前夜のスコール跡。
雨季ですから、そりゃ雨が降るのは当たり前。 日本でも近年ゲリラ豪雨が災害を引き起こすことがありますけど、ここタイは本場。
前夜も思い切り降りました...
あちこちの道路が冠水しています。
バンコクの中心と言えなくなってきているのかもしれませんけど、このホアランポーン駅、印象的な駅舎です。
タイが好きな人や、タイをよく旅行する人はこの駅舎に ほっとすることもあると思います。 どちらかというとヨーロッパの鉄道駅に似た造りのイメージで、日本の都市部の機能的な鉄道駅舎とはまるで違う印象を受けます。 忙しいビジネスマンには東京駅のほうがはるかに便利なことでしょう。
そういえば東京駅って、神田や御徒町など近隣の駅と比べても、昔からなんとなく冷たいイメージがあるように感じてしまいます。
こちらはアユタヤのワット・プラ・シー・サンペット。
アユタヤを代表する有名な寺院です。
よく整備されているわりには、あまり観光地化されておらず、私が行ったときには人も少なめだったこともあって、不思議とまったりできました。
ワット・ヤイ・チャイモンコン。
こちらは多少観光客が多めだった覚えがあります。
ところで昔のこととはいえ、当時 往路どうやって行ったのか、全く思い出せません。
バンコクからすぐというわけではないので、全行程寝ていたとも思えないのですが、よほど疲れていたのか、心ここにあらずといった状態だったのかもしれません。
フツーの風景だと感じるかもしれません。
興味深く見てしまうかもしれません。
京都のほうがはるかに情緒深い、と思うかもしれません。
まるで熱帯らしくない、という印象かもしれません。
ヨーロッパのお城を見に行ったほうが よっぽど有意義だという向きもあるでしょう。
でもね、何だか落ち着くんです。
日常の仕事の疲れが、少しずつ癒されていくような気がしました。
こちらはバーン・パインの遺跡、水上に浮かぶプラ・アイサワン・ティッパートです。
さきほどの遺跡とずいぶん違う雰囲気なのですけど、これでもアユタヤ王朝時代後期の遺跡です。
他にもギリシャ風やゴシック様式の建物があります。
離宮の庭です。 芝は短く手入れされ、動物を模して刈り上げた低木が見えます。
比較的静かな場所なのですけど、なぜか落ち着いた気分が徐々に失われていくのでした。
中国風の建物、プラ・ティナン・ウェーハート・チャムルーン。
欧米風の建物だけではありません。
ここの建物群は17世紀半ばのものらしいのですけど、当時 大航海時代の欧米の列強がいかに進出してきたか、その対応に苦慮する歴史を想うのも悪くないでしょう。
当時タイに進出したのは欧米だけではなく、中国も、そして日本も例外ではありませんでした。
ここからいよいよチャオプラヤ河のクルーズが始まります。
豪華客船ではありません。
隅田川の水上バスより多少開放感があるような、と言ったら失礼なのかもしれませんけど、過剰なサービスは要りませんよね。
私は川が好きです。
車やバイクだとそうでもないんですが、自転車で旅をすると、出くわした川に見入ってしまうことも多々あります。 そんな、日本で見られる清流とか小川も もちろん好きなんですけど、もっと流れの緩い大きな河に惹かれてしまうのです。 特に視界がほとんど無さそうで、何がいるのかわからないような濁った大きい河。
湖でも海でも沼でも こういう感覚は無く、なぜそんな大きな河が好きなのか、自分でも全然わかりません。
河に入って泳ぎたいわけじゃありません。 何かを獲りたいわけでもありません。 ただ河を眺めているだけで、ただそばにいるだけで、とっても心安らぐのです。
自分でも変だと思います。
砂利を運ぶ運搬船でしょうか。
こういう風景、せかせかしていないゆったりした動きといい、漂う生活感、本当にたまりません!
日本の田園風景を美しいと思う一方、こういった水上の光景も何物にも代え難いものを感じる自分は、かなり変わっていると改めて思います。
海のそばもいいけれど、できればこんな水上家屋に住んでみたい気もします。
実際は増水や虫、衛生面等、厳しい自然に晒されることになるのかもしれませんけど、あこがれます。
空が暗くなった、と思ったら来ました! スコールです! 画像だとわかりにくいですけど、大粒の雨が激しい勢いで降ってます。
時には災害を引き起こしかねないスコール、迷惑なときもあるでしょうけど、自然の “力” を感じる時間でもあります。
激しい雨の中にいると、日ごろの雑念が洗い流されて、なんだか自分自身の奥にしまいこまれていた、動物的な感覚を覚えるような、少し自然の力を分け与えてもらったような、そんな奇妙な気がするのでした。
船がバンコクに近づくと、近代建築物を目にすることも多くなってきました。
情感に訴えるところもほとんどない、極めて合理的な概観です。
もちろんビジネスの場であって、観光目的ではないのですから これでいいのですが、大都市化が進行するほど、どこの国のどこの都市も、似たような機能を持つせいか、どこも似たような印象を覚えることがあります。
バンコクに着き、雑踏と喧騒のチャイナタウンへ向かいました。
独特の臭いも感じます。
顔をしかめる方々もいますけど、なあに、東京や大阪も、そうたいした違いは無いと思います。 あらゆるものが無秩序に高密度で詰まっている、そんな空間。 違うとすれば、日本では人々の活気というかエネルギーをあまり感じないことでしょうか。