1986.5.18.豊田の人事を民主化する会発足記念講演

  長谷川正安氏「憲法からみた教員の人事問題」

  

*今から12年前、杉浦先生が自らの不当人事に対して人事委員会に提訴して戦うことを決意しました。その戦いを支援するとともに、豊田の教員人事を民主化するために「教員人事を民主化する会」が発足しました。その発会式に記念講演をしてくださったのが、長谷川先生でした。長谷川先生は会の会長も快く引き受けてくださり、8年にわたる杉浦人事の戦いはスタートしていったのです。

 今回、左右田先生が不当人事に立ち上がり、提訴して戦いを開始しました。この戦いは三河全体の人事民主化にも大きく関わっていく戦いになると思います。そこで、今一度原点に立ち、戦いを構築していく上で多くのサゼッションを与えてくれた長谷川講演を再録したいと思います。

 当時の録音テープから聞き取り、構成したものです。見出し等は、こちらの方で勝手につけさせていただきました。

 

テキスト ボックス:  人事を民主化する会ニュースbS 
             1986.6.2

 

 

 

 


はじめに 

 難しいたくさんの問題を抱えているみなさんに、私がどのくらい適切なお話ができるかどうか自信ありませんですけれども、今いろいろお話を伺ったことを憲法の立場から見るとどういうことになるのか、そういう観点で話してみたいと思います。

 私は、みなさんもご承知のように、ずっと大学にしかいたことがないので、勿論、私自身も戦前ですが小学校・中学校を出て大学に入ったわけですが、戦後は大学から大学へ、学生から教師になってそのまま大学で教えているものですから、正直なところ戦後の小学校・中学校・高校はよく分かりません。自分の子どもが小学校・中学校・高校へ行っていたときには、子どもを通じていくらかは分かりましたが、その子どもも、もう大きくなってしまったもんですから、今のことは分かりません。

 ただ、今、お話を伺っていて、かなり昔になるんですが、教育二法が問題になったときのことを思い出しました。

 

教育二法反対闘争と現在

 教育二法の反対闘争が行われたのが、1954年ですから、今から32年前になりますかね。この中にはまだ生まれてない方もいるかもしれませんが、32年前に教育二法の反対闘争というのがあったのです。その当時、名古屋に来たばかりの私は、愛教組の幹部の人たちといっしょになって、名古屋・尾張・三河の小中学校を夏休み中、ほとんど一月以上かけて回りました。教育二法がいかに教師の人権を侵害すすものであるか、「教育の政治的中立」という名目でいかに教師の思想とか信条とか現場の教育を侵害するものであるかということについて、ずっと愛知県一円を話して歩いたことがあるんですね。

 そのころは愛知県の教員組合自身がそういう立場で、要するに時の内閣が作った悪法に対して、正面から戦う、そう言う姿勢を持っていた時代があります。今、その人たちは(県下を回った人たちは)校長さんになり、県のえらい人になって、もう今は天下って教科書でも売っているかもしれませんけど。何しているか私は知りませんが。もう私の所には寄りつかなくなってしまったから。

 ともかく30年ほど前にそう言うことがあったわけですね。その時に、私まだ若かったですが、今覚えていますのは、占領中に新しい憲法ができて、憲法に基づいて教育基本法という法律ができました。戦後の新しい教育が始まったときに、いろいろなことが言われましたけれども、子どもたちに基本的人権というものがいかに大切かということを教えなくてはいけないということが強く言われました。勿論、戦争が終わった直後ですから、戦争に反対する平和が教育の一つの問題でもありました。また政治の在り方についても民主主義ということを教えなくてはいけないということもありました。まぁ、いろいろ教えなくてならないことが在ったわけですけれども、その一つの項目に、憲法・教育基本法に基づいて「基本的人権の重要さというものを子どもに教えなくてはいけない。」というふうに、占領下でもずうっと言われてきたわけです。

 ところが占領が終わって(1952年)それ以後ですね、今日も反動攻勢、反動攻勢と言われますが、占領が終わると同時に大変反動的な政治が強くなってきたのです。例えば法律でも、「破壊活動防止法」(これはまぁ、共産党を弾圧するための法律ですが、)そういうものができたり、「ストライキ規制法」というのができたのです。その当時、労働組合としては一番戦闘的であった炭労(石炭の労働組合)とか電産(今はどうってことありませんが、当時の電機産業)のストライキを押さえてしまうような法律がです。

 こうして、共産党を弾圧し、戦闘的な労働組合を弾圧した翌年に教育二法というものを出してきたのです。要するに、教師の労働運動に対してそれをいかに押さえつけるかと言うことが意図された訳なんですね。

 その当時、私が話して歩いたときに、今でも覚えているのは、『子どもに基本的人権の重要さというものを教えたいと思ったら、教えている先生自身が、自分の人権が十分に保障されていなければ、子どもたちの人権の重要さというものを教える事なんてできるはずがないじゃないか。』ということを一生懸命話して回ったことです。

