「頭取」辰蔵の言葉 (「鴨の騒立」より)加茂一揆(1836年 天保七年)
頭取(首謀者)松平の辰蔵の寺部屋敷における吟味の場での言葉
「成る程、家内五六人の口過ぎは結構に仕れ共、諸人難渋にて命に拘わる趣、右に付き世間世直しの祭を致し 難渋を救い合うとの事にて 石御堂で会合仕った者 決して諸人に難渋をかくるとて企てた義では御座りませぬ」
(確かに、家の者5〜6人が食べていくには困りませぬが、多くの人々が困苦にあえぎ命も危うい事態です。こんなことですので、世の中を変えようという祭を起こし、困苦をお互いに救い合おうと石御堂に集まり、決意した次第です。決して、多くの人に困難をかけようとして起こしたものではありません。)
「米を買い占め 又露命を繋ぐ米をつぶして酒に致せば 弥諸人難渋の基 御大名ならば思し召しも御座る処 御旗本では有るを取り立て 無き者を倒しても御慈悲も御座らず 一同大家へ願いに参ったのも 崩す了簡なき処 斗らずも喧嘩を致した物で御座りましょう 余り人の喉首しめる者は 間には憂目に逢わねば 黄泉の障りになりまする」
(米を買い占め、はかない命を繋ぐ米をつぶして酒なんか造れば、ますます人々は苦しむこと明らかです。大きな大名ならばそのような御配慮もありますでしょうが、ちっぽけな旗本では米が少しでもあれば取り立て、何にもない者からさえも取り立てようと全く優しい心とてありません。私たち一同がお金持ちの家に参りましたのは、打ち壊しをしようなどとは思いませず、話し合えばわかると思ってのことです。しかし、行きがかりから思いもかけずこのような騒動となったものです。あまりにも人を苦しめる者は、時にはこのようなつらいめに逢わないとあの世へいって往生できません。)
「はい 上がゆがむと下は猶ゆがみます」
(ハイハイ、御上が悪いと、下々の者はもっと悪くなるものでございます。)
「岡崎様 挙母様 其の外御大名の歴々 弓張 鉄砲火縄などそえて仰山な御行列 是れ迄見た事もござらぬ 古の軍の体と存じられます ナントマア 鎌 鋤より他に持つ事知らぬ百姓共 御上意とあらば鎮まりそうなもの あまり厳重過ぎた御行列と憚り乍ら存じます 兼ねて承りまするに 農民は天下の御百姓とて上にも御大切に御取り扱い 其の百姓に怪我でもあらば 御気の毒と存じます」
(岡崎の殿様も、挙母の殿様も それからその他の大名の皆様 弓や矢 大砲や鉄砲など持って大変な行列(動員)ですね。これまで、見たこともありません。昔の戦のようです。それにしても、私たちは鎌や鋤しか持つことを知らない百姓です。「御上の命令だぞ」とおっしゃっていただけば、静かにお聞ききするというもの。あまりに大げさな行列だと、失礼ながら申し上げます。昔から聞きますが、農民は天下の百姓として、御大名とて大切に扱うものと聞きます。その百姓に万一けがでもあったら、気の毒ではありませんか。)
※ この辰蔵の堂々とした気概、志の高い言葉はどこから生まれたものでしょうか。それをこと細かに記録した渡辺政香の共感も尋常のものではなかったと思います。立場は違ったとしても。ともあれ、私たちは、今から170年も前の一人の百姓の言葉を生き生きと知ることができるのです。