三河教労機関紙 『未来を拓く』 2006年3月号
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玄関ホール 沖縄戦の大砲 |
1月6日、さいたま市で行われた障がい児教育の全国交流会に行く途中に、皇居の脇にある靖国神社に行きました。話題の“遊就館”を見学したかったからです。
大鳥居から参道を抜けて拝殿前でカメラを構えると、脇にいた私服の警備員に「内部は撮影禁止です」と止められました。こんなことは初めてで驚かされました。 “遊就館”は拝殿の右手奥まったところにありました。足を入れると、左にゼロ戦、正面に2門の大砲、共に実物が展示してあります。展示室の入り口は2階です。800円の入場券を買ってエスカレーターで上がると、廊下の隅にも小型の大砲や闘う兵士がの像置いてあります。展示室入り口手前に映像ホールがあり、最新の映画『私たちは忘れない−感謝と祈りと誇りを−』が始まったところでした。
“日本の誇りを守る為に”戦った犠牲者を“神”として祀る
映画は、幕末に“外国船が日本を脅かした”ところから始まりました。そして、このような外国からの脅威に立ち向かい、近代国家成立のため、自存自衛のため、日本の誇りを守るために“避け得なかった多くの戦争”の犠牲になってくれた人たちを神として祀るのが靖国神社であるというのが映画の大きな流れでした。
朝鮮については、「アジアの安定のため朝鮮に独立を求めたが、国論が一致せず清国も許さなかったので朝鮮の独立をめぐって日清戦争になり、日本が勝利して朝鮮独立の道が開けた」と述べ、弾圧し植民地化したことは一切触れていません。同じように、日中戦争は、「中国国内は軍閥の争いによって乱れ日本人へのテロが続発した」ので軍をすすめた。太平洋戦争は、アメリカの策略に陥れられてやむを得ずはじめた。と解説します。そして、元兵士たちに「国を守り家族を守るという純粋な気持ちで闘った」「靖国に参拝しなかったら、死んだら靖国で会おうと約束した戦友に申し訳ない」と語らせます。遊就館のパンフには「自由で平等な世界を達成するため」「闘いに尊い命を捧げられた英霊の武勲、御遺徳を顕彰し、近代史の真実を明らかにする」と書かれていました。
平和への「祈り」ではなく“不気味さ”を感じた
日本軍によるアジア諸国の侵略の犠牲者は3千万人と言われます。また、“食料は現地調達せよ”という非科学的な戦術のため、日本兵の戦死者の7割が“餓死”だったと言われています。しかし、遊就館にはそのような事実を伺わせるものは何もありません。わたしは、昨年12月末に沖縄の「ひめゆり祈念館」と「平和公園」を訪れたばかりで記憶も生々しかったので、沖縄の祈念館と遊就館との違いを鮮明に感じました。祈念館では手記をめくりながら、戦争というとてつもなく大きな暴力の下で無惨に死んでいった人々の呻きや願いが聞こえて来ましたが、遊就館では、そのような死者の声を聞くことはありませんでした。最後の展示室に置かれたおびただしい武器が、何とも不気味でした。 (杉浦明永)