過去掲載した編集◇コラム30
真冬にふらり、ソロツーリング (19/03/10)
1月の末、薄日も差さない曇天。朝の気温 -2℃。
なぜフラリと出かけたくなるのか、自分でもよくわかりません。何の生産性も無ければ建設的でもありません。決して健康的ではなく、寒さがキツイのですから、休日はむしろ体を休めていればいいのに。
出発時の気温がかろうじてプラス1℃。長時間走行する予定なこともあって、上半身に9枚(!)、下半身に4枚着込みます。レッグウォーマーも忘れずに。どうしても身体が動きにくくはなるものの、たいして寒さを感じません。それでも手先足先は少々冷たい。まあ、このくらいオッケーでしょう。え? 理解できない? って、そりゃそうですよね。きっと私はビョーキ、しかも重症です...
フラフラと走って走って、静岡県内の山すそを走っていると小さな耕作地の脇のごく一角に菜の花、南側の斜面ではごく一部の梅の木が七部咲きでありました。日差しのない冬の曇天の下では何もかもが灰色一色に見えてしまいますけど、こうした花々に出会えると実に嬉しい。彼らだって頑張って冬を生きていることを実感します。
昼どきに入った小さなカフェ。とっても優しそうなスタッフのお兄さんは、柔らかくて穏やか。人と争うことを知らないかのようです。今どきの若い人たちは立派な人が多い。私が若かった頃は自意識が強く、臆病で虚勢を張っていたことを思い出し、ちょっと苦しくなるほどでした。
お兄さんと少しばかり話をしている中で、聞き上手のお兄さんに対し、ついつい私自身のことを、それも格好つけたようなことを話している自分に気づきました。仏教用語で「慢」という煩悩にあたります。過去だけの話ではない。分別のつく中高年になっても相変わらず醜いままな自分にあきれるばかりです。
愛知県へ戻る道中、気温は5℃ほどとはいえ、遠州の強風に阻まれて二輪車での走行はそれなりに厳しい。強い北西の風が、どんどん体温を奪っていき、寒くないはずの服装なのに、なんだか寒くなってまいりました。
途中、どこかで暖を取りたい。過去に3度ほど、それも半年に1度程度の頻度で行っただけのカフェに寄ることに。暗くなり始めていましたが営業中の表示がされていて助かりました。入口の扉を開けるとカフェのママさんがいきなり「お帰りなさーい!」と声をかけてくださいました。
店内が暖かい。たまにしか、それもオートバイで来る中高年お一人さまの私を、なぜか憶えてくださっていて本当にありがたいことです。
「オートバイ寒いでしょう、こんな真冬でも乗るんですか?」
「私、変人ですから。ハハハ...」
ブレンドは香りが良く、手作りのシフォンケーキはシンプルですっきりとした味。ママさんの爽やかな人柄が現れているかのようでした。
あまりお店を休まず、働いてお客と接していたほうが楽しいという、優しいママさんと会話がいろいろ弾みました。
「私は真面目に働くのが苦手で、たまにフラリと旅をしないとダメな人なんです」なんて言いつつ、そうだった、こうやってときどき現実逃避することが必要なタイプなんだな、と己のことを再確認しているくらいまではよかったのですが、気づけば調子に乗って自分の食の好みなどあれこれ口走っておりました。仏教用語で「見(悪見)」という煩悩でしょうか。いい歳して、しっかりしているどころかグラグラであります。爽やかなママさんに比べ、さきほどの反省をすっかり忘れてしまっている自分に嫌気がさすばかりでした。