 今はどうか知りませんが、その当時、子どもの音楽教育をするのに、いくら教えても何か音感が狂っていて、「どうして、こう日本の子どもたちは、音感が狂っているのか。」と、正しい音感を教えることができないと悩んでいたんです。それは、子守歌を歌っている(30年も前のことですから勘弁してください。)おばあさんが、あるいは、おんぶしていろいろ歌っている女中さんなりが、ものすごい音程の外れた歌を毎日朝から聞かせているわけです。そうすると、(勿論悪意ではない、善意からですが、子どもを寝かしつけようとして歌っているんですが)ひどい音程の外れたのを聞かせているとそれで育った子どもは絶対音感がはっきりしないんですね。私もそう言うおばあさんに育てられた一人だから分かるんだけれども、大人になってから音感教育をやろうと思ってもできない。要するに、音感の正しい、ちゃんとした歌が歌える人が歌って子どもを寝かしつけていれば、その子どもは黙っていても大きくなったときに、音感はしっかりしてくるし、正しく歌が歌える。要するに、音楽の教師が音感狂っていたら、絶対そりゃあいい教師にはなれないわけで、音感の正しい教師であって初めて子どもに音感を与えることができる。

 人権もそれと同じで、自分がぜんぜんその人権感覚がなくって、人権が保障されていないのに、ことばの上で人権が大切だと教えようと思ったって、そりゃあ、無理だ。

 私たちが戦前受けた修身教育とは、まさにそういうものだったんですね。「親に孝行しなければならない。」と、親不孝の先生が子どもたちに教えるとか、「天皇に忠義を尽くさなければいけない。」というようなことを兵隊に行ったことのない教師が言う。(師範学校に行けば兵隊に採られないですむといって、兵隊のがれるために先生になったのがいくらでもいるわけですから)、そういう先生が子どもを扱って「あなたたちは、天皇陛下に忠義を尽くしなさい。」「命を捧げてお国のために戦いなさい。」と言う。そんなことを言ってもですね、子どもたちは、どんなに小さい子どもたちでも、それりゃ、母親が言って聞かせる場合もあるだろうし、いろいろ話題になることもあるから、自分の先生ってどういう先生かよう分かるわけですよ。

 というわけで修身教育というのは本当に空々しい、要するに、教えている方も聞いている方も白けてしまうようなそういう教育というものが戦前にありました。

 戦後の人権教育も全く同じ事で、先生自身が例えば思想の自由が保障されていない、言論の自由が保障されていない、表現の自由が保障されていない、そういう先生たちがどうやって子どもたちに思想の自由の重要性とか、あるいは表現の自由の重要性とかを教えられるのか。ということを私は30年前に話して歩いた記憶が在るんですね。

 で、教育二法というのはまさに、そういう先生の、ここに書かれているように教師の人権を剥奪してしまう自民党(その当時はまだ自民党ができていませんでしたけれども、自民党ができたのは1955年ですから、すぐその後にできたのですけれども)の直前の保守党がつくった内閣の下で『教育は政治的に中立でなければならない。』と言って、共産主義者、あるいは社会主義者、自由主義者、ともかく、自民党を批判するような考え方が職場に持ち込まれることを一切押さえるよう、そういう法律を作ったことが在った訳なんですね。

 それから30何年かたって、今また同じ様なことが問題になっているんです。今問題になっていることは、その当時よりももっとなんと言いますか、憲法の立場から言いますと、事態が深刻になっている。

 その当時は、教師の人権を押さえるためには、1954年当時ですと、まず、憲法を変えようとか、教育基本法は廃止しようとかそういうことが正面から問題になっていたんですね。すなわち、裏返して言えば、憲法を変えたり、教育基本法を廃止したり、教育二法を作らなければ、日教組に結集している現場の教師の教育を押さえることができなかった。それほど教師の運動というものは、強かったんです。強かったからこそ、そういうものを作らなければ押さえられない。政府も不安である。また、変なものを作れば、愛教組でさえ、(最後はちょっと誤弊があるかもしれませんが)正面から戦う、そういう状況だったんですね。

 ところが、それから30年いろんなことがあったでしょう。いろんなことあったにせよ、結果としては、今日の方が当時よりも事態が複雑だというのは、確かに教育臨調ということで今、中曽根内閣の下で審議会が作られてそこでいろんなことが検討されていますが、まだ憲法は改悪されたわけではない。教育基本法は厳としてあるし、尊重するなんてことを臨調でも言っているわけです。法律ができたわけでもありません。それにも関わらず、職場の事態は、当時よりもずっと悪くなっている。ということが大変問題なんですね。

 だから、病気でいえばかかってすぐは、痛みが出て、すぐ医者にとんで行かなければならないような、まぁ、発病して初期の段階はそうなんですね。痛みも痛いけれど、すぐ医者にもとんでいく、薬も割合効く。それが慢性化して、今ではそう激痛はこないんだけれど、何となく気分が悪い。そう言っている内に、どっか体の一カ所から膿が出てみたり、上からばんそうこを貼るとこっち側から出てきたり、いわゆる慢性状態がずっと続いて、もうあとは本当に、病気を治せるのかどうなのかが、もう不安になるような、ただじっと静かに死ぬのを待つのか、それとも、これでは困るから……、

 慢性と言えば、要するに人権侵害が個々のケースに留まらないで、地域に、あるいは相当広い地域に、一斉に、しかも痛みを伴わずに、というのは、外側から見てもいろんな症状が分からないような形でじわじわと、こう出てくるような状況になっているのが今日じゃぁないだろうか。

