はじめの出会い
2005年の冬も間近の11月3日 わたしが庭で落ち葉拾いや草取りをしていたら、突然見知らぬネコが家の角のところにすわって、「ニャーォ。」と鳴いたのです。わたしは、へえ〜と思いました。だって、野良猫は今まで何匹もやってきましたが、たいていの場合は、「シャー!」と毛を逆立てて逃げたからです。
ところが、こネコは、「お腹がすいたよ。何かください。」というような態度だったのです。それも、とてもかわいい鳴き方だったのです。
わたしも一瞬、あげようかなと思いましたが、我が家ではこの10数年間うさぎを飼っているのです。だから、ネコは飼えないなあ、とその時は、「だめよ。」と言ってしまったのです。何回か控えめに鳴くので、その都度「だめよ。」と繰り返していたら、そのうちどこかへ行ってしまいました。
二回目の出来事
11月5日、夫と二人で昼食を食べていたら、窓辺へ来たネコが「ニャー。」と鳴きました。「あ、あれはこの前に来たネコだよ。」と言ったら、夫が「かわいそうだねえ。食べ物でもやったら。」というのです。こんなことは、初めてでした。夫も何か感じたのだとおもいます。
それで、トレイに入れたハムを持って外に行き、それを南天の木の根本に置いたのです。そうしたら、そのネコはさっそく近づいて、ハムの1枚を持って、向こうへ行き、食べたのです。3枚のハムは、たちまちなくなりました。
この日のうちに、このネコは我が家の裏口の横に段ボールの箱に住む住人となりました。それは、箱の中にタオルを置いただけの寝床でした。寒さはまだゆるく、これでしのげるほどでした。
しかし、次の日は夜から雨が。それも、強い南風で箱の近くは濡れていました。ベニヤ板を載せましたが、効果はなく、箱もぬれてきました。そこで、植物が入っているテラスに一時避難ということになりました。
これが、こネコとのつき合いのはじまりでした。
今晩は
雨のために、テラスにはいったネコ。初めての室内で、抱いて入れたら一度は外へ出て、不安そうな様子でしたが、二度目に自分で入ったら、あとは安心した様子で、偵察をしていました。
この夜から、この猫は我が家の準家族になったのです。
日なたのネコ
このネコは、エサを食べ終わると、「ニャー。」と鳴いて、あいさつをしてから、そこを離れるという具合でした。こちらが、「おいで。」というと、遠くにいても「にゃー。」と鳴いて、飛んできます。また、網戸に飛びかかった時に、一度「だめ。」といったら、二度としませんでした。
しつけはできているようだし、よくかわいがられたネコのようでした。「こんなネコがどうして、さまよっているんだろう。」と、夫とも話しました。「何か事情があったのかも知れないね。」と。
また、このねこは、一緒に歩いたり、散歩したりすると、その都度「ニャァ。」とか「ニャゴ、ニャゴ。」と、よくしゃべるのです。「会話の多いネコだよ。」と夫が。
それで、いろいろとしゃべりかけると、何となく「ニャァ。」と返事があるようなネコでした。
しかし、この頃はまだ「放浪の疲れ」があるような雰囲気でした。
続く
木の上のにゃんこ
このねこは、とにかく「よくしゃべるねこ」です。動くたびに「ニャァ」とか「ニャ」とか喋るのです。そのたびに、「そうだね。」とか「そう。」とか、こちらも返事をするのですが。
そして、木の上に登り、「こんなこともできるんだよ。」と自慢して見せます。
部屋はテラス。外を散歩し、食事は台所の裏。そんな生活が定着しはじめたと思ったら、いろいろなねこが姿を見せ始めました。毛の長いしろ、真っ黒なくろ、黄色のとらなどなど。
このねこが雄だとばかり思っていたのですが、そろそろ注射をしてやらなくては、と思って、医者へ行ったら、「雌ですね。それに妊娠しています。」と。
ここから、思わぬ展開に。年末・年始は病院へ通うことになりました。
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つかの間のうたたね
ほっとするのは、どこで。
テラスにねどこをしつらえ、外へも出放題、えさも定期的にもらえるようになり、生活も安定してきた頃。
外をかけまわり、夜になればねどこでぐっすり。と思っていましたが、次々と思わぬ訪問者が現われて。
