鴨の騒立(かものさわぎだち)
寺部御屋敷にて辰蔵御吟味の事 『鴨の騒立』(渡辺政香)より
寺部御屋敷には、鳴海御役人ともに御立ち会い、白砂には同心8人、手鎖は山のように準備してあった。一尺四方の栗の柱にくさりを付け、このところへ辰蔵は引き出された。御帳付(記録係)と思えるのが、「三州賀茂郡下河内村辰蔵」と呼びだした。御吟味役とみえるのが、物静かに「その方、家業は何をしている。」と聞いた。
辰蔵 「私は、百姓でございます。」
役人 「田畑は、どれくらいある。」
辰蔵 「田は三反七畝拾五斗、畑は弐斗四五升薪もあります。」
役人 「お前一人で耕作しているのか。」
辰蔵 「丁稚の為蔵ともうす者を相手にして作っています。」
役人 「年はいくつになる。」
辰蔵 「為蔵のことでございますか。」
役人 「その方の年だ。」
辰蔵 「ハイ、私は辰年の生まれで、今年で41歳になります。」
役人 「その田畑で米麦はどれほど収穫できるのか。」
辰蔵 「私どもの村はまず1反は30刈といいまして、平年は5俵半は収穫します。」
役人 「お前の家で、米はどれほどできるのか。」
辰蔵 「まず22〜23俵は平年でも収穫します。」
役人 「その方の家では何人暮らしている。」
辰蔵 「母親と女房、せがれが二人、合計5人に丁稚の為蔵、他に馬が1頭います。」
役人 「22〜23俵の米を収穫し、立派に生計を立てていくことができるのに、どうして今回のような騒動を企て、多くの人々を誘い、多くの者に難渋をかけるのか。これは、人でなしのすることだぞ。このように捕まえた上は、お前の運命は定まったというものだ。さっさとことの真相を申し上げよ、」
と言ったところ、また、他の御役人が、「お前は、滝脇の石御堂で今回の騒動の相談をして以来、村々へ次々と連絡をしたこと。細かく述べよ。」と言った。
辰蔵 「これは、これは。私よりあなた様方の方がよくご存じのこと、何を隠しましょうか。詳しく申し上げますが、まず第一にお役人様は『22〜23俵の米を収穫して、結構裕福なのにこのたびの騒動をなぜ計画し、多くの人々を誘い、多くの人々に難渋をかけたのか』とのお尋ねですが、ごもっともなことでございます。確かに、家の者5〜6人が食べていくには困りませぬが、多くの人々が困苦にあえぎ、命も危うい事態です。こんなことですので、世の中を変えようという祭を起こし、困苦をお互いに救い合おうと石御堂に集まり、決意した次第です。決して、多くの人に困難をかけようとして起こしたものではありません。」
役人 「何をぬかす。世間世直しの祭りだと。大家におしかけて、家を壊し、酒樽を打ち壊すのが、世間の祭りだと。法を恐れぬとんでもないことを言う奴だ。」
辰蔵 「米を買い占め、はかない命を繋ぐ米をつぶして酒なんか造れば、ますます人々は苦しむこと明らかです。大きな大名ならばそのような御配慮もありますでしょうが、ちっぽけな旗本では米が少しでもあれば取り立て、何にもない者からさえも取り立てようと全く優しい心とてありません。私たち一同がお金持ちの家に参りましたのは、打ち壊しをしようなどとは思いませず、話し合えばわかると思ってのことです。しかし、行きがかりから思いもかけずこのような騒動となったものです。あまりにも人を苦しめる者は、時にはこのようなつらいめに逢わないとあの世へいって往生できません。」
役人 「だまれ!お上を恐れず、とんでもないことを言う奴だ。百姓のくせに、地頭・領主の批判をするにっくき奴だ。」
辰蔵 「ハイハイ、御上が悪いと、下々の者はもっと悪くなるものでございます。」
役人 「だまれ!お前はいよいよ今回の騒ぎの首謀者だとみえる。」
辰蔵 「ハイ、一揆全体の頭にはなりましたが、私より上の頭取は6〜7人、私と同じくらいの者、また、その次の者、たくさんいます。」
役人 「どちらにせよ、お前のように頭取である者が、なぜ自分の家を壊されたのだ。」
辰蔵 「そうでございます。これは、気分の悪いことでございます。そのおりは、4斗4〜5升の米相場でございました。そんな時に、1両で8斗と願いが出ましたので、6斗位に申し出てやろうと言いましたが、そのことが仲間の気に触ったのでございましょう。また、二番目には、九牛、大島、奥殿の御用達のお方々が私の家にお越しになり、『
(検討中)
辰蔵 「岡崎の殿様も挙母の殿様も、そして、其の外の大名の皆々様方が、弓や矢、鉄砲や火縄などを持って大げさな行列で来られました。これまで見た事もございません。まるで昔の戦いのようです。本当に驚きました。それにしても、私たちは、鎌(かま)や鋤(スキ・くわ)以外、他に持つ事も知らない百姓でございます。御上のご命令だとあれば、すぐにでも鎮まりますものを、あまりにも厳重過ぎた行列でのお出ましだとお恐れながら申し上げます。昔から言うではありませんか。『農民は天下の御百姓』ですから、殿様方にも大切に取り扱っていただかなくてはなりません。その百姓に、もし怪我でもあれば、大変気の毒なことだとお思いになりませんか。」
※ この辰蔵の堂々とした気概、志の高い言葉はどこから生まれたのでしょうか。それをこと細かに記録した渡辺政香の共感も尋常のものではなかったと思います。たとえ、立場は違ったとしても。ともあれ、私たちは、今から170年も前の一人の百姓の言葉を生き生きと知ることができるのです。