よもやまトーク


特にテーマを設けず、その時々の話題や聴講したお話しをメモ代わり、時には独断で気ままに取り上げたいと思っております。


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よもやまトークのファイル帖


外国人市民会議
 去る28日、松坂屋岡崎店6階のコミュニティーサテライトオフィスにおいて外国人市民会議が開催された。会議に先立って石川副市長があいさつされ、岡崎市には67カ国・約12千人の外国人が住民登録されているが、その内容は、ブラジル人6000人、韓国・朝鮮1800人、中国人1800人、フィリピン人1300人・・・とのことであった。
さて、第一部のシンポジウムには、パネラーとして7人の外国人が登壇され、それぞれの母国の状況を語りながら、日本での暮らしとの違いを述べ、様々な討論が進められた。
 2部の国際協力講演会では、「グローバル社会での国際協力」と題して、西アフリカのベナン共和国出身のゾマホンさんが講演された。アフリカ地域は、北部は1千年前にアラブ人に侵略され、中南部は5百年前に西欧諸国に植民地として侵略・支配されてきたとのことであった。アフリカ西海岸に位置する彼の母国ベナン共和国地域も四百年間にわたり支配され、黒人は非人間な奴隷として虐げられ、民族の伝統や言語・着物・食糧・宗教さえも奪われ、国土も西欧列強によって分断されてしまったとのことであった。1960年にフランスから独立したものの、今も貧困に喘いでおり、豊かな資源に恵まれているにも関わらず、先進国の収奪は続いており、国民の平均年収は日本では300万円位なのに対して、母国の年収は6万円位しかないとのことであった。
  また、国際化時代を迎えた今も、日本は、欧米追従、とりわけ米国のご機嫌を伺っているが、もっとアジアに目を向けて話し合うべきではないかと、ユーモアを交えながら提言された。
 特に印象的だったのは、聴衆とのやりとりの中で、戦前の日本の朝鮮や中国・東南アジアへの進出は、列強のアジア進出を阻止し、植民地化を防止した。しかも日本のアジア進出は、西欧諸国のように相手国の文化まで破壊するような野蛮な行為はしなかった。この点については、日本人を評価しているし、日本人として自己否定する必要はないし、もっと自信を持つべきではなかとの忠告もいただいた。田母神航空幕僚長の論文騒動も覚めやらない時期でもあり、目から鱗の落ちる思いがした。


真ん中にはいつも「人」がいる!
 去る217日、岡崎商工会議所の人づくり講演会が大阪出身の若手企業家小西正行氏をお迎えして開催された。 講師の小西氏は、36歳、平成3年にリフォーム会社を創業し、11年連続で増収、社員120名・年商6億円企業のオーナーであり、企業元気化コンサルタントとして講演活動に奔走しているとのことである。
 会社を発展させるには、「企業の理念の浸透と成長ビジョンを明文化・可視化」することが必要だと説かれ、多くの経営者は、戦略・業種・ビジネスモデルが悪いから儲からないと考えがちだが、まず考えなければならないのは、戦略を実行に移せる組織づくりだと述べられた。
当たり前に誰でも続けられることを徹底する。そして、大企業と違って中小企業の最高の戦略の一つは『凡事徹底』。その一つが挨拶の徹底などを挙げている。
「誰でも出来る当たり前のことを実行すること」が戦略実行の土台である。ただ成果がでないと止めてしまうことが多いが、決定したことは無意識の習慣になるまで、続けることが必要だとされ、『凡事徹底』による理念の浸透が成長を生むとされ、ただ、どんな改革も時間がたてば必ず陳腐化する。絶えず新しい変化を生む工夫を意識し諦めの癖を壊すことが大切である。
平常時には改革は出来にくい。この不況時こそチャンスと結ばれた。