 ですから、そういった意味では、大変戦いにくい。憲法改悪なら、正面からみんなが戦うでしょう。教育基本法反対すると言ったら、愛教組だって賛成とは言わないでしょう。また、教育二法のようなものができれば、悪法反対闘争で、愛教組だけじゃぁなくて、もっと地労が参加して、広範な戦いができるでしょう。

 しかし、そういうことが全然ないのに、ある地域のある学校である人について、非常に人権を無視した人事がやられると言うことになると、こりゃあ、大変戦いにくい。先ほどどなたかが、おっしゃっていたように、何か自分の人事で何か言うというのは、自分の利益のためにみんなに迷惑をかけるんじゃないだろうかという気持ちで、我慢してしまう。こういうところで、話してみると、自分だけじゃぁなかった。ということが分かるわけですけれども、そうなるためには、やはり情報がかなり伝わっていかなきゃあならない。一定の期間がいるわけですね。

 私は、30年前には教育二法がおかしいということを話していればよかったのですが、今みたいな状況になると、もう一度源にさかのぼって、憲法なら憲法の原則から話していかないといけないと思うのです。

 それこそ慢性になった人には、症状なんかの話をしてもですね、その人の方がお医者さんよりよく知っているのですね。だいたい慢性の患者なんというのは、医者の言うことなんか百も承知。で、そうすると、もっとさかのぼって、健康なありがたみとか、健康というのはどういう人間の気持ちの持ち方なのかとか、どんな戦い方によって獲得されていくのか、という根元にさかのぼって、生き方の問題から入っていかないと、なかなか慢性の患者というのは、よくならないですね。

 だからよく言われるように、(私も全面的にそれを信用しているわけじゃぁないんだけれども、また、私は健康ですから、あまり医者にかかったことがないんで、私の話はそれほど信用できないかもしれませんが)いわゆる西洋の近代医学、うちの大学でやっているような医学に対して、最近たいそう多くの方が中国の東洋医学に依頼することが非常に増えてきた。これは、近代医学というのは、現象ばかりを追って、局部ばかりを治そうとしている。すぐ治るんだけれども根治しないから、またすぐ悪くなるみたいなことを繰り返している人が、今度はそういうところから東洋医学を見ると、まず体全体がどうやったら健康になるかというところから根本的に考えて、生活を直し、治療に時間をかけ、していくと、結果として病気も治る。治らないものも勿論あるけれども、治るものが出てくるというふうに、慢性になったものをどう治すか、ということで、私は、そういう例を思いつくわけです。

 

教師にはどんな権利があるのか 

 今日、みなさんが当面している問題も、これはかなり根の深い慢性的な問題で、そうすると、もう一度、憲法の一番基本にかえってですね。そういう感じがするわけです。それで今日の表題になったわけですが、教師の人権をどう守るかということなんですが、『一体、教師にはどんな人権があるのか。』ということを一つ考えてみたいと思います。

 私は、ちょっと性質の違う三つの問題があると思うんです。一つは、基本的人権と言われるわけですが、『人間としての権利』。もう一つの問題は、『教師としての権利』。もう一つ問題になるのが、それは教師も働いてそれに対して賃金をもらっている生活をしているわけですから、『労働者、勤労者としての権利』。この『人間としての権利』『教師としての権利』『労働者としての権利』、私は、教師としての権利にはこの三つの権利があると思うんですけれども、問題はその三つのものがどういうふうに同じ一人の人間の中で、調和するように働いているか、あるいはまた社会的に見て、三つのものがどういうふうに調和的に働いているのか、あるいはどっかでそれが矛盾をきたしているのか、こういう問題を一つ、これは、みなさんこういう問題についてどこまで勉強されたか分かりませんが、そういう問題を一つみなさんにもお話しして、みなさんにも考えてもらいたいと思います。

                                                                   

教師の第1の権利『人間としての権利』

 第1の問題は、人権というのですから、文字通り人間の権利ですね。

 ご承知のように、人権宣言ということがよく言われますし、日本国憲法の第3章は、『国民の権利及び義務』ということで、そこにいわゆる権利、国民の権利及び義務が書かれているわけですが、人権宣言というのはもともとは、1789年ですから、今からほぼ200年前にフランス大革命が行われたときに、最初の議会で、宣言をしたわけです。その宣言は、正確には『人間及び市民の権利の宣言』という、それが正式な名前なわけですね。『人間及び市民の権利の宣言』それを略して『人権宣言』といっとるわけですね。

 しかし、200年前のヨーロッパの人たちは、人間と市民というのは区別していたわけです。なぜ区別したかというと、人間の権利というのは、国籍を問わず、要するに人間であれば誰でも持っている権利を『人間の権利』と言ったわけです。

 そして、『市民の権利』というのはその社会、フランスならフランスの社会、あるいはドイツならドイツの社会、日本なら日本の社会を構成している人たちが持っている権利、例えば選挙権と言うようなものですね。選挙権というのは、日本で言えば日本国民しか持っていない。日本に住んでいるアメリカ国籍のアメリカ人やあるいは、朝鮮国籍の外国人には選挙権というものはない。

 しかし、アメリカ国籍の外国人も朝鮮国籍の外国人も人間であれば、持っている権利というのがあります。日本国民でなければ持たない権利と人間であれば、要するに日本に在住している人間であれば、誰でも持っている権利、それを区別して、いわゆる人権という考え方が最初に出てきた。

