方言のペー 「三河の方言」の使われ方のページ
 
 方言は、実際に「どのように使われた」のでしょう。
 以下の会話や説明で、それぞれ詳しく見ていきたいと思います。

うちんがれ

私が教師になって赴任した学校で。

私    「はい。では、家庭訪問の日を言うよ。○○ちゃんは、4月○日だね。」

子どもA 「先生、わたしんちねえ。その日は、だめなの。」

私    「ええ、困ったなあ。何日がいいのかな。」

子どもA 「知らない。お母さんに聞いてくる。」

私    「たのむよ。」

子どもB 「先生、うちんがれ、その日でいいよ。」

私    「そうかあ。じゃあ、たのむわ。」

という具合でした。「私の家ねえ…」というのを、「うちんがれ」と言ったのです。この言葉は、私も小さい頃聞いていたので、懐かしかったですね。
 でも、最近では、まったく聞かなくなった言葉のような気がします。

 

 

いきる

私 「今日は、蒸し暑いねえ。」

人 「おお、いきるのお。」

私 「それ、懐かしい言葉ですねえ。」

人 「ほうかん。わしゃ、ずっと使っとるがん。あんまり気にせんかったのお。」

私 「蒸し暑いというより、ずっといいですね。」

人 「いきっとる、とも言うでね。わしゃがんちは、よく言っとるがん。」

とまあ、こんな感じです。蒸し暑いというのを、「いきる」という。どの言葉もアクセントを付けず、平板に言うのがコツです。「いる」「ではなく、「いきる」と全てを強く。
 この言葉を聞くと、夏真っ盛りです。

 


ごっとう

 私の小さい頃、父親がイモの苗を育てる「苗床」をつくったことがあった。四方をわらで囲み、中に肥えたふかふかの
黒い土を入れたのだ。種芋をそこへ入れて、上から藁をかぶせた。当時は、ビニールなどというのもがなかったと思う
ので、上に何を置いたか、覚えていない。
 そして、苗が育ち、その苗を切って、畑へ「さし」に行くのだ。ところが、その苗床はほかほかで、いつの間にかカブト
ムシの卵が産み付けられ、すでに丸々と太ったカブトムシの幼虫がいっぱいいるのだった。その幼虫は、白く、やわら
かく、土の中を動いていた。私は、
「ごっとうだ。」
と、喜んだが、その「ごっとう」(カブトムシの幼虫のこと)は、さすがに、白くて太く、ごわごわしており、その毛はざらっとして長かった。それは、私たちの宝物だった。小さいのは、カナブンの幼虫などで、みんな「クソブン」と呼んで捨てていた。

 

けなるい

 私が小学生のころ。近くにおばさんが住んでいた。そのおばさんの名から、わたしたちは「おすみさん」と呼んでいた。そのおすみさんは戦争未亡人であった。夫は将校であったが、なんでも南の島で戦死したと聞いていた。鉄砲の弾が鉄かぶとを貫通したのだそうだ。女手一つで、一人息子を育てたのは、並の苦労ではなかっただろう。
 そのおすみさんは、明るく、よくしゃべる人で、我が家と比べては、
「けなるいなあ。」
と言っていた。我が家も貧しい方であったが、やはり夫がいないということを悔やんでいたのだろう。
 だから、母親が、
「あんまりけなるがらっせるから。言わんように。」
と、「家(うち)は、どうしたよ。」とか「今度、○○を買う。」と言わないようになったことを覚えている。
 そのおすみさんは、交通事故にあって亡くなってしまったが、「けなるいなあ。」と、語ったおすみさんの姿は、今でも思い出される。気さくな、素直な人だった。

 ひ ぼ ・うむいた

 母 「ほう、ほこのひぼ取って。」
 私 「え、何?」
 母 「ひぼだよ。そこの、ぐろにあるだら。」
 私 「ああ、このひもね。これ、何にするの。」
 母 「こうやってしばっとくと、いいんだよ。」
 私 「そう。」
 母 「そいうやあ、赤飯うむいたで、食べるかん。」
 私 「え、それいいねえ。食べる、食べる。」
 
