<第一点>「少人数授業」と『少人数学級』とは,似て非なるものです。私たちは児童・生徒のために『少人数学級(20人〜30人)』の実現を強く要望します。 「少人数授業」では児童・生徒に基礎基本の力の育成ははかれません。 <第二点>新学習指導要領の実施とともに,教職員の勤務時間の長時間化・過密化が意図されていて,この二つはワンセットです。今まででも,教員の自宅への持ち帰り仕事は常態化していて,心身に疾病を持つ教員の増加の原因となっています。 <第三点>「指導力不足教員」を「特定」する問題は,父母のみなさんの要望の一つを受け入れているもののようにみえますが,実態は,「校長」の恣意的な意図に反する教員を排除するためのものです。児童・生徒のために職員会議で発言し,父母のみなさんとともに歩もうとする教員も排除の対象になりかねません。“闇の中”で進行中です。 以上の三点は,いずれも,児童・生徒の学習権を守り生き生きとした学校生活を過ごさせたい,そのために教員自身が自主的な研修を深め心身ともに生き生きとして教育実践にあたりたい,という当たり前の願いを踏みにじるものです。 この意味では,民間経営での「リストラ」という名の首切りや,それに伴う職場に残った勤労者の労働の長時間化・超過密化・賃金カット等の問題と軌を一にするものではないでしょうか。 支配層から日常的に分断のくさびが打ち込まれている私たち教職員と父母のみなさんには同じ働く者としての自覚した強い連帯が求められています。 |
三河の教育現場を形作るものー「多忙」と管理ー
三河の教育現場を形作るものが「奉仕精神」に基づく長時間・無定量の労働です。学閥の出世体制を勝ち抜いてきた方々は、事あるごとに「子どものために」と言いますが、教育の第一線に立つ担任教師こそ、子どもらのために土・日もなく多くの仕事に忙殺されています。
現実を見つめ、ここからの改善を!と、私たちは活動しています。
「学校の多忙」は、すでに深刻な状況となっています。1996年愛知県教育委員会は、「学校運営の改善について」という通知を出しました。そこには…。
学校の現実(教師の一日)の例
「多忙」が、子どもと教育・教師を蝕んでいる。
「休憩?休息?そんなものは、三河にはない。」
「子どものためにはイヤとは言えんはずだ。」(管理職)
三河校長会が平成8年に決めた「泊を伴う学校行事を実施した場合の適切な配慮について」を掲載しました。
本来は「勤務の振り替え」であり、「適切な配慮」などであってはいけないものです。
「先生。この字って何て読むの。」
「どれ、見せて。」
「あ、それ〔わしつ〕(和室)っていうんだよ。」
「そう。よくわかったわね。えらいね。」
「わ(和)と教室の室(しつ)だから、合わせたんだ。」
「それじゃあ、この字は(洋)?」
「ひろし君の(ひろ)だ。」
「ひろしつかな?」
それじゃあ、変だよ。」
この絵は、私たちが三河部で「臨時教員問題を考える会」を作ったときにカットとして活用させていただいたものです。あれから、もう10数年が経ちました
当時も今も、臨時教員問題(「正教員1人雇うなら、臨時教員だったら5人雇える」という発想)の本質は変わっていません。そして、現場は更に「臨時化」が進み、多忙化の「週5日制」を契機にさらにひどくなりました。
上記の岡崎市の教員配置は、まさにそれを示しています。岡崎市はそれに加えて「無用な役職を乱発」し、専科教員を配置しないことと、「役職増設の悪循環」のなかで、下らない管理と出世意識が高じているます。
今、岡崎市に必要なのは、30人学級の実現と、無駄な管理職(中間の役職というものも含め)の削減、学閥主導の教員配置ではなく、適正な教員配置の実現です。