小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2020/05/24

過去掲載した編集◇コラム32

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地方の小さな異国で (20/03/15)

 主体客体を鮮明に二元化し、主体性を過剰に意識すると、客体を主体とは切り離された行為の対象としてしか意識できなくなる。鷲田清一の言う「対象から影響されない」状態であり、対象側からの働きかけをないものとして、客体をいわば手段として扱うことになるからだ。 西きょうじ著『さよなら自己責任 生きづらさの処方箋』(新潮新書)より

 前年の晩秋、焼津まで原二スクーターで出かけ、魚介類を買い込んだ後、帰路にエスニックカフェに立ち寄りました。
 ランチセットはハーブのビーフシチュー。八角やコリアンダーが使われた異国の風味が嬉しい。私が訪れた際、カフェに日本人はおらず、スタッフも客も全員がベトナム人でした。自分以外の人たちが話す会話は全く理解できない、そんな異国の空気が楽しい。
 以前僅かにかじった、ほんの挨拶程度+αのベトナム語を話してみると、たったそれだけで会話が弾みました。技能実習生らしき若い客は、会社ではベトナム語が禁止されていてストレスだ、とか、あるスタッフの身の上話とか。考え方やライフスタイルに差異はあっても、悩みを抱える事情など共通点もたくさんあります。若い方々が多くて中高年の私にはなかなか理解できない部分も多いのですが、それでも新鮮で楽しい。こんな機会が持てるのならまた来ます。

 店主によると、私のようにベトナム語を話そうとする日本人客は異例中の異例だそうで、ほぼ100%の日本人がベトナム語を話さず、覚えようとはしない。そればかりか店主に対して「もっと日本語を勉強しろ」と言う客も少なくないとのことです。
 エスニックカフェの物珍しい内装や小物を鑑賞しながら飲み物を楽しみつつ異国気分に浸るのが、おそらく多くの日本人客の行動なのでしょう。しかし提供された材料だけを楽しむ、いわば観客であって、それ以上のことには興味が無い。モノに好奇心はあるが、生身の外国人とは距離を置きたい。私が若い頃もそんな気持ちだったかもしれません。

 此処は日本なのだからもっと日本語を勉強しろ、という主張は間違いではないと思います。でも日本に国力があったのは既に過去の話。今や縮小と衰退の一途であり、今後盛り返すことなど期待できない可能性が高い。いつまでも過去の栄光を引きずっていると、老け込んでいく一方。もはや提供されるものを待つだけのような、お高くとまっている時代ではないでしょう。外国人は英語やベトナム語のスキルとか、その巧拙を量っているのではない。そんなことはたいした問題じゃない。話者の中身を見ています。

 1軒のエスニックカフェで何を考えてどう振る舞おうが個人個人の自由です。でも外国人だからと距離を置くのではなく、店のスタッフだろうと、同じような立場の、同じ血の通った人間として、僅かでも心の通う接し方を心がけていけたらいいなと、改めて考えています。拙いやりとりでも構わない。相手を尊重し、お互いに承認し受容する。たとえその場限りであっても。
 集団行動に合わず、群れることが苦手な私に有益なことなどできはしない。それでも1ミリでもいい、目の前の人にとって心が解れるようなことにつながればいいなと思っています。

 日常会話は簡単だ、と考えている人も多いようだが、それはとんでもない見当違いだ。日常会話では、学術や専門分野におけるように、テーマの限定性もないし、相手も多様である。会話を進行させるためには、コンテクストの共有が必要なのだが、それは典型的な英会話パターンをいくら勉強しても身につくものではない。相手の様々な文化背景、共有できる話題をあらかじめ知っておくこと、さらには場の状況を察知し共感できる力が必要なのだ。もちろん、自分自身の文化についても知っておく必要がある。実は相手と会話が弾まないのは英語力が足りないからだとは言えない場合も多いだろうし、その場合マシンでは補助しようもない。 西きょうじ著『さよなら自己責任 生きづらさの処方箋』(新潮新書)より

旅の外食 (20/02/16)

 旅先での楽しみの一つが食事。有名チェーン店や大型の食事処で済ませる向きもありますが、地元産の高級和牛や地域の海産物などを連想する諸兄も少なくないでしょう。私もかつてはそう考えていました。個人レベルで好きなものを好きなだけ選べるホテルのバイキングが、合理的かつ機能的なのかもしれません。

 前年に琵琶湖西岸を旅したとき、宿泊先では夕食を摂らずに外出しました。初めて泊まる場所であてがあるわけでもなく、寂れた駅前を中心に歩き回り、目についた古そうな一軒の喫茶店を選びました。
 観光客など一切来ないだろうし、賑やかな家族連れもおそらく訪れないであろうその喫茶店は静かな客が数人だけ。古さが目立つ内装ながらどこか温もりを感じる居心地の良いお店でした。
 夕食にと注文したカレーピラフは、ピラフの上にカレーをかけた、いえ、ただのカレーライスのライスがピラフになったと形容すべき、風情ゼロかつB級感たっぷりな軽食。なのに不思議とおいしい。おいしいというか、脳や味覚はそうでもないのに心が温まってくるような味わいがありました。

