小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2022/01/23

過去掲載した編集◇コラム36

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飯田へのソロツーリング2021秋 (21/12/05)

 緊急事態宣言が解除され、10月に入っても日中暑かった日々から一転、ひんやりした秋の空気に包まれました。急激な気温の変化に驚いてある程度の防寒装備をしたつもりでしたが、朝の峠は気温13℃まで下がり、指先が軽いしもやけにかかってしまったような...

 長野県飯田市を訪れるのは1年ぶり以上。松川まで下り、水の手の河岸段丘を望むと、嬉しくもあり、懐かしい気持ちもあり、なぜだかわからないけれど切ない。平地で暮らす民には想像できない、どこか神々しいものすら感じました。

 今回は趣向を変え、市街にあるカフェを初訪問、野菜の多いキッシュのランチを。ふわふわのキッシュは自然な優しい味付けで私好み。やや過剰な印象も受ける感染対策は、長く続いた緊急事態宣言と自粛ムードの影響でしょうけれど、それでも古い蔵をリノベしたという店内は、いつまでもくつろいでいたいと思う、落ち着ける空間でした。

 旧市街の銀座3〜4丁目もりんご並木通りもガラガラ、以前のような客足が戻っていないように見えます。銘菓を求めて菓子販売店を訪れると、顔なじみになっていたおねえさんが私のことを憶えてくださっていて、パッと明るい表情になりました。コロナ禍以前、訪れていた家族連れや年配客が利用するバスツアーはほぼ全滅、ヒマすぎて店舗の掃除をしたものの、もうやり尽くした、と寂しさを隠さず話してくださるおねえさん。今年は松茸が豊作とか、ほかにもたくさんのお話をありがとうございます。私には何もできることはありませんけれど、ゆっくりお話を聞き、お菓子を買わせていただきました。
お気に入りの商品が夏限定で9月までと聞いて残念がる私に、本店なら扱っているはずと、おねえさんが個人店の場所をおしえてくださいました。お礼を申し上げてお店を出て出発しようとしたとき、おねえさんが店の外に出てきて私を呼び止めます。
「本店は今日休業だけと、電話したら今から開けてくれるって」
本当にありがとうございます。またお菓子買いに来ますね。

 おしえてくださった通り、やや狭いけれど交通量が多い国道沿いに、その個人店がありました。松茸の話題(ここでも)や獣害の話など、女将さんと世間話をしながら目的のお菓子を購入いたしました。
 帰路の途中、何度か訪れたことのあるカフェを再訪。店主にお会いするのは3年以上空いていると思いますし、一言二言会話した程度ですけど、私のことを何となく憶えていると仰います。ありがたいことです。久しぶりにいただくティラミスは、相変わらず絶品。元気が出ます。明日からまた頑張ろう。

  天竜峡に新しい観光スポットができたからと店主に勧められ、行ってみることに。
想像以上の規模の “そらさんぽ” 、バスやマイカーで来る観光客には格好のスポットですね。遥か上から眺める天竜峡は美しいミニチュアのようでいて、また違った趣でした。
 次回飯田を訪れるのはいつになるだろう? その次回だって必ずあるとは限らない...
そう思うと一つ一つの出会いを大事にしていきたい気持ちになります。
 帰路は高速道路をやめ、下道を走り続けて久しぶりに疲労いっぱい。だけどこの疲労感すら懐かしくもあります。そんな、緊急事態宣言明けのツーリングでした。

夏のショートツーリング2021 (21/09/26)

 年に1〜2度の訪問になってしまっていますけれど、どうしてもたまに食べたくなる味のハンバーガーショップを、今年も訪れました。小さなお店は変わらず営業されていてありがたい。月替わりの当月バーガーである稚鮎バーガーをいただきました。
自家製パテのポワレと稚鮎のフリット、生レモンのあられ切りを添えてあり、素材も調味料も澄んだハーモニーがすばらしく、生レモンがひときわ爽やかなオンリーワンの味でありました。
 常連客がひっきりなしに訪れていましたが一時客が途切れ、私のことを憶えてくださっていた店主があれこれ話をしてくださり、オートバイに乗り始めたとのこと。四輪車ありきではない、その考え方は私と共通点があるのかもしれません。決して先輩面することなく、店主なりのバイクライフを温かく見守っていければと思います。

