過去掲載した編集◇コラム37
春の変調とプチツー (22/05/08)
何だか自分と労働、自分と工場、自分と社会が、つながりあっていないような、薄紙一枚で隔てられていて、触れているのに触れていると認識されていないような、いっそずっと遠くにあるのに私が何か勘違いをしているような、そんな気分になってくる。私は何をやっているのだろう。二十何年生きてきて、まともに喋ることも、機械以上の労働をすることもできずにいる。 小山田浩子著『工場』(新潮文庫)より
例年と異なり、ゆったり花見を楽しむ機会を持てなかった2022年春。春特有の大きな寒暖差による自律神経の疲弊や、やや遅れて大量に飛散した花粉のほか、新型コロナウイルス第6波、3月に接種したワクチンの副反応が長引いたこと、年度末の慌ただしさ、減給に物価高、ウクライナ侵攻...
脳は先行き不安、心(神経)はとにかく休んでいたい。なのに4月上旬になると暖かさが続いたことから身体が動きたくなってくるというチグハグな状態に陥り、もうどうすればいいのかわからなくなっておりました。
何がいいのかわからないけれど、あれこれ考えずにとにかく走ろう。しばらくぶりにGSX250Rに乗って、山方面へと向かいました。
標高が上がると少し寒い。平野部ではほぼ散ってしまった桜も、山間部では散り始め。早めの時間帯に、客が少ないカフェでゆっくりとモーニングコーヒーをいただきながら、頭を空っぽにします。ボーっと景色を眺め、野鳥のさえずりを聞いていると、神経が休まっていき、里山の自然の中で過ごすことが何だかリハビリになるように感じました。
ゆったりした気分になって山を下り、昼食向かったのは、前年に2度ほど訪れ、気に入ったカフェが移転、リニューアルしたお店。かつてはやや不便なロケーションで、民家を改装した店舗で駐車スペースも十分ではない代わりにゆったりと落ち着いた空気でした。
移転先はガラリと変わって幹線国道沿い、広い駐車場完備。道から建物がよく見える、典型的な店舗スタイル。せわしなく落ち着かない空気に包まれています。賑やかな店内は大声で会話するグループばかりで、以前とは客層がずいぶん異なり、手軽に訪れてほどほどに満足したい層ばかりに見えました。周囲をはばからない声高な会話や、スタッフを呼びつけてあれこれ要求する方々... このカフェを目指したわけではない人々、目先の損得にご執心な人々、共感することもない人々。ごく狭い範囲で強い内集団バイアスが現れている人々。
何を考え、どう行動しようと自由だと思いますけれど、私はこのような人たちが苦手です。直接関わってないにせよ、心が消耗してしまいます。しかしこの状況はおそらく店側がある程度意図した変節なのだと思います。私は何も意見できる立場にはなく、店長やスタッフの選択を尊重いたします。
会計の際、カフェのおねえさんに話しかけると、私のことを憶えてくださっていました。「大賑わいですね」と私が言うと、おねえさんは「そうなんだけど...」と、それまでの営業スマイルから、一瞬だけ曇った表情を見せました。私に対してそれまでの張りつめた気持ちを解いてくださったかと思うと少し嬉しい。
なんだかこのまま帰宅する気になれず、混雑する市街を抜け、少しだけなじみの小さなカフェを目指しました。スタッフのおねえさんもお母さまも、私のことを覚えてくださっていました。ありがたいことです。
カウンター席の前に拡がる田園風景を眺めながら、落ち着いた、優しい空気の中。ゆったりと過ごします。ブレンドコーヒーは相変わらずおいしいし、オレンジのケーキはクドくない、手作りの優しい味が嬉しい。昼に消耗した心が癒されていくようでした。
思い悩んでじっとしていても、考えてもしかたがない。何かが解決するわけではありませんけれど、とにかく活動すること、日常から解放される時間が必要なことを改めて認識したプチツーでした。
しかしまあ、帰れるとなれば帰ろう、帰ろう。せっかくなので、少し工場の中を歩いてみようと思った。兄の匂いのする家にさっさと帰って、自分の今の内面と向き合いながらテレビを見て無為に夜を迎えたくなかった。こういうときには体を多少動かすのがよかったはずだ。 小山田浩子著『工場』(新潮文庫)より
批評する中高年たち (22/03/27)