 居合わせた数人の客はお一人さまか同性二人連れ。お世辞にも皆カッコ良くはないし上質なものは着ておらず、失礼ながら決して成功者には見えず、私と同類のようです。
私たちは脳だけで生きているのではありません。生身の人間です。いいときもあれば悪いときもあります。元気なときもあればどうにも八方塞がりなときもあります。いつも前向きでなくていい。いつも力んでなくてもいい。

 皆多かれ少なかれ寂しさを抱えているのかもしれない... ふいにそう感じました。しかし、ここの人たちは寂しさを隠していない。恥じてない。そして、私よりもひと回りは若そうなマスターは、そんな敗者達を侮蔑するどころか、適切な距離を置きつつ手作りの温かい料理で癒やしているのでした。己の中の弱さを認め、他者を理解する温かさで。不遇にある人々にとって、暗がりの中の灯火のようでもあります。なかなかできることではありません。市井の人たちの中に光を見た気がしました。

 近年私は訪れた地方の名物や有名店にはこだわらず、その土地の生活が垣間見えるようなお店を選ぶことが増えてきています。できるだけ派手なお店ではなく、地元の方々が普段使いされているお店を。

 太陽が傾きはじめていた。夕暮れが近い。開けた窓から、ラーメン屋の店主の「いらっしゃい」が聞こえる。
「あ、常連さんだ。この時間に来るのは、夜の仕事してる人なの。ラーメン食べてから、明け方まで働くんだって」
 たまたま桃子がいるというだけで、順子は誰がいても同じ話をしているのではないかと思った。エアコンも扇風機もない部屋は無風状態だった。ワンピースの内側はもう、気持ちが悪くなるほど汗で湿っている。
 気合いを入れた新品のワンピースも、ここではかえって恥ずかしい。流行りの服など着てくる必要も、幸福を張りあう必要もなかった。バランスを欠いた心もちをどうするか、桃子の意識は無難にこの時間をやりすごすことで精いっぱいだ。 桜木紫乃著『蛇行する月』「1990 桃子」(双葉文庫)より

秋のショートツーリング 2019 (20/01/19)

 愛知県東部に近い自宅から北西の端まで、下道で約80km。それでもどうしてもたまに食べたくなる味があります。今回は夏に乗り換えた125ccのスクーターでバイパスを抜けて行ってみました。途中ずいぶん流れの速い区間があるので出発前は多少不安でしたけれど、走ってしまえばどうということはなく走れてよかったです。
 延々と走って着いた、小さなハンバーガーショップでは、約2年振りだというのに若い店主が私のことを憶えてくださっていて、優しく迎えてくださいました。久しぶりのハンバーガーが素晴らしく美味しい。すべてが上品で、手間暇をかけ丁寧に作られた味。ハンバーガーなので、挟んである具材をいっぺんに食べてしまうしかなく、少々もったいないくらい。オンリーワンの風味です。
 お客が途切れた時間もあって、店主があれこれ話をしてくださいました。コツコツ手作りし低予算でお店を拡張したこと、夜の営業も始めるべくあれこれ準備中なこと、少し店を変えていくきっかけにしたいこと。旅が好きなこと。TV番組「ドキュメント72時間」で放映された赤羽の飲み屋のような、ユルくて温かいお店が好きなこと...
 一介の、滅多に訪れないショボクレた中高年男性の私相手にたくさんのお話をありがとうございました。

 帰路に立ち寄った、愛知県西部のカフェ。入るのにほんの少し勇気が要るかもしれませんが、中は比較的気軽で温かい雰囲気です。深煎りの香り豊かなコーヒーはもちろん、アップルデニッシュが絶品! 何よりもお客においしいものを出したい、そう熱っぽく語る若い店主に、ここでもたくさんの話を伺いました。コーヒーは生産者も含めて年々進化していること、始終勉強していかないとついていけないこと。今まで飲んだことの無い、フルーティな酸味が印象的なアイスコーヒーも特別に試飲させていただきました。常連さんたちだけでなく、フラリと立ち寄った一見客にも開かれた場所でありたいというこのお店のコンセプトとか、店主の前職の話とか... ほかに何人もお客がいたのに、尽きないほどのお話をありがとうございます。また来ますね、おいしいコーヒーとフードの味は忘れませんから。

 別の機会、初冬といってもいい時期にふらりと出かけたおしゃれなケーキ店。店内に楽しげなクリスマスソングが流れる中、ライダージャケット姿のショボクレたオッサンの私はあまりにも場違いで、スタッフの若いおねえさんは当惑した表情でした。
 ケーキだけいただいて帰ろうと、オーダーした紅茶とりんごのロールケーキを口に運んだその瞬間、なぜだか此処では姿が見えない男性パティシエ作品だと直感しました。 高度にバランスされ、爽やかながらしっかりした風味。小さい空間に、職人の世界が表現されていて、その世界を共有できた気がします。
 私が座っていたカウンター席の前を、店の奥から出てきた、普段着姿の若いお兄さんが通りかかりました。きっとこの人だ、そう感じた私は、おいしいです、と話しかけてみました。「僕の中ではお気に入りの、自信作なんです」そう話すお兄さんからも、少し熱意が伝わりました。よかった、そんなケーキをいただくことができて。