 別の日、山方面のとある喫茶店。営業されているのを確認し初訪問しました。年配の女性店主は、初見の私に優しく話しかけてくれ、だんだんと熱を帯びて止まらないほど。ありがたいことです。なんと東京都ご出身だそうで大変なご苦労をなさったとか。でも元気の良さやその熱量、形式にとらわれない柔軟な発想がいかにも東京都生まれ。亡母が存命であればそう離れてない年齢なことや、親戚の伯母を連想させることから、かつて住んでいた東京都を懐かしく想いました。
 この喫茶店には様々な方々が訪れ、中には人生に行き詰った人も来ることがあるそうで、店主なりの気遣いや、距離の取りかたなど、とても勉強になりました。偶然とは思えない出会いでしたが、たくさんのお話をありがとうございました。

 その日の昼、別のカフェを初訪問。他にもお客が何組か訪れていましたが、お一人さまの私を哀れに思ったのか、お店のおねえさんがなぜかひっきりなしに話しかけてくださいます。家庭菜園の話、ジャムづくり、お菓子作り、パン作り... 手作りが大好きなんですね。私も手作業が好きです。相手はオートバイや自転車ですけれど。
 鶏肉がおいしいと感想を伝えると、以前は名古屋市でからあげを主力とするお店をされていたとのこと。初対面にもかかわらず、まるで既知の知人のごとく温かく話をしてくださり、ありがたいことです。

 違う日、久しぶりに訪れた山裾のカフェ。おはぎの小豆餡は抜群の完成度。
ブレンドコーヒーは深いコクと香りがすばらしい。が、この日はなぜかコーヒーをいただくとコーヒーの香りだけではなく、温かい土の香りがします。これっておかしい。根菜類ならともかく、コーヒーは果実の豆。酸味や豆の香りを感じても、土の香りなんてあり得ないはず。だけど何度口に含んでも温かい土の香りがします。幸せな香りです。
 私の味覚がおかしいのかと思いましたが、思い切って店のおねえさんに伝えると、「このブレンドは大地をイメージしていますから」と仰いました。メニューには何も書かれていなくとも、おねえさんがコーヒーに込めた思いは、レシーバーとしての私にしっかりと伝わったのでした。


「お乗せしたら彼女の方から話しかけてきて、末期がんであと半年の命と宣告されたけど、抗がん剤のお蔭で少し進行が止まったから久しぶりに飲みに出た、なんておっしゃるわけです。重いですよ。いい方向に向かえばまた飲みに出られますよ、またお会いしましょうとしか言えませんでした」
 この女性の前にも、Nは余命三か月という末期がんの患者を乗せて、認知症気味の母親にがんのことを伝えるべきかどうかと相談を持ちかけられている。どうしても、聞き役に回ってしまう性格らしい。 山田清機著『東京タクシードライバー』(朝日文庫)より

ワクチン接種の選択 (21/09/05)

 感染者数も感染者増加のペースも、過去いずれの波を大きく超えると報じられている第5波。前月2回目のワクチン接種を終えた私ですが、安心していいのかどうか、3回目の接種を覚悟しなければならないのかわからないまま、2021年9月初旬現在、緊急事態宣言の中を過ごしています。

 私自身、軽くはない副反応に翻弄されましたが、私の周囲でも副反応に苦しんだ話を聞くことが増えました。腕の接種部位が腫れただけというケースもあれば、幾日も高熱が続いて病院へ行く羽目になったというケースもあり、個人差がとても大きいようです。血縁関係にあっても似たような副反応が起きるとは限らず、予測不可能な面もあるようです。

 一方、少数派になりつつある傾向でしょうが、「ワクチンを打たない」選択をする方々の話を聞くこともあります。持病を抱えているなど事情のある方々のほかに、自らの意思で接種を受けない方々もいます。「異物を自身の体に入れたくない」「遺伝子が書き換えられてしまうから」「変異株に対して効果が低いから」などなど。中には陰謀説を主張する方もお見えだと、比較的身近なカフェで聞いたこともあります。
 世相的に自身のお考えを発言するのが憚られるでしょうけれど、勇気をもって発言されたことに敬意を表したいと思います。ワクチン接種は自由ですし、周囲に合わせる必要はないでしょう。「全員接種しなければならない」と他人に強制するほうがむしろ問題だと考えます。変に聞こえるかもしれませんけれど、接種派と非接種派が共生するほうが自然で、おそらく生物学的にも人類存続の可能性を高めているのではないかと思います。

 ではなぜ私自身はワクチン接種を選択したのか? 皆打っているから、重症化リスクを避ける可能性があるから、感染を拡げないため、...
 いずれも当たっているようでいて、核心を突いた理由にはなっていません。自分でも一つに絞れませんが、最も強かった思いは「それなりの異物を体内に入れたい」。
 マスクや手洗いなどが当たり前になってから1年半、新型コロナウイルス以外のウイルスや細菌に接する機会が激減しています。インフルエンザのワクチンだってもう10年前後打った記憶がありません。刺激が少なければ、自身の抵抗力も衰えていくことでしょう。

