あいち県民教育研究所・教育フォーラム・第2回「愛知の教育,今何が問題か」 報告者・土井政美氏(1996.12.14)概要 |
あいち民研『教育フォーラム’96』の概要 1 はじめに 民研として2回目の教育フォーラムが,『あいちの教育,今なにが問題か?』のテーマのもとに12月14日開催された。 このフォーラムは,あいち民研がどのような活動に取り組むべきか様々な立場・角度から提言をいただき,私たちの活動を見直し発展させていきたいという趣旨から設定されてきた。今回は,愛知の教育問題にそれぞれに取り組んでこられた3人の方に,愛知の教育のどこに問題があるのかそれぞれの研究と運動の立場から報告していただいた。以下,このフォーラムでの三つの報告と討論の概要をまとめておく。 4 愛知の教育・管理体制から生まれる教師の意志 次に三河教職員労働組合の土井政美氏は,教職員管理の実態を教育事務所主事,校長,教師の発言を引きながら,管理体制に引き込まれていく仕組みを明らかにしようとした。例えば,教育事務所主事が金子みすずの「みんな違って,みんないい」を引いていながら,教師のマナーとして事細かな指示を出し統制してくることの矛盾。西尾東部中学校長の終業式におけるあいさつが,部活や各種コンクールを成果とし,いじめ事件を「恥」とするものとなっていることを指摘し,いかなる教育が行われているかではなく,「学校としての名誉」を第一義とする発想に陥っている問題性を指摘した。また「熱心な教師」というときの「熱心さ」とは何かを問い,月間皆出席を表彰する学校の異常さなどの例を挙げ,「熱心さ」とは異常さそのものではないかと提起した。さらに,職員会議での”きまり”をめぐる論議を例に挙げ,誰かに基準を示してもらい,そこに依拠して「指導」を同一にしようとしている実態を告発した。そして,異常なことを長期にわたって,集団で,熱心に取り組んできたために,正常な人間感覚がマヒしてしまっているのではないか,そうした体質を維持する組織として愛教大閥による支配構造が強固に存在していることを指摘した。最後に,「異常さ」を個々人が指摘して行くところから始める必要があることを力説した。 (文責・子安潤) |