新年交礼会
 平成21年の幕開けとなる恒例の新年交礼会が岡崎中央総合公園武道館で開催された。訪れた市民は3800名とほぼ満席で、新年早々から市民がこぞって一堂に会するのは県下はもとより全国的にもまれなようで、まさに岡崎市民の風物詩の一つとして自慢できるのではないだろうか。
 まずオープニングアトラクションとして、昨年の世界合唱大会や全日本合唱コンクールで金賞を受賞するなど世界を舞台に活躍する岡崎高校のコーラス部と全国吟剣詩武コンクール優勝などの実績をもつ岡崎吟剣詩舞道協会の会員2名が出演し、新春を寿ぐ祭事に華を添えた。
 式典では、市長の年頭のことばでは、昨年の市長選挙での3期目の当選に対するお礼と決意、そして日本観測史上7番目となる8月末の豪雨災害により被災された皆様へのおくやみと災害復旧に対するお礼、さらには今後の防災強化への決意などについて述べられた。 次に、矢作市民交流センター・やはぎかんをはじめ、岡崎げんき館、動物総合センター・あにも、図書館交流プラザ・りぶらなどの完成とこれらの運営状況などについて報告され、また、131日と21日には大樹寺から岡崎城を見通すところのビスタラインのライトアップ計画、バス路線整備などについて説明された。
なお、現下の不況対策として、運転資金対策、保証料補助、雇用促進、住宅対策などへの取り組みを報告され、事業の選択と集中を図りながら、負のスパイラルに陥ることを食い止めるために施策面で配慮しているむねを述べられた。
また、東岡崎駅周辺整備についてはまずはバリアフリー化を進める、岡崎駅周辺では自転車駐輪場整備、さらには藤川駅周辺整備、シビックセンター立体駐車場整備、子供発達センターの建設計画などについて説明されたほか、ごみ袋の有料化、板田町の不燃物埋立場の完成は236月末を予定しているほか、形埜の消防署出張所建設、第2東名の平成26年完成、市民協働推進条例の制定計画などについても報告された。
 続く、伊藤商工会議所会頭のことばでは、景気後退局面を迎え、中部地域の経済も大きく冷え込んでいる。国においても44兆円にも及ぶ景気対策が打ち出されたが、岡崎商工会議所としても景気支援策として、資金調達、ビジネスチャンスの拡大、中心市街地・南部地域の活性化、地産地消の推進など、選択と集中を図ってまいりますと決意を述べられ、「春の来ない日はない、春は必ずやって来ます」と締めくくられた。
 このほか、稲垣良美議長、杉浦正健代議士、大塚公平代議士、青山秋男県議員が来賓挨拶として年頭の所感をお話され、坂井一志副議長の音頭により万歳を三唱し、抽選会を経て終了した。


裁判員制度
 近ごろ気になることの一つが裁判員制度である。11月末には裁判員候補者名簿に登録された方々に名簿記載通知が発送され、5月には本格的にスタートしようとしている。ところが、このところのマスコミ論調はどうも制度そのものを後ろ向きに批判的に見ているものが多く、制度を有効に活用しようという姿勢が感じられない。問題がなければ裁判員制度を導入する筈もないのである。
 しかしちょっと考えて見ると、最近の裁判は理不尽な理屈を並び立てて長引かせたり、人権を振りかざして裁判を妨害するなど、裁判そのものが麻痺しているようにも思う。裁判の長期化を指摘されると、裁判官不足を出してくるが、最近の医療事故で医師が少ないことを理由に挙げてくるのと同様に、元を正せば自分たちの特権を護るために、自らが新規参入を阻止してきたためではないかと言いたくなる。オウム真理教事件なども13年たってもいまだに埒があかず、そのまどろこさには門外漢でも腹立たしささえ感ずる。
 三権の一翼を担う司法関係者がその司法特権に胡坐を掻いて、敢えて言わせてもらえるならば事件を食い扶持にしているようなものである。真正面から語られることはないが、裁判員制度導入の本当の理由は、日本の裁判の堕落を是正することにあるというのが私の見解である。
 裁判に携わる方々は司法試験を突破し、司法に精通した優秀な方々ばかりではあるが、専門馬鹿ということもある。ときどき世間の常識から
逸脱した判決に世間が驚愕したり、凶悪事件を助長するような死刑を形骸化するような発言で物議をかもしだしたりしているが、いまこそ普通の人が納得し、理解できる裁判になるよう、裁判員に選ばれた方々は、自信をもって裁判に参加し、堂々と司法改革に果敢に取り組んでほしいと願うのは私ばかりではないと思う。


