小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2023/11/12

過去掲載した編集◇コラム40

  >目次へ戻る

パソコンとのつきあい (23/10/08)

 このHP(個人サイト)を開設してから、幾度か規模や表示スタイルを変えつつ、20年が経ちます。HP作成と継続に大きく関わっているのがパソコン。パソコンを本格的に使い始めてから、HPと同期間、20年が経ちます。個人的な話題ではありますけれど、この機会に私のパソコン歴を振り返ってみます


FMV BIBLO


HDD換装

 自分自身で本格的にパソコンを購入し使い始めたのが2003年初め。当時仕事が忙しく、家に持ち帰って仕事する必要性から、Fujitsu FMV BIBLOというノートパソコンを選びました。当時徐々には求めやすい価格になりつつあったものの、それでも18万円程度だった記憶があります。OSはWindows XP、CPUはAMD Athlon XP 1800+。このノートパソコン、速度が遅いだけでなくファンノイズが爆音。どうにか耐えながら使い、OSがWindows XPからSP2へとアップデートされるころにはメモリーを追加しても耐え難くなってきたところで故障、5年弱でメインの役目を終えました。その後、ハードディスクを入れ替え、セカンドマシンとしてさらに2011年春まで、計8年以上使いました。


FMV DESKPOWER


メモリー換装

 次のパソコンを購入したのは2007年末。Fujitsuのデスクトップパソコン、FMV DESKPOWERを選びました。OSはWindows Vista、CPUはIntel Core2 Duo E4500で、価格はやはり18万円前後だったように記憶しています。当時としてはそれなりの性能だったおかげで比較的快適に使えたばかりか、メモリー変更やハードディスク換装も容易で、OSをWindows7に入れ替え、さらにWindows10にアップグレードしつつ、メインとして8年半近く運用。その後セカンドマシンとして3年半以上、計12年もの間を運用。使い切った感のある個体でした。

 3代目メイン機を購入したのは2016年春。あれこれ悩んだ末に同じくFujitsuのデスクトップ、ESPRIMOのスリムタイプを選択。価格は10万円少々、OSはWindows10、CPUはIntel Core i3-6100で、それまで使っていたCore2 Duoに比べて劇的に快適化。USBポートを増設した程度で、特に手を入れる必要性を感じずに使っておりましたが、2023年10月にメインの役目を終えました。ハードディスクをSSDへ換装し、サブマシンとして再スタート。私の使い方では不満を感じる場面はごく限定的で、少なくともWindows10のサポート期限まで、あと2年使い続けるつもりです。



Think Centre Tiny


メモリー増設

 最後に現在メイン機として10月から運用開始した、ミニサイズのデスクトップ、Lenovo Think Centre Tiny。OSはWindows11、CPUはAMD Ryzen5 PRO 5650GE。やや型遅れのセール品を5万円弱で購入しました。そのままでも私には十分以上な性能でしたが、自分でメモリーも、SSDも増設し、完全にオーバースペックになっています。デスクトップ型としては極小サイズながら、私の使い方ではCPUもSSDもさほど温度が上がらず、長期間使えそうであります。

 ここまで紹介した、メインとして使ってきたパソコンたちには、使い込んでいくうちにいずれも一定以上の愛着が湧いてきて、手放すときには残念な思いが募るほどでした。


 一方、メインではなく、初めからサブとして中古あるいは新品購入したパソコンやネットブックが数台。いずれもCPUやメモリーがオンボードなだけでなく、交換作業の難易度が高く、ソフト的にはあれこれ苦労はしても、ハード的には何もしなかったケースがほとんど。なぜかこれらのパソコンには、さほど愛着が湧かず、手放すときはわりとあっさりしたものでした。

 オートバイも自転車もそうですが、私の場合、ハード部分もある程度自分で作業してカスタマイズ、いわゆる工作レベルで手を加えていくと愛着が湧いて長い期間使っていけるようです。自力で手を加えることがほぼ不可能なスマホやタブレットは(ハードには)あまり興味がないのもそのせいかもしれません。


