過去掲載した編集◇コラム8
自分らしく生きる-(3/3) 達生 (06/11/19)
(前回の続き)
※私の個人的な事例であって、一般的な他の方々の症例とは異なる点をお断りしておきます。
ホットラインに何かを期待したわけではありません。
自分には全ての治療が無効であり、著名な大学病院であろうと成功しなかった。絶望感を誰かに伝えたかっただけでした。そして相手が「わかった。でもあきらめずに病院に行け」とでも言うことを期待していたのです。
そこまで確認できたなら、もうこの世への未練は無くなっていたはずでした。
ところが予想に反し、ホットラインの相手は思ってもみなかった回答をしました。
「大学病院や高度な西洋医学が全てではない。
個人クリニックでも良い所はあるし、心の病気に東洋医学が有効なこともある」
心の病気に東洋医学?といぶかる私でしたが、どのみち最後だ。
何の期待もなく、紹介された東洋医学のクリニックへ行ってみました。
これまでの経過を話し、治療は無効だという私に対し、医師は、漢方薬は自然治癒力を補助するだけであって100%元に回復するわけではないと告げながら、でも丁寧に診察してくれました。
自律神経がボロボロ。全身に影響が出ており、肺臓、心、肝、腎、胃腸が弱りに弱っていて、まずその治療をしなければならないということでした。常時あまりにも交感神経が活動しすぎて全身が緊張状態にあり、臓器が弱っているのを自覚できていなかったようです。
半信半疑な私に対し、更に医師は、うつ病の治療に入る前に まず胃腸を回復させて毒素を排出し、全身のバランスを整えるほうが先、しかも治療には相当な時間がかかる、と告げました。脳神経に注目して生物学的治療を行う西洋医学に対し、科学的な機器を使わず全身を調べて患者個人の体質に合った薬を処方するという東洋医学。なぜそういう順なのか よくわからなかったが、他に手を打ちようのない病気、言われるがまま治療に入りました。
この後 約半年間、倦怠感や不眠、神経痛など実に多くの症状に見舞われながらも、ここのクリニックの医師は非常に丁寧に診察してくれました。一時は毎週薬が変わり、漢方薬は長期服用だと思い込んでいた私には驚きでした。医師によると漢方薬といっても(生薬が多いものは)劇薬。体に合っていればすぐに効果が出る。体調に変化が出たら、それが合わなくなってくるはずで、すぐに薬を変えないといけない、とのことです。
治療開始からおよそ半年過ぎた頃、煩わしい症状はおさまってきて体力が戻ってきたように感じました。消えてしまいたい気持ちも少し薄れました。ところが気力が低下してしまい、やる気があまり出ないのです。
うつ病の再発ではないかと心配する私に医師は意外なことを言いました。
「体調悪化と感じるのかもしれないが、東洋医学的には正常に近い状態。これまで多くの症状が出ていたのはストレスが大きかったから。症状が緩和されたのはストレスが減ったから。ストレスが減ったのはやる気が減ったから。現在くらいのやる気のなさ、面倒に思う気持ちが普通である。あなたはかつて仕事の意欲満々でワーカーホリック的に働き、普通以上の成果を出していたのだろう。そんな中、仕事が遅い人、ついてこれない人たちに対して多少差別的な見方をしていたのかもしれない。
そしてあなたは病気になり、ここで治療を受けて “普通” になりつつある。かつては考えてもみなかった、仕事が遅い人たちの状態に、今自分がなってきたことを受け入れることだ。それが回復へとつながる。」
無意識のうちにバリバリ働く自分を理想状態としていた私は、この言葉に激しく動揺しました。それまでの考えが甘かったのです。薬を飲んでほどほどの休養すれば自動的に元に戻ると思っていました。全て他力本願。治るには自分が努力しなければならなかったのです。
この後なかなか自分を変えれずに薬に頼っては医師に諭され、さらに約半年。うまく表現するのが難しいのですが、やっと自分の心と体がしっくりくるようになってきました。
社会人とはこうあるべきだ。家庭ではこうあるべき。一方趣味の時間も充実していなければ、という常識は実は私自身が勝手に思いこんでいたことかもしれない。それが自分らしい生き方とは かけ離れていたことに、ふと気づきました。
自分らしく生きる ─ 自分勝手に生きるわけではありません。いい仕事に就くとか、出世するとか、尊敬されるようになるとか、高級品を集めるとか、唯物的、社会的な夢とも違います。社会貢献とか生産性なんかに惑わされず、もっと原始的なレベルで自分を解放することです。ボンヤリ海を眺めるとか、花を愛でるとか、音楽を聴きふけるとか、昆虫を観察するとか、自然の中で体を動かすとか...
