矢作川水系(主に本流)の風景
6月
長野県平谷村
源流の山:大川入山(標高1,908m)
流域面積:1,830平方km(山地1,630平方km/平地200平方km)
幹川流路延長:117km
改修事業経過:現基本計画昭和49年(建設省)、矢作ダム完成昭和46年

茶臼山が矢作川の本当の源流ではないかという疑惑が湧いてまいりました。ほんとはどっち?(新源流?)(元祖源流?)(本家源流?)(国土交通省?)(国土地理院?)(平谷村?)(根羽村?)(河川管理?)(地理歴史?)
最源流はどうなっていますか、大変興味があります。いつか写真を。
源流:柳川
最上流の砂防ダム?
この奥に一般人は入れません。
このダムに砂利が堆積していれば撤去を?
魚道は無い。
砂防ダムの水抜き穴から流れ出ている生まれたばかりの源流の水。
砂防ダム直下の矢作川の清き流れ。
近く、私の手でなんとしても三河海へ届けることにしております。
後日実現しました。証拠写真も掲載しました。
矢作川にとっても歴史的な第一歩となるでしょう。
河口まで平均流速毎秒1メートルとして32.5時間、毎秒0.5メートルであれば倍の65時間の旅です。2.7日〜3日弱となります。
いずれは大規模な水源祭・感謝祭をしたいです。
同場所
下流へ
ここから川の旅が始まります。
山砂川砂の旅も。
どんな運命が待ち受けているのでしょうか?
砂防ダム直下に設けられた源流を示す記念碑(建設省主導の)。
私は認めません。源流の山はなにがなんでも茶臼山(国土地理院)だ。
大川入山の南に位置する長者峰(標高1,574m)の中腹に置かれた表示板。
この山の頂上付近は見事な笹原です。熊笹か都笹か分かりませんでした。
笹の間にレンゲツツジの花を発見。いつの頃か樹林帯が広く伐採されたのでは、中腹では唐松林を見ました。秋の黄葉が美しいでしょう。もう一度秋に訪れたいです。
平谷村は根羽村より唐松林が多いように感じました。近年の植林でしょう。今後の植林計画は?広葉樹林が欲しいです。
靭(うつぼ)橋の上
(旧)国道153号線
アマゴ釣り場?
うつぼ橋の下
(旧)国道153号線
うつぼ橋より
(旧)国道153号線(旧飯田街道)
古びた道路標識が残っております。時代の変化に抗うかのように見えました。
うつぼ集落の南の外れ付近。
曰くありげな地名です。
近くに古跡があります。
(旧)国道153号線
うつぼ集落の北外れ、右、治部坂峠(飯田街道)登り坂の入り口、左、源流部への分岐点。
旧街道は一部小型自動車以下の通行が出来そうです。旅人の雰囲気を少しだけ味わってみるのも悪くないでしょう。根羽村の「そまじ峠」も一部通行出来るようです。
6月
平谷別荘地の横を流れ下る。
この間、左岸(国道153号線沿い)にすでに桜並木があります。
「塩の道、桜街道づくり事業」の中に組み入れ可能です。
右岸、諏訪神社
宮の前橋の上
驚いたことに、「宮の前橋」の欄干に上村川と?地図では柳川となっていてどういうことか不思議です?
アマゴ釣り場。
諏訪神社
宮の前橋の下
「平谷村漁協」
アマゴ釣り場
平谷平
左岸、「ひまわりの湯」と「道の駅」大駐車場。
完全無欠のアスファルト舗装。
周囲に小さな樹木がちょこっとだけ。
これでは雨水は川へ流れるか蒸発するしかありません。
雨水は地下へ浸透させることが大切でしょう。
せめて駐車場の周囲を広葉樹で植樹して欲しいです。50本ほどか?根元の周囲を舗装するのはもってのほか。根張りが出来なくなります。強風で倒れます。
「ひまわりの湯」の駐車場から出た雨水はこの排水溝から川に放出されます。全部か一部か分かりませんが他個所にも排水溝があれば勿論そこからも。雨の日に一度見てみたいです。
アスファルト舗装では雨水を地下に浸透させることが出来ません。浸透性の素材での舗装のやり直しかまたは雨水タンクと雨水浸透マス(間伐材で作ったらどうか)の設置をお願いします。
田んぼや畑であればと思うのです。
下流のことまで考えていられないということでしょうか?
この間
平谷平。
左岸、平谷村役場
まずは真新しい立派な庁舎にみなさん驚かされるでしょう。
南隣の根羽村役場との余りに極端な違いようにびっくり。城郭にも似た構えです。
またあちこちにある村の公共事業は、今、地方のあちこちにある似たような姿と重なって日本の小さな縮図を見る思いが致しますがどうでしょうか?森林が田畑が消えて行くようで心配です。
これだけの投資(施設建設)をして村の財政は心配ないか?借金は無いか?それで過疎化は止まったか?集客は?この次はなにを考えているのか?
それにしても山村でこれだけのお金がどこから出てくるのか素人の私にはまったく分かりません。
どこの自治体も歳入を確保するのに大変な苦労しているというのにどうしてこれだけのことが出来るのかぜひ知りたいところです。
平谷村の気象観測・雨量観測はどこで行われていますか。
飯田街道「平谷宿」「治部坂峠」「赤坂峠」
柳川橋の上
手前が柳川の終着点。
左岸に入川が合流。
よく似た流量に見えます?
入川
合流する手前、遠くに平谷橋(塩の道・飯田街道)。
平谷宿の中心部。北の宿場と南の宿場を結びます。
アマゴ釣り場。
災害復旧による河川整備の護岸でしょうか、景観や自然が失われているように見えますがみなさんはどのように見られますか?
河川の直線化?
せめて柳か桜の木を両岸に植樹出来たらと思うのですが?
ご提案の「塩の道、桜街道づくり」はいかがでしょうか?
入川
平谷橋の下、遠くに国道153号線の橋。
すぐ下流で柳川と合流。
このやり方は洪水が出た時は兎も角早く下流へ流してしまおうという考えではないか?
下流のことが考えてあるのでしょうか?
入川の上流の治山治水事業は田畑はどんな状況かそこが肝心要。
「この地点は」
矢作川源流の川とされる柳川と入川が合流して平谷川と名を変えさらにもう一度上村川と名を変えて下流へ、ということになるはずですがもしかして違うかも?調査中です。

「ここから下流は」
平谷川:長野県管理1級河川。

平成12年9月、東海豪雨の時甚大な被害が発生しました。平谷村役場も罹災。下流の岐阜県(旧)上矢作町へ多大な影響を及ぼしたものと推定しております。
豪雨の名前を付けて村人の記憶に長く留めて欲しい。
今後も平谷村(根羽村を含む)の森林整備と河川整備と田畑保全の行方が矢作川の本流全域に多大な影響をもたらすでしょう。