滅多に雪も降らず、乾燥し風が強いばかりで何もない太平洋側の真冬。
コントラストが淡くシンプルで静かな冬は、醜い己の内面が浮かび上がってくることもある。外界に気を取られること無く、醜い自分自身と対峙し内省するのも、実は大事なことなのかもしれません。
「ねぇ、教えてくれよ」
彼女は挽き終わった豆をミルの引き出しからネルのドリップに落とした。一連の動作には一つの無駄もなかった。銅製のドリップポットに入っている湯の温度を確かめたあと、彼女はアーミージャケットに向かって言った。
「だから、何度も言ってるでしょう。すぐに止めたから残ったお金なの。ただの運よ。地道がいちばん。欲を掻くとろくなことないのわかってるでしょう。シゲちゃんも文句ばっかり言ってないで。体使って働きなよ」 桜木紫乃著『誰もいない夜に咲く』「フィナーレ」(角川文庫)より
旅と出会いと [11] (19/02/17)
2018年は10月に入っても雨や台風で思ったように出かけられませんでしたが、11月にかけて晴れた日が多くなり、それまでの反動であちこちオートバイや自転車で出かけました。
10月、1年近く前に一度訪れたきりの、愛知県碧南市にあるややレトロなお店へ250TRで行ってみたときのこと。おすすめですと言われていたことを思い出し、店名が冠されたランチをいただくと、それはそれは素晴らしい味! ソースの風味が奥深いのはもちろん、お肉もケチャップライスも抜群で、素材から味付けから、一切の手抜きをしていないのがわかります。小さな町の大衆食堂風情なイメージを大きく覆し、歴史や料理哲学まで感じるほどの料理でした。
ご高齢の店主と少しお話させていただきました。50年も60年も継ぎ足しながら作り続けているソースのことを、非効率だとバカにされることもあるそう。新しくは見えないお店は、時流に取り残された感が否めないし、ご高齢故にしんどいこともあるでしょう。それでもご家族と共に精一杯、心を込めて働いている。利益とか効率ばかりを追求する現代社会にあって、その姿は眩しく崇高なものすら感じました。
また、過去2度ほど、それも1年おきくらいに自転車で訪れただけの、愛知県豊川市の旧街道沿いに佇む、小さくて静かなカフェに行ってみました。鶏五目の釜めしはシンプルな風味ながら、ごはんも鶏も汁物も、上品で繊細な味です。
カフェの物静かなお兄さんに、はじめていろいろ話を伺うことができました。以前はバイク乗りだったこと、バイクを降りたいきさつなど、まるで堰を切ったように話してくださいました。お兄さんの真摯な姿勢が伝わります。
半年ぶりくらいに訪れた、岐阜県八百津町の食事処では、女将さんが「あっ! こんにちは、いらっしゃい」と満面の笑み。常連客でもないのに私のことを憶えてくださっていて、ありがたい限りです。ご主人も厨房から出てきて挨拶してくださいました。栗きんとんや栗羊羹のことなど他愛もないことを話す時間が嬉しい。
ずっと以前にプチオフ会で訪れ、なぜか記憶に残った静岡県袋井市のカフェを11月に再訪。5年ぶりになります。もちろん5年前の客を憶えているはずがありませんけれど、ライダージャケット姿のヘンな私を、マスターもママさんも優しく迎えてくださいました。
ランチにいただいたハンバーグが遠州らしいシンプルな味で好印象。ランチセットのコーヒーもバランスが取れた良い風味です。
カフェにある本の中には絵本がいくつかあり、今まで未読だった「100万回生きたねこ」を手に取って読むことができました。こういうお話だったんだ...
