『新しい歴史教科書』(扶桑社)は、事実の意図的な「前後の入れ替え」によって

誤った認識に導こうとしている!!【教科書特集NO、2】

1、扶桑社の「教科書」は「リットン報告書を拒否して満州国承認」と!

 扶桑社の「教科書」には、次のような記述があります。

「リットン調査団の報告書は、満州における不法行為によって日本の安全がおびやかされていたことは認め、満州における日本の権益を承認した。一方で、報告書は、満州事変における日本軍の行動を自衛行為とは認めず、日本軍の撤兵と満州の国際管理を勧告した。日本政府はこれを拒否して満州国を承認し、1933(昭和8)年、国際連盟脱退を通告した。」(『新しい歴史教科書』P268)

2、事実は、日本の満州国承認の後、リットン報告書が届く

 事実の経過は、柳条湖で満州鉄道を関東軍が爆破し、それを口実に出兵、「日満議定書」を結んで満州国を認めたのは1932年9月15日です。リットン報告書が日本に送付されたのは1932年9月30日で、国際連盟で討議が始まったのはその数ヶ月後の12月2日です。そして、日本の国際連盟脱退は1933年3月です。つまり、日本の満州国承認は既定の方針であり、リットン報告書や国際連盟の論議よりも前にすでに行われていたのです。

3、「教科書」のかもしだそうとする文学的「歴史」意識

「教科書」は、リットン報告書が日本の権益を守るために日本軍が出動することを認めない。「日本政府はこれを拒否して満州国を承認し」…と描き出します。事実の経過を前後させ、あたかも日本政府は自衛行為すら拒否されそうになったから満州国を認めたんだ。そして、国際連盟を脱退したと。しかし、「満州国承認は既定の方針」だったのです。読み物としては出色の出来かも知れません。しかし、歴史の教科書としては不誠実、事実に対して不遜ですらあります。

4、歴史を誠実な科学の目ではなく、「勇壮な戦記的読み物」に

そして、「満州事変は、日中間の対立を深めたが、その後、停戦協定が結ばれ、両国の関係はやや改善された。満州国は、…経済成長を遂げ中国人などの著しい人口の流入があった。」と書きます。この情感的表現によって、「満州国は国として安定しはじめた」という感覚を受けます。日本による戦略物資(石炭・鉄鋼・木材)の略奪、満蒙開拓団による土地の取り上げ、日本軍による1200万人の中国人の強制移住などなかったかのようです。書きたくないことは無視して「満州国は発展した」かのような記述を追記する。事実の一面的強調、そして、重要な部分の意図的「欠落」。これは、悪意ある歴史の偽造だと言わなくてはなりません。

この「教科書」には、その前書きに、「批判は総じて叙述の細部に向けられている。しかし、文章の叙述は全体の流れにその生命がある。」(市販本前書きP11)とあります。少しくらいの前後の入れ替えくらい何だ、と言いたげです。しかし、事実を逆にすることで、誤った「学習」を子どもらにさせようとは。この本が教科書の名に値しない理由です。

 

 

4、このような「教科書」が「通過」する検定・国定は歴史の教科書には特にふさわしくないと考えます。

 このような「教科書」(教科書の名に値しません)が「検定」を通ること自体問題です。検定そのものに問題があり、検定制度そのものをなくすことこそ必要だと考えざるを得ません。