小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2020/09/13

過去掲載した編集◇コラム33

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山裾の異空間 -2020夏 (20/09/13)

 目も眩む強力な日差しと、蒸されて焼かれるような熱気... 2020年夏のピークはとても戸外で活動できるような気候ではなく、少しでも涼しいところへ行こうにもコロナ禍のため県外への移動は自粛。低山ではあるけれど山裾の小さなカフェを再訪しました。

 倉庫のような外観も、一見さんを拒むかのような入口も、以前訪れたときと何も変わらず、窓がほとんど無く照明も落とした店内は真夏の昼過ぎなのに薄暗く、そしてギリギリまで弱い空調のためかかなり暑い。吹き出した大量の汗が落ち着くまで、団扇をお借りしてしばらく、おそらく15分以上は扇ぎ続ける羽目になりました。

 「しばらくぶりですね、どうされているかと思っていました」
カフェのおねえさんが優しい言葉をかけてくださいます。前回訪れたときからもう1年近く経っているというのに、憶えてくださっていて恐縮です。
 薄暗く、装飾をはじめ刺激がほぼゼロの店内に、戸外の蝉の声が容赦なく入ってきます。が、まだ盆休み前にもかかわらずクマゼミよりもヒグラシが優っているように聞こえて、うるさいどころか夏の季節音として趣を感じるくらい。

 都市部からかなり離れたロケーションであらゆることのリズムがゆったりなのでしょう、オーダーから30分近く待って供されたコーヒーは、中煎りらしい酸味が多少強めながらしつこくなく、豆が持っている力強さや鮮度が生きている、夏らしい逸品でした。


 ふー。

 ゆったりとコーヒーをいただいていると頭の芯が痺れてくるよう。私の意識が、徐々にこの山裾の地域にシンクロしてきました。
 もう何も考えない。暑さのせいもあるかもしれません。ふだんはあれこれ浮かぶ思考や雑念が何も出てきません。決して眠いのではありませんでした。意識ははっきりしています。というか、意識側から無意識側へと主導権を渡していました。私自身の意識はカラッポ。そしてなぜかこのカラッポが心地よい。
 意識にとって、無意識が何をしているのかはわかりません。そもそも自分自身がどこにいて何をしているかもわからなくなってしまっています。まぁいっか。たまにはこういう過ごし方があってもいいでしょう。
私の無意識は、きっとどこか3次元ではない異次元を旅していることでしょう。もしかしたら一時的に彼岸に戻っているとか、里帰りしているのかもしれません。


 気づくと2時間近く経過していました。薄暗い店内で誰とも喋らず、景色を見ることもなく、スマホや雑誌も見ず、眠ってもない。何もしていないのに心がすっかり満たされていました。なぜだかわかりませんけど他所ではこうした体験はほぼ皆無。少し名残惜しいけれど退散します。


 自宅までの帰路は相変わらず暑く、何かが解決したわけでもないし、ラッキーなことが起きたわけでもないけれど、ただただ淡い幸福感に包まれていたのでした。

「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」 コレアンダー氏はいった。
「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな。きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」 ミヒャエル・エンデ著 『はてしない物語』(岩波書店)より

用品取り付け失敗にうろたえた話 (20/08/02)

 5月に納車されたGSX250Rを使いやすくするために用品を取り付けていました。時間が空いた休日の午後から電源を取り出し、ナビ用の配線とレーダー探知機用の配線を進めたものの思ったようにはいかず、配線作業だけで夕刻になってしまいました。
 もうこの日はアクセサリーバーをトップブリッジに取り付けて終わりにしよう、取説に目を通し、記載の通りにハンドルクランプブラケットのボルトナットを外す作業に着手。トップブリッジ裏側の少し奥まった場所にあるナットを緩めようとするも、手持ちの工具では力をこめても緩む気配がありません。それならとボルトを先に外そうと考えたのが間違いのもと。この場合、緩み止めになっているナットを外すのが先だったのですが、そのときは何も考えずに外すことだけで頭がいっぱいでした。

 それでも左ハンドルのボルトは運良くボルトが緩み、ナット共々外すことができたのですけど、右ハンドルのボルトがびくともしません。そろそろ日暮れでした。こんなところで中断したくない。冷静さを欠いた私は、六角レンチに延長パイプをあてがい、渾身の力をこめて幾度めか... グニュー、というか、ウニュ、というか妙な感触が手に伝わりました。ですがまだボルトは緩んでいません。ええい、とにかくひと区切りつけよう。改めて力をこめると嫌な感触とともに折れたボルトが外れ、動転した私はその折れたボルトを取り落とし、タンク下方のカウル内側のどこかへ転がって行方不明になってしまいました。折れたボルトの残りと外れないナットはトップブリッジに留まっています。

