過去掲載した編集◇コラム34
食費のダウンサイジングは失敗みたい (21/02/14)
身体は衰えた。では反対に、ものの考え方や精神は成長したのか。それもなさそうだ。もう精神と身体の安穏以外はあまり望まなくなっている。これは生きる意欲の退化かもしれない。ものの考え方の基調は、どうでもいいではないか、という諦念である。もう自分とちがう考えに反論しようという気がない。めんどうな本や映画は御免である。深夜、サッカーの「EURO」を観たりするほうがよほど楽しい。憎まれジジイになってやる、という人がいるが、そんなこともどうでもいい。自我が摩耗しかかっているのかもしれない。それでも、年をとることは悪いことばかりではない。 勢古浩爾著『結論で読む幸福論』(草思社文庫)より
近年寒さに弱くなり、特に12月と1月はほぼ毎週風邪気味に陥っていました。私の場合、加齢のせいなのか風邪といっても悪寒や頭痛が酷くてもほとんど発熱せず、くしゃみも咳も鼻水も出ません。体力のない高齢者みたいですね。風邪薬を服用しても効いているのか効いてないのかよくわからず、すっきり治ることが少なくて困っておりました。
暖冬だった前年とほぼ同じ服装で過ごしていて、やっと気づきました。身体が冷えてしまわないように普段から屋内でもよけいに着込むべきことに。服装に気をつけるようになってからは風邪気味に陥ることが激減しました。もはや肉体が発する熱は大きく減少、厚着しないまま寒さに抗える年齢はとうに過ぎたのです。
ときどき受診する東洋医学クリニックの先生に、自分の体が発熱しなくなっていることを相談しました。すると、発熱しないのは必ずしも加齢のせいではないと仰る。発熱量が減ったのは筋肉量が減ったから。以前に比べ痩せてきていることを指摘されました。
思い当たることがあります...
収入減に伴い、気分も相応に下降し外食代をセーブするようになっていました。画像のようなモーニングサービスを昼食代わりにすることも日常的になりつつあります。たまにでしたら何ら問題ないのでしょうけれど、こうしたことは一事が万事、徐々に日々の食事にも反映され、外食をあまりしない平日の食事まで食事量が落ちてしまっていました。しかもたんぱく質の摂取量が減り、比較的安価な炭水化物のの割合が増えているようです。
食事量が落ちると筋肉は衰えやすくなります。 筋肉だけではありません。内臓も衰えて食欲が落ちていくことだって考えられます。
食費抑制→ 食事量減(中でもたんぱく質)→ 筋肉減少→ 寒い→ 動かない→ 食欲減少→ 食費抑制、というマイナスのサイクルに陥っているのかもしれません。
大げさかもしれませんが一種の低栄養状態に陥っていたとも言えるでしょう。貧すれば鈍する、の言葉通りであります。
そんな状態で自転車を走らせ、低栄養状態なために必要なエネルギーが足りず、己の体組織を分解してエネルギーとしていた可能性もあります...
まだ鈍したくはない、動ける身体でありたい。
減ってしまった筋肉量を少しでも戻し、発熱するようになっておきたい
別に肉類を食べなくてもオッケーだと考えていましたが、甘かったようです。意識して筋肉の材料となるたんぱく質を含む食品をしっかり摂取、筋肉量を維持するよう気をつけねばならない、そういう年齢になったということです。
食事量増→ 筋肉増加→ 寒くない→ 活動的→ 食欲増進→ 食費増加...