 それはどういうものかというと、一番分かりやすく言えば、この日本国憲法で認めているのは、まぁ、普通、思想・信条の自由ということがよく言われますが、第19条で『思想及び良心の自由』。誰でも、どういう思想を持っているか、あるいはどういう倫理観を持っているか、そのことによって差別されたり、そのことによって不利益を受けたり、そういうことがないというのが『思想及び良心の自由』という問題なのです。

 これはフランス大革命以来、この200年間、フランスであろうとドイツであろうとアメリカであろうと今ではイギリスであろうと、日本も同じですけれども、全世界で認められていることは、思想の自由・良心の自由・信仰の自由ですね。あるいは、それに付け加えて、表現の自由。ただ自分が何を思っていてもいいと言われても、思っていることを人に伝えられなければ、全く意味がない訳で、そういう社会生活をしている以上は自分の考えていることを、自分が自由に信仰していることをそういうことを他人に伝えることができるそういう表現の自由が問題なのです。この思想信仰の自由とか、表現の自由とかは、まず第1に、人間として認められているのであって、(日本国憲法では国民の権利・義務、国民の自由として表現されているけれども、)これは日本国民だけではなくて、全世界の国民に認められている、世界的な規模で認められているもの。ですから、戦後国連で作られた『世界人権宣言』、その中にも述べられているようなそういう権利が、まずあるわけです。

 これが一体、今問題になっている教師に認められているかどうかというのが問題ですね。

 しかも、この憲法論として言いますと、今の人間としての権利というのは、だれに対して守られているのかということが問題なんですね。

 憲法の基本的な考え方としては人権を侵害するのは権力を持っているものだというふうに、考えるわけです。これは、フランスでもドイツでも日本でも同じ事ですけれど、まず、人権を侵害するのは権力者である。すなわち、基本的人権を守るというのは、一人ひとり個人が生まれながらにして持っている権利をですね、権力者がそれを制限しようとしたときに、それと戦うできるように人権を認めるんだ。すなわち、基本的人権というのは、権力者と、だから例えば国家とかとですね、あるいは市町村とか、公の権力を持っているものと個人との関係で、これは問題になるというのが憲法論としての人権の問題ですね。

 ですから、そういう意味で言えば、例えば、地方公務員である教師にとって人間としての権利が守られているかどうかと言うことは、県に対して、あるいは、市に対して、国に対して、教師ならば、そこの教育委員会に対して、要するに人事権を持っている、管理権を持っているそういう権力を持っている国なり市町村に対して、人間としての権利が守られているかどうかということが第1の問題なわけですね。

 すなわち、自分の考えていることが、公然といえるかどうか、その権力を代行している校長なり、教育委員会なりに、突然「転勤しろ。」と言われたときに、その転勤が非常に不当な転勤であるということを自由に表現できるかどうか、また、そういうことが起こる以前にですね、教師がどういうことを考えているか、教師が今の県なり市なり、校長に対してどういう考えを持っているということが自由に職場の中で表現できて、そしてそれが、伝わっているかどうか、これが、教師の人権としては、第1の基礎的な問題だと思うんです。

 

教師の第2の人権『団結権』

 ところがみなさんご承知のように、一人ひとりの教師がですね、職場で、全く孤立して、そうして校長と、教育委員会と、一人でそういうことを貫き通そうとしても、これは大変難しい。それは別に、日本の社会がもともと人権を認めないような遅れた社会だからそうなんだというようなことじゃなくて、これは世界中共通です。アメリカであろうとフランスであろうとイギリスであろうとドイツであろうと、どんな進んだ社会でも、身分が例えば相手方に雇われている公務員が、一人で権力を握っている機関と対等に交渉できるなんてことは事実上あり得ません。どんなに個性の強いがんばる人であっても、相手は権力を握っているわけですし、こっちはそっちから給料をもらっているわけですから。 そういう立場で、実は、人間の権利というのは、相手とこちらとが対等だという観念でできているわけです。

 ところが、実際、現代の社会というものは、権力を握っているそういう機関と個人とは対等でなくなっているわけです。だからこそ、今度は第2の人権問題が出てくるわけです。一人ひとりなら弱いバラバラで、権力と戦えない。しかし、人権はあるとすれば、この人間としての人権を守るためにどうすればいいかということが問題なんですね。だから憲法では、第28条で『団結権』というのを認めて、そうして、一人ひとりでは弱い教師を教員組合なら教員組合、そういう組合を作ることによって初めて強い権力と対等に戦うことができるようにという、そういう保障をしているわけですね。

 本来ならば、国家と個人、市町村と個人という関係でしか認めていない人権をですね。ここでは、問題を一歩進めて、権力者と組合という集団の間でいろんな条件交渉をさせる。この個人の自由なり、権利を保障するために、組合を作ることを認めている。そうして今度は組合が、団結して初めて戦う、対等に戦うという条件というのを憲法の28条というのは認めたわけですね。だからそのためには、団体交渉をしなければいけない。団体交渉を有利にするためには、組合にストライキをすることを認めるとか、サボタージュをすることを認めるとかそういうふうになっていたんです。