うまく言葉にできないですけど、カッコつけずに もっともっと自分の “内なるもの”を大切にするべきなのです。
バイクライフも音楽鑑賞も、このHPも生産性など何もない活動ですけど、自分らしさのひとつ。随分助けられています。再開した自転車もそのひとつ。難しく考えることはやめました。
世の中にはいろいろな考え方があり、こんな考え方は否定されるかもしれないし、うつ病も100%完治してはいないのかもしれません。でも以前の状態に戻らなくていいのです。私は “普通” いえ、それ以下の人間ですから。気が利かないし、物忘れも多い。ボヤッとしていたり、不器用で仕事も遅い。すぐに風邪引くし体力も無い。昔は微力ながら会社を支えていたのかもしれませんが、今はぶらさがっているのかもしれない。
仕事上はダメだけど家族とゆっくり会話して、バイクをいじったり、HPをのぞいたり、自転車で走ったり。あ、家の雑草取りも。今の私には自分らしく生きることが大事なのです。実はこういうことは すごく珍しいことではなく、“自己の再構築” とも言うそうです。
この先の人生、まだまだ困難や試練が待ち構えているのかもしれません。失敗もたくさんあるでしょう。どう生きたらいいのか、将来像が描けたわけでも何でもなく、相変わらず一寸先は闇。ただ、なんだかブレない何かを得たような気がします。
人生は人それぞれ波乱万丈。失敗や錯誤の連続。五十にして四十九の非を知るという言葉もあります。
自分に正直に、楽しみながら、ゆるゆるやっていこうと思います。(完)
自分らしく生きる-(2/3) 臨崖 (06/11/12)
(前回の続き)
※私の個人的な事例であって、一般的な他の方々の症例とは異なる点をお断りしておきます。
何年か前 うつ病を患って長期間会社を休むことになった私。初めの1ヶ月こそ伏せっていたものの、果たしてSSRIと呼ばれる抗うつ薬と休養による治療は奏功し、しかも見極め期間まで取った上で3ヵ月後には職場復帰することができました。もっともポストは外されましたが、これからは あまり無理しない範囲で頑張っていこう、そう思いつつ仕事に励む毎日を送ることになりました。まだこの時点では私は休んでいて遅れた分を取り戻そうという意識があったような気がします。
しかし仕事が順調だったのも束の間、重要な会議や大きな報告の前後には全く眠れなくなってしまい、1週間ほど会社を休みました。この頃にはもう薬が効かないというか作用が強く出すぎてしまい、気持ちが全く落ち着かず焦燥感がひどくなっていました。
このため、医師と相談した上で 既にギリギリまで減量していた抗うつ薬(SSRI)を中止、抗不安薬を併用しつつ、副作用が少ないといわれる非三環系の抗うつ薬に切り替えました。
この後会社を休めない状況の中、少し調子が良くなってはダウン、を半年以上も繰り返すようになり、その度に薬を変えました。私の場合 体質上なのか、副作用がほとんど無いといわれる薬でも なぜか顕著に副作用が発現し、また、やめた後の離脱症状も激しいものがありました。
日中頭が重くてもうろうとしたり、若干意識が欠落して何でもないドアに手をはさんだり、しばしば電気ショックが体を走ったり、全身の筋肉が強張って首が回らなくなったり...
とうとう抗うつ薬はもちろん、抗不安薬さえ眠気や疲労感のため服用が難しくなり、医師と相談した結果、一旦全ての薬を中断することにしました。でも...