 なんということでしょう! 右ハンドルのブラケットは思いもよらない形で外れ、今度は固定できなくなってしまいました。ブラケットをフロントフォークの上端に被せても固定できず、ブラブラ動いてしまいます。アクセル操作はもちろんブレーキ操作もできず、バイクを降りて押し歩きすることすらできません...
ハンドルがグラグラしないようブラケットを固定しようにもボルト取り付け穴には折れたボルトが残っていて、別のボルトを持ってきてもネジ山にかかりません。走行距離5kmの新車なのに自走不能、かつ押し歩きも不可能な、深刻な事態に陥ってしまったのでした。こうなってしまうとショップに駆け込むこともできません。呆然としているうちに辺りが暗くなってしまいました。

 動転した頭の中を考えがあれこれと次々浮かんできます。自力でトップブリッジを外してショップに持ち込めばいいのだろうか、しかしサービスマニュアルも無いのにどうやって... キーシリンダー部分をうまく外す自信などありません。もうこうなったらレッカーか。自宅周辺の狭い道路にレッカーを呼ぶのも気が引けますが、押し歩きができない以上、自宅前まで来てもらうしか、あっ、来てもらっても積載するのにハンドルを持って押せない状態なんだけどどうするんだろう? それとも超硬ドリルを買ってきて残ったボルトを破壊すればいいのか...
 ぐるぐると答えの出ない不安ばかりが頭の中を駆け巡り、私は自分自身の器があまりに小さいことにも動揺しておりました。50歳代半ばだというのに、自らのミスが招いた事態にすっかり落ち着きを無くしてしまった自分に失望しておりました。こんなに小さいオッサンはカスタムとか整備に手を出すべきではないのでしょう。


 満足に眠れない一夜を過ごした翌朝早く、ともかく自力でできる範囲のことはやってみようと行動を始めました。折れたボルトとナットが固く締まったままトップブリッジに残り、しかもボルトにはネジロック剤が塗布してあるという最悪な状況です。まずはナットを外すのが先であり、前夜調べたネット情報を参考に、ロングレンチやヒートガンをホームセンターへ調達しに行こうと考えました。
 その前に、ホームセンターが開店する前の時間に、手持ちの道具で試してみます。折れたボルトが残った穴にドライヤーの熱風を十分に当て、トップブリッジ裏側に残ったナットをハンマーで叩く。手持ちの工具でナットが緩まないか試す。この手順を繰り返すこと3度ほど、びくともしなかったナットが緩みました! 熱とハンマー打撃、勉強になりました。

 まだ問題は解決していません。折れたボルトがネジロック剤で固定されたままです。大きめのペンチやウォーターポンププライヤーで回そうとしても滑ってダメ。ドライヤーの熱を当て、ハンマーで叩き、を繰り返してふと気づきました。工具の大きさは小さいほうだけど、もしやネジザウルスならひょっとして... 果たしてネジザウルスは折れたボルトをがっちりと掴み、とうとう外すことに成功しました!

 まだ終わってはいません。GSX250Rの取説書を見ながら左側のアンダーカウルを外すと、折れたボルトが転がり落ちました。 ふー。 どっと疲れが押し寄せてきました。まだ午前中ながら、一日分の体力を使い果たした気分です。これで件のアクセサリーバーをフツーに取り付けることができました。


 シリアスな展開を期待した方々にとっては面白くないでしょうし、結果から経緯を振り返れば、至極当たり前のことが起きたに過ぎないのかもしれません。でも当の本人にとってはショップに持ち込んだりレッカーを呼ばずに済んだのは、実に幸運だったと思っています。
 ただ、少なからずショックだったのは、己の小ささ、浅さを改めて思い知らされたことです。長いことバイクライフを積み重ねたつもりでしたが、ただただテキトーに過ごしてきただけ、経験も修養も全然足りないことを再認識したのでした。

 そうした浮遊的なところ、しっかりとした筋金の足りなさといったものは、自分に思想的もしくは宗教的な何らかのバックボーンがなかったことが(主な)致命的ともいえる因であったと、いまは確信しています。それぞれの作品を眺めてみれば、その場その時の、体系的なものがない山の一塊(ひとくれ)ずつにすぎません。熱湯の湧き出る泉脈もなければ雄大な山並みもなく、それゆえ常にテーマを探して漂流(さすら)っていなければならなかったという、先の弱点にも通じる困難さがつきまとうことになります。それは、たとえ一時的な成功をもたらしても、いずれ壁に行き当たることが避けられない、あやふやで不安定な資質でもあったのです。 プラ・アキラ・アマロー著『出家への道』(幻冬舎新書)より

一人で過ごす、ユルい休日 (20/07/12)