この下流で国土交通省が「上矢作ダム」を計画
平谷川
この間、「平谷えん堤?」
環境放流は?魚道は?
「平谷発電所」
営業運転:平成8年4月(矢作川水系で一番新しい水力発電所)
最大出力:8,100kw
何でもやってしまう平谷村?
村の収入にどれだけ貢献したか?
岐阜県恵那市
上村川
この間、「上村えん堤?」
環境放流は?魚道は?
「上村発電所」
営業運転:大正14年11月
最大出力:9,800kw
発電所の位置は(計画中)上矢作ダムのすぐ下流にある。
上矢作ダムが建設されると「上村えん堤」はダムの貯水池で水没か?
上矢作ダムが建設されると「上村発電所」はどうなるか?廃止か存続か?
11月
岐阜県恵那市
左岸、長野県根羽村
「明林橋」
近くに明治用水の水源涵養林があります。
近くにイワナ釣り場で有名な「支流・合川」があります。でも入川はなかなか難しそう、玄人向きか?
平谷村から流出する河川流量を観測・調査する地点の一つとしてこの付近を提案します。

恵那市(旧上矢作町)
「喉の滝」
「上矢作ダム」が完成しますと水没するのではという心配があります。
滝とは急流のことだそうです。
垂直に落ちてはいませんが正に激流。
この付近から下流は深い谷が続く。
矢作川本流の中でも特異な地形。

恵那市
上村川右岸
達原集落
「上矢作ダム」で水没か?
国道418号線が通る。
集落間はほぼ1車線の狭い道路。
ダムを理由に生活基盤整備が放置されている模様。
恵那市
上村川右岸
達原集落
「上矢作ダム」で水没か?
森林整備が遅れておりますようで集中豪雨時の山腹崩壊(山崩れ・沢抜け)が心配されます。
移転過疎化が進んでいるようです。
恵那市
上村川
達原渓谷
秋の紅葉シーズンが良いでしょう。
川縁に広葉樹その上は山頂部まで手入れが余りされていないスギ・ヒノキの人工林が広がります。
山が急峻なこの付近の両岸は、矢作川上流域森林整備保全の重要な地点の一つでしょう。
「上矢作ダム」で水没か?
恵那市上矢作町大平地区
上村川左岸
フクジュ草の群生地。
ダム貯水池の湛水前に移植する、という話が。
「上矢作ダム」
計画地

(岐阜県・長野県境)

「上矢作ダム」計画の概要

建設地:岐阜県恵那市(旧上矢作町)および長野県根羽村を含む。

総貯水量      :5,400万トン
治水容量      :1,600万トン
発電・他目的容量 :3,200万トン
堆砂容量      :600万トン
計画規模      :150分の1確率
事業費       :約1,000億円

矢作川流域委員会に提出された資料と運営の疑問
▲基本高水流量(国土交通省策定)に科学的根拠が不明、説明文も無い。など公開された各種資料の数値に信頼性が欠如。客観性が見られない。
▲ともかく「上矢作ダム」ありきの資料だけであって、500年に一度の「東海豪雨」を対象に資料作成をしている。これでは森林問題・河川改修堤防強化問題・遊水地問題・全流域対応問題など環境問題も含めた流域的総合的現実的な検討が出来ないことは明白。また検討する意志が無いともいえます。国土交通省的表面的部分的な都合の良い資料しか出さない。出すと虚構がばれることを恐れているのかも。また検証分析出来る委員が参加しておられますでしょうか?
▲ダム・河口堰に変わる治水代替案が何もない。
▲堤防から一滴も越水させないことを整備目標にしている。
▲明治用水頭首工及び上部貯水池の治水上の検証分析を排除している。
▲治水課題の内、豊田市街左岸の越水浸水実績地域の対策は直下の鵜の首狭窄部とそれに連続する明治用水頭首工と一体で検証する必要があり、この間の最大通過流量を科学的に実証し上流側と下流側の治水対策を同時進行で決定しなければならない。一方的であってはならない。この間を改修したことで上流側の浸水問題が解消されても下流側にしわ寄せが及んではならない。つまり改修をすると通過河川流量が増加することになるので下流の治水安全度を確認し新たに対策が必要であれば先行して河川改修を施工しておかなければならないということです。しかしこのことをもって「上矢作ダム」を建設する理由にしてはならない。この点淀川水系「川上ダム」計画とよく似ているような気がします。
▲尚、鵜の首狭窄部は景観が優れていますので開削しない。自然環境景観も含め総合的に国土交通省の所管を超えた課題も策定する。


■「上矢作ダム」がいらない理由。
●500年に一度の最大降水量の「東海豪雨」を河川整備の目標にすべきではない。今後ダムに頼らない方法で継続的に科学的な適切な対策が取られるならば、将来同規模の降水量があっても、、治水上の支障はない。
●「上矢作ダム」の治水容量1,600万トンは下流にある「既設:矢作ダム」の利水容量5,000万トンから1,600万トンを削減して現治水容量1,500万トンに振り替え・上乗せする手法もある。また水利権の変更や放流操作運用規則の変更で対応することも出来ます。「建設中:徳山ダム」でも治水・利水容量の変更を国土交通省は簡単にやりました。
●不特定容量(発電容量)は今どきもってのほか。現在ダム直下に「既設:上村発電所」があります。

●中部電力、電力事情
【中部電力は2日、すでに着工済みの川浦水力発電所(岐阜県関市、最大出力130万kw)と武豊火力発電所(愛知県武豊町、最大出力100万kw)の建設中止を決め、関係自治体に通告した。・・・・・】(朝日060203)
【中部電力は、真夏の日中などピーク時の電力需要の伸び率を見直し、今後10年間の見通しを過去最低の0.8%程度にする方針を固めた。・・・・・】(朝日060204)
【電力会社10社と、卸売り専業のJパワー(電源開発)、日本原子力発電の06年度供給計画が出そろった。10年後までの販売電力量の年平均伸び率を6年連続で下方修正し、計画がある原発14基のうち6基の稼働時期を延期した。・・・・・】(朝日060331)

●「東海豪雨」で大きな被害を受けたダム直下の上矢作地区の河川整備は施工中かすでに完成でしょう。
●全流域で治水力・保水力の維持拡大、豊田市街流域対応対策、森林整備緑のダム、河川整備、矢作ダム水利権運用操作など改善、明治用水頭首工(利水ダム)運用操作など改善。
●全流域で破堤しない堤防整備。
●税金交付金などは不要不急な事業に使わない。

■この計画は百害あって一理なし。
「東海豪雨」は500年に一度の既往最大高水であったとのこと(国土交通省発表)。上矢作町槍ヶ入観測所で最大1時間降水量80mm、2日間降水量595mm。稲武町で最大1時間降水量81mm、連続雨量462mm。
二番目の昭和34年伊勢湾台風はもっと小型(岡崎市岩津基準地点:推定最大流量毎秒3,600トン)。矢作川流域の1時間降水量70〜80mm連続雨量300mm近く。本流の堤防決壊は無し。河口近くで高潮による被害だけ。
昭和49年から一度も変わらない基本高水流量(岡崎市岩津基準地点:毎秒8,100トン)、計画高水流量(同毎秒6,400トン)。

ダムの寿命は100年か150年?
ロックフィルダムは原石採掘山が必要です。どこでどのくらい?そこでも森林壊しが行われて。
国道418号の付け替え道路でまた森林破壊。
事業費は当初見込み額約1,000億円の2倍にも3倍にもなることが当たり前に。完成すると保守維持費も付いてきます。流木や碓砂処理も。