 少々イレギュラーなケースが、2019年末に実家で要らなくなったからと、父親から譲り受けたノートパソコン、NEC Lavie。OSはWindows10、CPUはCeleron 3865U。あまりに緩慢な動作に辟易し、自分でメモリー追加に加え、ハードディスクをSSDへ換装してみると、ライトユースならまずまず使えるレベルになり、前出のCore2 Duo機に代えてセカンドマシンとして運用していました。
 ところが動画を見るときや、コロナ禍でリモートワークする機会があると、たまにフリーズするように... Core i3機ではほぼフリーズが無いことから、Celeron(第7世代)の限界なのでしょうか。
 2023年10月にセカンドマシンの座をCore i3機に譲り、サードマシンとして、今後運用方法を考えていきます。容易ではないものの、本体を開けてメモリーやSSD換装を行い、初代メイン機のFMV BIBLO同等に手を入れたにもかかわらず、愛着が中途半端... 手放すには少々もったいない気もするので、いずれ気が向いたらLinux OSなど試してみようかとも考えています。

食に敏感で困ります 〜前編 (23/08/20)

 そばが食べたくなったときのこと。
本格的な手打ちそばは高額なため、ときどき訪れるチェーン店のそばで済ませることにしました。かけそばとかき揚げ丼のセットがリーズナブルな価格で、しかも化学調味料や添加物が少ない印象で助かります。
 たいてい空腹は満たされてもどこか宙ぶらりんな気持ちを伴う程度なのですが、この日は違いました。まったく満たされない。食後胃は満たされたのに脳が渇望状態に陥り、無性にスイーツ系か何かを欲しています。自分でもおかしいと感じ、気持ちが落ち着くまでしばらく我慢しました。
 チェーン店を利用すると、たまにこうしたことがあります。いつもではないので、食材や調理方法が原因ではありません。あくまで私の勝手な想像ですが、当日の調理スタッフが何らかの事情で現状に我慢できずに強い渇望感を抱きつつ作業していた、その波動か念のようなものが伝わってきた感触です。

 別の日のこと。
スーパーで買い物の際、店内調理のピザを見かけ、買って帰ってお手軽な昼食にしました。ところが化学調味料も保存料もキツくはないのに、食後なぜか体調が急に悪化。胸焼けでも胃もたれでもないのに、ただ胸が苦しく倦怠感が激しく、しばらく起きていられなくなってしまいました。このときも食材や調理方法が原因ではありません。勝手な想像になってしまいますが、当日の調理スタッフが何らかの事情で現状に強い閉塞感を抱えながら作業し、その波動か念のようなものが伝わってきた感触です。

 考え過ぎなのかもしれませんし、私が極端な過敏症あるいは虚弱体質なのかもしれません。普段も困りますが、中でも自転車で遠出したときが深刻です。スーパーやコンビニで食品を買うときは手軽には選べないですし、外食する店がどこでもいいわけではありません。
 高級なお店が合うわけでもありません。むしろ高級な店のほうが、あらぬ雑念が籠っていて、かえって具合が悪くなることがあります。もっとも、予算面でも身なりでも高級店を選べる身分ではありませんが... 飲み会なんて、行く店に相当気をつけねばならず、他の方々に迷惑がかかることから、参加することもほぼ無くなってしまいました。

 ともかく困った体質であります。病気のうちに入らないため、薬も無いし、鍛えて克服することも不可能です。コンビニやファストフードで手軽に栄養補給できるサイクリストやライダーがうらやましい...

 君子は一度息を吸って吐いて、唇を片方だけ上げて「悪いけどわたし、辞めるつもり」と言った。彼女は半年続いた。がんばったほうかもしれない。二時間分だけ二百円増しという早朝手当も昼には家に帰れるという話も、いざ始めてみると四日目の静江でさえうんざりしている。女としても職場の戦力としても、必要とされなくなった自分を認めるのは厄介だ。
 静江は「そうなの」と言ったきり、次の言葉が出てこない。やはりみんな、ここに来たら辞めてゆくのだ。自分もいつまで保つかわからない。 桜木紫乃著『蛇行する月』(双葉文庫)より

春の不調と飯田小紀行 (23/06/04)

