アンコール・ワット(カンボジア)
           と
ハロン湾(ベトナム)を巡る
 幼い頃には、よく児童年鑑や図鑑を開いて眺めていた。
その中で、アンコール・ワット遺跡とアプサラ・ダンスを、興味深く見ていた記憶が蘇ってきた。

 国内旅行はともかく、これまではヨーロッパをはじめ、遠方の国の世界遺産を中心にした
撮影旅行が多かったが、今回の二都市で見たものは、自分が育ってきた頃の暮らしぶりや
発展途上の様子を思いめぐらせてくれたことが、
これまでの旅行とは違った体験であった。

 遺跡群は、想像していたより広くて大きいと言う印象であったが、
1000年の歴史が自然崩壊を想像以上に進めていることに認識を新たにした。
 
 カンボジアでは、シェムリアップ市内のホテルから、アンコール・トム遺跡、アンコール・ワット遺跡、
郊外にあるバンテアイ・スレイ遺跡、再びシェムリアップへ戻って、
タ・プロム寺院などの見学と撮影ができた。

 民族舞踊であるアプサラダンスも、エキゾチックナ音楽の調べの中で、楽しませてもらった。
 三日目の夕方にはベトナムのハノイへ移動して、翌日からハロン湾の奇岩風景の自然と、
それとは対照的な雑踏のハノイ市街の観光も出来た。

 今回も、ありきたりの観光写真を並べることになってしまったが、
ご笑覧頂ければ幸いです。

アンコール・トム遺跡は、南大門を通って左右に聖池のある
東門テラスからバイヨン廟に入った。
 回廊に刻まれたレリーフには、人物や魚、船などの庶民生活や風俗、
隣国との激戦の様子などの大絵巻が描かれていた。
 「クメールの微笑」で知られる49基の塔が、不可解な笑みを
浮かべている。
夕方以降に見たら、さぞかし不気味な光景であろうと勝手な想像をする。
女神デヴァダー
 儀式や式典に使われたとされる象のテラスの壁面には、
巨象の列が横向きのポーズで連なる。
神鳥ガルーダも、両腕で力いっぱいテラスを支えている。
 
 環濠に囲まれたアンコール・ワットの雄姿が車窓から見えてきた。
 今から、アンコール建築・芸術の集大成が見られると思うと、
気持ちがワクワクする。 
 アンコールの遺跡では、西面が正面なっている。
クメールの風習では、死者は必ず頭を西向きに
置くこととされているからだと言われる。
 参道は、長さが540mで山門から寺院の
第一回廊までを一直線で結んでいる。
汗が滲む。
ここが観光写真の定番。
寺院に向かって左側の聖池から見た水鏡に映すアンコール・ワット。
 十字回廊は、石組のプールが四つある中庭。
当時は雨水を注ぎ蓄えられて、神々に近づく前に、
身を清める神聖な水浴池だっだという。
 寺院内では1560体の女神像があり、
表情や装身具、格好もさまざまである。
観光客の手脂で光っている?
第三回廊へ登る急階段には手すりがあった。  芸術的に作り上げられた大建築の柱や
壁の随所で見られる精緻な彫り物は、
宗教的な香りがする。
 第一回廊の壁は、
全長1.5キロにわたって
鮮やかな浮き彫り像が続いている。
砂岩に施された彫りは浅く、
かつては金泥を漆で留めて採色されていた。
 天国と地獄の図。
天国の図(上)の方は、
参詣者が手で触るので
手脂が付き浮彫が光っている



アプサラダンスは、アンコール王朝時代、
宗教儀式や宮廷のお祝い事の席で舞われていたもの。
独特の手首の動きや腰を後ろに突き出した姿勢で、
ゆっくりとした優雅な舞が印象的であった。
  
 アンコール・ワットの朝日観賞に、午前5時集合で懐中電灯を頼りに出掛ける。
定番の撮影地点の聖池前には、人だかりで背の低い人は
ポイントを決めるのに苦労する。
これは僕の一枚。
 今日は、シェムリアップから
北へ40q離れた郊外にある
「東洋のモナリザ」で有名な
バンテアイ・スレイ(女の砦)
遺跡からスタート。

 この遺跡は、東西200m、
南北100mの
こじんまりとした寺院。
ヒンドゥー神話を題材にした浮き彫りの装飾は、アンコール芸術随一の秀逸品と言われる。
 これまでに、アンコール・トムやアンコール・ワットのような広大で要塞のような遺跡と
比べると、この遺跡は小さいが緻密な浮き彫りの装飾が赤色砂岩に彫り込まれ、
日本人的な匠の技を感じる。 
 また、夕日に照らされるとバラ色に燃え上がるように、
寺院全体が燦然と輝きを放ち出すと言う。
一度見たいものだね。
 見たぁ!
これが「東洋のモナリザ」
と言われる女神像。