地元の建設業者に仕事が回らなくで恩恵はほとんど無し。談合の可能性あり。政官業の癒着構造の疑惑が十分にある。
堆砂容量600万トン、川砂の移動は?処理費用や処理方法は?
事業規模150分の1確率には疑問、下流にあるより大きな「矢作ダム」が80分の1確率。150分の1にしたのは全国的な大型ダム建設推進や河川工事を生み出すための政官業の密接な関係ではないかとも考えます。

◇昭和34年「伊勢湾台風」時は「矢作ダム」がまだ無かったのに増水による大きな被害も出なかったようです。かえって「矢作ダム」が無かったことが幸いしたのではないかと。また流域全体の保水力も河川自体の治水力も十分機能したという証明になるのでは。田んぼも畑も溜池もたくさんあったし市街化もまだ進んでいなかったことが幸いしたのでは。つまり当時の流域の保水力を科学的に検証しほぼそれに近い矢作川流域の保水力を再現再生できるなら「矢作ダム」はいらないということになる。

みなさんはどのように考えますか。

■さらに
生物の自由な移動が妨げられるのでは?
貯水池の水質悪化対策は?
ワシ・タカ類等をはじめ希少動植物の長期にわたる生息調査観測は?生息した時に保護の方法が無い。ほとんど対策を考えていない?
水没森林対策は?代替分の森林は何処にどの位?
計画地の岐阜県恵那市上矢作地区住民の生活補償は?
上流部の長野県平谷村根羽村岐阜県恵那市上矢作地区の森林整備や河川整備や田畑の保全の検証は?

「東海豪雨」後に実施された上村川上矢作地区の災害復旧河川整備は旧来型の工法がとられているとみます。上流の長野県平谷村の平谷川の河川工事も同じでしょう。河川の直線化は短時間大量洪水につながると心配します。下流への治水負担がより一層増えたでしょう。
高水流量や上流部下流部の流域保水力の継続的測定計測検証は?中部地方整備局から独立した機関で実施を。
全国各地のダム計画で国交省が算出した基本高水流量や計画高水流量に対する疑問の数々。

ダム地点の国交省とは別の独立した第三者による厳密な地質調査は断層調査が必要です。それでもほとんどのことが分からない地下構造。活断層の発見は極めて困難。これは科学の限界でしょう。
この広い地域で天正地震が発生したことが判明しました巨大地震です。過去に発生したことがるということは今後いつか必ず起きることと言えましょう。今や世界の常識に。

■さらに
多方面の学者・研究者による治水・利水・利用・環境などの総合的な検討研究は何も出来ていないようですが?多分野の多数の委員を参加させなければ意味がない。
流域の森林整備の5年・10年計画の策定もすべきでは、国や県の責任でしょう。
発電所をくっ付けたのは単に放流水の利用だけではない深い理由があるのでは?例えばダムの大型化だったり、近くの山岡町の小里川ダムと似ています。規模が大きくなると「固定資産税」「電源立地特別交付金」「補助金」など自治体の収入も増えるのでは?そしてその金の使われ方がまた問題?
もしダム事業決定しても完成は20〜30年以後、その時この国の借金は2,000兆円かも?与党政治の継続では借金返済はどだい無理な話。
10数年に及ぶ町民犠牲と税金投入の政治・行政の責任問題は?

自然の脅威は人間の予想を時として越えることがございます。
ダムに頼らない治水対策が望まれます。国交省の頭の中はいつも「治水はダム」。ダム以外の選択肢発想は無し。天下り先が欲しいから?
明日からでも中下流の堤防改修などの手当てを先にした方がよいのではないでしょうか。流域住民のみなさんが行動されることを期待します。
ダム建設費より費用が安い森林整備・河川整備・流域整備を中心に考えなければこの国は破産するでしょう。大増税時代の到来か?
「改正河川法」を超えた新たな立法の取り組みを。自然保護団体のみなさんへ。
昨16年各地で発生した集中豪雨による災害から学ぶべき教訓は?
アメリカのハリケーン「カトリーナ」から学ぶべき教訓は?
台風14号から学ぶべき教訓は?

特に豊田市民の取り組みに期待します。

恵那市
「島えん堤?」
環境放流は?魚道は?
「島発電所」
営業運転:昭和2年12月
最大出力:1,600kw
水利権更新はいつ?ダム撤去、本流ではここからか?
右岸、町の中ほどに飯田洞川が合流します。
「飯田洞えん堤?」
環境放流は?魚道は?
「飯田洞発電所」
営業運転:大正10年10月
最大出力:630kw
恵那市
(旧上矢作町本郷)の家並み
宿場町の面影が残ります。
長野県根羽村とは大桑峠を中に挟んで山越えの旧街道が通っております。古くは物流以外にも田峯、鳳来寺、豊川、秋葉、江戸を目指した道であっただろうと。徒歩や牛馬で行き交った人々の後姿が峠の彼方に霞のように浮かんでは消え。現在は工事中で通行止めかも?
春は「大平地区」の福寿草の群落が有名です。みなさんぜひ一度訪れて下さい。

11月
恵那市(旧上矢作町)
弁天橋の上(弁天淵?)
この町のすぐ上流に巨大なダムが作られようとしております。
コンクリートの壁が出来てもよいのでしょうか?
先に出来た「矢作ダム」を町のみなさんはどう感じておられるのでしょうか?
山や川の環境が壊れてしまいませんか?

町の人口はどうなりますか?過疎化をさらに加速させるのでは?
水源の森林・林業を守る人々はどうなりますか?

岐阜県も長野県と同じように「森林整備保全条例」を制定し、早期に事業を始めなければならないでしょう。


ダムの観光で町が潤いますか?財政力が強化されますか?地元の負担は?

平成10年9月、東海豪雨(恵南豪雨)で被害が拡大した本当の原因は?想定外の降水量だっただけでは言い表せない大きな災害でした。多くが山林森林整備が放置されたことにあるのでは。今も手付かず?
行政によって隠されていませんか、今からでも検証の努力を地元に期待します。
復旧工事が進んでおります。この地点の右岸は水衝部で特に被害が大きかったようです。コンクリートによる護岸工事が随所にみられます。これで河川改修は一応完成されたのか?施工方法としては景観や自然環境を犠牲にしたのでは?河川の直線化?これしかやりようがないのでしょうか?先人の知恵は生かされておりますか?
下流のことが考えてあるのでしょうか?

この上「治水ダム」を建設する必要があるのでしょうか、大変疑問です。

川縁に弁天さまが祀られております。昔から度々様々な苦難に会ってこられた歴史がこうした形に残っているのではと。洪水か筏落ちかそれとも?

恵那市
「下村ダム」
環境放流は?魚道は?
「下村発電所」
営業運転:大正9年12月
最大出力:4,700kw
アユ釣り場かも?