※ このように「ひも」のことを、「ひぼ」と言ったのです。また、ご飯を「炊いた」ことを「うむいた」(むした)と言うのです。
   だから、イモを「うむいた」(蒸した)とも言います。



 坂  道(ちょっと昔の話を)

 その吉良道は、分岐したところからだらだら坂になっており、その坂はそんなに急というのではないが、昔リヤカーで荷物など運ぶとなると、少々骨が折れる坂道だった。

 ある日、私たちがその坂道の近くで遊んでいると、リヤカーを引いたおばあさんが通りかかったのだ。私たちは、誰言うとなくそのリヤカーを押してあげた。坂の上まで行くと、そのおばあさんは、私たちにお金をくれた。それは、期待していなかったことなので、急にうれしくなった。
 そして、その次の日も、同じ時刻になると、私たちは、その坂道の近くで待っており、そのおばあさんが来るのを待った。
 結局、何回押したかも覚えていないが、1〜2回ほどは、うまく押してあげ、そして、お金をもらったように思う。しかし、いつの間にか、そのおばあさんも来なくなり、私たちもそのことは忘れてしまった。
 今から思うと、そのおばあさんは何をして暮らしていたのだろう。年をとった身で、リヤカーを引いた姿が、今頃になって思い出される。そして、私たちは、なぜお金をもらわないで、手伝いできなかったのだろうと思う。懐かしいが、少し悔やまれる思い出である。  



 往生こいた

 「往生こいた」とは、なかなかきつい言葉のようですが、「往生」は、この場合、「大変」というような意味ですね。そして、「こいた」とは、「…した。…だった。」というような意味です。合わせて、「とっても大変だったよ」という意味で使われています。
 「車が山の途中で停まってしまって、往生こいた。」というように。また、昔を思い出して、「あの頃は、戦争で物がなくて往生こいた。」などと言います。何十キロの道のりを、リヤカーで1日がかりで買いに行ったとか、食べるものがなくて、ひもじい思いをした時などに使いますね。
 「やい。往生こいたぞ。仕事を始めようとしたら、機械が動かんじゃないか。」



 ぼっくう (主に東三河)

 この言葉は、私の生れ育った岡崎にはない言葉です。豊橋など東三河ではよく使われてきた言葉のようですが、郷土の方言を調べられている方にお聞きしたところ、「今でいう悪ガキなどに、この言葉が使われた。しかし、最近ではだんだん使われなくなっていますね。また、悪いというよりも、元気が良くて手がつけられない。悪いこともするが、どこか憎めない子にこの言葉が使われたんです。」と教えていただいた。私が「ところで、この『ぼっくう』という言葉の語源は、何でしょう。」とお聞きすると、「さあ、それは分かりません。」と、おっしゃっていた。
 この「ぼっくう」という言葉は、どんな語源を持っているのか私はずっと気になっているのですが、たまたま『日本語の真相』という本を見ていたら、万葉集に「…等耶」(とや・だら)という言葉があり、意味は「…ということだ」「…とかいう」ということらしいと書かれていました。三河弁で有名な「…だら・…だらあ」という語尾は、まさにこれと一致するではないか、と思っていましたら、万葉集の第1首雄略天皇の歌の中に「…布久思毛与…」というのがあり、これが「ぼっくそむいよ」と読むとあったのです。
 今まで、私は従来の訳で「ふくしもよ」と読んでいましたが、「ふくしをもっている?次には『みぶくし』と書いてあります。『みぶくし』って何だろう。」と疑問でした。従来の訳には、「ふぐし」とは、ヘラのこととあったのですが、初め「ふくし」で、次が「みぶくし」、そして、訳が「ふぐし」とあります。みんな濁点が違うではないかと。「濁点くらい関係ない」と言われればそれまでですが、じゃあ、「ふくじ」でも同じなのかなと。そんないい加減なものなのかなと。
 そんな時、「ぼっく」という読み方があり、これが高句麗系の渡来人が、彼らが支配した土地を呼んだ呼び方だというのです。つまり、「猛き者たちよ、日本人よ」と呼んだなら、案外意味も通じるのではないかと。
 しかし、まだまだ調べが足りません。この「ぼっく・ぼっくう」という言葉が、いつ頃から、誰が使ってきたかということがわからないと。
 
 


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