 こんな発想をする背景には、若かりし頃自転車で海外を走った経験から。日本で安全性の高い水や食べ物にすっかり慣れきった体にとって、相対的に衛生面で多様な環境だと思われる地域ではたいてい腹を壊して苦しみました。しかし私の場合、初めのうち苦しんでも、その後尻上がりに持ち直して帰国するころにはすっかり現地に適応していることがほとんどでした。つまり体力などの筋力と同様、免疫系もある程度の負荷をかけないと力が落ちていく、そんな考えが根底にあります。だからといってやたらと多種多様なものを体に入れるのは逆効果ですし、石油化学製品の類も私の身体と相性が悪い傾向です。でもこのワクチンなら、全世界である程度の数の人々が接種しているなら、衰えているであろう自身の免疫系に刺激を与えるという思いで接種に臨みました。
 変わってると言われようがどうでもいいことです。そんな思いですから、ワクチンの効果が100%だという期待はありませんし、個人差が大きい可能性もあるだろうと考えています。

 もし一般向けに3回目の接種が始まったら... 2回目の副反応が大きかったので今は全然考えられませんけれど、半年以上経って健康だったら、免疫系に活を入れるために接種を希望するかもしれません。

 いずれにせよ、ウイルスを排除するメカニズムは抗体だけでなく、自然免疫もT細胞も重要です。場合によっては抗体ができないままウイルスが排除されることがあります。ウイルス感染の疫学調査として、抗体を持っている人の割合を調べて社会の中の感染経験者数を推定するという方法がありますが、新型コロナウイルスについては抗体を十分に作らない人や、いったん作っても抗体が消えてしまう人もいるので、この方法は必ずしも適切ではありません。 宮坂昌之著『新型コロナ7つの謎』(ブルーバックス)より

Separate Lives (21/07/25)


 風呂上がりにひと息ついていたとき、AMラジオで80年代のヒットチャート特集を放送していて、聞こえてきたのがこの「Separate Lives」。
哀切を帯びつつも落ち着いたメロディーと美しいハーモニーを耳にしたその刹那、突如突き上げるような感情をこらえきれず、わけもなく落涙しました。この類のことはたいてい不意にやってきます。

 1985年のヒット曲で、知らない曲ではありません。当時学生だった私は洋楽を好んで聴いてはいましたが、幼稚な私はヒットチャートを追いかけることばかり。英語の辞書を引くことはできたものの、歌詞の理解はもちろん、その意味することの想像もできません。ただこの曲の少しオトナな空気に憧れた程度であまり印象には残っていませんでした。 「Separate Lives」のテーマは、端的に言うと男女の愛憎であり、未練がましいようにも聞こえ、好みが別れると思います。

 なぜ私は今になって涙を流しているのだろう。いい年して浮いた話など一つもありません。精算したい過去の恋愛などもありません。今現在の自分の、内面が呼応しているように感じています。決別したはずなのに意識してしまうもの ─ 希望や未来、財産、社会的地位とか序列に、未だにすがりたくなるときがあるということ。
 日常生活ではカネや経済活動が必要で離れることは不可能なものの、心の中ではそれら決別した外的な要素に、情けないことにフラリと誘惑されることがあります。葬ったはずの自尊心が揺り起こされるときがある。もうたくさんだったはずなのに。

 主体性が無く、協調性も無いアウトサイダーとして迷わないはずなのに、カッコつけてレシーバー気取りのくせに、実は埋めることのできない淋しさを抱えているのかもしれません。私は寂しい。寂しいことを隠そうとせずに認めなければなりません。偉そうなことを言っていながら内面を確立できず、外的な価値観にフラついている、不器用で弱い自分を認めなければなりません。

 いいじゃないか、情けなくとも。フラついても。人間はそうした、迷う存在でもあるのでしょう。違う価値観を憎み合い、排除する必要はありません。同じ時を過ごしていようと、別々の世界を生きればよい。共生していけばよい。
 美しいハーモニーに、今の私の、弱く無様な姿がダブるような気がします。

 でも、やはり生き難さは消えなかった。どうにも淋しくてむなしくて、満たされないのだ。なにかが足りない。なにが足りないのだろうか。愛だろうか、成功だろうか、名声だろうか。私を満たしてくれるものが必ずあるはずだと思った。だが、なにをやっても満たされない。
 寂しさむなしさを自分の人生の友とするまでに四〇年以上もかかった。 田口ランディ著 『生きなおすのにもってこいの日』 (バジリコ株式会社)より

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