岡崎のなかったころの岡崎学
 岡崎を考える岡崎学も開講して早くも4年になるとのことである。いつも心待ちにしているものも、開講日には何かと所用があったりしてご無沙汰していたが11月22日、久方ぶりに「古墳時代〜古代の西三河」と題する岡崎美術博物館のA副館長のお話しを聴講させていただいた。
 地域とは区切られた一定のまとまりのある空間であり、今につながる日本の地域は、戦国時代にはじまるとのことであった。ただ、地域学のルーツは古くはエジプト学・アッシリア学の成立に見られるとのことであった。ただ、日本では地域の独自性や中央に対する従属的な立場から地域の自立に向けて評価しようとする動きととらえられているとのことであった。
 『岡崎」という地名が初出されるのは、文明16(1484)年、上宮末寺帳の「オカサキ」とのことである。また、6世紀の「古代旧事本記」「国造本記」には、三河国造と穂国造が表出するが、三川は男川・豊川・矢作川を示すものとされてきたが、その後の考証から類推すると矢作川を御川と称えたものではないかと思われ、三河と穂の二つの国造の成立が覗わせるとの、興味ある見解をご披露いただいた。また、古墳時代から古代の地域性を考証した場合、甲山1号墳は全長100mを超える前方後円墳であったようだとのことであった。愛知から三重県に及ぶ広範囲の考古学の最近の研究成果などもご説明いただくことができた。


吟剣詩武道大会
 師走20日、シビックセンター内の南部市民センター体育集会室において職員仲間の吟剣詩武道発表会が開かれた。K市からも同好の皆さんが数人ご参加くださって、本会に華を添えていただいた。ただ、どこの文化活動も同様だが、詩吟クラブでも高齢化が進み、今ではOBばかりで現職の参加が少ないのが寂しい限りである。
 私が詩吟を習い始めたのは、かれこれ25年も前になる。友人から誘われ、当時、今でもそうだが、冬場になると風邪でもないのに喉がぜいぜいし、咳き込むことが多い。詩吟で喉を鍛えればよくなるのではないかと考えたのと、人前で話すのが苦手なので少しでも度胸が付けばと思いつつ、二つ返事で加入させていただいた。
 ところが、声を張り上げる詩吟は、迂闊に家で練習すれば近所迷惑になる。そこで人気のない川原に行って練習していたのだが長くは続かない。趣味だと割り切ってはいても、仕事との両立もなかなかなかなか大変ものである。異動により職場を変わるたびに練習は中断し、まさに途切れ途切れのクラブ活動となった。しかし定年までには何とか名取くらいにはなりたいと考え、昇段試験だけはまじめに受け、あとしばらくとやや先が見えかけた時になって、クラブの師匠が家元と仲たがいをされ、破門の憂き目となってしまった。
 家元制度の古いしきたりに支えられた斯界では、各種の詩吟大会にも締め出され、参加さえさせてもらえなくなるとのことであり、今まで細々と積み上げてきた段位も役立たずとなってしまった。そこで思い切って岳風会に衣替えしてやり直すことにしたが、最初は節まわしの微妙な違いに戸惑いつつも、何とか3年程が経過して、今に至っている。
 ただ、クラブ活動はあくまで余暇活動と割り切って活動させていただいた。このごろは違ってはきたようだが、昔は仕事はそっちのけで、クラブ活動や麻雀など、いわゆる余暇活動に夢中になっている人が職場にたくさんいて、それらを容認する気風が公務員の世界にはあった。
 私自身も組合やクラブ活動、そしてボランティア活動などに手を染めたこともあったが、これらの活動を職場に持ち込むことについては、極力避け、謹んできた。それが自分の信条でもあった。
 先輩や同僚、そして後輩の中には、こうしたクラブ活動や組合活動、さらにはボランティア活動に現を抜かし、ボランティアグループのリーダーになったことを自慢し、職員組合活動の功績だけで幹部に登用された者もいたようだが、公務員はまさに全体の奉仕者でああり、自分の職務そのものにボランティア精神で臨むべきであり、組合活動、クラブ活動、そしてボランティア活動はまさに余暇活動ととらえるべきでなあり、民間の皆様が身銭を叩いて奉仕しているのとは、大いに違いがあることを自覚すべきではないかと思う。


