バイクライフこぼれ話3
その7:スローモーション
♪砂のう〜え〜刻むステップ・・・ 失礼しました。(本文とは何の関係もありません)
もとい、この話もZXR250に喜んで乗っていたころ。半年ほどで早くもノーマルタイヤを使い切った私は、おカネがないので当時最も安かった? ラジアル:ピレリMP7というタイヤを履くことにしました。
これは後でわかったことなんですが、欧州ブランドのタイヤは排気量の大きいバイクを主眼に開発されていることが多く、軽量車につけると旋回時に荷重がかかりにくく、タイヤの性能を十分生かせないことが多いようです。
とにかく当時タイヤを新調しゴキゲンな私は寒かったその冬の朝も元気いっぱい。
信号待ちで先頭に出て青になった瞬間スタートダッシュ!
「フッ決まったぜ」と早くも気分は「おサル」モード。「この先の右急カーブでキメキメだ」と更におバカなことを考えつつ勢い良くその右カーブに飛び込んだ私。
ZXR250のスパルタンな車体をスパンと右へ倒しこみます。
「フッまた決まった!...ん?...あれ?...どんどんバンクしていくよ...あーあー!地面が近い...倒れるー!」
事故のときなど、よく “スローモーションのようだった” といいますが、右コーナーでスリップし始めてから転倒するまで、まさにスローモーション。
自分が地面に放り出されてZXR250が横倒しのまま路面を滑っていくのも、その後を追いかけるように自分自身が滑っていくのもスローモーション。
「ああ、大事なZXRがキズだらけに...」と思いながら...。
私のケガですか? 右側頭部と共に右肩・右腕を激しく打撲したようですが、会社を休まず、必死に痛みをこらえて仕事しました。(会社にバレたら問題になりそうだったし、恥ずかしいし)
ZXR250は右アンダーカウル交換、純正マフラーは社外品へ変わりましたとさ。
教訓:タイヤ新調後はとにかく慎重に。
タイヤの皮むきはしっかり行いましょう。
その8:見ちゃイヤ!(?)
RZ50に乗っていた頃の話です。
デビュー当時はともかく、その後いろいろなライバルが出現し、決して速い原付ではなくなってはいたものの、やはりヤマハ。スタイルは一級品でした。バックステップとスワローハンドルでさらに美しくなった?このRZ50は大のお気に入りとして日々活躍していました。
そんなある日、「次はやっぱりチャンバーかな...」と、改造のことばかり考えつつ ボーっと信号待ちをしていた私に、背後から “ゴン!” と軽い衝撃があり、わがRZ50は はずみで前に10センチほど動きました。
「何だ!?」と後ろを振り返った私の目に入ったのは、RZ50に異常接近し、追突した中型セダンと背広を着た40歳前後の会社員風おじさんが運転席でびっくりしている姿でした。
「ははーん」 状況を理解した私は「おサル」なわりには冷静に、その場でサイドスタンドを出してバイクを降り、後ろの車の運転席に歩み寄りました。
「これは追突だぜ! ボクは何も悪くないもんね。相手の過失が100%だもんね。損害は何もないけど もしかしてイシャリョーとかミマイキンとかがもらえちゃったりして♪ そしたらBRDのチャンバーにしようかな、いやレッドモールなんかも過激でいいかも!」などと よからぬ事を考えつつ運転席の側に行って、 「オイ!!何やってんだよ! どうしてくれんだよ! えっ!?」と言おうとしたその瞬間、中型セダンのおじさんが不可解な行動に出たのです。
車のドアも窓も開けず運転席に座ったまま、そのおじさんは手にしていた新聞をツーっと上に持ち上げて おじさん自身の顔をすっぽり隠してしまい、そのままじっと、動くことはなかったのです!!
まるで『見ちゃイヤ!』とでも言いたいかのごとく...。
人間とっさのときには何をするかわからないものです。このおじさんだって変な原付小僧にからまれるのは まっぴらごめんだったのかもしれません。いや、このおじさん、もめごとや ややこしいことは全てこうやって、嵐が過ぎるのをひたすら待つように 今までの人生を乗り切ってきたのかもしれません。何だか中年男性の悲哀を連想させる姿でした。
私は強烈なカウンターパンチをくらったボクサーのごとく
やる気が失せてしまい、「おサル回路」のスイッチも切れました。
そして重い足どりでRZ50に戻ると ノロノロと発進しました。
ふとバックミラーを見ると その場に止まったまま、後続車の激しいクラクションに耐える中型セダンが写っていました。私は ますます複雑な気分になりつつ RZ50を加速させていきました。
教訓:人間とっさの時に何をするかわからない。
その9:Dax発進!
よくある話です・・・だと思います。皆さんの中にもきっと私と同じような体験をお持ちの方がいらっしゃるのではないかと思います。
あのときは確か中学3年生。空前のミニバイクブーム前駆期で 各メーカーが こぞって有名女優を起用し原付の広告に力を入れ始めたころだったと思います。
その余波が中学生にまで及んだのかどうか、当時の私たちはというと、学校で誰かが「よォ、今日親が出かけていていねえんだけどよォ、家の “パッソル”(昔のスクーターです)乗りに来る?」なんて口が滑ろうものなら、その情報は瞬く間に悪友から悪友へと広まり、放課後の“パッソル”は 彼の家に集合した10人前後の悪ガキどもに順番に乗り回されてしまうという、そんな平和な?少年時代でした。
「なあ、Dax乗らない?」遊びに行ったある友人の家で、突然切り出されたこの提案に、私は すかさず乗りました。
「エンジンかけてと...おう、いいぜ。ギヤ付きだからよォ、右手でアクセルふかしながら、左手のクラッチをゆっくり離すんだぜ」自慢げに話す友人の言葉に 私はうんうんと生返事。とにかく嬉しくて舞い上がっていました。
(おお、ギヤ付きだ、クラッチだ。カッコイイぜ!)
Daxにまたがり、クラッチを握ってギヤを1速へ。アクセルを少し開けて胸を躍らせつつクラッチを離すと、期待に反して、Daxは前進することなく「ストン」とエンストしてしまいました。
「バカだなあ、もっとアクセル開けるんだよ」と友人。
(そうか、早く言ってくれよ。おいらちょっとビビってただけ。こうなったらインベーダーゲームやパックマン ─ゲーセンで昔流行っていたんです─ で鍛えたウデを見せてくれる)
と意気込んだ私はもうゲームのON/OFFの世界に入っていました。
右手でガバっとアクセルをひねり、OHC50ccエンジンが唸ります。そして左手のクラッチをスパっとつないだ瞬間、Daxは前進どころか空に向かって発進しました。
「わわっ!」
私は地面に投げ出され、Daxは数メートル先の地面に単独着地、転がって止まりました。
「ご、ごめん、Daxコカしちゃって...」とわびる私を 涙を流しながら爆笑している友人がいました。いつまでも笑いが止まらない友人を前に、何かいたたまれなくなった私は「今日はDaxありがとう。じゃあ」とそそくさと自宅に帰ったのでした。
教訓: 中学生はバイクに乗ってはいけない。
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