 2020年7月上旬現在、緊急事態宣言は出されていませんが、外出自粛が求められていたこの春、ステイホームを余儀なくされ、自宅で過ごす時間が増えた方々は多いと思います。
 単に外出できないからという理由だけでなく、それ以前はメディアやネットの情報に左右されて観光地やレジャー施設へ出かけていたのに、トレンドが変わると遠くへ出かけなくてもさほど不満はないどころか意外にインドア派だったようだと感じる方々も少なくないと想像します。己の価値観なんて実は不確かで他人に影響されやすいのかもしれません。

 5月下旬の休日、125ccスクーターのSWISHに乗って、少し離れた持ち帰り専門店に出かけ、サンドイッチを購入した後で近くの河原で一人、ランチタイムにしました。特に景観が良いところでもなく、周囲には誰もいません。
 まず共感から始まる女性的思考に対し、男性的思考は批評から入ると聞いたことがあります。もっとマシな過ごし方があるだろうとか、せっかくの休日に一人で食事しなければならない寂しい中年男だと思われたかもしれません。
 私は男性ですので、こんな河原でサンドイッチをつまむなんて今まで自分は何やってたんだろうと過去を振り返ったり、この先どうなるんだろう、と未来に思いを巡らせたりすることもあります。しかし批評をするために河原に来たのではありません。ただボーっとしたかった。コロナ禍で疲れた神経を休めたかった。ネットもTVも音楽も、要りませんでした。

 川に架けられた鉄橋を時々行き交う新幹線に、おそらく乗客はゼロに近いのでしょう。
特に手入れもされず放置された河原は草木が生い茂り、なんだかカオスな様相でもあります。人間の都合に合わせるのが自然ではない。こんなカオスな、だけど生命力とか、時に脅威を感じるのが本来の自然です。
 あれこれ考えるのを止め、目の前の景色に集中すると、様々な野鳥の声が耳に入ってきます。スズメ、ヒバリ、ウグイス、ムクドリ。ツバメやサギの姿もチラホラ見られます。

 足元に目をやると、忙しそうに動き回るアリの中に見慣れない小さな虫がいます。アリよりも小さいのにどこか見慣れた形... あっ、バッタだ。小さいながらも立派な後ろ足はまぎれもなくバッタです。まだ生まれてあまり日にちが経っていないのでしょうか、その後ろ足を、伸びをするように時折一所懸命伸ばしていました。バッタに意思があるのかどうかはわかりません。時期と気象条件がそろえば己の意思に関係なく生まれて伸びをし草を食んでいくのかもしれません。シンプルです。でもどこかいじらしくもあり、少し元気をもらったような気もしました。

 そんな過ごし方に意味があるのか、しあわせなのか、と問われるかもしれません。私はその問いに答えることはできませんが、他の生き物たちと同様、人間だって実はシンプルに生きていいような気がします。河原で過ごす間、私は過去を悔やむことも先々の心配をすることも忘れ、シンプルに、“いま、ここ” に集中していました。

 ぼくなりにまとめると、人は常にその人がおかれた環境から答え(態度決定)を求められている。しあわせとは、問いに対する態度決定によって結果的にもたらされる状態であって、自分の主体的意思によってコントロールできるものではない。したがって、何らかの行為を行えばしあわせになれる、ということにはならない。未来のしあわせを目標にするのではなく、「いま・ここ」にある個別的で具体的な問いに答える責任があり、どう答えるかが重要なのだ。これが、強制収容所の過酷な現実の中で、事あるごとに態度決定を余儀なくされたフランクルが得た結論である。 西きょうじ著『さよなら自己責任 生きづらさの処方箋』(新潮新書)より

さよならZZR250 (20/05/24)

 23年以上に渡って乗り続けてきたカワサキZZR250を、手放すことに決めました。
年々メンテナンス費用がかかってきていたものの、新型コロナ禍で先行き不安な中、手入れしながらしばらく乗り続けることもできたでしょう。数か月前までは考えてもいませんでしたが、しかし乗り続けようという気持ちが正直切れてしまいました。
 乗り続けるという変なこだわりとか執着から解放されるタイミングでもあります。それに僅かばかりの小遣い備蓄分を、いずれ家計に回すことになってしまうかもしれません。そうなってしまう前に旧いZZR250を乗り換えておこうと考えたのも一つのきっかけでした。

 ショップで査定をお願いすると、値段はつかず、引き取っても廃車することになると言われました。23年も前の250cc、走行距離55,000km弱では価値がないのも無理ありません。もう十分楽しみました。むしろこの期に及んでいくらか取り戻したいという浅ましい気持ちと決別できて良かったと思います。
 価値がないためそのままハイサヨナラでも構わないのですが、なぜかそんな気持ちになれず、できる範囲で元の状態に復元することにしました。