おいでん施設めぐり
去る11月26日、岡崎市のおいでん施設めぐりに参加させていただいた。早朝といっても午前9時、市役所西庁舎のロビーに総勢28名が集合、主催者のあいさつの後、さっそく東庁舎に移動、1階の防災展示コーナーの見学となった。展示を前に、地震や豪雨災害の状況や防災対策などについて、防災課のK班長がユーモアを交えながら説明され、最後に災害ビデオを鑑賞して、家庭での防災対策の必要性を認識することができた。
本日のコースは額田地域施設めぐりである。一路、市役所額田支所隣の森の総合駅までといっても、作手街道は信号も少なく30分あまりで到着した。総合駅では、おかざき自然体験の森、茅葺の里、おおだの森、くらがり渓谷などについての紹介ビデオが放映され、展示物を見学したところで、前庭に並べられた間伐材の早切りコーナーでは、参加者による競争が始まり、和気藹々、童心にかえって心地よい汗をかいた。
次の日程は茅葺の里、おおよそ20分、さっそく古い民家を活用した茅葺屋敷での蕎麦打ち体験である。地元のおかみさんを講師に4~5人のグループに分かれてワイワイガヤガヤ蕎麦作りを教わり、地元の皆さんの手作りの五平餅、天婦羅や漬物、そして自分たちで打ったばかりの蕎麦を試食し、秋の味覚を存分に味わった。食事後は全員で集合写真をとり、付近を散策。次の日程のくらがり渓谷に向かった。
くらがり渓谷では、駐車場から花の木広場まで1400m余、森林を縫うように連なる舗装道を思い思いに歩き、散在する彩を増しつつある紅葉を写真におさめながら、思い思いに散策した。
 最後の訪問先は足利氏ゆかりの天恩寺である。県道岡崎清岳線沿いの駐車場から
100m余りの参道を登ると筧があり、石段を登ると杉の古木が境内を覆って、風情を醸している。本堂に上り正座し、禅寺の雰囲気を堪能し、住職さんの説明に耳を傾けた。
 足利尊氏が延命地藏菩薩に祈願して勝利し、その後、室町幕府を開き、その遺言の遺志を継いだ三代将軍足利義満が
1362年に創建したとのことである。地蔵堂ともいわれる仏殿やわが国最古の薬医門といわれる山門は国の重文に指定され、境内には家康の命を救ったといわれる大杉などもあり、簡素ながら威厳に満ちた禅寺の風情を堪能することができた。
 
市役所への帰庁したのは4時少し過ぎであったが、同席した年配のFさんも創業された会社を昨年引退され、地域社会との関りを持ち続けらたらと応募されたそうだが、市内にもこんな豊かな自然があり、楽しい旅ができるとは思ってもいなかったと仰っていた。 関係の皆様に感謝。


リブラオープニング・高野孟氏講演 「日本は本当に不況か?」
 リブラがオープンして1週間、第2回の経済図書講演会が17日(土)午後4時、高野孟氏をお迎えして開催された。当日は雨模様で出足も悪かろうと推察して午後2時過ぎに出かけたが、リブラ周辺は車で溢れ、セルビ側にまわってやっと駐車することができた。 講演は先ずは政治情勢から、自民党政権が麻生氏なら選挙の顔として勝てるだろうと福田から麻生にバトンタッチしたが、解散時期を一瞬のためらいによって掴みそこなってしまった。そこで、不況対策として打ち出された定額給付金政策も迷走し、まさに支離滅裂になりつつあり、重みのあるべき総理のことばも二転三転している。1月の通常国会で第2次補正、国債から流用する給付金財源法案など、選挙に向けての難問山積である。
 不況はトヨタを直撃し、実体経済を正常化するためには、まさに本筋に楔を打ち込むためにふしだらな金融を正すことである。  ふり返ってみると、橋本内閣が財政再建、緊縮財政、大幅減税を打ち出したが、結果的に退陣に追い込まれて、総裁選には小渕・梶山・小泉の3氏が立候補した。橋本政権の政策を踏襲しようとした梶山や小泉が敗れ、内閣を組織した小渕政権は、公共事業の拡大路線を打ち出し、大きな誤診をしてしまった。その後を引き継いだ森総理を経て、いよいよ5年半の小泉改革となった。 
 明治来100年、霞ヶ関の官僚指導の政治が続き、世界第2位の経済大国となったが、成熟した先進国とは程遠い政治運営がされてきた。小泉政権がおこなった郵政民営化は、チエックされないまま無法図に浪費されていた350兆円という巨額の金を取り戻し、いうなれば世界最大の銀行の民営化であったといえる。ギガバンク、3つのメガバンク、地銀、信金等々、不良債権処理が竹中改革が実施され、それなりに大きな改革が実行されたが、その時の金融庁の検査マニュアルが今の状況を打開するうえにおいては、大きな足かせになっている。世界人口は60億人、それが1.2億人の日本人が世界経済の10分の1の富を生み出し、働いている。まさに日本には潜在的な力を持っているのに、金融が足を引っ張っているのだ。
 今話題の定額給付金は何だ。富を生み出す国民の力はある。宮沢喜一氏は3%の経済成長率が必要だといっていただ、今や1%で満足すべき時代である。失われた10年ともいわれているが毎年1%の成長はキープしていたことを認めるべきである。 中小企業だけでなく大企業のトヨタ・ホンダ・日産などの大変な時代であり、自動車業界の再編が進行している。
 