まだ真冬の寒さが続いていた2月。新型コロナウイルスのオミクロン株感染者が爆発的に増加を続けていて閉塞感に覆われる中、遠くない喫茶店を初訪問。周囲に自然が残る環境の中、比較的新しい、ウッディで開放的な店内が好印象でした。
コーヒーと抹茶ケーキをゆっくりと味わっていると、常連客らしき方々が次々に訪れてきて、地域に愛されているお店だということがよくわかります。
常連客と思しき一人の男性がカウンターに着席、据え付けられたTVを見ながら、何やら喋っているのが聞こえました。どうやらプロ野球オープン戦を鑑賞しているようです。喋り声は徐々に大きくなり、お店のママさんも加わって、あーでもない、こーでもないと話し声が聞こえます。男性はひときわ大きな声で「あー、ダメだ」と叫びました。ひいきのチームの選手が何か失策したのでしょうか。
気にしなければどうということはないのでしょうけれど、私はこのような、他人を批評する方々が苦手です。特に他人を突き放して終わり、というタイプの批評。他人を批評する方々は、男女の別なくどこでも目にすることがあります。噂レベルから、糾弾めいた攻撃をするレベルまで様々。
私も他人のことは言えません。若かりし頃は他者を批評することを、無意識に行っていました。しかも突き放すような批評を。
今振り返ってみると、当時自らの考えで批評していたかというと、違いました。判断基準は、常識とか世間とか、つまり多数派の考えでした。多数派の考えを自らの考えに置き換える安直な手段によって、自分自身が多数派に属しているような錯覚をしていたのだと思います。自分は多数派であり、多数派の一人として他者をジャッジする。誰からも頼まれていないのに。
多数派の考えをもとに他者を批評し攻撃することで、その行為を周囲の多数派に同意してもらい、自身のちっぽけな自尊心を満たしていた、残念な時期がありました。
人間は一人では生きていけない、社会的な動物です。集団からはみ出すことは生きる上での困難が増大する以上、集団に属すること、属していると確認することは大きな関心事なのだと思います。一方で小さくない自尊心を持っていて、自尊心を満たすような行動をとりがちという、やっかいな生き物でもあります。私も集団構成員の一人として多数派に属していたかったのだと思います。ですが、そのまま年を重ねていくことは叶いませんでした。
空気が息苦しい。しかし、私に他人を批評する資格は無いし、多数派に属することもない。抹茶ケーキを急いで頬張り、早々に喫茶店を退散しました。おそらく二度と訪れることはないでしょう。
集団行動が不得手な私はマジョリティではなく、マイノリティなアウトサイダー。批評する側ではなく、逆に批評される側だったのです。仕事関係でも、叩かれたり、ネタにされることも少なくありません。アウトサイダーとして生きていくことを覚悟したのに、世間の判断基準に惑わされない決意を固めたのに、批評されると少なからず動揺する、弱い自分が出てしまうのでした。
他者を批評する場面を目にしても泰然としていられず、いたたまれなくなるのは、内面の奥底では多数派コンプレックスや、屈折した自尊心が燻っているのかもしれません。
私は由宇を見上げた。由宇は私より少し背が高くなっていた。
「いいなあ。由宇はきちんと洗脳されたんだね。私も早くそうなりたい。私は智臣くんみたいに、『宇宙人の目』に憧れてないんだ。はやく、『地球星人の目』を手に入れたい。そうしたら、きっとすごく楽になれるのに」
由宇は溜息をついた。
「……奈月ちゃんは、子供のころとまったく変わらないんだね。本当に冷凍保存されてるみたいだ」
由宇は私を軽蔑している。けれど、私にも、どうすることもできないのだった。
「宇宙人の目」は、私にダウンロードされてしまった。その目から見える世界しか見ることができない。私だって「工場」の一員になってしまったほうがずっと楽だとわかっていた。 村田沙耶香著『地球星人』(新潮文庫)より
乗り物多すぎ (22/02/20)
約9年間カバーをかけただけの屋外放置を続けていた自転車:小径車のDAHON Visc P18を、2022年1月に再生。これで私自身が使う乗り物は四輪車と二輪車合わせて合計7台になってしまいました。普通1台でしょう。ご近所の方々も四輪車1台ずつが大半です。四輪車のほかに自転車あるいはオートバイを所有したらしい方々を見かけることもありますが、たいてい長続きしないようです。