真っ先に切り詰めやすい食費ではありますけれど、どうやた私は食費のダウンサイジングに失敗したようです。食費ではない、もっと別の何かを抑えねばなりません。
健康でいることが、長い目で見れば一番の節約になると思っています。
目先の安さに惑わされて悪いものを食べ続けて、結果病気になってしまったら、節約もあったものじゃありません。
そのときにかかるお金と時間と体力を考えると、健康でいるためなら、少しくらいの出費は辞さないことにしています。
仕方がない場合はさておき、できる限り、自分の面倒くらい自分で見たい。 大原扁理著『思い立ったら隠居』(ちくま文庫)より
アウトサイダーのままでいい (21/01/10)
「心をひとつに」「立場は違っても一体になって」「自分の持ち場に責任を」
「絆」「地域に、社会に貢献」
主体性が無く協調性も無いアウトサイダーの私にとって、社会生活は苦痛の連続。特に会社組織に身を置き、収入を得るためとはいえ垂直統合的な組織内での立ち回りはストレスが倍加するようです。
かつて己を変え、社会に合わせようと努力を続けた末に体調を壊し病に陥った苦い経験から、数々の葛藤と受容を重ね、自分自身がアウトサイダーであることを改めて自覚してから10年あまり。内なる感覚ではアウトサイダーであり続けることに何の違和感もなく、もはや自分を変えようとは思わなくなっていますが、種々の組織との軋轢は少なくなるどころか増加していく一方のように感じます。
日本では特に同調圧力が強く、私のような異端は矯正されるか排除されるかのどちらかに偏りがちであり、組織に貢献しない分子は排除の対象。そうした論理が正しいとされているようです。集団や組織に馴染めない私にとっては身の置き所がないような辛さを抱えるばかりか、もし排除されれば生活苦につながります。
日々の辛さから一時的にでも逃れようと、消耗した心を回復させようと、オートバイで走ったり、自転車で旅に出たりします。自然の中を走って自分自身が生きていることを実感するのはもちろん、出先でいろんな方々にお会いします。組織人ではない人たち、上昇志向とは異なる人たち、身の丈に合った暮らしを大事にしている人たち。
他方、日常に戻ると同調圧力にストレスを感じてばかりで、あたかも毎日が苦行のようであります。
約一年前からのコロナ禍で、様々なことが変化しました。まだこれからも変化していくことでしょう。私自身の仕事や生活にも少なからぬ影響がありますけれど、組織的な同調圧力に対しては、意外にもいくぶん気持ちがラクになっています。
集団社会、特に垂直統合型の組織集団は感染症に対して脆弱な面があるように思います。互いを密接な関係に置き意思疎通を十分にすることで全体主義的に力を発揮するよう組織されていると、未知の感染症に末端が冒された場合は隔離したり排除することになるのでしょうが、ウイルスは地位の上下に関係なく拡がるでしょうから、感染が集団の中央部分に至ると排除することもできず、全体が大きなダメージを被る可能性が考えられます。
一方、集団から離れて位置するアウトサイダーは個々は感染の可能性があっても、急速に感染を拡げる可能性は低い。人類全体の生存戦略の一つとして、アウトサイダーの存在価値は少なくないのかもしれません。感染症に対し優劣を言いたいわけではなく、ただ、多様性の一つという価値。アウトサイダーとは個人のわがままでもなければ矯正すべき性格でもなく、感染症を生き延びるための、当人の意思とは無関係な気質の一つでありました。
アウトサイダーが有用だとは思っていません。アウトサイダーが生き延びても集団を形成することもなく、組織力を持つことも考えられず、人類の発展には何も寄与しないでしょう。
アウトサイダーはアウトサイダーのままでいい。矯正する必要などはありません。組織人たちに理解されなくていい。理解されず距離を置かれること自体に価値があるのです。社会に統率された組織があるのが当たり前なように、組織に馴染まないアウトサイダーが存在するのもごく自然なことなのです。互いの立場や考え方をある程度尊重しながら、多様性を受け入れながらうまく共存していけばと考えています。
なぜこれほど多くの人が、物質的には恵まれているのに、不安を感じているのだろうか。今までになく他人と接続しているのに、なぜ孤独を感じるのか。それが次第にわかってきた。答えの一部は、今、私たちが暮らす世界が人間にとって非常に異質なものだという事実だ。このミスマッチ、つまり私たちを取り巻く環境と、人間の進化の結果が合っていないことが、私たちの心に影響を及ぼしているのだ。 アンデシュ・ハンセン著『スマホ脳』(新潮新書)より
