過去掲載した編集◇コラム44
命の洗濯 (25/09/21)
定年退職目前の2025年9月、組織の歯車として長年働いてきた心身の疲れに加え、その夏の酷い猛暑による疲弊を癒やすべく、長野県南部の大鹿村へ向かいました。なぜ大鹿村なのか、合理的に考えることが難しいほど脳活動がダウン気味だったと言っていいでしょう。それほど簡単に行ける道程ではなく、何度も休憩を挟みながらでしたが、うまくいかないというか、不思議にも感じる巡り合わせもありました。
自宅のある愛知県から下道で飯田市街へ、ここでお昼にしようと事前に調べておいた食事処に着くと臨時休業でした。しかたない、途中で見かけたカフェに入るも食事の提供はしていないとのこと。それではと、たまに訪れる別の食事処へ向かうと運悪く臨時休業... なんてついてないのでしょう。
記憶を頼りに、以前食事したことのある喫茶店へ行くと、ここも休業。すぐ近くのおにぎり店も休業... 完全に手詰まりになってしまい、もう大通りのチェーン店へ向かう途中、旧市街から外れた場所に洋食店を発見。営業中です。助かった!
ハンバーグなどの肉料理が主力のようでしたが、ランチを求め探し回って疲れた体に軽めの食事をとオムライスを選びました。これが当たり! これまで食したことのない、あっさりさっぱりした風味ながら、手がかかっていることがわかる逸品。よかった、また食べたい味でした。

上品な風味のオムライス

手づくりシフォンケーキ
食後は国道を北上、県道へ逸れるところで休憩。町営駐車場に車を止め、すぐ近くの小さなカフェへ。初めて訪れたカフェでしたが、温かみのある店内が好印象。ルバーブのシフォンケーキがすばらしい! あまりにも良い風味だったので、ママさんに尋ねるとやはりすべて手づくりされているとのこと。ベーキングパウダー不使用だそうです。こだわりがすごい。コーヒーもさっぱりした風味で、素敵なカフェです。昼食のオムライスと言い、おやつのシフォンケーキといい、娑婆の毒素がいくらか浄化されるようでもありました。
大鹿村への県道は、リニア工事の影響でダンプが異常に多く、行き交う車両の2/3はダンプではないかと感じました。コロナ禍以前に比べて新たにトンネルができたりと部分的にラクになった箇所もありますが、それでも山間の挟路。大鹿村に着いたときには疲れが溜まっておりました。

大鹿村に到着

素朴な夕食
何回か泊まったことのある旅館に、今回もお世話になります。日中は暑かったものの、日没後は気温が下がっていきます。夕食は派手さはないけれど、手がかけられていて滋味豊かでした。脳ではなく体が喜んでいるように感じます。大事なことです。
気温25℃よりももっと下回る体感。風呂でしっかり温まったのは3か月ぶりくらいでしょうか。客室は和室。
何もしない。スマホもテレビも見ない。外は灯りもなく真っ暗。窓際で川の音と虫の音をずっと聞いていました。何も考えない。私の意識にとっては無駄な時間なのかもしれませんけれど、私の無意識にとっては豊穣の時間だったことと思います。命の洗濯ってこういうことかもしれません。昼があれば夜があるように、人間は意識と無意識で構成されている気がします。両方が整ってこそバランスがとれるのでしょう。
翌日は気分爽快、すっかり元気を取り戻し、素朴な朝食をいただいて宿を後にしました。帰路の道中、早めの昼食にそばを。
よく知られているお店でしたが、ざるそば¥780税込は、わりとボリュームがあってよかったです。
愛知県の平野部近くまで下りてくると、暑さが強烈! 娑婆に戻ってきた感覚ですね。県境付近でサイン会が催されていて、少々身構えましたが、平野部に入ったくらいのところ、全くノーチェックの箇所でもサイン会! しかもあまり見通しが良くない道路脇に一般人を装った若い男性が座しているという認識しづらいシチュエーション。
ここ、通常は60km/h以上で流れていますが、制限速度は40km/hです。直前で前走車の軽トラが急減速し左折することがなかったら、私もサイン会に参加していたことでしょう。あぶなかった... 娑婆の厳しさを思い起こしました。
命の洗濯なんて甘い。私は娑婆の臭気にまみれ、生きていかねばなりません。
人は知恵をつければ、必ず楽をしようとする。農具の改良も、街道の整備も、物品の流れも、すべては楽や便を求めた果てに発展を見た。一方で、それと引き換えに、大切なものからはしだいに遠ざかる。
土の温もり、水の冷たさ、日の有難さ、森の息吹、風のざわめき──便を得るたびに何らかの形で、自然とはかけ離れてしまう。 西條奈加著『無暁の鈴』光文社文庫より
旅と消費とマウント (25/08/17)
まずいのは、難しい「外」には興味が湧かず、なんの努力をする必要もない、だれでもできる易しい「外」だけに向かうことである。日々、流れていく流行現象ばかりを見ていると、「外」からの経験が内部に蓄積されないのである。 勢古浩爾著『古希のリアル』草思社文庫より
自転車で移動中、小ぢんまりとした外観につられ、昼過ぎの暑さも手伝って通りがかりに入ったカフェ。内部には常連客の作品だという絵画や写真がたくさん展示されていて、思わず見入っていました。
その様子を見たのか、ママさんが「あちらの常連さんの写真だけど、よかったら見てね」と数十冊にも及ぶ大量のポケットサイズアルバムを私の席のところへ持ってきてくださいました。さっそく中を見てみると、花の写真がいっぱい。菜の花、桜や花桃、芝桜、藤棚、バラ、田んぼアート、蓮、ヒマワリ、ヒガンバナ、...