岐阜県恵那市(旧上矢作町)
本郷橋の下
ダムが完成しますと水質の悪化や水量の減少など様々なことが懸念されます。

もし鮎釣りに悪い影響が出たらどうされるのか。
東海(恵南)豪雨の後、河川整備(改修)が実施されているようですがこのやり方でよいのか環境の面も考えて検証が必要ではないでしょうか。森林整備・砂防事業の進捗状況は分かりません。
河川の治水、環境はこれで十分か?

この間、
岐阜県恵那市(旧上矢作町小田子)
上村川はここで根羽川と合流し、矢作川と名を変えて三河湾へ下るものと考えていたのになぜか現地では根羽川でなく矢作川へ合流するになっていて、ここで予想外の出来事に戸惑ってます。
かつての宿場町ではないでしょうか。そこには静かな小村の佇まいがありました。
いよいよ矢作川水系の上流部を守ってくださる人々がいらっしゃらなくなって。みなさん一日も早く現地を見ていただいて、そして支援の手を。
もし今、集中豪雨が平谷川・上村川流域でなくて根羽川(建設省)矢作川(国土地理院)流域であったとしたら「計画中:上矢作ダム」の高水調節機能は有効に働かないのでは?
何もしなければ豊田市の市街地など下流では思わぬ事態に?
河川整備計画の調査が必要。
5月
右岸、恵那市(旧串原村福原)
出合大橋の上
ここは矢作川
出合大橋の下
ここは矢作川、左岸に名倉川が合流する。

愛知県(旧稲武町)
矢作川の左岸に名倉川が合流。
すぐ上に「押山大滝」があります。
ここには休憩場もトイレも近くに喫茶店もあります。
入漁券売り場(松井釣具店、岐阜県矢作川漁協)があります。
岡崎市から「上矢作」「岩村」へ訪れる入り口になります。車で約70km。
もし今、集中豪雨が平谷川・上村川流域でなくて名倉川流域であったとしたら「計画中:上矢作ダム」の高水調節機能は有効に働かないのでは?
何もしなければ豊田市の市街地など下流では思わぬ事態に?
今年も間もなく入梅です。
大川橋の上
左岸、愛知県豊田市。
右岸、岐阜県恵那市。
あと少しで「矢作ダム」の貯水池「奥矢作湖」へ流入する地点。
清流が流れております。矢作川もここまで来れば清らかな流れがあったのだとしばし感激。中流部の人も下流部の人もぜひ一度見ていただきたい。本来、川とはこういうものです。
いずれはこの清い流れと白い砂を矢作川を通して「三河の海」まで届けたい。
上流部の村村の汚水・下水・農薬の処理さらに森林整備の進捗はいかに?

「矢作ダム」
貯水池(ダム湖)「奥矢作湖」
中央は「旭大橋」
建設に伴っていくつかの集落が湖底に水没しました。「牛地集落」「釜井集落」そしてお寺も学校も。
岐阜県恵那市(旧串原村)
豊田市(旧旭町)
「矢作ダム」
総貯水量8,000万トン(m
環境放流は?
魚道はなし。
「矢作第一発電所」
営業運転:昭和45年6月
最大出力:60,000kw
さらに
「奥矢作第一」最大出力315,000kw
「奥矢作第二」最大出力780,000kw
奥矢作第一第二発電所共通(揚水式)(営業運転:昭和55年9月)は浜岡原発と連動しているので地震で浜岡が停止するとここも発電不能に。ではその時の対策はいかに?

ダム湖の水温低下と水質の悪化と大量の堆砂処理と下流の環境維持放流の拡大などが課題として浮上しております。建設当初より心配されておりましたがどうやらその通りに。
ダム湖に貯まった水はここで多量の水蒸気となって空へ。残念ですが海まで行けません。
東海豪雨の時のダムの運用はどうだったのでしょうか?水位操作・管理・調整のやり方に問題はなかったでしょうか?今すぐ河川管理者以外の有識者が参加した調査が必要。
豊田市(旧旭町)
「矢作ダム」左岸ダム直下の集落。閑羅瀬地区。
もしダムが壊れたら危ない。
この間、右岸に明智川が合流します。
「明知えん堤?」
環境放流は?魚道は?
「明智川発電所」
営業運転:昭和10年7月
最大出力:1,500kw
豊田市
「矢作第2ダム」
環境放流は?魚道は?
「矢作第二発電所」
営業運転:昭和46年2月
最大出力:31,200kw
豊田市
「矢作第一発電所」より導水
「時瀬発電所」
営業運転:大正12年1月
最大出力:7,000kw
水路の仕掛けがちょっと分からないところです?
この間、右岸に田代川が合流します。
「川下えん堤?」
環境放流は?魚道は?
「川下発電所」
営業運転:明治33年9月
最大出力:380kw
8月
豊田市
「笹戸ダム」
環境放流は?
左岸に魚道があります。これで有効か?
「笹戸発電所」
営業運転:昭和10年12月
最大出力:9,400kw
水利権更新:平成38年3月31日(発電所:30年間)
豊田市
「百月ダム」
環境放流は?魚道は?
百月発電所」
営業運転:大正15年3月
最大出力:5,700kw
アユ釣り場もあるのでは?
「岩倉取水工」?
工業用水専用か?
豊田市
右岸
阿摺ダム貯水池の右岸にある山砂採取場。
1950年代から操業しているのでは?
水質管理が大切でしょう。
豊田市
「阿摺ダム」
環境放流は?
左岸に魚道があります。これで有効か?
「阿摺発電所」
営業運転:昭和9年11月
最大出力:4,800kw
アユ釣り場もあるのでは?
豊田市
「越戸ダム」
かつての「勘八峡」の景勝を水没させて建設した。
「越戸発電所」と枝下(しだれ)用水の取水工を兼ねている。
「枝下(しだれ)用水」は農業用水として論地ケ原・挙母ケ原(台地)(豊田市)へ通水。
かつては下流の「明治用水」と水争いの記録。
上流の矢作ダムと同様に魚類など水生生物の上下移動はここで完全に断ち切られている。
環境放流は?
魚道は無いと思っていたが最近右岸で発見。ダムの大きさと比較して少し細いと感じた。これがどこまで有効か分からない。
右岸
越戸発電所の導水路
「越戸発電所」
営業運転:昭和4年12月
最大出力9,200kw

豊田市
越戸ダムの下流「水管橋」の上。
「波岩水辺公園」。
遠くにダムが小さく見える。
釣り人あり。
豊田市
越戸ダムの下流「水管橋」の下。
「波岩水辺公園」。
釣り人あり。
豊田市
右岸。
「矢作川漁業協同組合」事務所。
「越戸ダム」の下流に位置する。
「矢作川漁業協同組合」の
環境漁協宣言が注目される。
「矢作川流域委員会」においてその委員の中心で特別に重要な役割を果たしておられます。
豊田市
右岸。
「矢作川漁業協同組合」事務所の近くで。
「矢作川天然アユ調査会」設備の全景写真。
アユの遡上調査の結果は「豊田市矢作川研究所」HPで公開している。
越戸発電所の水路がすぐ横を通っているので、そこから水を引いて施設に利用しているのではないか。
この間、「平戸橋」。
豊田市
少し下流の右岸に支流籠川が合流する地点から河口まで国土交通省直轄管理河川
「矢作川流域委員会」で河川整備計画を審議中。
中流部全般 平戸橋までは「自然堤防」が多い。
中流(豊田市平戸橋の少し下流付近)から下流にかけて両岸に「築堤」(砂堤とも言われる)が現れます。
矢作ダムの下流に発電用ダムがいくつもあって川がぶつ切れていて心配。また矢作川治水でどのような影響があるか調査を。
河川の流量の減少は動植物は勿論のこと周辺の気候にも影響を与えているのではないかと心配?
大規模な河川敷・河原・中洲がいくつも出来てそれも心配。高水敷を切り下げることや川の蛇行化が必要でしょう。
大きな橋がいくつも出来て橋脚が川の流れを妨げているのでは。治水にとっては大変な障害、これを考慮して治水計画を立てるべき。