私の居住地周辺だけかどうかは定かではありませんけれど、自転車は高校生までの乗り物、大人になったら自転車を卒業して四輪車、という通念があるようです。そのような通念をお持ちの方々から見ると、一人で7台所有というのはずいぶん頭のおかしい変人ということになるでしょう。反論できる材料など何一つありません。すべて私の計画性の無さや優柔不断さが招いた結果。生活設計ができてないと指摘を受ければその通り。お恥ずかしい限りです。
一般的な方々に理解されないばかりか一部マニアの方々にも理解困難だと思います。
7台とはいえ、いわゆるコレクターには当たらず、高額な車両もなければ最新式の車両もビンテージ車もありません。価値ある車両、自慢できる車両は何一つ無く、どちらかといえば普及価格帯の何でもない車両ばかりであります。
そんな7台を、2022年現在、以下のように使い分けています。
まず四輪車。
TOYOTA AURIS:フツーの2BOX
自転車通勤しない日の通勤と、帰省のみ。
続いてオートバイ。
SUZUKI GSX250R:ツアラーテイストな250ccスポーツバイク
主に片道50〜100km以上のツーリングのほか、カフェや食事処への移動に。
SUZUKI SWISH:コンパクトな125ccスクーター
近郊の用足し、概ね片道50km程度までのショートツーリング。
そして自転車
RALEIGH CRN:クロモリフレームのツーリングバイク
宿泊を含めた自転車旅、片道20〜40km程度のサイクリング、良好な条件下が多い。
ARAYA Diagonale:レトロ風ツーリングバイク
片道10〜30km程度のサイクリング、たまに自転車旅、悪条件でも運用。
RALEIGH RFL:ベーシックなアルミフレームのクロスバイク
車通勤しない日の通勤、近所の用足し、概ね片道15km程度までのサイクリング。
DAHON Visc P18:フォールディングバイク(小径車)
近所への買い物、概ね片道5km程度まで、カフェや食事処への移動に。
使い分けていると言えるほど、もはやはっきり区分できているわけでもなく、この中で最も乗車頻度が高いのは、実用性の高いクロスバイクのRALEIGH RFL。便利で快適なはずの四輪車は年々稼働率が低下していっています。どうしても1台に絞れと言われたら、四輪車は手放してクロスバイクを残すことになるでしょう。ほぼ車社会の居住地域にあっては、異端中の異端であります...
なぜこんなに所有する結果になったのか自分でもよくわかりません。ライフスタイルが変わったり、物欲に負けて購入するのはしかたないとして、1台購入したら1台手放せばよかったのですけれど、そうはいかなかった。手放すことが苦手な性分なのかもしれません。そうなってしまった理由として思い当たることがあります。
一つは小中学生時分の、長年にわたる相対的貧困が、以後の人格形成に大きな影響を及ぼしているのではないか... 自分の過去を振り返る後ろ向きなことは気が進みませんけれど、少年時代の格差体験が後年に及ぼす影響の一例として記しておくのは、必ずしも悪いことではないかもしれないと思い始めています。
もう一つはきっと錯覚でしょうが、乗り物との間に信頼関係ができている感覚があることです。乗り物というモノに魂が宿るとまでは思いませんけれど、乗り手が手をかけることである種の質感が備わるような気がします。
私自身が不器用で歪んだ性格のため、他人とうまく信頼関係を築けない代わりに、モノとつながる、いえ、モノを介して作り手やそのほかの関係者とつながっているのかもしれないと考えています。
福じいは人を見て、ものを売る。彼はこう言った。ものは、だれに売ってもいいわけじゃない。それを持つべき人、縁がある人を待たないといけない。それからつけ加えて言った。「ものは、人に使われて、生き続けるものだ。人に触られているものには『気』が通るからな」 呉 明益著『自転車泥棒』(文春文庫)より
それぞれの中高年 (22/01/23)
2021年師走のある朝。
北西の冷たい風が強く吹きつける朝の時間帯、隣市の隣市、市街中心部近くにあるオシャレなカフェを初訪問しました。客層は女性が8割といったところ。ショボい中高年の私は完全にアウエー。どこの席でもいいですよ、という若い女性スタッフの案内に、迷わずカウンター席の隅を選びました。
