10/24 豊田スタジアムオープニング記念イベントには

いくつもの危険が予想される

〜三河教労はあくまでもイベントの中止を要求する!〜

 豊田スタジアムに4万5000人もの児童・生徒を動員するイベントの概要がわかればわかるほど、教職員の間から批判の声があがっています。

 

・「全小中学生を集めるイベントなのに市教委から保護者に何の説明もないのはおかしい」

・「チラシひとつでないのはおかしい」

・「電車にこんなに多数の子どもたちを乗せるのに不安がある。」

・「電車には詰め込めるかもしれないが、駅のホームが心配だ」  などなど

 

「教職員500人を警備係にする」「教職員は半数しか席につけない」こんな馬鹿げた計画が許されるのか!

 9月になってようやくこのイベントの詳細が明らかになってきました。細案をみると、「教職員500人は警備にあたってもらう」「児童・生徒の座席は確保するが、教職員の座席は50%を確保する」「座席のない教職員は児童の指導にあたったり、通路にすわったりする」ということが明らかになりました。

 教職員は警備の専門家ではありません。警備に責任を持つことはできません。また、警備にあたる教員は担任を持たない教員がなりますので、スタジアム内は担任だけで指導にあたらなくてはならないとのことです。小学校低学年では、一人がトイレにいけば担任がついていくことになります。そうすれば座席には他の子どもたちが置き去りになります。

  また、教職員の座席がなくて、どのように子どもを指導するのでしょうか。通路に座ることは、そもそも消防法違反ではないでしょうか。

  こんなところにもこのイベントのずさんさがあります。

事故があってからでは遅い。危険が明らかで、教職員が自信を持って指導にあたることのできないこのイベントは即刻中止すべきです

 

  子どもと教職員の人権を守る三河教労

三河教職員労働組合(三河教労)

未来を拓く

編集・発行責任者 畦地 治

 

99号(2001年10月)

カンパ、機関紙購読料(年間3000円)は【郵便振込00800-4-79130三河教労】へ




額田町教委へ 教育問題改善に関わる要求書を提出

額田中敬信寮の廃止と町営バスの運行を要求

  三河教労は,去る8月29日(水)に額田町教育委員会を訪ね,「教育問題改善についての要求書」を提出しました。

 

    額田中の寮問題について

  額田中学校は,一昨年4億円もの事業

 費をかけ,敬信寮を大規模改造しました。

 そして,その寮の運営には,現在,年間

 1億円余の経費をかけています。

  しかし,それだけの巨費をかけて改築

 した寮にそもそもその存在価値はあるの

 のでしょうか。「思春期の真っ只中,最

 も多感な中学時代は,できるなら親の手

 元において育てたい。」との思いは,保

 護者の正直な気持ちであり,入寮にあた

 っては,大きな不安を抱えているのです。

 「子どもが中学生になると寮に入ること

 になるから町外へ転居することにした。」

 との声は,たいへん深刻です。

   わたしたち三河教労は,多くの保護者

 の本音に寄り添い,額田町の活性化を願

う立場から寮の廃止を求めます。そして

子どもたちの登下校には、町営バスの運

行を提案します。

 

へき地手当ての廃止に反対

   愛知県教育委員会は,20021

 1日より,へき地手当ての廃止を目論

 んでいます。

  しかし,へき地に働くわたしたち教職

 員は,へき地が故の出費が,年間数十万

 円にも上るのです。これ以上の生活苦を

 強いられることがないようへき地手当の

 計上を強く求めます。

 教職員人事は希望と納得の上で

   額田町の教職員の人事は,異動希望が

 あろうとなかろうと,一部の「実力者」

 による恣意的人事が,長年にわたってま

 かり通っています。その結果,計画的に

 行っていた教育実践を中断せざるを得な

 くなったり,志半ばにして退職しなけれ

 ばならなくなったりする人が後を絶ちま

 せん。

  人事は,公正且つ希望の尊重が図られ

 るよう強く要請します。

    

「振興会」は一業者にすぎない

 額田町の各小中学校では,愛知教育文

化振興会および愛知県教育振興会の刊行

物のみ,特別に前年の12月に注文してい

ます。教材の採用にあたっては,一般業

者と同じ4月以降とし,新担任の判断が

尊重されるよう求めます。また,教職員

が「振興会刊行物」の注文や集金業務な

どをしないことやその刊行物を作成する

ために勤務時間中出張することがないよ

う要求します。

 

 なお,教育問題改善についての申し入れや交渉は,安城や岡崎,刈谷,幸田,豊田,豊橋,幡豆などでも行っています。よりよい教育条件を求め、今後も申し入れや交渉に力を入れていきます。どうぞ、ご支援ご協力をお願いします。




