小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2024/04/07

過去掲載した編集◇コラム41

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パソコンとのつきあい 〜突然死と復旧 (24/02/25)

 メイン機からサブ機へと退役させたFujitsu ESPRIMO。1度目のSSD換装は初期不良で起動できなくなり、2度目のSSD換装では1週間弱で起動不能に。さらに換装元のHDDに戻しても起動できない事態に陥りました。

 電源ONするとWindowsが起動せず「Checking Media Presence…」と表示され、診断ツールが起動、続いてFujitsu診断ツールが起動しますが診断OKと表示され、打つ手が無い状態。ブルースクリーンにもならず、重症のようです。
BIOSメニューからディスクの起動順序を入れ替えようにも、起動順序の候補にHDDが表示されず、選択できません。このパソコンは2台のストレージを内蔵できるようになっていて、SATAケーブルの異常を疑いHDDに接続するSATAケーブルを入れ替えたり、マザーボード側のケーブル端子を挿し直したりしましたが状況は変わらず。素人には手が負えないレベル。パソコンショップへの修理依頼も考えましたが、どうやらそれなりに費用がかかり、別の中古パソコンを調達するほうがよさそう。残念ですけれどこのパソコンは処分することとし、新たにミニPCに手を出したのでした。

 内蔵HDDやマウスをどうするか、箱の準備などリサイクル回収の段取りを考えているうちに、処分するのが惜しくなってきました。貧乏性ですね...

 こんなときのために回復ドライブを用意しておいたはず... ですが、見つかりません。根気よく探していたら、代わりにシステム修復ディスクが見つかりました。
 僅かな期待を抱いてFujitsu EsprimoのDVDドライブへディスクをセットし起動。トラブルシューティングメニューを開くことができました。しかし...
 ・システムの復元: イメージが無く、続行不可
 ・更新プログラムのアンインストール: 該当せず
 ・スタートアップ修復: 「修復できませんでした」だって…
 ・コマンドプロンプト: どうすればいいんだろう?
 ・スタートアップ設定: 何もできず
 ・イメージでシステムを回復: 外付けHDDにバックアップファイルがあった!
これだ! バックアップしておいてよかった!! これで復旧できそうです。
 時間はかかりましたが、バックアップファイルの復元に成功しました。改めてパソコンを起動すると... なんとWindowsが起動しない状況に変化はありません。やはり重症にようです。もはや素人の手には負えません。

 それからしばらく経って、落ち着いて考えてみると、症状に変化はなくともバックアップファイルの復元に成功したことが大きなヒントに思えてきました。SATAケーブルに異常はなく、マザーボードにもおそらく異常はない。ただ起動できないだけ。ということはHDDのブート領域の問題? ここでネットで情報を漁りました。根気よく探していくと、どうやら「BDC領域を修復する」ことで対処できるかもしれないことがわかりました。ややマニアックではありますが、備忘録を兼ねて作業状況を載せておきます。

 システム修復ディスクからパソコンを起動し、トラブルシューティングメニューからコマンドプロンプトを実行
 「bootrec /rebuildbcd」と入力
 「Windowsのインストールとして認識された合計数:0」と表示されました

 BCD領域を一旦削除し再作成します
 「 > diskpart」
 「list volume」
 「select volume X」(ドライブ番号)
 「assign letter=b:」(ドライブレター例)
 「exit」
 「> b:」
 「cd /d b:\EFI\Microsoft\Boot」
 「ren BCD BCD.bak」(BCDを削除)
 「bootrec /Rebuildbcd」
 「bootrec /fixboot}ここで「アクセスが拒否されました」との表示

 「Windowsのインストールとして認識された合計数:0」のまま...

 気を取り直して別サイトの情報を参照。

 「bcdedit /export c:\bcdbackup」(元のBCDストアをバックアップ)
 「attrib c:\boot\bcd -h -r -s」(BCDファイルの属性を解除)
 「ren c:\boot\bcd bcd.old」
 「bootrec /rebuildbcd」

 「Windowsのインストールのスキャンは成功しました。
  Windowsのインストールとして認識された合計数:1
  [1] C:\Windows」と表示されました。

 「インストールをブート一覧に追加しますか?Yes<Y>/No<N>/All<A>:」
と問われるので、Yキーを押して、Enterキーを押し、BCD領域の修復終了。
パソコンを再起動してみると、とうとうWindowsが起動しました!
ここまで長かった... 初めての経験でしたが、ひとつ勉強になりました。