めまいや吐き気などの離脱症状に苦しみつつ仕事を続けていたのですが、やはり頑張った後にダウン。徐々に強い孤独感、絶望感が湧き上がってきました。
「オレって何てダメなんだ。もう普通に働くことはできないのか...」
それでもわずかに冷静さが残っていた私は医師に相談し転院、この地方で一番といわれる大学病院へ受診することになりました。診察の結果、私は「単極型うつ病」ではなく、「双極性障害U型」ということらしく、今までとは違った、気分安定薬での治療が始まりました。これで本格的な治療を受けることができ、快方に向かうだろう、そう期待したのも当然です。
しかし私の期待に反し、やはり私の体は薬に過敏に反応し、様々な副作用が見られるようになりました。全身が弛緩したような感情が平板化したような状態で頭がずっしりと重く、頭痛や動悸、... 血中濃度がほとんどないほど薬の量を減らしてもダメです。
医師も不思議がりつつ薬の種類を変えてみましたが、3種類目の気分安定薬でも効果が上がらず、倦怠感や神経痛などの副作用ばかりが出るようになってしまいました。
この頃 医師に体の不調を訴えると、医師が怒り出すようになっていました。
「また不調だなんてそんなわけはない。
そんな副作用が出るなんて報告は聞いていない」
「君はもう治らない。治りたいなら副作用が出ようと、薬を規定量飲め」
とうとうある日、
「君はウソをついている。これらの薬で副作用が出るわけないのだから」と、患者をウソつき呼ばわりです。
さらに「薬を規定量飲めないのだったら、今ここで飲ませてやる」
こう言った医師が、背後の学生に目配せしたとき、非人道的なものを感じました。
ここで争ったら取り押さえられて無理やり服薬されられてしまう!
薬を規定量飲むと不調になって仕事を休まざるを得なくなり、社会生活が難しくなることを丁重に具申し、逃げるようにその大学病院を飛び出しました。
全ての治療手段を絶たれた私。人生が終わったと思いました。薬を飲めば具合が悪くなり、飲まないと絶望に沈む。仕事が順調にいくわけもなく、もう自分には存在価値が無いのかもしれません。孤独感と絶望感に押し潰されるまま、自然と最悪の選択を考え込むようになっていました。
かつて私はこう思っていました。「最悪の選択なんて。仕事がつらかったら休めばいいし、それでもダメなら辞めてしまえばいいじゃん。あるいは新天地へ引越しすればいいのに」と思っていました。
今思えば何と浅はかだったのでしょう。他人の気持ちを全くわかっていませんでした。
とにかくつらくて、ひたすら苦しいのです。理由なんてありません。地獄の日々なのです。消えてしまいたい。一刻も早く...
どこへ相談しても会社の診療所でも、ただ病院へ行けと言われるだけ。健康な人から見れば、他に言葉はないのかもしれません。私自身は少しでも苦痛から逃れたいがどうすればいいのかわからない。他人から見たら何がどう困っているのか想像もつかず、どうすればいいのかわからない。深まる溝、更なる孤立。
「とうとうダメだ。ダメなんだ... 自分はこの世にいてはいけない存在なんだ...」
もう消えるしかない。存在価値のない人間は社会の害だ。働かざるものは食うべからずなのだ。自分がそうなるとは思わなかったが仕方ない。不安定な青年期の後に こんな苦痛が待っていようとは... 私がいなくなることで、職場の雰囲気も良くなり、効率も上がるだろう。悲しいことだがこれが現実。
うつ病が必ず治る病気だというのは まやかしだったんだ... 既に生命の灯火は消えかかり、人生の幕を下ろす段取りばかり考えるようになっていました。
これで最後にしよう。
無駄だとわかっていながら、1本のホットラインに電話したのでした。(続く)
自分らしく生きる-(1/3) 暗転 (06/11/05)
果てしなく広がる闇は、輝く星のためにあるとしたら。
今日という日が、明日のためにあるとしたら。
天国はこの地獄の隣にあるはずだ。
だが、今日という日が、昨日のためにあるのだとしたら... サンライズ「装甲騎兵ボトムズ」より
世の中 多くの人たちが安定や発展を求めて日々過ごしていて、良い方向への変化は望んでも悪い方向への変化は誰も望んではいないと思います。いえ悪い方向へは行かないように努力していると言うべきでしょうか。
明日が今日より良くなることを信じて...。
しかし幸か不幸か人生 必ずしもそうはならないことが少なくないようです。