 だから、そもそも、(今度は組合の問題になっていくと)団結をするということはですね。団結をする一人ひとりの組合員の権利なり自由と言うものを、すなわち、生まれながらにして持っている思想の自由とか表現の自由とか、そういうものを一人では守れないからみんなで守ろうというためにできているものなんですね。だから、一人ひとりの人権を守れないような組合なら、そんなものは作っても意味がないのであって、労働組合を作るというのは、一人ひとりでやりたいこともできないことをやるために、組合は作るんですから。要するに団結の目的は、団結を構成している組合員の権利をまもるためにすることにある訳です。

………(途中抜けている)…………

 だんだん労働者と資本家の闘いが進み、負けに負けて今度は組合を作んなきゃいけない。組合を作っても、今度は組合を作ること自体が刑法に触れていたり、そして秘密結社を作らざるを得ない。すると、会社も秘密結社なんか作られるとどこで何やられるか分かんないから、今度は組合の権利を認める。ストライキをやると罰金をかけていたやつを今度は罰金もかけなくなる。…というふうにだんだん、だんだんジグザクの道を経てここまでやってきた。

 例えば今言った人権宣言というのは18世紀の終わりにできたもんだけれども、19世紀百年かかってきた。フランスでは労働者と資本家の激烈な闘争が、勝ったり負けたりを繰り返していく中で、初めて憲法で団結権というものを認めるようになった。今世紀になってから、そういう要するに個人の自由を守る過程で、百年かかり二百年かかって初めて団結権というところへ到達したわけですね。

 私がフランスへ留学してパリに2年いましたけれども、あそこの労働組合では、個人の自由が組合によって踏みにじられるとか、あるいは御用組合で会社と一緒になっていて、個人の組合員の自由が踏みにじられると言う例がほとんどありません。もっとはっきりしていることで言えば、組合の事務所が会社の中にあるなんてところはどこにもありません。要するに、会社と組合が全然別のものなんですね。

 私がある北部のカドカレイという県にある炭坑を見学に行ったことがありますけれども、そこの炭坑の労働組合の役員の人を私は知っていたもんですから、その人に頼んで「見れるか?」と聞いたら「見れる」と言うもんで行ったんですね。私は日本の炭労と三池の炭坑のことを思いだして、きっと組合の偉いさんが連れていってくれるんだから、どんどん入っていくんだと思っていたら、全くそうではないんですね。会社の入り口の所までは連れていってくれる。入り口の向こうに会社の偉い人がちゃんと来ていまして、ちゃんと門のところで受け渡し、と言うのもおかしいんですけども、要するに石炭労働組合の幹部の人が、「日本から来て見学したいと言ってるから見学させてくれ。」と言って、「よろしい。」と言うことで、まあ事前にもちろん話し合ってて、私は会社側に引き渡されて、会社の人が今度は親切に言って、いろんな服を着せてくれて炭坑にぐっと潜って、石炭を寝ながら掘ってるような(日本と労働条件ほとんど同じなんですけども)外国人労働者が石炭を掘っているところを見学して出てきて、体を洗って玄関まで来て門の所まで連れていってくれると、また組合の人が待ってて引き渡す。

 そのくらい労働組合と企業というものは(もともと対立しているんですけども)違うんだということがはっきりしているわけです。だから、御用組合なんてものができるはずがないわけですね。別にだからといって、喧嘩してこちらから連れていった者は絶対に入れないとか、こっちの言ったことはみんな否定するなんてこともない。そういうふうに、お互いこれはいいと思えば、私のような者を連れて行っても、向こうでもちゃんと見せてくれる。その点は実にスムーズ。なぜスムーズかというと、百年二百年にわたって絶えず血を流すような喧嘩をしたり和解をしたりして、両方でどうやったら両方の利益になるかということを、ずうっとやってきましたから、だからお互いに無茶苦茶なことはやらないし、理由のないことはやらないと言う労働運動の伝統ができていくわけですね。そうなると、やっぱり労働組合は、自分の所へ結集した労働者の利益を守らなければ存在理由がない、組合員がどんどん減ってしまうわけです。

 ところが日本の場合には、実はそういう個人の人権を保障するという歴史が明治維新以来なくて、戦争に負けて新しい憲法ができて、アメリカの占領下で突如大幅に労働組合を結成する権利が認められて労働組合ができて、労働運動をする中で戦後の日本人は、個人の自由とか権利とか個人の尊厳とかいうことは、実は先に団結して労働運動をする中で覚えたんですね。だから、ヨーロッパの人たちは、個人の尊厳とか個人の自由とか表現の自由とか信仰の自由を着々と重ねながら、最後に団結権ということを覚えたから、団結権より前に個人の自由があるということがはっきりしているわけですけど、日本はそれが全く逆さまでして、まず訳も分からず団結して、会社に入ったのか組合に入ったのか、何年何月に組合に入ったのか知っている人は少ないですね。だいたい会社に入った年でしょうと。要するに、会社に入れば組合にも入る。で、会社やめたら組合もやめる。もう自動的に、組合に会社の名前が付いているわけですから、まあ会社の名前が付いているからというのはおかしいんですけど、本当言うと労働組合の頭に会社の名前が付いているなんていうのは、スポーツの試合にスポンサーのトヨタの何とかと名前が付いているのはおかしくないんだけれども、組合の名前にまで自動車の宣伝をすることはないと思うけれども、まあ日本ではそれが一致しちゃってる。我々はまず団結があって労働運動があって、その中で個人のあれを覚えてきたもんですから、団結権こそが絶対である、団結が一番優先する、何が何でも多数で決めたら少数はがまんしろというような、実は戦後の政治家って経てきているんですね。ですから、それはもちろんそういう歴史をたどらなければならなかったのは、それは日本の社会が遅れていて、しかも戦前明治憲法のもとで、人権というものが認められないで、そういう不幸な歴史を持っていたからそうなったわけで、それは仕方がないことです。ヨーロッパと同じように、まず団結しないで個人バラバラになってから、もう一度やり直しましょうやなんてこと言っても、そんなことやっていたら、日本はあの時つぶれちゃっていたでしょう。まず団結して労働組合を作って、どんどん組合運動をやる。会社が物を作らなければ、原料をとってきて組合で作って生産管理なんてやっていたことがあるんですからね。まだその頃はトヨタだって日産だって、つぶれるかどうか分からなかったような、そういう時代もあったわけですね。