一般教員で月3万円の減、

        管理職で月6万円の減

〜へき地手当の改悪は許されない!〜

 愛知県はこの7月に「へき地手当支給者が(都市型手当である)調整手当を支給されるのおかしい。」という理由で「へき地手当改悪」を提示してきました。

 この改悪が実施されれば、給料月額30万円の一般教員で毎月3万円のカットとなります。また、給料月額50万円の管理職で毎月6万円給与のカットとなります

「段階的に実施」を反故にし、

        来年1月実施を強行しようとしている

 このような急激な変更はあまりにひどいということを県当局も感じてか、7月の提示では段階的に実施していく。(つまり、いきなり3万円や6万円のカットはしない)としていましたが、9月の提示では「来年1月1日から実施する」「段階的には行わない(いきなり全額カットする)」という受け入れ難い内容でした。

  組合側からは、「県はへき地教育をどう考えているのか」「これではへき地に行く人がいなくなる」という当然の声があがりました。また、「手当カットするならば、へき地特昇を1年目から実施したらどうか」という積極的な提案をしました。

へき地手当カットは弱者いじめ、

         その先には調整手当のカットがある

 愛知県では長年の慣行で、調整手当は全県一律10パーセント支給されてきました。この調整手当は、ボーナス支給時の基礎にもなりますので、われわれ教職員の感覚では「本俸」に近いものがあります。へき地手当の改悪の先にはこの10パーセントの調整手当の改悪があることは明らかです。

  愛知県ではここ数年にわたって、給与カットやボーナス一部カットが行われました。県当局は、これ以上の「給与カットはできない」と判断し、今度は「調整手当をカットしよう」と考えたようです。

 このことは、組合側からの「へき地手当の改悪の後には、調整手当の見直しがくるのでは」という追及に対して「できれば、調整手当は4パーセント(現行10パーセント)にしたい」と、本音をもらしました。

     あるへき地学校に勤める教員の声 〜

  岡崎の自宅から1週間学校に通うだけで、ガソリンがなくなります。また山道なので、

 タイヤがよくへります。それに、冬になるとスタッドレスタイヤに交換します。月に3

 万円も給与カットされたらたまりません。これは弱い者いじめです。




シリーズ「教科書問題」 No.2

満州国承認のいきさつをすり替えている

        『新しい歴史教科書』(扶桑社)

1、「リットン報告書を拒否して満州国承認」と!

 扶桑社の「新しい歴史教科書」には、次のような記述があります。

「リットン調査団の報告書は、満州における不法行為によって日本の安全がおびやかされていたことは認め、満州における日本の権益を承認した。一方で、報告書は、満州事変における日本軍の行動を自衛行為とは認めず、日本軍の撤兵と満州の国際管理を勧告した。日本政府はこれを拒否して満州国を承認し、1933(昭和8)年、国際連盟脱退を通告した。」(『新しい歴史教科書』P268)

2、事実は、「日本の満州国承認の後、リットン報告書が届く」

 実際には、柳条湖で満州鉄道を関東軍が爆破し、それを口実に出兵して「日満議定書」を結び、満州国を承認したのは1932年9月15日です。そしてリットン報告書が日本に送付されたのは9月30日です。つまり、日本の満州国承認はリットン報告書よりも前にすでに行われていたのです。「これ(リットン報告書)を拒否して満州国を承認し」という記述はまったくの誤りです。

3、この「教科書」が描き出そうとしていることは?

 「教科書」は、リットン報告書が「日本の権益を守るために日本軍が出動することを認めなかった」ために、「日本政府はこれを拒否して満州国を承認し」…と描き出します。事実の経過を前後させ、あたかも日本政府は自衛行為すら拒否されそうになったから満州国を認めたんだ。そして、国際連盟を脱退したと描き出しています。しかし、先に述べたように「満州国承認は既定の方針」だったのです。事実を前後させて書くなど、歴史の教科書としては不誠実、いや不遜ですらあると言えます。

4、事実の経過を前後させるような教科書は、教科書とは言えない

 市販本『新しい歴史教科書』の前書きには、「この教科書を

ターゲットにした批判は総じて叙述の細部に向けられている。

しかし、文章の叙述は全体の流れにその生命がある。」(PU)

とあります。

 少しくらいの前後の入れ替えくらい何だ、と言いたげです。

しかし、事実の経過を前後させることで、誤った「認識」を

子どもたちに持たせようとするとは言語道断です。この本が

教科書の名に値しない理由です。