川砂を大量に取り過ぎた結果部分的に川底が下がり部分的に一時的に天井川が解消されたことがあるかもしれませんが、その後新たに河川敷の成長や河川内樹林の成長が各地で広く見られます。再び天井川が形成されたといっても過言ではないでしょう。治水や利水や利用や環境など水系全体の総合的な科学的な検証が絶対必要でしょう。過去100年以上破堤が無かったとしても今後も絶対無いとは言い切れないでしょう。「明治用水頭首工」下から「矢作古川」分流地点辺りまでは。

かつては上流で山砂採取も大規模に行われていました。水質悪化の原因に。現在も山砂採取は行われているので詳細な調査が必要では?

昭和47年7月、西三河山間部豪雨があった。総雨量300mm超。山崩れ、家屋倒壊、浸水多数、支流河川の氾濫。災害復旧工事による河川の濁水汚染が大きな問題に。

平成12年、東海豪雨で被害発生。豊田市は越水浸水で破堤はなし。岡崎市は鹿乗川を中心に内川浸水が発生。
次に、東海豪雨と同規模の高水が発生すると前回以上の被害が出る可能性があると、国土交通省は警告しますがどうでしょうか。
豊田市
矢作川流域第1の中心都市、人口40万人。
今や日本の政治・経済の中心、いずれは世界の中心になろうという望みを?

これより下流は右岸側で市街地が最接近。官庁街を初め都市機能が集中する。
昔は水害常襲地帯だったとのこと。
右岸、トヨタ本社は後方の高台(洪積台地)にあって、まさに町並みを見下ろしているかのよう?

左岸、やや下流で平成12年の「東海豪雨」で堤防が越水。一部地域で家屋の床下浸水、田畑の冠水の被害。浸水の原因は本流からの越水のほかにも色々考えられる。
また右岸は越水が無かったが左岸で発生した、その違いは何か?
国交省は平成12年、「東海豪雨」では幾つかの幸運が重なって豊田市と下流は破堤が無く比較的少ない被害で収まった。今度同規模の豪雨があった場合、被害はもっと大きくなるだろうと矢作川流域委員会の資料で説明しています。
現在は、森林整備は進んでいない、田畑が減少した都市化が進んだなど保水力の低下(多分?)。上流の災害復旧工事が進んで洪水の流量流速が増す水位が高くなる。河川の直線化。これらを推測しますと、結論として危険性がより増大しているだろうと考えます。その上、もし矢作ダムの運用水位操作管理が下手だったり間違ったりしたら、豊田市市街地付近に到達した洪水の水位・水量はいかなるものになるかと?心配です。本市は昨16年の新潟豪雨の時の見附市、三条市とよく似た位置にあります。しかも豊田市の場合は市街地のすぐ下流に「鵜の首狭窄部」、「明治用水頭首工」と二つの治水上の難所を抱えています。

だから「上矢作ダム」を作るのだという結論になってはならないでしょう。もう一度前へ戻って考えてみていただけませんか。

治水も利水も環境も税金の使い方も豊田市のみなさんの考え方次第。
国の借金1,000兆円超え。返せる当ても無く。子孫に回すしか手がないところに追い込まれました。それとも消費税20%覚悟かどっち。
矢作川の現在・未来を決める決定的な鍵を握っておられます。豊田市のみなさん。

アユ釣り場がある。
「豊田市矢作川研究所」研究から実行の時代へ向かうのでしょうか?

▲以下の公園は大体河川敷(高水敷)に作られている。

左岸、古鼠水辺公園
左岸、百々貯木場遺跡
右岸、石倉水辺公園
右岸、越戸公園
◆平成記念橋
右岸、お釣土場水辺公園
右岸、表州水辺公園
右岸に籠川が合流する。
右岸、川端公園
左岸、ゴルフ練習場
左岸、「川田排水機場」@
◆高橋
左岸、「千石排水機場」A
左岸、川田公園
左岸に市木川が合流する。
左岸、千石公園
右岸、白浜公園
◆豊田大橋
左岸、巨大な「豊田スタジアム」。
◆久澄橋
左岸、防災ステーション。
左岸に加茂川が合流する。
左岸、「御立排水機場」B
左岸、御立公園
左岸、野見公園
◆竜宮橋

市街地に接した河川敷の上に作られたこれら施設の数々。洪水時には河川敷の高さ分だけは確実に水位を上昇させることになるのではと心配です。河川敷は別名高水敷(国土交通省、河川用語)とも呼ばれます。
河川敷は住民にも利用されているので、矢作川本来の存在としてのあり方を求めながらも治水向上や自然環境を復元するため河道の浚渫や河川敷の切り崩しなど形状の変更をする場合は住民の理解を得ながら時間を掛けて実施する。運動施設は市街地(堤内地・河川用語)で作るもの。

かつてはこの付近の川港「土場」まで矢作川の舟運がありました。
勘八峡の「鵜飼い」が記録されております。風光明媚な渓流だったようです。昭和に入ってすぐ「越戸ダム」が完成しましたので消滅しました。
左岸
「豊田スタジアム」。
黒字か赤字か?どうする豊田市民。
手前、加茂川。
▲重要地点
「東海豪雨」越水地点(破堤なし、最大で住宅床下浸水と田畑浸水)
「鵜の首狭窄部」は大げさ?
「明治用水貯水池」の影響は?
「明治用水頭首工」(利水ダム)の影響は?
この下流 「豊田市左岸、越水地点」を検証しよう

500年に一度の東海豪雨を河川整備の対象にしない
150年に一度の伊勢湾台風でも河川の被害はほとんど無かったということ
左岸堤防の整備の進捗状況は?