コロナ禍と小さいカフェや食事処 (20/11/29)
まだ第3波が本格化する前、自分自身の何かを確認するかのように、自分自身に何か足りなくなったものを埋め合わせするかのように、休日になるとかつて訪れた小さなお店を再訪しました。
愛知県西部にある小さいハンバーガー店。
初めて食べたチキンバーガーの複合的な香りがすばらしい! バルサミコ酢を使っているそうですが、さっぱりしていてさほど主張せず、バランスが絶妙でやはりオンリーワンの味。その味を通して店主のお兄さんの気持ちが伝わってくるようです。若い店主は私のことを憶えてくださっていて、厳しい時期だけど常連に支えられて客足は減ってないと話してくれました。尾張地方の人々は厳しく、だからこそ手間をかけて真面目に商いをしなければと語る姿が印象的でした。
岐阜県中農地方のなじみの小さいカフェ。
ここも常連客がひっきりなしに訪れているようでした。人格者のママさんとはもちろん、運が良ければ居合わせた常連客と情報交換したり、他愛もない話をさせていただくこともあります。
店の雰囲気が良く、カウンター席で一人静かに過ごしていても手持ち無沙汰にはなりません。この日はシナモンハニーセットをいただきながら、BGMに流れていたルイ・アームストロングに続いて、エラ・フィッツジェラルドをじっくり聴いていました。
愛知県南部にある小さいおうちカフェ。
月替りランチの厚揚げの肉巻きやキノコとインゲンのカレークリーム煮をはじめ、すべてのおかずに妥協がありません。味噌汁もごはに至るまで手を抜いておらず、ある種の凄みすら感じます。カフェのおねえさんは当たり前のことのように、休む間もなく手を動かしています。きっと日中だけでなく営業時間外もずっと手を動かしているのでしょう。それら渾身の品々をいただく資格が自分にあるのだろうか、と自問自答しておりました。
愛知県中部の産業都市のはずれにある小さい居酒屋。
昼はワンコインランチを求める客が集まってきます。自転車で走っていったその日はあいにく途中から冷たい雨が降り始め、店内の端に脱いだ雨具を置かせてもらいました。もつ煮丼の甘辛く濃い目の味が名古屋メシを意識します。何より冷えた体が温まって助かりました。雨なせいか客の出足が鈍いようです。
「コロナでどこもこんなかねー? 夜がヒマすぎて...」と店主のおねえさん。常連の年配客があまり来店しないそうです。私に何かできることがあるのなら僅かでも力になりたい。近くではないし交通の便は良くないし、それに私だってこの先どうなるかわかりませんけれど、できる範囲でまた再訪したいと思いました。
食べていくために働いて稼がねばなりません。ふだん滅私奉公的に己を抑え、閉じ込めて働いている私にとって、小さいお店は何か大事なことを学び、己の立ち位置を考えさせてくれる、なくてはならない場所です。また訪れたい。己を信じ、自分を解放しつつ他者のために働くお店の方々にお会いしたい。料理やお店の空気を通して店主たちの心意気を感じたい。そして、自らはこれでいいのか改めて省みたい。
「なんで、あんなに酔っぱらうのかなあ、男って」
自分のことは棚にあげて、私は思わずつぶやいた。
「辛いんだろう」
「何が?」
「働くのがさ」
「そうなのかな」
「働かざるもの、食うべからず、だ」
そう言っておじちゃんは笑った。
「食うために、働いたのに、今じゃ、働くためにみんな飯を食う」
確かに、と思った。
さあて、とおじちゃんは立ち上がる。
「ちょっと、人助けに行ってくるわ」
そう言って笑うと、丸の内口の方向へと手を振って消えて行った。
あの後、東京駅に行くたびにおじちゃんを探しているのだけど、二度と会えない。
なんでだろう、なんだかすごく会いたい。むしょうに会いたいときがある。
吉田のおじちゃんの魂とあたしの魂のコードはちょっと似てる気がしたのだ。
どこにいるんだろう。どこかで生きていてくれますように。
そして、また会えますように。 田口ランディ著『根をもつこと、翼をもつこと』(新調文庫)より
ダウンサイジング (20/10/18)
約20年前、2万円超で購入した光充電方式の腕時計。劣化した電池を数年前に新調し使い続けていたものの、また劣化したみたいで十分日光に当ててもさほど充電されなくなってきました。
在宅ワークできる身分ではない私にとって腕時計は必要です。でもずっと漸減し続けている私の収入では高価なものは買えず、思い切って980円(税別)のデジタル時計を使うことにしました。アナログ派な私にとって多少抵抗はありましたが、使い始めるとそんな抵抗もなくなりました。
腕時計のアナログ志向というのは、好みというよりも、単なる執着だったのかもしれません。