静かな店内にもかかわらず、なぜかマスターがたくさん話しかけてくださいました。地域密着型の素朴な喫茶店に見えるものの、若いマスターはコーヒーの研究を欠かさない。感受性も高いのに飾らない人柄と、カフェの穏やかな空気にすっかり癒されました。
ほかに一度、それも慌ただしいランチタイムに行っただけの小さなカフェを再訪。ほとんど初めての一見さん、それも場にそぐわないライダージャケット姿の私に、ママさんはなぜか親しげに話しかけてくださいます。ママさん、30年ほど前はバイク乗りで愛車をブイブイ走らせていたとのことです。今は旅がお好きで、休みの日に各地を訪れることがあるそう。私と共通点が多く、常連客ではないのに常連客のごとくたくさん話をさせていただきました。
書ききれない出会いも含め、私にとって今までになく濃い秋だったと思います。出会ったのは人々だけではありません。風景や旧道の空気、草木にも。
ただの偶然かもしれません。そのどれもに縁があったのかもしれません。様々な出会いを通じて、形にならない、言葉にできない、何か不思議なものに触れているような気もします。こうした体験は、運とか、必然とか、そういった言葉で締めくくってはいけないように感じました。
「郷愁ですねぇ。」
守口は、ぎろりと若鍋を睨んだ。ひるむことのない定でも、その視線の強烈さには、ぎくりとさせられた。
(中略)
「ワタナベっつったよな。お前はよぅ、なんでも名前をつけて話を終わらそうとするなぁ。そらだめだよ。」
「若鍋です。」
「郷愁って言っちまったら、もう、それは郷愁だ、って決まっちまうんだよ。呪いだよ、呪い。お前がワタナベって名前をつけられんのと同じなんだよ。ワタナベ以外の何ものでもなくなっちまう呪いだよ。呪い。」
「若鍋です。」
「もっとこう、モヤモヤとした、言葉にできないものがあるんだ。脳みそが決めたもんじゃない、体が、体だけが知ってるよう、言葉っちゅう呪いにかからないもんがあるんだよ、て、ああ、『言葉にできない』も、言葉なんだから、ああ、もう、嫌んなるなぁ。嫌だあ。」
守口は、両手で頭をぐしゃぐしゃとかきむしった。甲は傷だらけで、ふしが目立ち、まるで老木のようだった。 西加奈子著『ふくわらい』(朝日文庫)より
ゆるふわカフェその後 (19/01/13)
日本人は皆、忙しいのである。
なぜ、こんなにも忙しく暮らさなければいけないのかは、僕自身もよくわからないのだが、とにかく忙しいのである。出入国管理局の職員も疲れはてていて、スタンプを押しながら笑顔ひとつつくれない。そこに並ぶ日本人たちの多くも、電話やファクスに追いまくられていて、長い列をつくって待ち続ける時間をゆったりと受け入れられないでいる。こんなことをひとりで嘆いてもしかたなく、ただ、日本という国に生まれ育ったことを後悔するしかないのかもしれない。 下川裕治著『アジアの誘惑』(講談社文庫)より
昨年の真冬に件のカフェを訪れて以来、その後2回ほど行ってみたところいずれも満席で賑わっていました。不思議なもので、日本人で満席になると、いえ各々の客が持ち込む空気が、カフェの雰囲気を変えていっていました。日本人はたいてい忙しいし、せっかち。日本人だけがそうとは限りませんけれど、それでも戸外に順番待ちの列ができると、どうしても少し落ち着かない雰囲気が漂うようになります。以前のようなユルい空気が薄まったようです。
店主は忙しそうでした。優しい店主のことですから、たくさんのお客の期待に応えようとしているのでしょう。お客の意図を汲むように動くのでしょう。お客が心地よく過ごせるように考えるのでしょう。日本人がカフェに求める最大公約数のようなものであろうとも。外国人の店主のリズムには合っていないものだとしても。
気のせいか客層も少し変わってきたようです。私のような、日本の経済社会から少しはみ出しているかのような空気を纏う人々が見られず、代わって良識的な市民の方々が多いように感じました。
店主は少々疲れているようにも見えました。かつて垣間見た妖精のような気配はまったくありません。ゆるい空気が娑婆の臭気に毒され、ゆるくなくなっています。
以前の私だったら、もう少し自分のリズムを大事にするよう店主に伝えていたかもしれません。
でも今では違います。声をかけて伝えることは私のエゴ。変わってほしくないという自分勝手なわがままです。日本人に合わせて変わっていくことは、店主にとって必要なことかもしれません。店主が通らねばならない道なのかもしれません。
私にできるが何かあるはず、と力むのは思い上がった考え。できることなど、やはり何一つ無い。私はただ、閉じなくなってしまった己自身の蓋が、再びまた閉じつつあるのが恐ろしいだけなのです。小さな私を笑い、蓋を蹴り飛ばしてほしいのです。