越水量が流域委員会で情報公開されておりません。算出出来るはず。出来ているはず。公開するとまずいのでしょう。
越水堤防延長×水位×流速×時間×不確定要素=?
主な被害である床下浸水の原因は本流からの越水だけではないと。
同時に発生した内川氾濫と言われ、東部の市街地住宅地小河川(加茂川など)からも流入して、そちらも問題。
水源の森の整備保全が行われていないのでは?トヨタの拡大で実行された東部丘陵地の住宅地造成と開発に伴った森林・田畑・ため池の減少はどの位か。

地域住民が災害対策対話討論集会(仮称)を複数回開催してはどうか。
ダムに頼らない治水対策河川問題を話し合って欲しい。
田畑の被害は補償で。
越水しても破堤しない堤防強化。
堤防の嵩上げは?
遊水地はどうするか?
雨水タンク、浸透マス設置を推進。
その他費用を多く掛けない方法で浸水に対処。
住宅の浸水対策が進まない模様?どうするつもり?豊田市役所の指導はいかに?
この地域に『豊田東高校」新設工事中。
緊急時の排水ポンプ場は?
既設の野見中継ポンプ場はどんなもの?排水用か?排水能力は?
この地域の先人達の知恵は経験は生かされているか?
矢作川豊田防災ステーション。
矢作川増水時どの程度を業務をしようとしているのか?
加茂川
すぐ下流で矢作川左岸に合わさる。
上流は田畑、住宅が密集。
豪雨時はかなりの出水が想像される。
遠くに豊田スタジアムを望む地点。
防災事業と興行施設とどっちを先にするべきか?
加茂川水門。
矢作川本流の水位が上昇した場合に逆流を防止する。
逆流は防止出来ても加茂川上流からの流量が水門に遮断されて内川氾濫することも。
豊田市
矢作川豊田防災ステーションから写す、正面。
かつて浸水した田畑地域、御立地区。
遠くに東部の高台丘陵住宅地域がある。
集中豪雨時には雨水が多量に低地へ流れ込むことが予想される。
矢作川豊田防災ステーションから写す、右手(矢作川下流方向)。
「豊田東高校」の建設が進む浸水経験地域、御立地区。
浸水した時高校はどんなことになるのか?避難場所か?
新築住宅も見られる浸水経験地域、野見地区。
地盤・土台の嵩上げは見られない。
この下流 「鵜の首狭窄部」

両岸に山が迫り自然が豊かで景観が優れているので開削しないこと。
最大通過流量は?数値は何も公開されていない。公開するとまずいからかも?
危険性を大きく増幅したい国交省。
淀川水系流域委員会では木津川上流岩倉狭窄部の最大通過流量を算出された方がいます。国交省は無視か?
豊田市
「鵜の首橋」の上
右岸、秋葉緑地。
「狭窄部」とは少し大げさではないでしょうか?
既に「明治用水頭首工」貯水池の上流部になっている。
貯水池だから当然いつでも河川は滞留している。
この上流の堤防で東海豪雨の時に越水が発生した。
豊田市
「鵜の首橋」の下
連続して下流へ 「明治用水貯水池」
「明治用水頭首工」

市街地の下流の外れからは「鵜の首狭窄部」をへて連続して「明治用水貯水池、頭首工」に流入する。
ここで川水が大きく滞留します。
つまり平水時でも水はけが極端に悪くなる地点。
従ってこの上流部に水が溜まり易いと言えます。
原因は碓砂にもあるのでは?
この地点「鵜の首狭窄部」の出口に矢作川の川幅(流量)をすべて塞ぐ形で「明治用水頭首工」を置いたことが、もしかすると現、矢作川治水の大きな弱点の一つになっているのではと推測します。
早急に治水・利水・環境面から科学的な研究検証が必要でしょう。
治水以外の課題でも様々な障害になって。
豊田市
「明治用水頭首工」貯水池
治水機能、利水機能共に全面的に見直すことが重要課題。
水質の悪化が酷いのでは、水を貯める事の弊害がここに、腐ってしまったのだ?ヘドロの堆積はいかに?この写真の色を見てどう思われますか?まさに濁り水(悪水)です。
この悪い水を使って流域の農業が行われている、ということを考えてみるとどうも心配です。影響調査は行われているのでしょうか?調査が怖いのかも?
「明治用水頭首工」貯水池。
左岸取水口「明治頭首工」。
[明治導水路」を通して支流「巴川」の「細川頭首工」に放流し「矢作川用水」の安定供給を図っております。
「明治用水頭首工」
下流より遠望。
流域で田植えが始まって本流の水量が削減された。左端(右岸側)の放流ゲート1門と中央の1門だけが本流に流されています。
これでは船や筏は通れません。
「明治用水頭首工」
左岸より写す。
「水源橋」を兼ねています。
頭首工が抱える課題は山積?
治水優先に水利権を見直すこと。
平時・緊急時の運用を見直すこと
緊急時、放流の連絡体制を再確認・徹底・見直し。地元と協議し直すこと。
治水優先に水位操作を見直すこと。
農業用利水量が減少している上、矢作川治水の妨げになっているようだから構造自体を見直すこと。
貯水池に堆砂があれば処理すること。
農業用など利水需要を削減すること。
外来漁など生物の生息調査をすること。
船が通れるようにすること。

「明治用水頭首工」
本川下流に放流中の堰左端(右岸側)のゲート。
「明治用水頭首工」
本川下流に放流中の中央ゲート。
矢作川下流への環境維持流量か?これでよいのか?
左岸に付けられた階段式魚道。
ここは天然アユが遡上します。
すべての水生生物がここを上下出来ますか?
この規模構造で良いのでしょうか?
左岸、魚道の最上部で「天然アユ」の遡上待ち構え調査中。
「豊田市矢作川研究所」
右岸、「明治用水幹線」
頭首工から少し下流の水路。
上流より流れくる。
かんがい期でほぼ満水の状態。

右岸、「明治用水幹線」
頭首工から少し下流の水路。
下流へ向かう。
この時点では写真に写ったこの水量が本流の水量の大部分という訳です。
この水が碧海台地(知立市刈谷市安城市高浜市岡崎市など)の多くの田畑を潤しながら最後は三河湾へ
明治用水の完成でかつてはいくつもあった碧海台地上の「ため池」がほとんど消滅(農地化など)しました。その後、いくつかの農地が周辺農地と共にはトヨタ関連の工場用地などに転換。
用水の水路の構造に問題はないでしょうか?
用水の末端蛇口にメーターを取り付けて使用量が測れるようにしたほうがよいのでは?
用水の末端放水工はどうなっているのでしょうか、無駄に放水されておりませんか?
用水の管理は無駄なくやっていますか?
豊田市
「東海環状自動車道路」が見えます。
頭首工の下流。
景観が台無しでは?
この間、左岸へ最大支流の「巴川」が合流。
「巴川」愛知県管理1級河川。
左岸はここが豊田市と岡崎市の境界。
この間、「葵大橋」国道248号
岡崎市
「村積山」(標高256.9m)
またの名を三河富士と申します。
岡崎市の象徴とされる山、三角錐の優美な山容。
左岸、河川敷は竹林が発達。洪水の時の治水効果はどんなものか?