長かった現役時代も残り約5年、もはや収入が上向くことなど100%ありません。だからというわけでもないのですが、気持ちの上でも上昇志向などこれっぽっちもありません。夢や希望を語る中高年は珍しくないのでしょうが、夢も希望もない中高年だって現実には数多く、むしろ自然なのかもしれないと思うようになりました。
後ろ向きだと揶揄されてもしかたないけれど、生命体としての耐用年数がほぼ終わり、自らの機体は既に下降しているのに機首だけ上へ向けていても意味が無い。潔く機首を下方へ向け、周囲を見渡し、自らが置かれた状況を把握することが大事なのだと考えています。
オシャレなカフェに出かける機会は減り、旅に出かけてもできるだけ安価な宿を選ぶようになりました。無理している感覚はありません。むしろ本来の自分のポジションに戻ってきた感触なのか落ち着く気持ちになることが増えたようです。
昨年セカンドバイクを250TRから125ccのスクーター:SWISHに乗り換えたこともダウンサイジングの一つ。セカンドバイクを所有すること自体が贅沢だと叱られそうですけれど、これはいずれ四輪を手放すことを視野に入れての選択です。通勤にも使っている今の四輪車を、遅くとも約5年後の定年までの間に手放そうと考えています。どうしても必要なときは妻の四輪を借りることもできるでしょうけれど、基本的にはSWISHでこなすつもりです。
雨天時など条件の悪い日は、できれば雨天用の自転車があるといいなあ、などとぼんやり考えています。上昇志向のあった若い時分とは異なり、下降していくことで半ば学生時代に戻るかのようで、ちょっとだけ楽しい。現実には厳しいことばかりでしょうけれど。
今年はメインバイクもGSX250Rに買い換えました。コロナ禍で先の見通しが不透明になった中、手持ち資金を現物に換えてしまおうと考えたことが大きな理由です。23年間乗り続けたZZR250に手間も費用もかかるようになってきた中、ズルズル乗り続けて新しいことを避けているのが実態で、ZZR250への執着を捨てるべきという思いもありました。
趣味としてのオートバイなんてまったくもって贅沢。私の道楽です。刺激は少なくていい。ある程度実用的で、下降していく己の体力に合った、比較的維持費の少ないオートバイが良かった。家計に影響のない範囲でなんとか乗り続けていきたい。
ですけれど先日、勤務先の人事担当に呼び出されました。リストラ宣告かとドキドキしましたが、そうではなく減給通告。それも大幅な減給。ここへきて新型コロナの影響が本格的に及んできたようです。本来ならばすぐにでも減額というところを、額が大きいため、今後3年かけて減らしていく、不満ならば仕事で奮起せよと言われました。コロナの禍中、温情措置に感謝しろということなのかもしれません。奮起と言われても、先の短い私には気力も体力ももうありません。
折しも私より20歳は若いだろう勤務先の同僚が急逝しました。真面目で責任感の強かった彼が、元気そうに見えた彼が、既に現世にいないなんて信じられません。
労働者は消耗品ではない。絞りつくされてたまるか。成果とか貢献度とかに惑わされてはならない。奮起するにしても己自身や身の回りの範囲にとどめるべきだろう。
先月に定年退職した先輩と言葉を交わす機会がありました。「あと5年なんてあっという間だよ」定年後の計画など立てていないと先輩は言います。計画を立ててもその通りにいくことはない、そう言いたかったのかもしれません。
中高年に夢も希望もない。ラクに生きることも叶わない。四輪を手放す時期は、もうそこまで来ているかもしれません。オートバイもスクーターも、いつかはあきらめねばならないかもしれません。
ダウンサイジング ─物事に執着せず、現状に甘んじることなく、我欲を抑え、無理することもクサクサすることもなく、泰然と過ごすメンタルを持つための修行の一つなのかもしれません。
昔はもっと活躍してたのに。昔はもっと大切にされてたのに。昔はもっと女性にもモテたのに。昔はもっと夢があったのに……。 オジサンたちの心の中にいる“昔の自分”は、いつも実際以上にキラキラと輝いているのかもしれません。また、年齢を重ねれば体力や記憶力などには衰えが出てくるものですし、働ける時間が減少すればもしかすると収入が若いときより下がるかもしれません。しかし本当は、それは失敗、敗北、堕落などではなく、「そういう場面を迎えたのだ」ということだけのことでしかありません。 香山リカ著『オジサンはなぜカン違いするのか』
「第2章 キレるオジサン」(廣済堂新書)より
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