しばらく前までは、海外の多くの国々を旅行されていたと話してくださいました。私も若かりし頃は何か国か訪れたことがありますが、私の2倍も3倍、いえ10倍は旅行されているようです。素晴らしい行動力です。
一番印象に残った地域はどこか尋ねると、奥様が「オーロラが良かったよねえ、おとうさん」
私はまったく存じませんが、オーロラといえばフィンランドが最も知られているのでしょうか、いずれにせよ、個人旅行で見に行くのは難しく、団体ツアーが手軽だと聞いたことがあります。相応の費用は必要でしょう。
続いて、どこの国のどの料理がおいしかったか尋ねると、「う〜ん、そう言われてもねえ...」と、言葉に詰まったご様子。会話が噛み合わなくなってきてしまいまして、私のコミュ力不足が原因です。もっと努力しなければ...
菜の花、桜や花桃、芝桜、藤棚、バラ、田んぼアート、蓮、ヒマワリ、ヒガンバナ、... アルバムを見ていくと、なんだか同じような写真が毎年繰り返されていることに気づきました。
しかも写真の構図がどれも単調というべきか、まるで観光サイトやガイドブックに掲載されている画像そのもの。寄った画もなければ引いた画もない。ただただ対象となる花々を切り取っただけ。自然に対する憧憬や、花一つ一つへの慈しみは感じられません。
一方で、すべての場所がよく紹介される観光地。マイナーな場所は一つも無く、なぜこんなところへ行くのかというような突っ込みどころは一切ありません。だからよけいにその人らしさというものが感じられません。
菜の花、桜や花桃、芝桜、藤棚、バラ、田んぼアート、蓮、ヒマワリ、ヒガンバナ、...
10年前の写真も少し色あせていたほかは、どれも同じでした。ただただ各地の観光商品を、注文通りに消費するスタイルを長年続けられているように見えます。それでご本人たちが満足なら、大いに結構なことです。元気に行動されていて何よりではないですか。
しかしなぜプリント代をかけてまで大量の写真をポケットアルバムに収め、行きつけのカフェに持ち込むのだろう?