中小企業でも、豊橋市の樹研工業の松浦社長のように、百万分の1gの世界一の極小歯車や青森のハンダ付名人のようにものづくりで成功している人もいる。GMの経営破綻はものづくり企業が金融に手を染めた結果である。AIG保険ではCDS商品の債権支払い不能によるものであり、ブッシュ大統領の躊躇いが問題をこじらせ、仏のサルコジ大統領、英のブラウンに押されて、七千億の不良債権を買い取ることになった。
 
ただ、こうした経営責任者は、リーマン75億円、サブプライムは40億円の年収を得ているのである。こうした巨額の報酬を得たアメリカの銀行などの経営者が大リーガーを買収し、運営しているのだ。まさに米国経済は危機的な破綻に落ちっているのだ。中国の温家宝首相は「社会主義だから市場経済を管理できる」と言っている。マスコミの軽薄な報道に惑わされることのないように見守っていきたい。等々の興味深いお話しをお聞かせいただいた。


リブラオープニング・徳川宗家十八代当主徳川恒孝氏講演 「江戸の遺伝子、岡崎の遺伝子」
 待望の図書館交流プラザが完成し、その記念事業である徳川宗家18代当主徳川恒孝氏の「江戸の遺伝子、岡崎の遺伝子」と題する講演会が111日リブラホールで開催された。
 講演に先立って第5回徳川家康公作文コンクールの最優秀賞(徳川賞)の梅園小学校6年加藤いく子さんの「平和な社会を作った家康」の本人自らの朗読披露がされた。家康の生い立ちを調べた上で、平和を希求したその事績を明らかにした素晴らしい発表にしばし会場も感動に包まれて、講演に華を添えることとなった。 講演で徳川氏は、日本の歴史教育について、日本史と西洋史の教えるテンポが違い、その時々の全体像、そのとき世界はどうだったかが分かりにくくなっている。華やかに見える桃山時代も、秀吉は、国内が混乱し、悲惨な生活にもかかわらず、いわゆる文禄・慶長の役という国際戦争を起こし、16万人が朝鮮に派遣されたが帰国できたのは10万人という大変な悲劇を生んでいる。関が原の戦いはこうした情況の中で天下分け目の戦いとなったが、これによって1600年から明治まで平和な日本を築くことになったのである。そのときの世界はどうかというと、当時のヨーロッパ100年の中で戦争がなかったのは6年だけで、30年戦争ではドイツの人口は34割減ったし、中南米のインカでもコロンブスの上陸により、麻疹や疫病の免疫力を持たなかった新大陸の人々は7割も減るなど、大変な惨劇をもたらしている。また、北米ではインディアン4000万人が400万に激減し、その労働力を補うために、アフリカから2000万人から4000万人の奴隷として連れてこられた。 江戸時代は、明け六つから暮れ六つまで人々は働いて寝る。牛豚などは食べなかったが、3300万人の人々は東京湾で採れる魚でたんぱく質を補った。まさに自然のサイクルを考えた生活で暮らしていた。 家康は忍耐を重ね、真の平和を希求した人だった。今川氏に人質として送られる途次、蒲郡で織田氏にさわられ、人質として信長と知り合った。後に人質交換で今川氏に引き取られ、今川氏に属することになるのだが、その後の人生を見ると、信長と家康の間には幼少期に培われた特別な信頼感がみられ、まさに歴史の不思議さを感じる。 厭離穢土・欣求浄土の願いから元号を元和とし、平和のスタートとし、武から文の政治に変革した。元禄時代には出版物も世界一になり、新田開発や治水が進んだこともあって、人口は1200万人から3000万人に倍増した。 また、1600年代には、姫路・熊本・駿府などをはじめとして地方都市の8割は城下町として発展している。世の中が平和になり、街道・法制・度量衡が整い、経済活動も活発になった。また、俳諧などの文化も進んだ。戦争には費用がかかるものであり、秀吉は73民とまさに生かさず殺さずとしたが、家康はこれを3公7民として減税している。また、大名の半数近くは三河出身で、尾張も含めると6割にもなり、この岡崎を中心とした人々が、譜代大名として全国あちこちに移封され、日本中に三河武士のちゃらちゃらしない三河魂の質実剛健さが伝わった。当時の人口は3100万人くらいと推計されているが、元禄以降、資源が頭打ちとなり、吉宗は175060年に世界で始めて人口調査を行った。ただこの当時は、4割の子どもは死亡し、それ以前は神の子とされ7歳から人間の世界の仲間に入るとされていた。西洋では資源が足りないと植民地にして収奪をしたが、吉宗は植林や河川改修を行って、農業や漁業による資源確保を進めた。こうした施策により、隅田川や佃島が開発された。 教育についても、武士は儒教を学び、寺子屋では商人は商家往来、大工は大工往来などのように進路に会った教育がされた。当時、西洋では95%が文盲で日本人の識字率の高さに外国人が驚いている。
 今回の講演では、家康像について今まで歴史教科書では示されなかった事柄の数々について、まさに目から鱗が転げ落ちるような新鮮なお話しばかりであった。