寝ているにゃんこ
メスとわかり、おまけ妊娠していると知り、よく考えて手術をすることにしました。
その手術は、年末の12月に行ったのです。ちょうど、近くに親切な動物病院があり、そこのお医者さんがご夫婦で、本当に熱心に対応してくれたのです。
「年は、どのくらいでしょう。」と聞くと、「1歳くらいか、もう少しいっているか。わかりませんね。」ということでした。あそぶ様子から、まだ1歳未満ではとも思いましたが。こればかりは、わかりません。
手術もうまくいき、雪の降った日に退院しました。この地方では、久しぶりの大雪でした。
2005年12月
雪の日、にゃんこを入れた
キャリーバッグを持って
にゃんこの退院は、雪の朝でした。
にゃんこを入れたキャリーバッグを持って、夫と歩きました。ころばないようにと、気をつけて。
にゃんこは、家に帰れるというので、うれそうでした。
しかし、新たな病気が
手術も終わり、家に帰ってからは、にゃんこは元気に回復し、精神的にタフだなと感じました。病院にも慣れて、素直で、とても対応しやすいねこだったようです。
しかし、ある夜、激しいくくしゃみをしました。今までも、何回か咳はしていたのですが、この夜は何回も続いて、その後息づかいが荒くなりました。お腹を見ていると、はげしく波打っています。
何の病気なんだろう。心配で、翌日早く、その病院へ行きました。そうしたら、「肺が縮んでいますね。心臓にも負担がありますから、万が一のことも考えてください。」と。「そんな。」と思いました。「なぜ。」何も悪いことをしていないのに。なぜ、この子が。
そして、年末から新年にかけて1週間ほど入院することになりました。病院のせまい酸素室に入り、私たちが行くと容器の透明な部分に顔をすりつけて鳴きます。しかし、こうして、肺が少しでもふくらむようにすることが必要でした。湿度も高くなっています。
幸いその病院の若い先生たちは、とても親切で、的確な対応をしていただきました。
そして、一週間後には元気な姿をみせてくれました。そして、家に帰ったのです。しかし、時々咳をします。この病気は、にゃんちゃんにずっとつきまとうものでもあるようでした。
「にゃんこ」との生活
こうしてはじまった初めての猫との生活です。
にゃんこは、とても言葉の多い猫だと思います。動こうとするその時々に、いろいろな発音で鳴きます。また、何かを求めて鳴くこともありますが、いわゆるうるさいというような鳴き方はしません。
戸の向こうで、「早く来てよ。」という時も、一度か二度戸に飛びつく音はしますが、その後は聞こえぬような声で一度鳴くだけで、じっと待っています。
こちらが、二人で行くと、交互に頭をなでつけ、一方に片寄るような仕方はしません。また、夜も遅くなり、「また、明日ね。」という時には、しっぽを動かし、小さく「にゃあ。」とかすれ声で鳴きます。これは、本音はもっといてよ、という気持ちのこもった鳴き方であるようです。
こちらが、パソコンを開くと、最近は「なんだ。」というような声で鳴き、さっと本棚の上の気に入った箱の上に行って、こちらを見ながら横になっています。
猫には「自分の生活があり、マイペース」と聞いてきましたが、こんなに人に左右されるものとは、改めて驚きました。一度など、何度もにゃんこのいる所を素通りしてしまったら、元気をなくしてふにゃとしてしまい、驚きました。あわてて、「どうしたの。」と抱き上げ、いろいろ相手をしたら、もとのように元気になり、ほっとしたことも。
また、にゃんこが来て始めの頃、夫が出かける時は一緒に見送りもしたものです。夫の車をじっと見送り、それから、庭で「こんなこともできるんだよ。」と嬉しそうに走り回り、私に見せてくれました。そんな時は、猫の顔に似ず、笑っているような表情をしました。あの頃のことを考えると、外で自由に走り回らせたいのですが、こういう世相で、それもままなりません。外をじっと眺めるにゃんこは我が儘をいいませんが、時に可哀想にも思えます。
本棚の上で
「私の遊び相手は、窓ガラスの向こうのヤモリ君、そして、この家のご主人。毎晩、ひもで遊んでくれるけど、もっと遊んでほしいんです。」