これは私の勝手な邪推で、老夫婦のお考えとは全く異なっている可能性もありますが、おそらくこの小さなカフェで自己主張したかったのではないかと想像します。絵画や写真、手芸品などアートの土俵では、他の常連客と勝負にならない。そこで各地へ出かける行動力と、そのエビデンスを違う媒体のポケットアルバムに収めて勝負。カフェのママさんからも、常連客からも一定の評価を得てマウントをとれている、ように思います。
嫌ですねえ。こういうひねくれた考えに陥ってしまう、歪んだ性格の自分がつくづく嫌になってしまいます。他人が何をしようと自由ですし、何を持ち込んで自慢しようが私には関係のないことなのに。
80歳過ぎの行動的なご夫婦というだけで、私が勝手なイメージを持って、勝手な期待をしてしまっていたのかもしれません。シニア世代ともなれば、どんな旅行をしようが、どんな生き方をしようが好きにすればいい。
老夫婦の旅のスタイルに少々引っかかってしまったのは、自分自身が何かに執着しているからなのでしょう。何かこうあるべきだという妙な考えにとらわれているのかもしれません。大量の同じような写真は、私自身への戒めでもあるのでした。こうして自省するきっかけを与えられたことに今は感謝しています。他人の行動に気持ちを左右されることなく、自分の旅のスタイルを続けていきたいと改めて思いました。
自分を持っている人、自分に戻ってくることができる人は、「外」から取り入れたものを、自分の「内」で育てた人である。これは自分には無理、と簡単に「外」をあきらめなかった人である。「外」の現象を「内」で考えた人である。自分を持っている人は、たとえば俳句や短歌の実作をする。絵を描く。スポーツをし、楽器を弾く。研究をする。人まかせではない手づくりの旅をする。 勢古浩爾著『古希のリアル』草思社文庫より
パソコンとのつきあい 〜サブ機 入替後編 (25/06/01)
第6世代Core i3搭載のサブ機:Fujitsu ESPRIMOがWindows11非対応。Windows11対応の中古PCを選択しようと、まず実店舗のリユース品を探すも、中古を扱うPCショップでは比較的高額か、あるいは当たり外れのある海外ブランド品ばかり。続いてハード〇フを数店舗回ってみましたが、予算内に収まりそうな中古PCは、とりあえずの動作保証はあるものの、ストレージがHDDか、SSDも中古。使い込まれたものかもしれません。SSDもメモリも別途新品を用意したほうが安心です。また、世代的に値ごろ感のある中古PCはSATA接続。PCIe接続する場合に改造が必要になるなど、手間も費用もかかりそう...
そこでネット通販に目を向けると、玉石混交の様相ではあるものの、おおまかに相場がつかめてきました。最終的に私が選んだのは「PC WRAP」で販売されていた、Fujitsu ESPRIMO。またESPRIMOです! ESPRIMO WD2/W(2016モデル)から、ESPRIMO D588/VX(2019モデル)
筐体の構造があまり変わらず、分解やパーツ増設などの要領がほぼ同じであろうこと、Fujitsuのこの手のスリムデスクトップはこれまで中古も含めて4機種使ってきて、いずれも周辺機器との相性やマザーボード関係のトラブルが一切無く、比較的安定稼働していたことから同じFujitsuブランドを選択肢しました。
初回セットアップを済ませ、動作に問題無いことを確認、続いて内部パーツを確認します。
CPUはIntel Core i5-8500です。このD588/VXにはCore i3搭載モデルもあるので念のため確認しました。
メモリはSK Hynixの8GBです。自分で調達したCFD販売のメモリ 8GBを追加しデュアルチャンネル動作を確認しました。
SSDはKINGMAX PQ3480、PCIe Gen3×4の256GB。新品です。念のためヒートシンクを追加しました。さらに2ndストレージとして2.5インチHDDが内蔵、TOSHIBA MQ01ABF 500GB。手堅い構成で、取り替える必要は無さそう。
メモリ増設以外、パーツ追加も不要、このまま使うことに。これで¥33,000税込(25/3月当時)なら、割高感はありません。さらにキングソフトのWPS Officeのライセンス付き、HIDISCブランドのキーボード(有線)と、SUNEASTブランドのマウス(有線)が付属。これらも手堅いイメージで、通販注文し届いたらそのまま使える、実用的な付属品だと思います。良い買い物をしました。あえて欠点を探せば、外観も汚れ感がほぼ無くてキレイな半面、筐体前面の化粧板にやや目立つキズがあったこと。中古なので何ら不思議ではありません。少々気になったので、四輪車用のボディーコンパウンドで磨き、アーマオールを薄く塗りこむとほぼ目立たなくなりました。ほかにケースファンに埃が残っていましたが、こちらは清掃すればよし。
この新しい、いえ中古のESPRIMO、第8世代Core i5とメモリ16GB、PCIe 3×4のSSDの組み合わせは十分快適に動作し、Pentium Silver 6005のミニPCとは比べものになりません。Passmarkスコアが約2倍ですので当然ですね。ここ数年話題のN100やN150に比べても2倍近くのスコアですので、安価なミニPCに手を出さなくてよかったです。Core ULTRAやRyzen AIなどが組み込まれたハイエンド系のPCと比べる価値も無いローレベルな話ではありますが...
今後Windows12がリリースされ、この第8世代Core i5が足切りとなったら...
そのときはそのとき考えたいと思います。
目次へ戻る