 突然死から復活したPCを動かすも、やはりHDDのままだと遅さが気になり、3度目のSSD換装に挑戦しました。起動しなくなったSSDを再度クイックフォーマット、クローン作成作業に入りましたが、起動不良の原因であるEFIパーティションを削除することも、フォーマットすることもできず、しかたなしにCドライブのクローン作業を続行。起動できなかったら、BDCファイルを改めて修復する覚悟でしたが、あっけなくWindowsの起動成功。その後、トラブルは起きていません。

 なんだかひと仕事終えた気分です。いよいよサブ機はミニPC 1台にして、復旧したFujitsu ESPRIMOを手放しても構わなかったのですが、どうもミニPC+ポータブルDVD/CDドライブでの音楽CDリッピング作業がうまくいかずエラー続発。古いポータブルDVD/CDドライブのほうに原因があるのかもしれません。
 Fujitsu ESPRIMOの内蔵DVD/CDドライブでリッピングすると、何事もなく作業できました。光学メディア関連の作業は、当面このFujitsu ESPRIMOで対処することにします。
 突然死の際にデータが消滅した経験から2ndストレージとしてデータ用ドライブ:中古のHDDを別に用意し、組み込みました。

 2023年の終盤以後、こうしてメイン機1台にサブ機3台、計4台のパソコンを抱えることになってしまいました。よくよく考えると、高性能なノートPC 1台あればトラブルもなく、リモートワークも、音楽CDのリッピングも、ブラウジングも、すべての作業をスムーズにこなせると思えます。不器用に4台も抱えてなかなか手放せないのは、私の貧乏性が重症なのでしょう...

パソコンとのつきあい 〜サブ機の変遷 (24/01/28)

 私のパソコン歴は20年と少し、メイン機はかれこれ4代目になります。ライトユースですのでメイン機さえあれば十分なのかもしれません。でも貧乏性なせいか、メイン機を買い換えても簡単には手放せず、サブ機として、万一メイン機が故障したときの代替手段として、手元に置くところから始まりました。

 初めはメイン機を買い換えた2007年末、FujitsuのFMV BIBLOの故障を自力で直したことがきっかけでサブ機として運用を開始。しかし動作の重さに耐えられなくなり、3年半後に中古のデスクトップ:Fujitsu ESPRIMOを購入。ごく小さな、マンションの一室で営業している個人規模のショップで、たしか2万円程度でした。

 CPUがIntel Pentium Dual-Core、OSがWindows XPで、初めはそれなりに使えていましたが、Windows XPがサポート終了し、Windows7(DSP版)導入とともに、CPUを中古のCore 2 Duoに換装。それでも期待するほど動作が速くならず、5年後の2016年春に手放しました。
このタイミングでメイン機のお下がり:FMV DESKPOWERをサブ機として運用開始。しかし、年月を経る毎に、当初は余裕があった能力も、Windows10にアップグレードして数年経つ頃には不足を感じるようになり、2019年末に手放すことに。
 次のサブ機はメイン機のお下がりではなく、要らなくなったからと父親から譲り受けたNEC Lavie。CPUがCeleron 3865Uなのはともかく、HDDとの組み合わせが我慢できないほど遅く、自力でHDDをSSDへ換装。ライトユースならまずまずなのですが、コロナ禍でリモートワークに使い出すと不満が募るように。2023年10月、メイン機だったFujitsu ESPRIMOをサブ機に使い出しました。

 ところがこのFujitsu ESPRIMO、メイン機時代は一切トラブルが無かったのに、サブ機へと退役させ、SSDに換装したとたん、1週間で起動できなくなりました。これはパソコンが悪いのではなく、SSDが初期不良だったようです。元のHDDに戻して運用していましたが、SSDの快速さが忘れられず、別ブランドのSSDへ換装。しかしやはり1週間弱で起動できなくなる憂き目に。しかも元のHDDに戻しても起動しなくなってしまいました...
もはや素人には手に負えるレベルではなさそうですが、リモートワーク用のマシンが欲しい。メイン機を入れ替えたばかりで予算が無く、中古を検討するも手が届く価格帯はかなり古いパソコンばかり。あれこれ逡巡した挙句に中華インディーズのミニPCに手を出しました。