 例年調子が低下する春先ですが、2023年春は一日の寒暖差が激しいだけでなく、日によって大きく気温が上下したことから、自律神経が疲弊してしまったようです。賃下げショックも少しは癒えたかと思ったゴールデンウィーク明け、新型コロナの5類感染症移行に伴い、数々の制限が解除。晴れて解放された気分、のはずが、どうしたことか閉塞感、孤立感、それに絶望感... 年甲斐もなく五月病に罹ったのでしょうか。
 こういうときは慌てずに落ち着いたほうがよい。原因を探して解決しようとせず、肯定も否定もせずにそのまま受け止めて、できるだけ自意識から離れて客観視することが肝心です。しかしすごく難しい。油断するとマイナスの感情にすっかり取り込まれてしまうことも。いったん日常から離れるべく、ゴールデンウィーク翌週の週末、長野県飯田市へとオートバイを走らせました。

 途中の峠が寒くなく、下界も暑くはなく、ベストコンディションなのに、気分は低調。前方にゆっくり走るペースメーカーな車両、その後に車列が連なった状態ですけれど、悪くない、慌てず淡々と走っていきました。
 いつも立ち寄る菓子販売店を先に訪れると、お店はすっかり別の店舗に変わっていました。閉店されたのか、移転されたのかわかりません。ネット情報も無いようです。
いつも優しく迎えてくださった、顔なじみのおねえさん、それから長くお会いしていないおにいさんは元気なのだろうか... 以前少し込み入ったお話もしただけに気になってしまいました。

 過去の状況がずっと続くことはない。歳月と共に多くのことが変化していきます。今この状況を受け止め、否定したり逃げたりせずに、しっかり現在を生きねばなりません。マイナスの感情もそのまま受け止め、自分の体調を客観視しつつ落ち着いて行動したいと思います。

 元善光寺を訪れてみようと思ったことに理由はありません。もう15年ぶりになるでしょうか。桜の時期でもなく、ご開帳でもないせいか、とても長閑で、こじんまりと感じられました。シーズンを外していますが、麻績の舞台桜を見に行くと、実に枝ぶりが良く見事でした。
 ここ飯田市は中央アルプスと南アルプスに挟まれた段丘と扇状地で構成されています。舞台桜を見上げた先には、眼下に段丘、天竜川、さらにその向こうには南アルプスがそびえるダイナミックな広がっています。自分のことを忘れ、しばらく雄大な景色に没頭していました。

 他人と優劣を比べることの小ささ、社会に貢献できているのか、自分に価値はあるのか、と問うことの無意味さがわかってきます。己の未来を自分で選択し切り開く人たちがいる一方、私は違います。自分の人生はコントロールできない。大自然に委ねています。いえ、自らの意志で委ねたのではなく、初めから委ねられていて、私には選択肢が無いのでした。自我なんて無い。思い通りになることなんて無い。受動的で不甲斐なくていい。どうなるのか先のことはわかりませんが、安心して委ねていればいいのです。

 お昼に昨年訪れたお店を再訪しました。昨年と同じラム焼肉定食を所望するも、今回は品切れ。少々落胆はしたものの、代わりにいただいた焼肉丼は、肉が良質な印象で味付けも良く、とてもおいしくいただきました。昨年初めて1度訪れただけなのに、お店のおねえさんが私のことを憶えてくださっていて、ありがたいことです。
 想定とはずいぶん違った展開になった今回のツーリングでしたが、でもちょっぴり幸せな気分になって帰宅しました。替えはありません、オンリーワンです。舞台桜も、景観も、焼肉丼のお店も、そして私も。

「だってそうだもん。誰も、ぼくのことなんか、いらないんだ!」
 ぼくの大声に、水鳥が飛び去り、水面にいくつも輪っかが出来た。
 たまさんはそれを眺めながら呟いた。
「ああ、おっちゃんもよく言うわ。『おれは、この世にいらない奴だ』って。わたし、その度に『そんなことないわ。わたしには大事な人よ』って言うの。でも、人間には、ねこの言葉が通じないのよねえ。ただ鳴いているだけにしか、聞こえないらしいわ……」
 そのあと、ぼくに顔を近づけ、きっぱりと言った。
「ミーコ、あんたは今日から、おっちゃんとわたしにとって、大事なねこよ」
「ぼくが……おっちゃんと、たまさんにとって?」
「そうよ。ねえ、ほんとは『いらないねこ』も『いらない人間』もいないと思うわ」
 たまさんはそう言って目を細めた。 なりゆきわかこ著『多摩川のミーコ』(角川文庫)より

下落する自分を受け止める (23/05/07)