 数あるアンコール遺跡
の中でも、創建当時
の面影を色濃く
残しているが、
10年以上前の画像と
比べると、風化が
進んでいるのが
分かる。
 再びアンコールへ戻って、
ジャヤバルマン7世が母親の苔堤を弔うために
造営した仏教寺院、タ・プロム遺跡を見た。
 東西1q、南北600mの周壁に
囲まれた境内は、回廊で結ばれており、
崩壊している部分が痛々しい。 
  樹木が遺跡から根を生やし、
今も倒壊の危機に瀕している
様子がうかがえる。 

 とりわけ寺院周辺は
森が深く、ガジュマルの樹が
遺跡の大部分を覆い尽くす
勢いで、成長している姿を
目の当たりにした。

 遺跡も榕樹もどちらも
痛々しいが、この状態を
維持する
ことになったと言う。
 夕方には、シェムリアップ空港からベトナムのハノイへ移動。
世界遺産のハロン湾やハノイ市内の観光に向かった。

ベトナム随一の景勝地と言われるハロン湾。
翡翠色の静かな海面に、大小2000近くの奇岩がそびえ立ち、幻想的な風景を織りなしている。
クルーズは、水上家屋や養殖場の近くを通り、奇岩を眺めながら進む。

ハロン湾のシンボル的な存在の闘鶏岩。
自然の造形の不思議さに驚くばかりだ。
同じ奇岩でも、船が進んで角度が変わるとその姿を変える。
この闘鶏岩も一回りするといろいろな姿に変わる。
ホテル最上階のレストランから、ハロン湾を照らす朝日の風景が眺められた
 ハノイの町から外れて、のどかな田園風景の中を進むと、
穏やかな時間の流れの中での陶器づくりの暮らしのバッチャン村に着く。

ベトナム特産の陶器で最も有名なのがバッチャン村で生産されるバッチャン焼。
白地にブルーの染付の焼き物で、素朴な風合いが印象的。
 文廟は、孔子を祭るために1070年に建立されたもので、
境内にはベトナム最古の大学があり、アオザイで正装した女学生が
記念撮影していた。
 
ホーチミン廟と迎賓館。
1969年に亡くなったホー・チ・ミンの遺体が安置されている。 
大理石づくりの廟は、ハスの花をかたどってデザインされた。

ホー・チ・ミンは、フランス統治時代からベトナム戦争まで
ベトナム革命を指導した初代ベトナム民主共和国主席。
一柱寺
 1049年に建てられたハノイを
象徴する古刹で、
仏教寺院内の桜閣。

ハスの花を摸して建てられたと
言われ、
一本の柱で
支えられている寺。
大教会
 フランス統治時代の1912年に、
現在のネオゴシック様式に
改築された
ハノイで
最も大きい大教会

周辺は、フランス的な風景が漂う。
ハノイ旧市街
 ハノイ36通り(旧市街)は、
36業種の職人が職種ごとに
分かれて
暮らす通りで、
道は狭く雑踏で歩きにくい。
 終わりに

 アンコール・ワットでは、とても二日間では廻れない遺跡の数と広さの
貴重な世界遺産を、駆け足で見てきたという印象はぬぐえない。

 アンコールの建築技術の神髄が注がれた寺院、壁画、細やかな
浮き彫り細工などを見ると、日光東照宮とは比べられない神秘な歴史の世界を
感じさせてくれた。

 形のある石積みだけでなく、これだけの宗教的な香りのする石の大建築を
芸術的に作り上げるには、単に人を奴隷のように使っただけでは出来ない。
やはり、クメール人の宗教的な情熱が傑作を生んだのか?
物語を持ったレリーフを彫刻すると言う作業をする者の根底にあるものは
何であろう? 
不勉強なまま観光してきた自分が恥ずかしい。

 ハロン湾の奇岩群は、ここでの自然界の神秘さを見せてくれる。
世界には、まだいろいろな神秘的な世界が多くあるであろう。

 最後に、ベトナム料理では、米粉で作った白い麺の「フォー」や生春巻きなど、
日本人の味には違和感のない食べ物であったし、
南国の果物も美味しく頂けた。


 今回も、50ページを超える旅行記の一端しか記載できなかったのが残念ですが、
お眼通し頂きありがとうございました。

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