう笛の誘惑に負けて光明寺博士に襲いかかる。ここで皮肉にも記憶が戻った光明寺博士が懸命にジローに呼びかける。ジローは混乱、そして良心回路がギリギリの抵抗を行い、ジローの体内がスパーク、煙を出してジローは全身の機能が停止してしまう...
当時既に屈折気味の少年だった私には、ハカイダーの登場よりも よほどこの出来事のほうが衝撃的でした。

 昨今ロボットに人工知能を与えるべく、情報処理の研究が盛んであるようですが、この番組では「良心回路」を与えて人間に近づけているところが秀逸であると思います。そしてその良心回路が不完全なところも...

 さて、私たち人間の良心回路は正常に機能しているのでしょうか? 貴方の良心回路は悪の誘惑に抵抗していますか?

スマトラ沖大地震に思う (05/01/22)

 情報が集まれば集まるほど大規模な災害です。昨年末に発生したスマトラ沖大地震とインド洋津波による災害は広範な地域に及び、その規模の大きさは近代史以後では前代未聞ではないかと思います。
 何が起きたのかよく理解できないまま、苦痛のうちに亡くなった多くの犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、厳しい避難生活を強いられているもっと多くの方々のご健康と安らぎのある生活への回復を願ってやみません。また、災害復興のために ご尽力されている方々には本当に頭が下がります。
 私自身、タイやマレーシア、インドネシアに計5回以上訪れたことがあり、とても他人事には思えないのです。あの美しいプーケットやクラビが酷い状況だと思うと 本当に心が痛みます。
 しかし、私のような一介のサラリーマンにできることは 募金以外ほとんどないと言ってよく、己の無力さを思い知らされます。仮に私が現地に行ったとしても大して役に立つわけでもなく、足手まといになるばかりか疲労や慣れない水、食事で体調を壊し、逆に迷惑をかけてしまうかもしれないと思うと 自分が一層ふがいなく思えてきます。

 この1ヶ月ばかり、新聞やTVで連日のようにこの災害について報道され、有識者による災害対策についての議論が放送される機会もありました。大規模なコンクリートの防波堤を造るべきとか、消波ブロックを広域に渡って設置すべきだとか、地球規模の津波警報システムを早期に整備すべきだとか...
 それぞれ他の地域では実用化されていたり、あるいはしっかり研究されていて、その効果が充分期待できるものであろうことは 私のような凡人にも想像できます。少なくとも私には賛成とか反対とか、そんな意見を言える立場ではないことぐらいはわかります。それと大規模な復興支援が緊急を要することもわかります。でも...
 でも、ごく普通の大衆レベルの感覚からすると 何か少々違うような... 私は数回現地に行っただけで、特に長期間滞在したわけではなく、何もわかっていないに等しいのですが、でも何かが違う。
 日本に例えるなら、地震や水害の被災地域に 屈強な欧米人が復興活動にやってきてケタ違いに大きい重機を操り、倒壊した家屋も泥に埋もれた道路も根こそぎ整備し、西洋風の景観を整備した上で、街や村の中心に水と食糧・医薬品の巨大備蓄センター兼通信センターを建造するようなものでしょうか。
 ちょっと極端な例えかもしれませんが、この場合の復興活動が間違っているわけではないし、この復興活動は善意100%でしょうし、災害に対する備えも格段に良くなるように思います。
 でも何か違うような...
もうそこには旧来の街並みや、ひっそりたたずむ村落の面影は見られないのです...

 TVVで放映される映像も 初めは観光地や商業地域の被災状況のものが 比較的多いような気がしました。また、経済面では予想よりも打撃が少ないとの報道もありました。他方、一般大衆や地方町村に関する情報は当初よりは増加したものの、ごく一部の地域に限られているように思います。何だか私たちは偏った物の見方をしていないでしょうか? “私たち”の常識で物事を捉えていないでしょうか?

 どうも私たちは周辺各国のことについて 日ごろから あまりにも知らなさ過ぎるのではないかと思います。政府や支援団体レベルでは充分な情報を網羅できているのでしょうが、民間レベル、個人レベルではマスコミによる表面的な情報や、旅行雑誌・ガイドブック等による観光情報しか知らないのではないか、そんな気がします。
 アメリカ・ヨーロッパだけでなく、アジアにも大衆レベルで国ごとに個性があり、ひとつの国の中でも地域ごとに それぞれの魅力があります。各地域に根ざす人々の暮らしが伝われば、他人事では無くなってくるはず...

 いろいろ考えましたが、私自身、今まで面倒だからと放っておいた過去の海外旅行記を この機会にWEB上で公開していくことに決めました。単なる観光旅行ではなく、自転車やオートバイなどを使い、現地の人たちと なるべく同じ目線で旅した記録です。
 準備にかなり長期間かかることが予想され、公開まで時間がかかると思いますが、各国の輝く魅力や内包する課題を少しでもお伝えできれば、と思っています。
貴方にとって、今回の災害が他人事でなくなる時が来ることも願って...

