小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2025/10/31

バイクライフこぼれ話5

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その12:アルミの弁当箱

 ここをご覧の皆様方は「あの頃に戻りたい」とお思いになったことはありますか? 例えば高校生の時とか。
 私にとっては、遙か昔になってしまった高校時代。いえ、戻りたいと思ったことは一度もありません。自意識過剰だけでなく、自己中心的で勘違いも甚だしく、若気の至りも数多い... そんな高校生時分のお話でございます。

 あれはたしか高校2年の秋だったかと思います。当時私は高校生の分際で原付を1台、自転車を3台も所有しておりました。原付はヤマハ タウニィというオートマ2段変速の50cc、自転車は自分で組み上げたロードレーサー(ロードバイク)と、ランドナー、それに廃棄品再生車のシティサイクル。
 こう書くとまるで私がすごくリッチな家庭に暮らしていたかのようですが、実際はそうではなく、バイト漬けの日々で、年齢を偽って夜間のバイトまでこなして稼いだ金銭を家計に充当することもなく、原付と自転車にと、もっぱら己のために充てておりました。
自転車
 中でもツーリング車であるランドナーは当時お気に入りで、渋いブラウンのフレームに好みの部品を組み付けて作り、亀甲模様のマッドガードがとても高校生の乗り物には見えない自転車でありました。決してトップスピードこそ出ないものの、快適な乗り心地は数十キロ走って疲れを感じたときなど、走りながら居眠りできそうなほどでした。
 当時、神奈川県のイナカにあった高校に自転車で通っていた私は遅刻の常習犯でしたが、時間の無いときはロードレーサー、雨の日はシティサイクル、それ以外は快適なランドナーで通学していた記憶があります。ほかに、こっそりと、禁止されている原付で登校したこともありましたっけ。

 ともかくその日もお気に入りのランドナーで学校へ行った私。当日は午後の授業をメンドクセーとフケることもなく、まっとうに終業時刻を迎え、少々フラフラした後、先行して歩いている友人たちに追いつくべく、住宅もまばらな、イナカののどかな一本道を走っておりました。
 車の通りはほとんど無く、事実上通学の高校生がほぼ占有していて、今思い返せば恵まれた通学路でした。途中、何本か市道を横切るのですが、その市道を行き交う車もほとんどなく、当日の午後も秋の穏やかな日差しが柔らかく注ぎ、平和な光景でありました。

 一本道を飛ばし、もうすぐ友人たちに追いつくところだった私は、市道との交差点の一旦停止表示なぞ目に入らず、他の生徒たちと同様、いつものように止まることなく市道を突っ切りました。

 そのときです。

 その交差点だけ周囲に民家が林立して見通しが悪く、油断していたことを悔いてももう遅い。急坂になっていた市道を下ってきた1台の白い乗用車に、私は激突してしまったのです。
 衝突したときのことは何も覚えていません。
一瞬ボンネットの上に乗ったような、かすかな記憶はありますが、次の瞬間、地面から立ち上がろうとした自分がいました。

「立つな!」
「立つんじゃない」
 どこかからそんな声が聞こえ、その場に伏せるともう後は動けなくなってしまったことを覚えています。それからの記憶は途切れがちで、初めての救急車の車内とか、病院に着いて横になったまま運び込まれたことぐらい。次に気づいたときは窓の外が真っ暗で、徐々に体のあちこちが痛み始めていました。

 左手首が重めの捻挫のためリハビリを含め、全治数ヶ月。比較的大きな事故だったのに、他には軽い打撲程度で済んだのは不幸中の幸いでした。
 身代わりになってくれた、お気に入りのランドナーは跡形もなくメチャクチャになったそうで、友人たちが口をそろえて「見ないほうがいい」と言い、私の手を経ずに処分されてしまいました。合掌。

 もうひとつあります。
それは、背負っていたリュックに入っていたアルミの弁当箱。背中から地面に落ちた私の体重を受け止めてくれたのでしょう。それなりの厚みがあったのに、カラの弁当箱は、ひしゃげて潰れてしまっておりました。
 ありがとう。君がいなければ今の私は存在していなかったことでしょう。

 それと、相手のドライバーには今でも申し訳なく思っております。当時私は原付といえど免許を持っていたわけで、交通ルールをきちんと守るべき立場でしたから。


 今、一時停止を無視したり、無茶な横断をする中高生を見かけると、昔の自分を思い返してしまいます。あの頃に戻りたいとは、正直思えませぬ。

  教訓:自転車といえども一時停止はしっかり守り、周囲の交通を確認すべし。



 ここでおまけの話があります。
事故当日私が病院に運ばれた後、警察による現場検証があり、友人たちが立ち会ってくれました。

 事故と直接は関係ないものの、そこで浮かんだ疑念があったそうです。
それはあのアルミの弁当箱。ああ、私のリュックにはカラの弁当箱 “しか” 入っていなかったのです。教科書はもちろん、筆記用具すらも。
 ヒドイ話ですが、当時私は教科書や文具をすべて学校の自分の机に置きっぱなしでして、しかも中間・期末テストが終わると、済んだ箇所を破り捨ててしまい、学年末にはすべての教科書の厚みが消滅していたという、破廉恥な高校生でした。