そんなちっぽけな私の性根など、きっととうに見透かされていることでしょう。
自分の面倒は自分で見なければなりません。醜く小さな器だろうと、メンドクサイ性分だろうと。
「羽鳥さんはデビューして何年だっけ?」
「ちょうど五年になります。二十五歳の時に新人賞をもらって、もう三十ですよ」
「まだそんなか。じゃあ気をつけないとね」
「え、なにを気をつけるんですか?」
「文章を書いていると、取り憑かれるビョーキがあるんですよ。まあ、誰でもかかる風邪みたいなもんだが、こじらせるとめんどくさい」
「どんなビョーキですか?」
「ウィルスに感染するんです」
「怖いな」
「世間っていうウィルスに感染するんですよ」 田口ランディ著『被爆のマリア』(文春文庫)より
旅と出会いと [10] (18/12/02)
「... ですよね? はたぼうさん」
「はっ?」
夏の昼下がりのこと。
250TRで訪れた小さなカフェは、約半年ぶりくらい。とうに忘れられていておかしくないのにカフェのおねえさんは私のことを憶えていて快く迎えてくださいました。
店内は私以外女性ばかり。声高に騒ぐ人はおらず、比較的に静かで、ゆったりと時間が流れています。なんとなく肩身の狭い一人客の私は、ひと息入れるだけにするつもりでした。
雑誌一冊をパラパラとめくり、すっかり落ち着いたところでそろそろ引き上げるべく、席を立ち、雑誌を元の棚へと返そうと移動したとき、一人の女性客とお喋りしていたカフェのおねえさんに、冒頭のように突然声をかけられたのでした。
不意を突かれて応えに窮している私を無視するかのごとくおねえさんは話を続けます。
「男の子って、大人になっても母親のために何かしようとするんですよね?」
急に問われた上に、前後の脈絡がさっぱりつかめない私。でも、いい加減に話を合わせるのもかえって失礼かと思い、自分は中学入学とほぼ同時期に母親を亡くしていて、よくわからないと正直に話しました。
思いがけずにそこから話が弾み出します。女性客は私と近い年代のようでしたが、身なりが上品で恵まれた環境にいらっしゃるように見えます。お話をうかがうと、見た目ではご主人やお子様たちと何一つ不自由のない暮らしを送っているようでも、しかし、お子様たちは順調とはいえない学生生活なことに加え、ご主人とも理解し合える状況ではなく、深くお悩みのようでした。
男性心理のこと、プライドが高かったり優劣をすぐ気にしたりする人たちが少なくないことばかりか、生きづらい、生きる目的は何かということもなぜか話題になりました。「なんだそりゃ」と訝る諸兄もお見えでしょうけれど、恥ずかしがらず、オープンに心の奥底を話せる機会なんて年に一度も無いくらい。
そうはいっても私に話せることなどありません。何もわかってないし、カラッポなのですから。偉そうなことを言う資格なんてゼロ。だけど心を開き、自分にも何もわかってないことを告げ、自分にはどうも仏教的な考え方が合っていて、その中でも人の一生は四苦八苦に貫かれていると書かれてあった書籍を紹介するにとどめました。
他の客がいなくなってからはカフェのおねえさんも加わって話は続き、それぞれに生きづらさを抱えていること、地方によって空気が多少異なり、生きづらさに差がありそうなことなど、どうしてこんなにも話が続くのか不思議になるほど熱を帯び、気づいたときには3時間近くも過ぎておりました。
私はただの通りすがりのショボクレたオッサン。ですけど、私にはどうしてもあの2人が赤の他人に思えない。仲良く理解し合う友人というよりも、似たような課題を抱えた同志のような感覚でした。年に数回しか訪れないカフェなのに、見えない何かに引き合わされたような不思議な出会い。一瞬、ほんの一瞬だけ、私たちは深く共振した気がします。
でも、出会いで何かが解決したわけではありません。私たちはそれぞれに苦悩を抱えながら、それぞれの生活に戻っていくだけです。
みんなみんなどうしてるかなあ、と思う。
それぞれの時間を生きている。
みんなそれぞれの時間を生きている。この地球上のいろんな場所で。
なんだかとても不思議だ。みんなそれぞれの場所がある。その場所で、自分に与えられた運命を生きていく。
そう思うと、私は私でいいんだなって思う。
人間はこんなにいろいろある。私は私でいいのだ。
いろいろあるうちの一つでいいのだ。 田口ランディ著『ハーモニーの幸せ』(角川文庫)より
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