趣味のページです。順次、三河的特色のある文化のページにしていきたいと思います。乞う、ご期待! |
わが愛すべき 三河の山河 三河のひとびと |
三河で生まれた短歌を紹介 第1集 アララギ派の歌人であった杉敦夫氏を。 |
子どもたちに大人気のブーメランが簡単にできます。
そして、よく戻ってきます。
みなさんも作ってみましょう。
楽しい実験、工作など掲載したいと思います。
先日、ふと庭を見ると見慣れない鳥が。調べたらシロハラでした。
集団あそび |
「Sケン」や「てこてん」(天下とり)など、 子どもらが遊び、継いできたものを収録。 |
もちつきをしましょう |
もちつきには、「人の輪(和)」「技術」「道具」の三拍子が必要。そのもちつきを、学校で。 そのノウハウを、簡単な図であらわしました。 |
三河各地の写真2 |
投稿多く、第2ページです。 |
三河各地の写真1 |
三河の各地の写真を掲載しています。投稿も歓迎です。自然に富んだ三河の各地の風景をお楽しみください。 |
三河各地の写真3 |
地域の歴史的な写真も。 |
三河各地の写真4 |
春の桜、秋の紅葉、三河にはこんなにきれいな所が。 |
三河各地の写真5 |
三河にはいろいろな所があるんですね。 |
「家忠日記」を読んで
松平家忠は、今から400年ほど前に生きた。三河深溝の領主として、徳川家康に仕え、戦国武将として生きつつ、18年余の日記を残した希有な人物である。
加茂一揆(辰蔵の言葉)
江戸時代、三河の加茂地方(主に、足助、下山、豊田市東北部)で起きた「加茂一揆」について、いろいろ調べたいと思います。まずは、「頭取」(代表)であった松平の辰蔵の言葉から。
「辰蔵の取り調べ」『加茂の騒立』より
一揆敗北後、役人に捕まった辰蔵の取り調べが寺部(西尾)で行われた。その時の役人とのやりとりが面白いのです。
現在、渡辺政香の著作から、加茂一揆の記述を書き出しています。準備ができましたら、掲載します。
三河の方言
三河の方言について、さらに集めてみました。
ヒガンバナ(彼岸花)
秋になって、早生ミカンと涼しい風を感じる頃、緑の絨毯に真っ赤な花を咲かせる「ちょっと懐かしい花」です。
加茂一揆・蜂起最初の集合場所
ー石御堂から西の山間をながめる
先日、快晴の秋の1日、加茂一揆蜂起の最初の集合場所である石御堂に行って来ました。現在の場所は、新しい道路ができて移った場所だとか。本来は、今の道よりもはるかに狭い山間の曲がりくねった道、そして、せまく、70人ほどが集まればいっぱいになったことでしょう。そんな様子を少し感じる風景かなと思いました。
三河各地の写真6 |
三河加茂一揆、鳴海小作争議に故地をたずねて、写真や資料を載せてみました。まだ、作成中ですが…。 |
教員も人間です。いろいろな趣味を持っています。その趣味が、時として教育に役立つこともあると思います。というようなことで、ここは趣味的な場所です。「三河の文化」とは、ちょっと離れてしまいますが、ご容赦を。
自然と人情味にあふれた一つの自治体が消えようとしています。
学校がなくなり、地域の灯が消えていく不安が…
ふとしたことで、飼い始めたうさぎ。いろいろな表情があることがわかりました。
そして、飼うときに注意しなければならないことがいくつも。
写真集 「花」
花の写真を中心に載せたいと思います。
最近、家の近くの川沿いや山道、田んぼのあぜ道を歩くようになりました。そうしたら、きれいな花、印象に残る花をいくつもみつけました。野の花をほんの1、2本拝借し、調べてみました。
ある日、窓辺にかわいい訪問者が。「ねこはかえない。」と思っていたわたしでしたが、そのなきごえがあまりにもかわいらしく…、かわいそうで。
散歩をしながら見つけた野鳥たちの写真です。
自分でも作ってみました。
すでに25丁作製。いろいろなことがわかってきました。
(上のタイトル・写真をクリック)
1945年1月13日午前3時38分に起きた「三河地震」。多くの人々がなくなrました。しかし、当時は戦争中。それは、秘密扱いとなり、ほとんど報道されませんでした。
西尾市においても、名古屋から疎開していた多くの児童が、宿舎にしていた寺の本堂崩壊により亡くなりました。それを調べ、まとめた貴重な記録です。
本の名は、
『学童集団疎開と三河地震』
角岡田賀男著 1990年セイホー出版