左岸、「二木排水機場」C
岡崎市
「東名高速道路」矢作川橋梁。
巨大な橋脚が川中に作られた。治水の障害になることは明白。
矢作川はこの付近から岡崎平野へ出ます。そして三河海(湾)へ。
「岩津基準地点」 「岩津基準地点」(岡崎市岩津町・天神橋近く)
「計画高水流量6,400立方m/S」(基本高水流量8,100)
昭和49年(1974)以後一度も見直されておりません。
31年後の矢作川流域委員会でも見直さないようですから、国土交通省と21名の委員が議事録非公開の秘密主義で官僚の思惑通りに作業をやっているのでは?科学的広域的調査研究審議をやっているとはとても思えませんが?
左岸、「岩津水質自動監視所」
左岸、「岩津水位観測所」
左岸、「「岩津天神橋水質調査地点」
左岸、「岩津水位流量観測所」
この間、左岸に青木川が合流
豊田市
右岸、家下川が合流
右岸、「上郷柳川排水機場」D
右岸、トヨタスピードランド
右岸、柳川瀬公園
岡崎市
「愛知環状鉄道」矢作川橋梁
岡崎大橋
日名橋
岡崎市
右岸、日名橋の下
河川敷に作られた「水辺の楽校」サイクリングロードの末端駐車場。
右岸、日名橋運動公園
左岸、日名橋河川緑地
岡崎市
右岸、河川敷に作られた「水辺の楽校」サイクリングロード。平日人影無し。
岡崎市矢作町
右岸、住宅地が堤防側まで迫っています。
東海豪雨の時は近くで内川浸水が発生。
過去の川砂採取で川底が下がっているかも。
住民は洪水を想定しておられないでしょうか。
近くに「愛知学泉大学」「同短期大学」があります。環境問題への取り組みはいかに?青年たちに期待します。
岡崎市
左岸、「岡崎市上水道取水塔」

「日名水源送水場」へ送られます。
岡崎市
右岸、水衝部に設置された木製「水制工」の一つ。
岡崎市
矢作川流域第2の中核都市。環境共生都市宣言。
左岸、中心市街地
写真内右後方に小さく「岡崎城」が見えます。
右岸、河川敷はサイクリングロード。平日は利用者無しかも?これも公共工事か?
岡崎市
有名な「東海道・矢作橋」(国道1号線)右岸上流より撮影。
「矢作橋」「矢作川」にまつわる歴史上の物語がいくつも伝えられております。今の岡崎市はいかなものでしょうか。ご先祖がどのような評価を下されるのか一度お聞きしたい気持ちが?
右岸、河川敷は「水辺の楽校」歴史と芸術のゾーン。
「水辺の楽校」は日本のあちこちに作られているようです。
右岸、アースワークと称し砂州(河原)で砂山などの造形物を主に児童生徒が作る)
右岸、矢作橋広場
左岸、「岡崎水位観測所」
この間、国道1号・矢作橋。
旧東海道もこの地点。
右岸、矢作宿
左岸、岡崎市中心部へ向かう。
左岸、岡崎城・八丁味噌産業地・花街:板屋町(面影薄し)
この間、左岸に「乙川」が合流。
矢作川の舟運は本川(本流)から分かれて乙川(岡崎城下土場)へも出入りします。「五万石でも岡崎様はお城下まで船が着く」と歌われております。
この間、「名古屋鉄道」橋梁
この間、「渡橋」
昭和30年代までか、定かでではないが木造の渡橋(水潜り橋)がありました。
この付近、矢作橋が出来るまでは川越し地点の一つでもあったようです。
右岸、渡児童遊園地
岡崎市
渡橋の下
左岸、市街地が堤防直下まで迫っています。
岡崎市
渡橋の下
左岸、「堤防道路」
2車線で作られたのはこの部分ぐらいかも。
中流から河口まで両岸とも概ね1車線の舗装道路でつながっている(支流との合流地点を除いて)。
右岸、渡橋河川緑地
この付近の堤防に治水施設「柳枝工」があるという。

岡崎市美矢井橋の上
右岸、「河畔林」、ヤナギかも?
堤防の高さを遥かに越えています。
これでも治水に悪影響は無いとおっしゃる豊橋工事事務所。むしろ治水に役立っているそうです。どうも分かりません?
あちこちにゴミが。
岡崎市
美矢井橋の上
左岸、「美矢井橋河川緑地」
駐車場の表面がアスファルト舗装で固められております。
田中知事さんも長野県の河川敷整備で同じようなことをされるのでしょうか。お聞きしたいところです。
洪水の時河川敷の構造物の多くは多分根こそぎ下流へ押し流されるのでは。そしてゴミもいっしょに海へ。

岡崎市
上の写真の駐車場と堤防の境付近に捨てられたゴミ。少し下流で洗濯機も見ました。
この間、「美矢井橋」
昭和20年頃は青野橋、木橋でした。
4月
岡崎市
美矢井橋より
左岸、ただ広い高水敷。
遠くに矢作川の流れる様子が少しだけ見えます。
その向こうに新幹線の鉄橋があります。
この地点は河口から約17から18km。
「高水敷」は洪水の時に水位を上昇させる役割をします。いわゆる「天井川」と同じということ。
岡崎市
左岸、河畔林に緑が蘇り梢の中から野鳥の囀りが聞こえて参ります。でも本物の自然とはこうした姿をしているのでしょうか。どう考えても不自然。
またこうした河畔林は洪水の時に川水の流下を妨げるのではないでしょうか。左岸の堤防へ水圧をかけるのではないでしょうか。
11月初旬
岡崎市
左岸、年に一度行われる草刈。枯草は無料です。
岡崎市
左岸、「河川敷公園」にある動物の置物数体、子供のための遊具か。洪水の時は大丈夫でしょうか?
矢作川がこの高さまで増水することを想定していない、としか考えられないやり方では?それとも流されたらまた置けばいいと?簡単な話?
岡崎市
左岸、公園の縁取りに生垣があります。この時剪定など庭園業者のみなさんが数名で手入れをしておられました。
岡崎市
左岸、「高橋用水」記念碑。
現在は矢作川用水に切り替えられています。
先人の想いはどんなものでしょうか?
岡崎市
左岸、ここも「美矢井橋河川緑地」か?
グランド二面と駐車場完備。
市街地に空き地が出来ると直ぐに何かの建物を何かの理由を付けて作りたがる人々。いつまで続くのでしょうか。流域各市の将来の人口推移予測が、数年後には減少に向かうのは確実と言われていてそれでもまだ。
岡崎市
左岸、上流から撮影。
「東海道新幹線」の鉄橋。
上りの列車が通過中。
右岸、川島河川敷公園。
岡崎市
左岸、下流から撮影。
「東海道新幹線」矢作川橋梁。
上りの列車が通過中。
安城市
昭和40年代の川砂採取の風景。
右岸、小川橋の上付近。
日本の高度成長に貢献か?
安城市
右岸
台風14号九州接近による増水の様子。
この付近中州は水没しております。
平水時でもこれ位の流量は欲しいもの。
安城市
右岸
台風14号九州接近による増水の様子。
すぐ近くでも違った状況が見えます。
安城市
右岸
この時の流れの幅はこの地点が一番狭いかも?
目測で30mを切る。
手前はすべて砂河原と河川敷。
ここはふたつ下の写真の場所よりもう少し上流の場所。

ある夏の日、雨後数日経過した時の写真です。
ここは昭和の末期まで木造の沈下橋(水潜橋)が架かっておりました。橋が流れた時は渡し船が使われました。いずれ復活させたいです。
「小川橋」の風景が写真師/林忠彦氏の「写真集・東海道」で紹介されております。
左岸、かつてこの地点で破堤したことがあるそうで住民は近くの高台へ一時集団移転しました。その後しばらくして元へ戻ったと最近地元の方に聞きました。「新村」という地名が残っております。また右岸、左岸の堤防沿いに何ヵ所か神社が祀られております。今は破堤を心配する人は一人もいないのではないでしょうか?
中州、「水質調査地点」