 GMKtecというブランド、CPUはIntel Pentium Silver N6005、メモリー 16GB、SSD 512GBで価格が28,000円台という格安さ(2023年11月当時)。あまりのコンパクトさに驚きつつ使い始めましたが、直近で続いたSSDのトラブルにビビって、ノーブランドのオリジナル品SSDは保管しておき、別ブランド:TranscendのSSDを別途購入、クローンを作成して運用しています。
 ただしこのSSD、温度が上がりやすい! Windows Update 23H2を適用したときに一時 62℃をマーク。その後も負荷がかかったとき軽々と60℃を超え、急遽対策することに。このSSDはサイズがマニアックな2242で、最寄りのPCショップには該当サイズのヒートシンク無し。しかたがないので2280用アルミ製ヒートシンクを買ってきて金ノコで切断、熱伝導シートを介してSSDに貼り付けました。ミニPCの筐体が金属製では無く樹脂製なので、ヒートシンクを装着したところで、その熱を逃がすところが無く、気休めでしかないかもしれません。、これ以上の手立ては難しそうですが、自分で手を加えたことで、オモチャみたいな外見のミニPCも少し愛着が湧いてきました。今ではリモートワークにもバリバリ(?)使っております。

 さて、これでサブ機がGMKtecのミニPC、NECの遅いノートPC、さらに起動しなくなったFujitsu ESPRIMOと3台も... 1台にまとめたいところですが、サブ機筆頭のミニPCに一抹の不安がつきまとい、ノートPCは手元に残しておきます。起動しないFujitsu ESPRIMOはさっさと処分するべきですけれど、今までと違って性能的に限界を迎えたのではないし、起動しない原因も不明。ショップに修理に出す予算は持ち合わせていないものの、捨てるのはもったいない。諦めきれず、どうしても直せないのか、自力で取り組んでみることに... (次回へ続く)

老舗の名店が次々に閉業2023 (23/12/31)

 2023年も、個人的に時々訪れていた名店が続々と閉業しました。いずれも、ある程度事情がわかっていて、店名は伏せようと思います。

 まず愛知県安城市にあった町中華。訪れるようになったのは10年ほど前から、ずいぶん長いことお世話になりました。ラーメン定食¥600はボリューム満点、ほかにも麻婆飯¥550や、ちゃんぽん¥550など、おいしくて安価。助かりました。

 開店時刻を10分以上過ぎてもお店が開かなかったり、開店時刻から30分以上経ってから大将が仕入れから戻ってきたりと、終盤はペースが崩れることもありました。
ご高齢の大将も女将さんも、体力的に限界だったのかもしれません。長い間、ありがとうございました。


 次に、愛知県安城市にあった喫茶店。あまり目立たない場所にありましたが、固定客はわりと多かった印象です。モーニングやランチに時々訪れていて、ボリューム満点のランチ¥660税込が2023年に入っても値上げされず、お世話になりました。

 個人的にここの最後の食事になったのが、甘酢ソースのチキンソテーのランチ。チキンはもちろんのこと、付け合わせのおかずも、そぼろや切り干し大根など野菜もたっぷりで、大満足でした。
 時折マスターが苦しそうに咳き込んでいることが気になっていて、関係があるのかどうかは不明ですが、健康状態があまりすぐれず闘病に専念されるとのことです。ご自身のことが一番だと思います。快癒されることを願っております。


 それから、愛知県岡崎市にあった小さなレストラン。完全に時が止まったような、渋い外観と店内が印象的で、一見さんには入りづらいイメージを抱いてしまうほど。
 かなりご高齢に見えた大将の腕は一流で、手抜きしない料理が気に入っておりました。ランチが平日のみなので、なかなかチャンスがありませんでしたが、機会があればランチを目当てに訪れていました。

 個人的にここの最後の食事になったのが、日替わりランチ:芙蓉飯スープ付き¥550税込。品数は少ないながら味が良く、豊かな気持ちになったことを憶えています。
 2年ほど前からか、大将の健康をご心配されたのか、娘さんらしき方がお店を手伝うようになり、近くはないお宅からママチャリでお越しになっていることを聞きました。
 閉店の事情は、察するに大将の体力面や健康面でしょうか。長い間お疲れさまでした。