続)バイクのカスタムと味 (04/12/19)

 「何だ、これは?」私はヘルメットを被ったまま思わず呟いていました。愛車ZZR250のエンジンフィーリングが激変しているのです。
 しばらく前にプラグコードをノロジー ホットワイヤーに交換、やや調子が悪くなり、キャブレターのジェット類を交換、パワーが出るようになった反面、アクセル開け始めのドンツキや、アクセルON/OFFのギクシャクに悩まされ、その対策にウルトラヒューズを装着してテスト走行したときのことです。 ドンツキやギクシャクはほぼ無くなり、アクセル開け始めは まろやかに、かつ確実にトルクが出るようになりました。
 激変というのは、さらにアクセルを開けていったとき。それまでのようなどことなくゆったりした、ときには苦しげにうなっていたエンジン音が驚くほど静かなのです。まるでモーターのようにスムーズに、苦しそうなそぶりを全く見せずに加速していきます。 一般道でノーマル車のようにアクセルを開けると、今までの感覚に比べてだいたい1.5倍のスピードが出てしまうほどで、強い自制心が必要です。 決してすごく速いわけではありませんが、もはや “遅い” と感じる瞬間は非常に少なくなりました。
 また、それまでは60km/h、80km/hでのエンジン回転数がそれぞれ4,600rpm、6,100rpmだったのが、今度は4,500rpm、6,000rpmに。駆動系を何も変えていないのに。不思議な現象です。

ZZR250  速くなったことは歓迎すべきことなのですが、エンジンの振動や味も激減し、2気筒の鼓動も ほとんど感じられなくなってしまいました。60km/h程度の定速走行時など、あまりにも静かでこのエンジンが何気筒なのかわからなくなるほどです。 何だかまったく別のエンジンに載せ変えた感じです。以前このコラムでホンダAX-1というバイクを例に挙げましたが、もう250ccのレベルではないような... でも4気筒車のフィーリングではないし、Vツインエンジンとも違う。
 そこで思い出したのがヤマハのXZ400Dというバイク。 30歳台後半以上の諸兄でしたらご記憶にあるでしょうか? Vツインエンジンを搭載したフルカウルの巨体ツアラー。Vツインの鼓動はほとんど感じられず、力強さこそ無いものの、快適で しかもアクセルを開ければ するするとストレスなく加速、イケナイ速度に達し、決して遅いバイクではありませんでしたが、なぜか全くの不人気車でした。
 私のZZR250はそんなXZ400Dを連想させるエンジンフィーリングになってしまい、かなり複雑な気持ちです。

 致命的な欠点は、最大の美点であった “2気筒のパルスを感じつつ、まったり旅を楽しむ” 性能が無くなってしまったこと。旅先でも50〜60km/hで走っている4輪を抜きたくなる衝動に悩まされることが多くなりました。
 低中速ワインディングでも自制心が必要になり、それまでの感覚でアクセルを開けていようものなら、あっという間にカーブが迫ってきて、そのつもりが無いのに正確なブレーキングや倒しこみ操作が要求されます。ノーマル車では “遅い” と感じていたワインディング。人間の感覚の方がはるかに高いレベルにあったのに、今度は完全に追い越されてしまい、人間の方がバイクに対応するのに少し時間がかかりそうです。

生きることなかなかむつかしい (04/11/14)

「生きることなかなかむつかしい。
 巴絵さん、わたし弱虫、…だから一生ケンメイやらねばならない。困りました」 遠藤周作著 『おバカさん』より

 小説家 遠藤周作といえば、「海と毒薬」「沈黙」などの代表作を連想する方がほとんどだと思いますが、私にとっては高校生のときに読んだ「おバカさん」が強く印象に残っているのです。
 上述のセリフは醜い容姿のフランス人、ガストン・ボナパルトが現代的なキャリアウーマンの巴絵に語った言葉。弱虫で臆病で、要領の悪いガストンを軽蔑していた巴絵に少しずつ変化が現れる。

 さて、ガストンの純粋で一途な思いや行動力に対して自分はどうか? そのガストンに一目置く隆盛と比較してどうだろう? 日々仕事をしながら、お客様のため、環境のため、というような、会社が唱える方針にちょこっと参加したつもりで満足してしまっている自分があらわになる。そればかりか、顧客満足度を上げて職場内で、会社内で認められたいという薄汚い欲望が見え隠れしている。

 人間は1人では生きていけないことの裏返しなのか、ある一定以上の年齢になると人の役に立ちたい、という欲望が出てきますが、それは他人の役に立つことで自分の存在意義を認めてもらいたいという欲望である場合が多く、認められないと不満に思ったり、絶望したり。いつのまにか「見返り」を求めてしまっている...

 大人になれば「生きかた」の答えが見つかると思っていた。社会で活躍している人たちは自分のやるべきことを見つけてそれを実践していると思っていた。ところが現実はどうだったか? もちろんそのように充実している人たちも大勢いる。立派な実績を残している人たちも多い。でも私の場合は少々違っていたようです。忙しく仕事をこなすことで充実したような錯覚にとらわれ、たくさんの苦しいことや楽しいことを経験し、わかったつもりになっていただけで 特に何かの答えが出ていたわけではなかったのです。
 年齢を重ね、忙しさにかまけて 先送りしていただけ...
 やっぱり生きることはむつかしい。


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