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フィジー旅行記  1991/10月

最終更新日: 2010/02/07

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ここが知りたい: Q&A

※1991年当時の資料ですので 現状にそぐわないところがありますが、ご容赦ください。

◆お金は米ドルを持っていけばいいの?
1F$=約100円と思えばよい。(91年当時) 日本ではF$へ両替できないが、フィジーの銀行で日本円をF$に直接両替できる。 余ったF$は帰りがけにフィジーで日本円に両替することを忘れずに。
ちなみに円→米$→F$と両替すると手数料が余分にかかる。 また、現金のほうがT/Cよりもレートが良い。

◆日本語は通じるの? 英語は?
日本語は全く通じない。 ただ、超高級ホテルなどでは通じるらしい。 英語は公用語として用いられているので どこへいってもだいたい通じる。 しかし人口の40%を占める村のフィジアンたちと仲良くなるためには、フィジー語のあいさつ程度は覚えておきたい。

◆食べ物は何があるの?
街のレストランで出るものは焼飯、野菜炒め、カレーライス、サンドイッチ...などと珍しいものはあまりないが、ボリュームたっぷりでうまい! 予想していたような極端な辛さもなく、比較的薄味で日本人の口に良く合う。 民族料理はかなり探すが、高級ホテル等でないと なかなか簡単にありつくことができないようだ。

◆治安が心配なんだけど...
これはもう文句なくバツグンに良い。 犯罪の起こりそうな雰囲気がないのだ。 これはフィジアンたちがもっているホワッとしたものごし、どこまでも透明で純朴な心のせいかもしれない。

◆ホテルはどんなのがあるの?
リッチ派には宮殿のようなリゾートホテル、長期滞在派にはバンガロー、ふれあい旅行派にはドミトリーなどがある。 高級リゾートホテルは1泊約F$300、バンガローはF$70前後、ドミトリーはF$10前後だが、このなかでもピンからキリまである。 我々は当然のようにドミトリーを利用したが1泊F$8で 清潔で十分に快適な生活を過ごせた。

◆道路事情はどうなの?
島の来た海岸沿いを走るキングスロード、南海岸沿いを走るクイーンズロードを中心に道路が広がっている。 これらの道路は予想以上に整備されていて快適なドライブが楽しめる。 ただカーブが奥へ行くほどきつくなっていたり、村の付近にはスピード減速用の段差(スピードバンプ)があるので注意!

◆どんな人種の人たちが住んでいるの?
フィジーは長い植民地時代を経て1970年にイギリスから独立した国。 農場労働者として入ってきたインド人が今や一番多く50%ぐらい。 原住民のフィジアンが40%、残りは中国人や欧米人である。 植民地時代の影響でキリスト教徒が多い。 そのせいか、日曜日は ほとんどの店が休みになってしまう。

        

あとがき

(この文章は1991年当時のもの そのままです)

 珊瑚が赤黒かった。
 小魚やカニ、ヤドカリたちはたくましく生きていたが、珊瑚はヒトデやウニに食い荒らされ、至るところで無残な姿をさらけ出していた。
 そういえばここに到着する前 上空からフィジー諸島を見たとき、たいていの島は内部が燃えるような緑の木々、海岸は岩や起伏のないサンドベージュの砂浜、そして豊かな珊瑚礁の息づくエメラルドグリーンの海が広がっていた。 だが、このビチレブ島は上空が灰色にかすみ、木々は色あせ、むき出しになった茶色い土と冷たいグレーの舗装道路が続き、寒々とした周りの海は青黒かったのだ。

 海岸で遊んでいるとき、僕たちは海に流れ出る小川を発見した。 川は多少曲がりくねっていたが、上流からの土砂と汚水を少しずつ、だが確実に運んでいた。 上流には何が? 海岸のそばには道路、その向こうには南の島にはおよそ似つかわしくない光景が!!
 そこには山の斜面を切り開いた広大な敷地にゴルフ場がきれいに整備され、毛唐が地元の人を何人かキャディーに従え、ゆうゆうとプレーしていたのだった! ジップンナンの姿も数人見かけた。
 確かに色とりどりの花とヤシの木に囲まれながら18ホールを低価格で回れるのだから、毛唐やジップンナンが押し寄せてもおかしくはないのかもしれない。

 だが彼らは、後ろに従えたキャディーたちが何を思っているか聞いたことがあるのだろうか?
漁師の老人の生活ぶりを聞いたことがあるのだろうか?
ゴルフ場建設のために流したおびただしい土砂と農薬のことを聞いたことがあるのだろうか?
そして数え切れないほどのヒトデやウニになすすべもなく食い荒らされた珊瑚たちの断末魔の叫びを!!