 我々はそういう中で、労働運動をやりながら個人の自由とか権利というものにだんだん目覚めてきたわけだけれども、しかしそういう歴史を持っているために、どちらかというと団結一本槍で、個人の自由とか権利を認めない。そういう風潮が日本の労働組合には非常に強いですね。それプラス、日本の労働組合は全て企業組合と言われるように、会社単位でできている。だから、労働者階級全体の利害関係よりも、うちの会社がつぶれるかどうか、儲かるか儲からないかということの方が、経営者が心配するんじゃなくて組合が心配するような、そういう体質があるわけですね。

 ですから、戦後の日本の歴史が、人権の発達の歴史が逆さまだっていうことと、それに企業組合という、そういう要素が、その他日本人の生活における家督主義の問題とか、いろんな要素が加わってどうしても最後には、一人一人の個人が我慢してその社会が成り立つ、組合が成り立つ。そういうように、戦後40年きてしまったんですね。そういう状況を、今の日本の自民党内閣は労働政策を立てるのに、労働対策にそういう体質を全面的に利用しているわけです。だから、今の自民党内閣ならば、法律作るよりは、あるいは教育基本法を廃止するよりは、憲法を改悪するよりは、職場にすでにできている御用組合を使い、企業に補助金を与え、そうしてそこで、どっちが組合だか企業だか分からないような体質を作らせて、選挙の時には職場をあげて、いわゆる企業ぐるみの選挙でもって自民党を支持してもらう。あるいは、自民党より過激な民社党を支持してもらう。そういうふうに、今の体制が出来上がってしまっているわけですね。

 ですから私たちは、もう一度根源に戻れと最初に言ったのは、いったい労働組合というのは何のために出来ているのか、会社の破産を救うために出来ているのか、組合員の個人の自由や権利を守るために作ったものなのか。この点について、やっぱりはっきりさせる必要があると思うんです。我々はまず人間としての権利を認めてもらわなきゃならない。これは不可欠で、それを守るためにこそ勤労者としての権利というものを保障してもらわなくてはいけない。そして、勤労者としての保障が守れるような労働組合というものは、当然対立しているはずの企業と馴れ合って、そして企業の考えるとおりに労働組合を組織運営するような、そういう御用組合であってはならないということは当然のことだと思います。

 そこで初めて、今言ったような人間としての教師の権利といったものが、実質的に事実上守られていく。そういう職場というものが出来るんじゃないかというふうに考えるわけですね。

 

教師の第3の権利『学問の自由』

 そして、今度は最後の問題になるわけですけども、教師は人間であるし勤労者であるけれども、最終的には教師として職場で子供たちに接しているわけですから、教師としての人権というものはどういうことになるのか、これはいろんな条文をあげることが出来ますけれども、私はここで時間もないので一つだけ強調しておきますと、それは憲法の23条に「学問の自由」というものが保障されています。

 この憲法23条というのは、この憲法を作ったときの担当の国務大臣であった金森徳次郎という、戦前法制局の長官をやっていた人ですが、金森徳次郎さんという人は愛知県の出身の人で、私も亡くなる前に何回か憲法を作った時の話を聞いたことがあるんですが、この金森さんに言わせると、憲法103条の中で一番覚えやすい条文は、この「学問の自由」23条だと言うんですね。なぜ覚えやすいかというと、これは俳句になっているんです。要するに、五七五になっていると言うんです。そう言われてみると、確かに「学問の 自由はこれを 保障する」と書いてあるんですね。確かにこれは俳句になっている。だから、五七五になっている条文というのはこれだけですから、金森さんという人はなかなか愉快な人で、「長谷川君、これ一番覚えやすいよ。」と言うので、「どうしてですか。」と聞いたら、「数えてみろ、五七五になってる。」と言うんですね。

 まあそれはいいんですけども、これが出来たときに学会ではどういうふうに説明されていたかというと、私は今から30年前、もっと前になりますかね、その頃確か「教育」という雑誌がありまして、その「教育」という雑誌に論文を書いたことがあって、論文の中身は30年も前ですから何書いたかよく覚えてませんけども、たった一つ覚えていることは、私の意見は憲法学会では私しか言ってない、要するに少数説とまでいってない、これは一人説だと言われたことを覚えています。今ではもうほとんど多数説になっていると言ってもいいでしょう。

