侵略戦争と領土拡大を礼賛する「教科書」

  1904年の日露戦争・日本海海戦を、どう描こうとしているか

            2002、1、22(火)三河教労 学習資料(解説)

1、この「教科書」は日露戦争をどう描いたか

 この「教科書」は、日露戦争を以下のように記述します。「国家の存亡をかけた日露戦争」「日露戦争は、日本の生き残りをかけた壮大な国民戦争だった。」「有色人種の国日本が…白人帝国ロシアに勝ったことは、世界中の抑圧された民族に、独立への限りない希望を与えた。」最大限の一方的賛辞と、それを補う孫文やネルーらの言葉の抜粋から、日露戦争を有色人種対白色人種の戦いにおける有色人種の初めての勝利と補強します。

 ここで引用された孫文の言葉「日本がロシアに勝った結果、アジア民族が独立に対する大いなる希望をいだくにいたったのです。」は、二重に読者を欺くものとなっています。つまり、孫文は日本を知り、日本人の知己も多く、真に中国と日本の友好を願っていました。だからこそ、中国の独立のために、日本に対しては覇権への道から手を引き、帝国主義からアジアの解放を助ける道に立つことを願っていました。しかし、日本は後からきた(欧米のマネをした)より凶暴な帝国主義の本性を見せつつありました。孫文は、いよいよ侵略行為を激しくする日本に対して「国際戦争は組織的大強盗行為である。いま、日本の軍国主義者がその侵略行為を中国に強行しようとしても、目覚めた中国は全力でこれを拒否する」(『孫文傳』)と言明していたのです。

中国を舞台に、ロシアと日本が領土をめぐって戦争をする。また、第一次世界大戦の時、日本が中国に対して行った「二十一カ条の要求」に対して中国国民から沸き起こった五・四運動においては、孫文はその先頭に立ったのです。これは、まさに「組織的大強盗行為」であり、孫文の拒否するものであったのです。この本のように、国益第一主義と侵略肯定という極めて偏った立場から、都合の良い引用(恥ずべきこと)を行い、子どもらに誤った解釈を押し付けるものを、「教科書」といって良いはずはありません。

 

2、日本海海戦をロシア艦隊の側からみると

 また、日本海海戦を、この「教科書」は、「世界の海戦史に残る驚異的な勝利」と賛美します。この海戦に水兵として参加したノビコフ・プリボイは、後日その著書『対馬』(『バルチック艦隊の壊滅』)の中で、ロシア艦隊の敗北の原因を次のように記しています。

「司令長官が誰にも信頼されず、士官の間に権威がない。わが艦隊の馬鹿げた配列(旧式艦と新式艦が同じ配列に)…、艦隊が運送船を連れている。戦艦が石炭や兵備品を積み過ぎている。我が艦隊の陣形(二列で、その間に運送船と駆逐艦)、そして、哨戒任務をせず、灯火をつけたまま。…いろいろ愚かなことをやったが最後の愚策は朝鮮海峡通過だ。(司令長官は、5月14日に敵と遭遇して、戦闘は「皇帝陛下即位の日」に是非とも始めたかった。)」と。そして、ロシア水兵たちの「ペテルブルグの首脳部は、故意に俺たちを屠殺するために(東洋へ)追いやった」という悲鳴を載せています。

     これ以外にも、皇帝専制の封建的帝国主義、そのもとでの大帝国のおごり、クリミア戦争から何も学ばなかった支配層と民衆との軋轢、それは、このすぐ後に1905年の革命として勃発します。「戦艦ポチョムキン号の反乱」は、その時に起こる象徴的な事件でした。

     また、水兵と士官の間に対立があるロシア軍に対して、日本軍はよく統率がとれ、厳しい訓練によって鍛えられていたました。煙を極力おさえた下瀬火薬と正確な砲撃はロシア艦隊の脅威でしたが、油断したロシア艦隊は敵を知らなさ過ぎたのです。

     なお、この時、日本艦隊の東郷司令官がとった「T字戦法」は、後に「東郷ターン」と喧伝されることとなりますが、ロシア側に多小有能な指揮官がいたら日本艦隊は危機に陥っていたといわれます。

※ また、日本海海戦に対して「二百三高地の戦い」が乃木将軍とともに語られますが、この「旅順包囲戦」の無謀な指揮によって、多くの将兵が死地に赴かされたことも忘れてはならない歴史的事実です。

上記のように、「勝ち戦(いくさ)」だからと、何の分析もなく、「兵員の高い士気とたくみな戦術」によって「驚異的な勝利」とただ礼賛する。ここに「自信が持てる歴史がある」というかのように。これは、もうすでに「教科書」の範疇を越えて「煽動書」と名づけた方が良いほどのものです。

 

3、空虚な賛辞でこの「教科書」は何を子どもらに

 「世界史に残る」「壮大な国民戦争」「国家の存亡をかけた」このような誇大妄想にも似た言葉が踊り、本来は反対の立場に立つ歴史的著名人のほんの一部の言葉を詐欺的に引用する。実に、空虚で失礼な記述がここでも散見されます。科学と真実を重視しようとするものでは全くありません。

 真実とか、それに基づく正しい友好とかは全くの埒外に置かれ、ひたすら「国家の存亡をかけた」「世界史に残る」「壮大な国民戦争」に「勝利」し、アジアの民族運動の指導者である孫文やネルーすら誉める日本の「誇るべき歴史」がここにあると、この「教科書」は書きます。この「教科書」にとって、真実とは「自虐史観」と同義語であるようです。

 さて、真の勇気と友好は歴史を正視し、過ちを過ちとして真摯に謝罪することによって生まれるものだと信じます。ドイツのワイゼッカ‐大統領は「過去に盲目であってはならない」と、ナチスによるユダヤ人虐殺を謝罪し、ポーランドのアウシュビッツ収容所を訪れました。

 国家鎮護の名のもと、侵略戦争の精神的支柱であった靖国神社を参拝する小泉首相のもと、文部科学省はこの「本」を検定により「教科書と認定」しました。そのような反動化の中に、現在の日本があることを私たちは忘れてはならないのです。

     なお、1900年頃からの日本の歴史は、となりの朝鮮・中国の歴史とともにあまり教えられていないことも深刻なことです。次の用語のどれだけ、読者はご存知だろうか。

・孫文、宋慶齢、辛亥革命、北伐、国共合作、対華二十一カ条の要求、国民党、租界、袁世凱、「革命、未だ成らず」、蒋介石、三民主義、柳条湖事件、「連ソ・容共・工農扶助」、張作霖、張学良、山東出兵、天皇統帥権、帝国議会、治安維持法、普通選挙法、西安事件、魯迅、抗日民族統一戦線、五四運動、軍閥、溥儀、