写真集 6
三河の山間部を・加茂一揆の足跡も・そして、鳴海小作争議も
石御堂から西をみる
現在の石御堂から西の山間をながめた写真です。昔は、このような道がもっと曲がりくねり、山深いうっそうとした山道の途中にあったようです。
石御堂
広い道路から撮りました。後ろの竹林の雰囲気が多少昔を想像させます。ここに集まった70人余の人々の気持ちは、どんなものがあったでしょう。同じ季節、朝晩は多少冷えるようになった頃に、おとずれました。
(滝脇・10月)
松平神社
高月院のある山間に入ると、山間の少し広くなった所に松平氏発祥の地がありました。今は、神社になっていますが、加茂一揆が起きたとき、松平太郎左右衛門(第16代)は、九月廿に日から村々の百姓が、徒党して滝脇村石御堂にあつまり、所々村々の酒屋などをうちこわし、足助から挙母へむかい、乱暴をはたらいた。」と書いた。(松平太郎左右衛門家 信言の年代覚書 天保7年の条)
この場所は、石垣と堀で囲まれ、城のようになっています。
「三河の文化」にもどります。
高月院
何となく懐かしさのある山門の雰囲気です。快晴の静かな日でした。平日ということもあって、訪れる人もなく、ただ秋の日にたたずんでいました。(10月)
雉本朗造博士の像
昔は、近くの山の頂上に、鳴海の地を見下ろすように立っていたそうです。今は、その山のふもと、田園地帯が住宅地に変わってしまった一角に、公園が造られ、小作争議を闘った人々の子孫が大切に守っているそうです。その公園の中央に立つ雉本博士の像をみて、100年余前に、この地で重要な小作争議が闘われていたことを思い出す人はいないかもしれません。かたわらの碑文を読んで、はじめてそれとわかるのです。
鳴海小作争議の碑文
(作成中)
三河かも一揆は、1836年(天保7年)に三河国加茂郡(豊田市・岡崎市・額田郡・東加茂郡など)に起こった参加人数1万数千人ともいわれる大規模な農民一揆です。その故地を、一揆が起こった同じ季節に訪ねてみました。
滝脇村(現在は豊田市滝脇町)の石御堂
滝脇小学校の近く、現在は広い道路ができ、その通りに面して石御堂がありますが、以前の道はこの道路の数メートル下にあり、狭く曲がりくねった山間の御堂であったようです。
「雉本朗造と鳴海小作争議」
この冊子は、1988年9月に加藤高規弁護士が出されたものです。104ページほどの小冊子ですが、雉本博士の一生や業績、小作争議の裁判文書が収められています。