私の席のすぐ背後のテーブルに、賑やかなシニア男性3人と中年ぽい女性が着席、テンションが上がっているのか大声で会話するため、嫌でも私の耳に入ってきます。
今度7〜8人乗りのミニバンで皆乗り込んでドライブ、なんてひと昔前の若者のノリで話をしています。どうやら飲み屋の客と、女性はその店のスタッフのようでした。
その場を仕切っているらしいシニア男性を中心に、地域の役員がどうのとか、民生委員とかという話題に混じり、誰それはオレの現役時分の後輩だとか、たまには1軒付き合えと言ってこないだ誰それを呼び出したとか、他人の話が中心ではありけれども、そこには仲間内の序列がついてまわっているようでした。
リタイア後の中高年でも群れることに意識が向いている方々。共通の話題を持ち出し、認識合わせを行い、仲間意識を確認し合う。閉じた世界、狭い世界を中心に、群れの内外をタテの関係を通して判断する。垂直統合志向の方々に間接的ながら接することができた気がして、リタイアも遠くないであろう私にとって勉強になりました。
師走のあるカフェタイム 別の、たまに訪れるなじみのカフェで。
非常に珍しいことなのですが調理担当の大将がフロアに出てみえました。ある女性客が、大将の旧いギターアンプを独力で修理、無事直ったので渡しにいらしたそうです。
女性客に大将と奥様、そこへなぜか私も加わり、あれこれとお話をうかがいました。女性客はややレアな小型車がお好みでFIAT500ツインエアをお乗りでしたが故障続きに気持ちが切れて手放し、今は旧い国産のパイクカーを手に入れたそうです。後部ウインドウからの微妙な雨漏りに悩まされ、修理するほどのものではないからウインドウ下部にビニールの小袋をつけておこうかしらと仰る。手作業がお好きな方でした。カフェの大将も毎日手仕事。オートバイや自転車相手ながら、私も手作業が好き。大将の奥様は、手作業が好きな人たちがこうして偶然集まるなんてすごい、と少々興奮気味。
手作業好きとはいえ、その対象は別々。それぞれがそれぞれの世界を尊重し、序列をつけない。群れない。水平分散志向の方々の世界の片鱗に触れることができ、勉強になります。狭いと感じていた地域にも、多様な方々がお見えです。
師走のある昼時 ある老舗の食堂。
「今日も自転車? 寒くなかった?」
年に数回訪れるだけの私のことを、店のおねえさんが憶えてくださっていて優しく声をかけてくれました。
常連客だけでなく、たまにしか来ない私のことも気遣ってくださり、調理の合間に話をしてくださる。私とそれほど年齢が変わらないであろうおねえさんは、ご高齢で仕事が難しくなってきていたお父様の後を継ぎ、店主として頑張っていらっしゃいます。
決して簡単なことではありません。たまにではありますが、ここ何年も途中経過を見てきた私にとって、このお店を継ぐということがどれほど重く大変なことなのか、ほんの少しだけわかる気がしています。女性として、娘として、子供の母として、他にも選択肢はあるでしょうが、それでも毎日早朝から仕込みを行う店主の道を進む覚悟と努力が美しい。拡大志向や功名心などない。有力者に取り入ることもない。インスタ映えも関係ない。ただ、来店客においしく食べてお腹を満たしてもらいたい、その人類愛的な思いが美しい。一地方の小さなお店、決して広い範囲ではありませんが、閉じてない、水平な世界が、私には眩しいのでした。
大学を卒業後、ひな子は地元の総合病院で事務職についた。
(中略)
ボスザルのような女が小さなサル山を支配していた。ひとりだけ土産の菓子を配らない、というような、わかりやすい嫌がらせを受けていたのはひな子ではなく先輩だったが、毎朝、仕事に行く足取りは重たかった。事務室の隅に置かれていた観葉植物でさえ、彼女に遠慮して立っているように見えたものだった。
あらゆることにうなずき、目立たず、若い男の医師や、ベテランの看護師たちと親しくしさえしなければ、ボスザルは誕生日にマグカップをくれたりもした。
屈していた自分を今でも情けなく思う。だからといって、なにをどうしていればよかったのか。 益田ミリ著『一度だけ』(幻冬舎文庫)より
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