爆裂売上達成講演会
 去る8月6日、岡崎商工会議所において、オラクルひと・しくみ研究所代表 小阪裕司氏の講演会が開催された。講師の小阪氏は、ワクワク系(感性価値)マーケティング実践会の主催者で、ひとに焦点をあてた販売戦略の実践者として成果をあげ、その支持者を中心に指導を行っている。
 その内容は、工業社会が進み、情報化され、まさに感性の社会ともいわれ、不確実性、予測不能、速い変化につれ、お客様の消費行動は感性化している。今までは、商品と数字で商売していたが、これからは人を中心に、お客様の行動・動機付けの商売でなくてはならない。購買行動は、・認知する・関心を持つ・よく見る(読む)・手に取る・購入を決める・・・ことになる。

 お客様の行動があって、売上があがる。理由があれば人は行動する。顧客獲得は、他店のお客を対象にするものであり、会社の思い。こだわり。取り組み。歴史。Etc お客様につたえ、絆を築くことであり、ワクワク系の上手になるには、最初はできないが、慣れれば誰でもできる。関心の無い人には、情報を整えて、行動の動機付けを考える。価値あるものの価値をお客様にお教えてあげ、お客様の人生を豊かにする。お客さまから「どうしてこの商品を買わなければならないか」と聞かれた時の答えを、お客さまに教えてあげる。お客様は神様といわれるが、この点ではお客様はお弟子さんともいえる。  小企業の経営に関わる一人として多くの示唆をいただいた。


防災講習会
 岡崎商工会議所では、会員企業の啓発組織として、各企業の職種に沿って7つの部会が設けられている。その一つである情報文化部会の月例会として10月17日に消防本部において防災講習会が開催された。

 最初に県議の中根義一副部会長の挨拶があり、市防災課米坂班長から「岡崎市における防災対策について」の講話をお聴きした。東海地震についても説明があり、30年以内の発生確率は87%とのこと。そして市内最大震度は6強、市内の被害は死者20人、建物全半壊4,500棟、非難者2,400人と予想されているとのことであった。
 また、地震予知は、観測、注意、予知情報、そして警戒宣言が発令される手順になっているとの説明もされた。また、防災情報の提供方法等についても事細かに解説された。また、去る82829日の豪雨時における被災状況とその対策についても状況報告があり、被害の実情と実態を知ることが出来た。
 講演の後、消防本部前においての地震体験車試乗、AEDの使用実技、そして通信司令室の見学、さらには東庁舎防災展示コーナーの見学と説明等、中身の充実した講習において、各コーナーでは多くの質疑応答もあり、短い時間ながら充実した防災講習会となった。