 いずれも事前に想像していた、おいしいものを食べてくるだけのツーリングとはずいぶん違う、中身の濃いツーリングになりました。若い店主たちはご自身の夢を語ってくれました。数々のご苦労をなさっているだけあって、何を大事にすべきかはっきりされているというか、しっかりとした経営哲学、いえ人生哲学をお持ちです。社畜である一介のサラリーマンにとっては羨ましくもあります。ですけど表面的なことにとらわれていては大事なことが見えてこない。私は私の身の丈に合った哲学や信念を持って、できる範囲でごく小さくとも実践していくべきではないか、そう教えられた今回のショートツーリング。だけど中身の無い私にとって、何をどう行動すればいいのか見当がつかない、ちょっぴり苦いツーリングでもありました。

 このブナの木が、仮にもし、自分がブナであることに満足できず、どうしてもわしはサクラになりたいのだ、と思ったらどうするのだ? やはり春にはあの艶やかな花をぱーっと咲かせたいのだ、と。では、と努力し初めても多分無理なのだ。こうなるとブナ君の胸のうちには不満がたまっていくのだ。サクラになれない以上、ずっと不幸なのだ。そしてもったいなことに、生命としての有限な時間を使い果たしてしまうのだ。自分ではないものに憧れるというのは、結局、本人がいちばん苦しむことになるのだ。 ドリアン助川著『バカボンのパパと読む「老子」実践編』(角川文庫)より

旅の中食 (19/12/01)

 2019年秋に瀬戸内海を旅したとき、途中の島でホテルでも旅館でも民宿でもないゲストハウスに1泊しました。一般の古民家をリノベーションされた建物。厨房設備など保健所の許可が下りないのでしょう、食事の提供ができないタイプの宿でした。
 島には夜に外食できる店が実質ゼロ。コンビニなんてありません。隣の島まで走っていけば夜営業の店があると聞きましたが、自転車の旅ですし少しゆっくりしたい。
そこで利用した宅配弁当は、昼に隣の島で寄ったカフェの手作り弁当でした。

 地味で飾らない宅配弁当は、地域の人たちのために作られたお弁当であり、観光客向けにあれこれ盛ったお弁当ではありません。
旅人にとっては何の実績にもならないかもしれません。せっかく旅に行ったのに夕食が地味な宅配弁当なんて、あり得ない選択だと切り捨ててしまう方々は少なくないでしょう。

 しかしこの過疎地の、島の高齢者の方々へ届けられるお弁当は、食材も味付けも一切ごまかしてはいません。もしごまかすようなことがあれば、地域に受け入れられないでしょう。何時間も、手間を惜しまず丁寧に作られたであろう数々のおかずはどれもが優しい味付けで、体に負担をかけるものなどありませんでした。
カフェのおねえさんは、作りたてのお弁当を配達すると、それぞれのお宅で高齢者の方々がいつも喜んでくれると話してくださいました。そうですよね、わかります。作り手の温もりが伝わりますから。
 自ら手作業を重ね、地域のために貢献する姿は、キラキラ派手に輝いてはいなくとも静謐な美しさを感じます。そんな美しさの一端を感じながら、静かなゲストハウスでじっくりと味わうお弁当には、見かけ以上の深い味が詰まっているのでした。

 旅に出かけたのにコンビニやスーパーのお弁当では味気ない。できれば訪れた地域の温かい食事をいただきたい。だけど食事の提供が無いからといってゲストハウスを避けていると、いろいろなことを見聞きする機会を失うことがあるかもしれません。

 カーブが多く、視界は利かない。勾配があるので、ブレーキも掛けにくい。保安設備は少い。工夫をふくめて沿線の人はスピードに馴れていない。何しろ、周囲がのどかすぎるー そうしたローカル線へ特急列車が走り込むこと自体が、むしろ、まちがいなのではないか。
 一時間でも早く目的地へ着きたいという旅行者の心理を棚上げして、わたしは特急列車そのものに批判的になった。

 別世界ー。
 わたしは、特急列車の車掌たちを、別世界の人と感じた。
 だが、どうやら世の大勢にとっては、別世界は逆の側にあるらしい。列車の人々こそ、尋常な社会の市民、それも堂々たる先駆的市民であって、感傷にふけり酒のみの男とともに在ろうとするわたしの方が、別世界の住人であるのかもしれない。

(中略)

 あの男も、別世界の人間であった。そして、事実、別世界へ旅立って行った。この世の別世界の住人は少くなる一方であろう。 城山三郎著『硫黄島に死す』「断崖」(新潮文庫)より

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