三河の
  写真集
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三河のいろいろな所
    ー投稿写真よりー

山中城址(岡崎市)
 
 岡崎東部、岡崎市羽栗町字城山の通称岩尾山(かつては、医王山と呼ばれた)の頂上(海抜195m)に「山中城跡」があります。城域は、東西400m、南北200mに及ぶ県下最大級規模の山城の一つです。この城は、山の頂上に形成された典型的な「山城」で、遺構も残り、貴重な史跡(中世城郭としては岡崎市唯一)となっています。
 山中城は西郷盛頼が永享5(1433)年に、また岡崎松平信貞が築いたともいわれるが、史料が乏しくわからないとあります。近年は、西郷氏の所領を引き継いだ岡崎松平氏の「本城」だったという説が出されました。(新行紀一「矢作東宿・明大寺・岡崎」)
 松平元康(後の徳川家康)が大永4年(1524)、雨の降りしきる中、山中城による岡崎松平信貞を奇襲し、陥落させました。岡崎松平に初め服属した家来を「山中衆」「山中譜代」と呼びます。
 最近、この散策コースが整備されています。(2月15日撮影)

 
城下の歌碑
不思議な鳥居

桑谷の鳥居(岡崎市桑谷町)
 山の前に、ぽつんと鳥居がある。「不思議な鳥居だな。」と思って、時々その前を通るのだが、きっとこの背後の山がご神体なのだろうと思う。「秋葉神社」という石碑が建っている。この鳥居と、その背後の押し出した山が妙なアンバランスを醸し出している。

昔の写真からー1960年頃の藤川町から西を望む

1960年頃というと昭和35年頃です。藤川町の山から西を眺めたとあります。遠くに国道1号線が見えます。「国道1号線ができても、車は時々しか通らず、私らは車が来ると走って見に行った。」とあります。手前を通るのは、旧東海道でしょう。松林が途中とぎれていますが、健在です。家々を見ると、まだまだ貧しかった当時の様子がうかがえます。道路は、舗装されておらず、「雨がふるとぬかるんだ」とありますね。

藤川西町(昭和35年頃)

 これも同じ頃の写真です。国道1号線を走るトラックが1台。こちら側の旧東海道には松並木が。道とその両側の草で高くなった「土手」の様子が、昔の雰囲気ですね。家は見あたらず、田と「すずみ」(藁を家のように積み上げたもの)があるだけです。

牛乗山 (岡崎市藤川町)

牛乗山(北から)

 岡崎市藤川町から北東にみえる山の上に、このような所があります。「山の上」とは思えぬ風景です。山頂の砂は、海岸のそれと同じで、石は丸く削られてつるつるしています。
 「私たちが小学生の頃はここで宝探しが行われた、大きな石も不思議な形に削られて、ここが大昔河口だったと教えられた。」と語っていました。
 近年、寺ができ、山は地元の人の知らぬ間に変わってしまいました。「大男が踏んだので、へこんでしまった、と聞いた大きな石はどこかへ持っていかれてしまった。小学校にあるという話も聞いたが。
と、地域の方が語ってくださいました。

牛乗山(南から)
 
 色の様子から、白く、細かい砂が大昔ここが河口であってことを想像させます。ここの石は、丸くきれいに削られています。「まるで、海岸に来たようだ。」と。
 以前は、小学校の遠足の地としてにぎわいました。

 

冬の奥三河

阿寺の七滝

 それは、年の瀬もせまった12月29日でした。途中の山道をシャーベット状になった雪に気をつけて行ってみると、私たちだけ。
 滝は氷が張り、流れ落ちる水の音もせず、凍り付いていました。
 静かな山の中、冷たい空気の中での風景でした。

阿寺の近くの学校
 南設楽郡鳳来町で見かけた小学校でしょうか。年末の休みで、学校は静かにたたずんでいました。霧と雪と、静けさの中で。
 廃校になった学校のようでした。学校はどんなに小さくても、それが地域の拠り所。大切にしてほしいと思いました。