ある夏の日、上の写真の右上の位置に近づいて撮影しました。
この時の最小部分の川幅は目測で15〜20メートルと見ました。
(左岸寄りだけに一筋の流れがありました)
昭和40年代には1年を通して川幅一杯に流れがあったようです。また川砂の採取が続いており川中に草が生える河原・中洲もなかったようです。勿論両岸の河川敷の幅ももっと狭くて。
この間、「小川橋」
昭和40年代まで木造の小川橋(水潜り橋)が架かっていました。
大水で流された時は渡し舟が使われた。
安城市
右岸
木戸水位流量観測所。
木戸水位流量観測所。
アンテナが立っておりますので自動化されているようです。
安城市
計測用水位支柱が3本立っております。
台風14号九州接近による増水中。
右岸、「新鹿乗排水機場」E
下の施設
「藤井床固」藤井堰

右岸より左岸を写す。
奥・対岸、左岸が古川の入り口。
江戸時代、徳川家康の矢作川河川整備計画により本川(本流)のこの地点(安城市藤井)から碧海台地を開削して放水路(現本川)が造られた。
現在、上流のダム群と川砂採取により本川の河床が低下したことと流量が減少したので工作物を置いて貯水し水位を上げ古川(旧矢作川本川)の流量を保っている

この写真は雨後まもなくでやや増水中の風景と減水中の風景。下は素材がよく分かる。
子供達や稚魚達や渡り鳥達の格好の遊び場・休み場・餌場となっており大変重要な場所でしょう。
魚道は中央と左岸に設置。
川船が通れるようにしたい。
生物の生息定点観測地点にしたい。
河口まで約12km。


もしこの場所にコンクリートの大規模な分派(分流)堰が計画されているとしたら?今のところ良く分かっておりませんが心配です。どなたか調査していただけませんか。

安城市
右岸から
台風14号九州接近による増水の様子。
平水時でもこれ位の流量が欲しいもの。
この間、「志貴野橋」
この間、「矢作川橋」岡崎バイパス
この間、「名古屋鉄道」矢作川橋梁
この間、「米津橋」
西尾市
右岸、「米津水質自動監視所」
右岸、「米津水位流量観測所」
右岸、水源公園
左岸、米津橋水質調査地点
左岸、矢作川西尾緑地
左岸、元船紡績産業発展の地
碧南市
油が淵(矢作川から切り離された池、水質の悪化が顕著)
右岸、「鹿乗川頭首工」。
この間、「上塚橋」
右岸、中畑水質観測地点
左岸、「掘割排水機場」F。
この間、「中畑橋」。
この間、「廃線名古屋鉄道」矢作川橋梁
棚尾橋の上。
国道247号。
河口から2番目の橋。
この間、棚尾橋
棚尾橋の下。
アサリ(シジミかも)取りの風景。
大潮の時に川底が現れます。
遠くに矢作川大橋が見えます。
矢作川大橋の上
県道衣浦岡崎線。
アサリ(シジミかも)取りの風景。
6月
矢作川大橋の真中で厳粛に執り行いました。
矢作川源流の水を3日後、矢作川大橋の上から河口の流れに想いを込めて注ぎました。

人類はこの水系に定住を始たその時から矢作川を汚し始めたと考えてもよいでしょう。その時から数千年の時空を越えて、今、再び源流の生まれたばかりの清冽な流れが三河の海に放たれたということになるでしょう。矢作川と三河海の再生事業にとって記念すべきこの瞬間です。
矢作川大橋の下
この先に三河海が望めます。
干潟も浅瀬も見えません。
源流から117kmの川の旅はここで終わりです。
この橋と海の間にもう1本、橋が架けられるかもしれません。それは「矢作川河口堰」の計画と重なっているかもしれません、心配です。
「中部空港連絡道路:名古屋浜松道路」計画もあります。すでに協議会が運動しています。
「休止中:矢作川
河口堰」計画、
再び蘇るか?
平成12年11月、利水計画を中止、治水計画は中止したふりで温存?中止ではなくて休止。
治水計画として再浮上か?
計画高水流量毎秒7,000トン


「矢作川河口堰」いらない理由

河口部 左岸、西尾市
左岸、「小栗排水機場」G。
左岸、「西奥田排水機場」H。

三河湾干拓地,、新田開発。ゼロメートル地帯。
三河湾埋立地、矢作川浄化センター(矢作川流域下水道)

この沖に愛知県が狙うさらなる埋め立て計画があるのではと、心配の種が尽きません。一日も早く沿岸住民のみなさん海を守る運動を立ち上げてください。
右岸
碧南市
「碧南水位観測所」
三河湾干拓地、新田開発。ゼロメートル地帯。
三河湾埋立地、廃棄物処分場。
三河湾埋立地、碧南火力発電所。
三河湾埋立地、衣浦東部浄化センター(衣浦東部流域下水道)

再び三度、衣浦湾(港)埋め立て事業。

心配したことが早くも現実のこととして持ち上がってまいりました。対岸の武豊町沖に愛知県が「産業廃棄物最終処分場」を計画どうしますか沿岸住民のみなさん。三河の海がまた狭くなりそう。次期知事選挙の一大争点として浮上か?
「三河湾」を敢えて「三河の海」と呼びたい。
海岸部の埋め立て工事が盛んです。もういい加減にやめてもらいましょう。
干潟が無くなったようです。では再生しましょう。
浅海も減っています。では再生しましょう。
藻場を作りましょう。
潮干狩りは少しですがまだ出来るようです。

海の汚染が進んでおります。原因を調査し改善に取り組みましょう。
海岸、防波堤の内側の清掃をやりましょう。

魚介類や海苔の生産が減少しております。
漁民が減少しております。
(西)三河湾の環境保全活動が見られません心配です。

”川の上流中流から送られてくる様々な物を
ただ黙って受け入れるしかない物言わぬ海
かつては豊穣の海と言われた三河の海も
最早、死の瀬戸際にあると言えるのではないでしょうか”
有明海と似たような運命に。


東海・東南海地震がいつ発生しても不思議ではないと警告されております。その時矢作川河口部も海岸部も未曾有の大被害が、心配です。ゼロメートル地帯は大丈夫か、今すぐ対策を。政治も行政も真剣に考えているとは思えません。住民が自ら動かなければとんでもないことに。
かつては茶臼山:小戸名川(下流・根羽川)が矢作川の源流の山と川であったという可能性が出てまいりました。それは河上瀬橋(愛知県(旧)稲武町河上瀬)(今年・豊田市と合併)の欄干に「矢作川」のプレートがはめ込まれているという事実からです。いつのころからか何かの都合で大川入山が源流山で柳川(下流平谷川・上村川)が源流川に変わったのではないかと。理由は何か?思わぬ事態になりました。この点、もう少し追求してみたい心境になっております。矢作川の歴史の考察といったところでしょう。
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