心の病気 ─現在増加の一途をたどっているという現代病である “うつ病”。このHPを開設するしばらく前、実は私も突然罹患し、非常に苦しんできた患者の一人です。そんな私の経験が何かの参考にでもなればと思い、ここに体験記として紹介しようと思います。3部作と長いこともあるし、心の病気には興味がない、自分は前向きな性格だから関係ないという方々は この先はお読みにならずにどうぞおやめください。
※私の個人的な事例であって、一般的な他の方々の症例とは異なる点をお断りしておきます。
話は何年も前にさかのぼります。いえ、もっと以前から兆候らしきものはありました。仕事上で中堅的ポジションになってきたころから、20代のころにさんざん悩まされた偏頭痛がウソのように無くなり、風邪も引かなくなりました。仕事が忙しくて気が張っていたのでしょうか。
そしてある小さなセクションの責任者に命ぜられた前後から、精神的・肉体的な負担が倍加するとともに、わずかずつ妙な症状が出てきたのです。
朝、目覚ましがなる前に必ず起きるとか、トイレが近くなって夜中2回以上トイレに起きるとか、傷めたわけでもない左足の足首に痛みが走ったりとか、腰痛持ちではないのに腰が痛い、しかも中心から微妙にズレているとか、酒に弱くなったとか...
ちっぽけでたいしたことじゃないですよね。当時30代後半。忙しい中ジムに通っているものの、疲労が溜まっているだろうし、そろそろ年令的なことも考えないといけないのかな、と軽く考えていました。
小さなセクションとはいえ、実際の戦力のわりに常に仕事量が3倍以上はあろうかというアンバランスさ。しかも業務効率が悪い、実績すら満足に上がっていないと叱られる上、セクションごとの競争も、という ありがちな状況。そんなわけで多残業、休日出勤は当たり前。休日なのに多くの社員が出勤していて打ち合わせもあって ますます追い詰められてしまうこともありました。さらに長期研修を受講することになり、これが忙しさを致命的なものにしました。
研修受講によって遅れた仕事を挽回するべく、家庭や少ない休日が犠牲になるという事態。
とはいえ、会社生活は充実していました。いえ、充実していたような錯覚をしていました。会社や社会に貢献している気がしました。常識や一般論が染み付いていて、この頃、自分らしく生きる、なんて考えられない。今思うと、生きるために仕事をするのではなく、仕事をするために生きている状態だったのかもしれません。
一分一秒が惜しく、無駄な時間が一瞬でもあってはなりませんでした。常にギリギリ。休憩時間など無し、マイカー通勤では いつも飛ばしていました。仕事中でも何でも、ゆっくりしている人たちのことを認めがたいというか、理解できませんでした...
そんな日々を重ねるうちに足首や腰の痛みが頻発、動悸を感じたり、大人数の前でうまく話すことができなくなったり、さらに酒がとても不味く感じるようになりました。
そんな状態でも終始余裕は無く、体のことを考えている暇はありませんでした。夜中眠れないことはなかったし最低でも2週間に1度はジムで汗を流していたので、大丈夫と思いこんでいたのです。
あるプロジェクトがひと山越えて ほっとしたとき体に異変が起こりました。体がなかなか動かないのです。夜 眠れず、朝は体を起こすことがすごくつらい。食欲も無い。それでも懸命に頑張っていたら、とうとう食べ物を口に入れることすら ひどく苦痛になってしまいました。
覚悟を決めて病院に行くと、肉体的にはどこにも異常は無く、精神科で診断された病名は「うつ病」。しかもやや重症で長期間仕事を休む必要があるとのこと...
なぜ私が? 職場でもメンタルヘルス研修を受けたばかり。あまりクヨクヨしないタイプだったし、日ごろストレス発散し、健康にも気を使っていてジムにも通っていたのに...
でも服薬と休養で治療できることはメンタルヘルス研修で知っていました。仕事には未練たっぷりでしたが気持ちを切り替え、素直に医師の言うことを受け入れて仕事を休み、きちんと服薬することにしました。悲壮感や絶望感があるわけではないし、なあに、すぐに治るだろう、そう考えていたのです。
この後本当の苦難が待ち受けているとは、当時知る由もありませんでした。(続く)
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