 それはどういうことかというと、「学問の自由はこれを保障する」という学問の自由というものは、英訳では「アカデミックフリーダム」となっているんですね。アカデミックフリーダムというのはどういうものかというと、「大学の自由」という意味であるというふうに理解されている。すなわち「学問の自由はこれを保障する」というのは、日本国憲法で言っている「学問の自由」というのは、大学の、名古屋大学とかあるいは東京大学とか京都大学とか、そういう大学の自由、すなわち大学においては教授の任免権というのは、教授会を経なければ文部大臣といえども決められないというのが、これは戦前から問題になっていたことで、特に戦後はこの憲法のもとで保障されている。ですから名古屋大学にしても東京大学にしても、法学部なら法学部の教授会で任命しない者を文部大臣が発令するということは、絶対に出来ません。これは発令しても、その教授会では受理しないでしょう。そういう時に、いわゆる大学の自治というものがあるということが問題になるわけですけども、そのことも含めて、大学の自治に基づいて任命された大学の教授が何を教えようと、その教授の学問の成果を教えることが出来るんで、それが政府にとっていかに気に入らないものであろうと、あるいは社会的にどんなに非難されるものであろうと、そんなことは問題ではないんで、その大学における教育ってものは、教師が完全に教える自由、研究する自由、そういう自由があるんだと。そういう人事権を含めて、その大学の自治を前提にしてアカデミックフリーダムというのは大学の自由なんだというふうに、学問の自由ってものは学問研究、学問教育の自由というのは大学にのみ認められているんだということが、だいたいこの憲法ができた時の、その直後にできた教科書類では、全部そういう説明になっていたんですね。

 私はその当時若かったせいもあるんですけども、「それはおかしい。」と言って、いくら英訳でアカデミックフリーダムとあっても、アカデミックフリーダムと言えば確かにヨーロッパ語では大学を指すんだけれども、日本語ではこれは学問の自由というふうになっているんで、学問を研究・教育するのは何も大学の先生だけではないんで、高校の先生でも、あるいは中学校の先生でも小学校の先生でも、人にものを教える時に、教えることを自分が学ばないでどうやって教えることが出来るのか。要するに、小学校の教師と中学校の教師と高校の教師と大学の教師は、相手が年齢も違うし教育程度も違う、発育段階も違うから、それに合わせて教育しているだけの話であって、大学は学問を研究しなければ教育できないけれども、小学校はそれがなくてもできると、そうはならないんじゃないだろうか。そういう意味で言うと、小学校の先生・中学校の先生、もちろん教育内容が違うわけですから、また年齢が違うし、その知的な発達段階も違うから、それに合わせてもちろん教育はするとしても、どんな教育をする場合でもその前提として、ちゃんとした学問研究がなかったら教育はできない。だからこそ、教師は免状をもらう時に、一定の資格を要求するわけです。その資格というものは、教師にふさわしい学問研究をしているかどうかということ、これが問題なんじゃないかというふうに私は書いたことがあるんですね。

 ちなみに申しますと、資格がいらないのは大学の先生だけなんですね。ですから、よく言うんですけども、大学の先生というのは大学を出て、一番頭のいいのと一番頭の悪いのが両方来ているから、皆さん注意しなさいと。小中学校・高校はまだ免許制度がありますから、何かは知っていなきゃあ試験は受からないようになっていますけども、大学の先生というのは何にも知らなくても大学の先生になれるし、一旦なってしまうと死ぬまでそこにいる人もいますから、まあそんなこと言って、「おまえ、どっちに属するんだ。」と言われると困るんですけど。

 それはまあ、ご想像に任せることにしまして、大学の教師には資格がいらないけれども、これは単なる手続きの問題であって、資格がいる・いらないの問題ではなくて、人にものを教えるという教師が、しかも同じ人間を教えるんじゃなくて、一年教える、二年教える、三年教える、また新しいものを教える。全く新しい人間関係を作りながらものを教えるという時に、一定の学問というものがなくて教えられるはずがないですね。要するに、教育ってものは創造的活動とよく言われるんだけど、新しいものを創り出そうとする人間の実践は、前提に余程厳しく自分が学ぶという姿勢なり行為がなければ、まともな教育はできない。一番最初に言いましたように、戦前の修身教育のようなもんで、自分が全然経験もない、また実感もないことを教えれば、非常に偽善的な教育にならざるを得ないように、人にものを教えるということ、その前提には、自分がそのことについて学問的に学ぶ、ただ趣味として覚えるんじゃなくて、やっぱり学問的に合理的な知識を自分が獲得していなければ、よい教師、そういう教師にはなれない。

 そういう意味で、「学問の自由はこれを保障する」というのは、教育と研究のバランスが、大学の場合には研究の領域が非常に広くて、そして教育の部面が少ないとか。小学校の場合には、いわゆる教育の部面が非常に多くて研究の部面が少ないとか。そのバランスは、それぞれの学校によって違うと思います。大学だって例えば法学部と文学部では違うし、また芸術大学なんていう所では、バイオリンを専攻している学生と文学部でもって本を読んでいる学生とでは、教育の内容そのものが違う。それと同じように、いろんな種類・段階によってその内容は違うけれども、およそ教師たるべき者は、学問の自由が保障されていなければ、新しい創造的な教育なんてものはできない。そういう意味で、この学問の自由というのは大学だけではなくて、およそ教育基本法で言っている学校教育には全て適用されるものというふうに考えられるわけです。