 所持品が極端に少ない高校生を、警察が不審に思うのも無理ありません。
訝しむ警察官に対し、とっさに「この人は頭がいいから教科書とか持ち歩かなくていいんです」という意味不明な弁明をしてくれたK君。ぜんぜん説得力ないけれど、ありがとう。


 バイトはクビになったけれど、いろんな人やモノに助けられたことに、改めて感謝いたします。

その13:ボルトが回るよ、どこまでも(?)

 2025年、厳しい夏の前の梅雨どき。夕刻まで雨が降る予報なのに降らない。ただし強烈な湿気で、自分の体が異様に重い...
 この先、気温が上がる日が続き、強烈に暑くなりそうという予報に気分が滅入りながら、乗り始めて1年近くになるDIO110のギアオイルを交換することにしました。たいした時間はかからず、サクッと終わるはずです。

 流れる汗を拭いつつ機材を準備、ドレンボルトを緩めると妙に手応えが無い... 体感上1〜2 N・m程度といったところで、明らかにおかしい。仮締めしただけ?
一方、注入口側のボルトはまともなトルクで締まっていました。
 ともかくドレンボルトを外して古いオイルを抜きました。オイルはそれなりに汚れていましたが金属粉が目立つなどの異常は見られません。
ギアオイル交換
 続いてワッシャーを新調してドレンボルトを取り付け。ですが、締め込んでいってもまるで手応えがありません。ボルトがどこまでも回ってしまいます...
 ここまで決して大きなトルクをかけてはいません。ビットドライバーにソケットを挿して回しただけ。斜め入りでもありません。ともかくいったんボルト外してみると、破壊したねじ山のカスがボロボロ落ちてきて... ああっ、やってまった(泣)!
 この車両でギアオイルのドレンボルトを外したのは今回初めて。ということは新車の時点で既にねじ山が壊れていたのでしょう。私はハズレの個体を引いてしまったようです。
 保証? 私が触ってしまったことで初期不良だったことを証明できません。おそらく私が壊したということになり、有償修理になると考えられます。

 困った... 翌日からの通勤どうしよう、と凹む私。そうだ、だいぶ前にZZR250のタペット調整で使った液体ガスケットがあったはず、と探し出したものの、既に固化しておりました。用品店に新品を買いに行こうとしたら、にわか雨... テキトーに済ませるなというメッセージととらえました。
 それでも通勤に使うため、ねじロック剤を塗布して応急処置しました。もちろんボルトを締めてもトルクはかかりません。走行中にボルトが外れなければよいのです。ギアオイルを入れ、この状態で通勤に約1週間使いました。あわよくばこのままで、と思いましたが、片道30〜40分の走行でわずかに滲み出しており、やはりきちんと修理しなければなりません。


 さてどうしよう...
 販売店に持ち込み、預かり修理か。ギアケースだけ買って自己修理か。エンジンオイルパンの交換と違ってかなり難しそうです。硬化剤を使ってドレンを塞いでしまう荒業もあるかもですが、さすがに避けたい。ネット情報を探すと、ヘリサート加工という手段があるようです。ネット通販でリコイルキットを購入してみました。
 いざ作業するとなると失敗が怖くて迷いに迷いましたが、覚悟を決め、まずドリルで下穴あけから。スムーズにできず、何度もひっかかりながら、もうやめようか迷いながら、それでも下穴ができると、タップ作業は非常に順調に進みました。切粉を洗浄しコイルを挿入。こちらも予想外にスルスル入ります。入れすぎないよう注意しました。
リコイル挿入  最後の難関がコイルの先端、タングを折る作業。折ったタングを中に落としてしまわないようツールに瞬間接着剤を塗布し、タング部分と接着してから折ったのですが、残念ながら折れたタングはツールから外れてギアケースの中に落ちてしまいました...
ダメかと思いましたがここでマグネットピックアップツールを使ってみると、あっさり折れたタングを取り出せました。よかった!
 これで修復作業完了。ドレンボルトを締め込み、既定のトルクをかけられるようになって、改めてギアオイルを注入しました。参考までに、リコイルキット(M8×P1.25)の価格は¥1,500、送料¥460、ほかにタップハンドル¥1,380でした。(税別、25/6月)

 もっとシリアスな展開を期待されていた方々、修復作業がうまくいって期待外れだったかもしれません。でも私にとって予想外なのは、ここまで手間をかけた結果、ただの道具にすぎなかったDIO110に妙に愛着が湧いてきてしまったこと。必要なくなればさっさと売却するつもりが、容易に手放せなくなってきた気がします...



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