 2023年春、急激に進んだ円安と数十年ぶりといわれる物価高の影響で、世間では大手企業をはじめ、賃上げ派が主流であるかのように報道されました。
 私の場合は賃下げです... 数千円単位ではなく万単位で支給額が減少。前年に続いて連続であり、家計への影響が深刻になってきています。


 気持ちの整理がつかない4月のある日、浜松方面へフラリとツーリングへ出かけました。朝夕は寒いくらいで、道の駅で利用した足湯に浸かると、凝り固まった感情が少しはほぐれる気がしました。


 毎年の減給を避けたければ奮起して成績を上げるよう、上長から言われたのは前年のこと。今年はもはや望みが無くなったかの如く、翌年も評価が下がることを前提に話し合いがなされました。
 勤務先は競争社会。成績が上がれば勝者。そうでなければ敗者。それだけではすまないのが娑婆でして、組織内で優劣をつける以上、敗者の存在が必要になります。あまり変化を望まないのが人間ですから、敗者を固定化してしまったほうが安心なようです。ですので、私に敗者のレッテルを貼り、劣等感を植え付けて固定化したのでしょう。

「ピンチをチャンスに」
「逆境をバネに一段とジャンプ」
「置かれた場所で精一杯努力」
これらの言葉はいずれも勝者の言葉であり、敗者には何の救いもありません。
 敗者に何かを語る資格はありません。敗者は敗者としての役割を、波風立てないよう果たすほかありません。それが同調圧力の強い、組織内での論理であります。


 浜松市街から少し外れた場所にある、サンドイッチ店で昼食を。この日はフィッシュフライサンドとポテトSドリンクセット。2年ぶりになるでしょうか、相変わらずおいしい。刺激の少ない、手作りの素朴な味に、作り手の良心がこもっていると感じました。


 私は競争社会に敗れた、成績が上がらない、レベルの低い敗者。社会的にたいした価値はありません。落ち着いて考えると、評価も報酬も他人が決めるものであって、自分がどうこうできるものではありません。そもそも私に勝者の価値があると考えるほうがおかしい。それに私のとって勝敗が決まる社会とは、勤務先の小さな閉鎖された世界。息苦しいその世界で己を消耗させる必要もないでしょう。
 還暦が近い年齢になると、病んで去っていく方々も、物故者も、両手で数えても足りません。この歳までどうにか耐えてやってこれているだけでもマシだと言えます。与えられた境遇で身の丈に合った暮らしを送る、ただそれだけで十分なのでした。


 昼食後は、浜松市街にあるジャズ喫茶へ。5〜6年ぶりになるかと思いますが、外観も店内も何も変わっていません。クッキーをおやつに、コーヒーをいただきながら、大音量ながらしっとりとしたジャズの音に浸ります。



 正直、賃下げはショックです。ショックを受けないほど人間ができてはいません。低評価が続いたことも。信頼関係が築けないことも。
 自分を掘り進めても何もならないことはわかっていますけれど、とはいえ、モヤモヤした自分を受け止めてあげられるのは、自分しかいません。
「気持ちを切り替えて一生懸命頑張る」という言葉は、前向きではありますが、それでは今の自分を頭ごなしに否定することになると思います。ダメなところも、カッコ悪いところも、うまくいかないところも全部、ネガティブな感情もズブズブに受け止めてあげたいと思います。


 あれこれ考えることなく、ジャズの音に身を任せることしばし、少し気持ちが軽くなりました。何か解決したわけでも、答えが出たわけでもありませんけど、自分をいたわったというか、自分の醜い部分と向き合ったことで癒されたのかもしれません。
 道の駅も、サンドイッチ店も、ジャズ喫茶も、日常と違う空間に感謝します。

 そんなとき、「あー、今、『前より劣っている』と慢心で比べて、苦しくなっちゃってるよ」と気づいて、「前のように今すぐならなきゃッ」と背伸びしたくなる思いが静まると、楽になります。
 他者から、自分について何を質問されても、勝っている自分とか、劣っている自分とか、誰かと同じくらいだとか、誰かに似ているとか、あるいは前はもっと自分はできていたのにとか、前より劣るようになったとか、という形で前の自分と比べたりしないように、ということが説かれています。自分が、全体のうちでどのへんのポジションにあるのか、なんてことをイメージしないで済むときにこそ、安らぎというものがあるということです。 小池龍之介著『自分に気づく仏教の学校』(角川文庫)より

      目次へ戻る