 また教師にとっては、これこそ一番とは言いませんけれども、教師をして教師たらしめているのは、学問の自由、要するに自由に研究でき自由に教育できる、教えることができる。そういう権利が教師の人権ではないだろうか。

 そうすると、教師というのは人間として思想・信仰の自由があり、そして働く者として団結権があり、教師として学問の自由があり、それが人間として働く者として、そして教師としてその人権がフルに使われた時に、一つの日本国憲法が予測している教師の理想像というものが出来上がっていくわけなんで、教育基本法もそういう教師を念願していたわけです。

 戦後教育というのは、平和と民主主義と人権の尊重ということがよく言われますけども、まさにそういう教育ってものは、世の中が平和で政治が民主的でなければ実現しない。そういう教師像というものを、我々は描いてきたわけですね。

 ところが、残念ながら政治はあまり平和とは言えない。核兵器の危機が、核戦争の危機が迫っているような状況ですし、核兵器の平和利用と言っても、この間のソ連の事故のような問題がいつ起こるか分からないような、非常に生臭い状況になっているし、政治は民主化どころか反動攻勢が非常に強くて、中曽根内閣の元で非常に超保守的な、軍国主義的な、もう無くなってしまったのかと思うような天皇制を巡るいろんな古いイデオロギーが、蒸し返しやられているような。そういう社会の状況も政治の状況も、憲法を作ったり教育基本法を作った時の理想像とは、遙かに遠いものになっているわけです。

 問題は、今言った教師としてのこの3つの人権というものを、私はこういうご時世だからこそ、今こそ必要なものなんで、またこういうご時世でこういう必要なものを自分のものにしようとすれば、闘わなければ自分のものにならない。じっとしてれば、何となく自分のものになるようなご時世ではない。しかし、こういうご時世だから、当分の間は教師の人権なんてことは言わないで、しばらく嵐の過ぎるのを待って、もう少し良くなったら愛知県だって何十年か経てば知事にいい人がなるかもしれない。その時にもうちょっと・・・もっともっと円高が進めば反省するようになるかも分からない。とにかく、向こうがもっとガタガタしてから何か言おうとというように、ご時世に合わせてる人たちは、ご時世にただ合わせてるんじゃなくてご時世に協力しているわけですから、そういう人たちがみんなで協力していったら、トヨタだって安泰だし自民党政府だって安泰だし、ちっとも世の中は変わらない。

 やっぱり、私はそういう悪いご時世、まあ日本の教育は進んでいますから、今の世の中をいい世の中だと思っている人っていうのは、本音で言えばそれほど多くはないと思うんですね。ただ、それと正面から闘うことが自分の個人の生活を破綻させやしないかとか、そういう心配で妥協していくんだけども、妥協していると言うことは、今の一番悪い所を助長している。そういう結果になるわけです。 やっぱり、我々は少なくとも教師であって、そういう事態が客観的に分かるならば、せめて人間としての人権を、働く者としての人権を、教師としての人権を、どれでもいいから、ともかく少しは自分のものにするような努力、しかもこういう環境の中では、環境と闘いながらその努力をしていくんじゃないと、何のために教師をやっているのか。

 まあ、私が偉そうに、この3月31日で私は定年退職して、国家公務員法という悪法のからやっと離れたところで、私は今何をやっても法律違反にはならない。3月までは、あまり中曽根・中曽根なんて呼び捨てで悪口言うと、国家公務員法違反だと言われそうな気配がありましたけれども、私はもうそんなあれもないもんですから、今は自由に勝手なことを、まあ前から言っていましたけども、それ以上に自由に言いたいと思っている訳なんです。

 皆さんはまだ地方公務員法の抑圧を受けているし、いろんな悪法があってがんじがらめにしているんだけども、いくらがんじがらめにされていたって、自分の職場なり自分の教室は自分のものなんで、そういう人間関係を大切にしながら、その中で自分の人権をどれだけ現実のものにしていくか。自分が人権を獲得したときに、初めて子供たちにも人権の重要さを覚えさせることが出来る。

 それは、皆さん、お子さんのある方ならよく分かるでしょう。また、奥さんが、あるいはご主人がある方なら、自分にないものを相手に期待したって、そんなことは実現するはずがない。それは家庭でも職場でも同じだと思うんで、そういう点でせっかくこういう機会で、私もトヨタという企業が支配しているこういう町で、その息がかかっている教育委員会が行う不当人事に対して、豊田の市民がこれに一矢報いると言うんですか、あんまりでたらめにやるなと言うことでもって、こういう一つの動きが出てきたというのは、これは豊田の町全体にとって、それこそトヨタの企業にとっても非常にいいこと、何でもやればやれるなんて思っていたんでは、とても円高は乗り切れない。これは、円高と教師の人権がどう関わるかという問題にもなりますけれども、一つせっかくの機会ですから、こういう芽をつぶさないで、しかし、あわてる必要はないので、私が30年前の話を今ここでしましたけれども、これからまた30年かかって、今度は皆さんが、昔はあんな事もあったんだというような、あの時よりまだ悪いなんて言わないように、それは皆さんの肩にかかっていることでもあるので、一緒に今後もやっていきたいと思います。