教員が人間として尊重される人事を!

 

突然、異動の内示を受け

3月20日(木)午後4時30分頃、校長から突然「転勤です。大蔵小学校です。」と言われました。閉校まで3年、この学校の閉校までを見守り、残りの3年の年月で私なりの教育実践を子どもたちと作り上げようと思い、異動など全く考えていなかったので、あまりのショックに返す言葉がありませんでした。

そして、「どうしようか。このまま、異動しようか、しかし、…」と悩みました。私は、人間として扱われていない。「物の移動」のように転勤させられる。教員は人間として扱われて、はじめて教育という人間を育てる仕事にのびのびかかわれるし、能力も発揮できる。人間は言葉で話し合うことで、人間として扱われたと感じるのに、事前の打診がないことで、私は「人間でなく、物として扱われた」と強く感じました。そして、自信喪失になり、プライドはズタズタに傷つき、今まで2年や1年で転勤してきた人たちの気持ちも今さらながら汲み取れたように思いました。このままでは仕事も続けられません。「なぜ、事前に打診してくれないのか。」「なぜ、教員を人間として扱ってくれないのか。」と、聞こうと思いました。

次の日、私は校長に私の気持ちを話しました。校長も私の気持ちを理解したようで、一緒に足助支所に行ってくれることになりました。

 

人事の仕組み

 私は今年の人事では、「異動するつもりはありません。」と、校長にお願いしてありました。そして、自分の計画では、「心の健康に取り組み、14年度に実施したことを毎年続けて経過観察をしたい」と考えていました。そして、3年後の閉校まで、子どもらと一緒にこの学校の最後を見守りたいと思っていました。

 しかし、和合小に勤めてたった2年なのに突然の異動の内示でした。何の打診もなく。

そして、異動するにしても、週1〜2回通院している岡崎市に近い学校でもなく、通勤時間も今よりはるかに遠くなる大蔵小へという内示でした。

 私は、「この学校で勤めたい」という希望を口頭で校長に伝えてありました。東加茂郡には、文書で提出する「異動希望調査表」のようなものがないからです。「異動するなら、どこがいいか。」という話が全然なかったのです。そのため、私の通院のことや、希望を伝える機会さえまったくありませんでした。

 東加茂では、ここ数年「3年以内での異動」が多くなっています。そして、本人の希望を尊重しようとする姿勢など微塵もない状態になっています。

2年前、私が転任の希望を出したら、私とAさんのトレードのような異動でした。おまけに、Aさんは和合小に2年しか勤められておらず、私へのあてつけのようでもあり、Aさんの気持ちもどんなだろうと、大変いやな思いをしました。そして、2年で転勤するのが普通のようになっている現状に異常さを感じました。東加茂郡では、打診された体験のある人がなく、私もおかしいなと思ってきましたが、私自身2年で転任したことがないので、がまんしてきました。

 

教員を信用しない人事

 足助支所の加藤主査も「本人に打診をすれば、文句を言う人ばかりになって、混乱するだけだ。」と、教員を信用しない口ぶりでした。私が打診されておれば、和合小に残りたいと強く希望したでしょう。でも、「どうにも仕方がないなら、足助の西部をお願いします。」と話したと思います。通院のこともあるからです。そして、今回のように大蔵小になってしまっても、不服申し立てをしようとはしなかったと思います。信用されてなく、物として扱われる人事に、もうがまんがならないという気持ちです。

県教育委員会の人事異動方針には、「本人の意向を確認し、希望事項が反映されるように」と書かれています。それに岡崎市豊田市のように1500人を越える大きな都市部でも「内内示をする」「事前の打診をする」という話を聞きますと、「家族的な地域だ」と言われるこの東加茂郡で、なぜ一人ひとりの教員を大切にできないのか、と思います。そして、「打診をしたら混乱する」とは。まるで、教員を「文句を言う者たちばかりで、自分勝手だ」と言っているようではありませんか。

 

支所・教育長のいう「異動の理由」のいい加減さ

 今回の内示は納得できないことを校長に伝えたら、校長自ら加藤主査に聞いてくれました。そして、転任の理由は「羽布小と和合小の年齢等のバランスがとれるように」「あんたは下山村から一度も出てないから、足助町に行ってほしい」とのことでした。

次の日、下山村のM教育長には、「羽布の子がさびしがるから、養教も一緒に行ってもらう」と言われました。
 羽布小からは、校長と担任が一緒に来るので養護教諭まで来る必要はない、と私は思いました。それに、今まで合併した学校に養護教諭が一緒に行った例はありません。そして、私は
足助町に4年勤めていました。
 勇気をふりしぼって聞いた異動の理由が、間違いであったり、根拠のないものであったりして、私の疑問はふくらみました。そして、普段、管理職の方々は「養護教諭は補助的な仕事だ。」「養教は担任じゃないから、暇だ。」と言って、私たちの仕事の意味を軽視してきたことが思い起こされました。

 「何だ、理由がどれも間違っている。こんないい加減なことで、異動させられるのか。」と、今更ながら怒りがわき起こってきました。私は、こんないい加減な人事は許せません。教員を人間として大事にする教育行政になるようがんばりたいと思うようになりました。

 

               2003,3,29(土)新聞発表の日に
                              〔4,13(日)一部説明を直しました。〕

 (注)
 ・和合小と羽布小はH15年に合併。
 ・和合小は3年後に廃校。
 ・羽布小の養護教諭は、5年間勤めていた。
 ・和合小の養護教諭(私)は、2年間勤めていた。


「先生、がんばってね。おうえんしてるよ。
    では、前のページにもどるね。」