 アッパーカウルとサイドカバーを外し、ガソリンタンクを外しました。わりと多く残っていたガソリンの一部をスクーターのSWISHへ、さらに四輪車へと移します。セコイ話です。貧乏性はいつになっても治る気配がありません。続いてETC車載器を外していきます。配線がしっかりと固定されていてプロの仕事であることがわかります。外すのに少々手こずりました。

 ETCをつける前もつけた後も、高速道路を利用してあちこち出かけました。オフ会も数多く開催させていただき、意外に多くの参加者に恵まれました。ZZR250があまり優秀なバイクではなかったからか、個性的な方々や比較的穏やかな方々が多かったように感じます。ありがたいことです。

 ETC車載器に続き、ナビ配線とレー探を外しました。ヘッドライトバルブやテールランプバルブをノーマルに戻していきます。
 カウルのスクリーンも約20年振りにノーマルへ戻しました。簡単そうに見えますが、カウルを固定するウエルナットの付け替えにひと苦労。外すのはともかく、簡単にははまってくれません。ドライヤーでゴム部分を加温しつつ、四輪用の内装剥がし工具を使い、どうにかこうにか付け替えました。

 このZZR250、ありとあらゆる箇所に手を入れてカスタムしてきました。今思えばカスタムする必要は無かったかもしれません。たくさんの無駄金を費やしたのかもしれません。でも完成度が高いオートバイとは感じなかったことから、乗り始めた当初は少なからずガッカリしたことから、数多くの経験ができたのだと思います。とはいえ他人にとってはそのすべてがどうでもよいことです。

 ミッションブリーザーホースを外し、ノーマルのフィラーキャップに戻します。キャップとOリングをわざわざ購入しました。自分でも何をやっているんだかわからなくなっています。
ナンバープレートフックも外しました。自分で貼ったステッカーを剥がし、次のタンクパッドに取りかかります。ずっと貼ったまま23年間、タンクパッドはガソリンタンクと一体化したかの如く粘着剤がこびりついてなかなか剥がれず、苦労しました。
 もはや保管してないノーマル部品も数多く、すべてを元に戻したわけではありません。作業には10時間、途中休憩を除くと正味8時間もかかりました。価値のない車両に対し、非合理的で、意味の無いことをしているのかもしれません。


 23年と少々の長い期間乗り続けた最後の日、ZZR250はいつものようにグズることなく一発始動。素人整備ながらメンテナンスを欠かしてないせいか、走る、曲がる、止まる、そのあらゆるシーンに不調が無いまま、ショップに引き取ってもらいました。さよならZZR250、今まで長い間ありがとう。あっけない別れでしたが、手放すときはこんなものです。
 自宅に残っていた純正マフラーをきれいに磨き、センタースタンドをはじめ、予備のクラッチケーブル、レギュレーター、Oリングなど整備に使う部品と合わせて中古ショップに売却、買い取り価格¥700でした。私にとっては使い途のない部品、引き取ってくれただけでありがたいです。

 ZZR250を購入後、確か1〜2年で購入したショップが撤退し、ほぼすべての整備を自分で行うはめになったことが、逆に自分で手入れすることにつながり、愛着が湧く一因になったと思います。自己流ではありますが、多くのことを学びました。フォークオイル交換からキャブレター調整、終盤にはオルターネーターカバーを開けてピックアップコイルを交換するなど、数々の貴重な経験ができました。

 ZZR250を手放すことに意味はありません。乗り続ければそれなりの世界が開き、乗り換えれば新しい世界が開く。私が何に乗ろうが降りてしまおうが他人にとってはどうでもいい話であり、私自身は得難いと思っている数多くの思い出も経験も他人にとっては無意味なことです。
ましてや価値のつかない旧いZZR250のカスタム箇所をノーマルに戻すなんて、時間と労力の無駄と言われて当然のことです。

 意味の無いことを積み重ねていくのが、私の道楽であり、日常の一部なのでした。 仕事ではなく趣味としてなぜオートバイに乗るのか、きちんと説明する人がいたとします。趣味や道楽を合理的に説明できるのなら、それは既に道楽ではなくなっているのかもしれません

 人生にはしばしば、そういう時間がある。誰も自ら語らないし誰から語られることもないが、あるはずだ。側溝や、自動販売機の下に転がっていった小銭に手を伸ばしたり、瓶になにげなく差し込んだ指が抜けなくなったり、タイルとタイルの間のもう落ちない黒ずみをこすったり、洗面台の排水溝に落としてしまった母親の指輪を拾い上げようとしたり。そういうときのあらゆる苦闘を「人生の時間」と、誰も思ってない。だけど、仕事や恋愛や、なにか大事な時間を経たのと「同じ」人生の時間上にそれらのこともあるはずだ。 長嶋有著『三の隣は五号室』(中公文庫)より

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