 これらのお店でいただいた食事いずれも、こめられている気持ちを感じることができました。いえ、気持ちという表現では不足しているような気がします。店主の、隣人愛や人類愛などを超越した、時代が変化しても変わらない、店主の生きざま、人生そのもののようでもあり、長い時間を経て結晶化した波動のようなものを、しっかりと受け取った感覚が残っています。
 チェーン店とは違い、有限な個人店ならではの感覚だと考えています。

 ミミィは、経営が苦しくなっても、酔った客に花を倒されることがあっても、頑なに生花にこだわった。皆の言う通り、花代は馬鹿にならないが、作られた花の、ギラギラとどぎつい存在感は嫌だった。ピンク、青、紫の固い花びらは、全身で「嘘です!」と叫んでいるみたいだ。 西加奈子著『地下の鳩』「タイムカプセル」(文春文庫)より

食に敏感で困ります 〜後編 (23/11/12)

 好き嫌いのレベルではなく、過敏症(?)な体質のせいか、訪れるお店を選ぶようになっています。ところが何らかの判断指標があるわけでもなく、本能的、いえ、直観的というべき、カンで選んでいるのが実態であります。

 まだ梅雨だったころ、豊橋市にある老舗書店に行った後、何度か訪れたことのある老舗喫茶店へ久しぶりに立ち寄りました。フード系をいただくのは4〜5年ぶり。ともかくコロナ禍に続く物価高の中、無事営業されていてよかったです。
 13:00までオーダーできるモーニングセットの中から、パンモーニング¥900を。
パンが凝っているだけでなく、コンソメスープも玉子と小エビなど。ハンバーグにザワークラウトと盛りだくさんなだけでなく、もちろんアイスコーヒーもおいしい。感動したのはそのひとつひとつに手間がかけられ、丁寧に作られていること。作り手の良心に満ちていて、幸福感を感じます。

 ときどき訪れる市役所近くの食堂へ、晩夏に行った時のこと。物価高騰の中、値上げせずに日替わりランチ¥500(税込)という価格設定に深く感謝しております。
 この日のメニューは、牛すじカレーにうずら串フライ、コールスローサラダ。ごはん大盛りでも追加料金無し! おそらく高級な食材は使われていませんけれど、一般的な食材を可能な限り安価に調達し、日々工夫を凝らし手間をかけていらっしゃることがよくわかります。値段を上げないから評価するというわけではなく、庶民の味方として限られた予算内で最大限工夫されている、その心意気というか人類愛というべきか、感じ入るところが多く、心が満たされます。

 暑さがいつまでも収まらなかった9月、気になっていた国道沿いの食堂を初訪問。途中何か所かの渋滞にも耐えつつ、お昼のピーク前に着きました。
 人気メニューだと表示のある「スタミナ焼きそば定食」¥850税込(当時)をオーダー。焼きそばは太めの麺に絡むピリ辛みそが絶妙ですばらしい風味です。長期間の暑さでまいっている体に沁みるよう。体だけでなく心も反応していました。お店の方々と特に何も会話してはいませんけれど、お店の方々が、来店客を思って仕込みや調理をされていることが伝わってくる風味でした。


 改めて考えてみると、カンで選んでいる、そのカンとは、味のレベルとか、食材の良し悪しとか、巷の評価ではなくて、実直で慈愛に溢れたお店を志向しているのだと思います。料理を通して伝わる、波動や念のレベルが問題なんだと考えるようになりました。
 やっかいなのが、この波動とか念といったものが、食品だけでなく、多かれ少なかれあらゆるものにこもっているらしいことであります。私の過敏な体質的に、少なくとも悪意や打算がこもった品々を選ばないよう、できる限り不満や渇望感のような影響を受けずに過ごすよう気を使わねばならず、本当に困った体質です。

 この無造作な男が作ったとは思えないほど、朝食はおいしかった。味噌は辛いが、その分具のきのこにしっかり味がしみていたし、卵焼きは口の中でふんわりと溶けるように柔らかかった。干物の焼き具合もちょうど良くて、魚の生臭さは消えているのに、みずみずしさが十分残っていた。
「地のものは何でもうまいで、誰が作ってもおいしいんや」
 男は感心している私にそう言った。
 食事をすると、自分が生きていることがわかる。生きているのが良いのか悪いのかは別にして、魚や米や味噌、そういう確かなものを食べていると、ここでこうやって存在しているんだなあって感じる。 瀬尾まいこ著『天国はまだ遠く』新潮文庫より

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