〜機関紙100号〜 発行に寄せて

「未来を拓く」は「教育の正義」をめざして

 1993年5月に三河教労は発足しました。

発足してただちに機関誌「未来を拓く」が創刊

され、今回その「未来を拓く」が100号を迎

えることになりました。

「いじめ」問題での対応・キャンペーン

 三河教労が発足した頃、西尾市の中学校で「大河内君いじめ自殺事件」が起きました。「教育委員会にも、はっきりものを言う組合」「管理教育に反対し、子どもの命をはぐくむ教育をめざす組合」を標榜していた三河教労は精力的にこの問題にかかわりました。現地西尾に調査に入り、愛教労と一緒に緊急集会も持ちました。そして、機関誌「未来を拓く」でもその内容を報告しました。

「問答無用の人事」をなくし「希望と納得の人事」めざして

 三河教労の活動の柱の一つに「教職員の人事問題」があります。残念ながら、この三河の地には教職員を泣かせる問答無用の人事が長年横行していました。三河教労は発足以来、「人事問題は組合活動の要」ということで精力的に運動を進めてまいりました。左右田氏の人事委員会への提訴、そして現在係争中の細井人事闘争はその典型です。

 今まで、三河の地では、人事に泣かされた方々が多数みえます。わたしたちはこの左右田・細井人事闘争は「今まで泣かされてきた方々の無念の声を代弁する運動」と考えています。

 この運動の中でも、機関誌「未来を拓く」を通してキャンペーンを行ってきました。  

「子どもと教職員の人権を守る三河教労」のスローガン確立

 このような運動を通して、三河教労は「子どもと教職員の人権を守る三河教労」というスローガンを確立しました。このような運動が前進し、「希望の持てる学校」「働きやすい職場」を確立するためには、正義の世論が必要です。三河教労の機関誌「未来を拓く」が、そのような「教育の正義の声」といわれるように今後も発行を続けていきたいと思います。

 今後さらに「未来を拓く」が発展しますように、ぜひとも友人・知人などにご紹介くださいますようお願いいたします。       三河教職員労働組合委員長 畦地 治

 

  子どもと教職員の人権を守る三河教労

三河教職員労働組合(三河教労)

未来を拓く

編集・発行責任者 畦地 治

 

100号(2001年11月)

カンパ、機関紙購読料(年間3000円)は【郵便振込00800-4-79130三河教労】へ




「不適格教員・指導力不足教員」問題は

 「第2勤評(勤務評定)」問題である!

 〜今求められるのは、「不適格教員」「指導力不足教員」を

  特定することではなく、学校全体の教育力を高めること〜

問題の「指導力不足教員検討会議」が開かれる

 愛知県では今年6月「第1回指導力不足教員研修検討会議」が開催されました。この「検討会議」が行うことは

 @「指導力不足教員」の判定基準の策定

 A「指導力不足教員」の研修プログラムの策定

 B「指導力不足教員」の判定等

 つまり、この「検討会議」が、「指導力不足教員」をどのように特定するかの基準を作り、自らが「あなたは『指導力不足教員』ですよ」と判定するのです。これでは、客観的な判断などできるはずがありません。

「指導力不足教員」問題を口実とした教員管理への道

 実は、「指導力不足教員」問題を口実とした教員管理に真のねらいがあると言えます。それは以下にかかげた高知県の「指導を要する教職員の基準」をみれば一目瞭然です。

高知県の「指導を要する教職員」の認定基準

 

 ・教科書が終わらない  ・教科書を使用しない  ・声が小さく聞き取りにくい

 

 ・(子どもが)学習への関心がわかず、私語や手遊びがみられる。

 ・授業中、子どもの立ち歩きが見られる  ・(子どもの)忘れ物が多くなる

 

 ・提出物等の締め切りが守られない  ・その学年での学習内容が定着しない

 

 ・始業ぎりぎりか、少し遅れる   ・作成された文書の内容が貧弱である

 

 ・目的に応じた服装ができない(いつもジャージなど) 

 

 ・体調を崩し、休暇休業をとる   ・教材教具の工夫開発をしない

                               など全91項目    

 

 上記の内容に一つや二つ当てはまる人は、いくらでもいるはずです。高知県の場合、これらの各項目について、校長が「A」「B」「C」の3段階評価をすると言います。そんなことがもし実施されれば、教員はいつも「自分はどう評価されているのか」を気にしながら仕事をしなくてはなりません。今回の「指導力不足教員」問題は、教員の指導力をあげることが目的ではなく、県教委に不都合な教員をパージするところにあるのではないでしょうか。

 つまり、「指導力不足教員」問題は第2の「勤務評定」

(勤評)問題と言えます。三河教労はこの「検討会議」

の設置自体に反対し、解散を要求します。今後も逐次情

報を提供していきます。




 シリーズ『未来を拓く』100号に寄せて NO.1        

 

 三河教労の機関紙が100号を迎えたということで、読者の

皆さんに「メッセージをお寄せください。」と呼びかけました。

これから、数ヶ月に渡って、読者の皆さんからのメッセージを

紹介させていただきます。第1回目は、木村登校拒否相談室の

木村茂司さんからのメッセージです。

 

 登校拒否の子やその親の訴え

           木村登校拒否相談室、赤門学習塾、今村学習塾・木村茂司

 三河教労結成の頃の定期総会に一度出席させていただきました。私は18年にわたって登校拒否の相談をしたり、親の会を開いたり、教育集会で報告したり、その子たちの学習塾を開いたりしてきました。これまでの相談件数は3500件を超えています。

 そこで聞かされる叫びは、「学校に行くと死んでしまう。生きておれない。もうこの世で生きているのがつらすぎる。」という声です。今の学校、そして行政、社会が、この声と向き合っているとは思えません。向き合っている教員集団があるとすれば、三河教労をはじめとし、それにつながる人たちと考えます。

 今の小中高校生の子を持つ親たちは、かつて中学、高校で部活と受験の激戦にもまれてきた人たちです。必死でがんばり抜いてきたか、傷ついた人たちです。若い世代の教員もそうです。今では、小中学生や高校生が、悲鳴をあげて次々と身を引いていっています。学校、社会の価値に従って子に無理強いを続け、子がひどく傷ついてしまったり、学校と話し合ったり、申し入れをした結果、ひどく傷ついてしまったりして学校を放棄してしまったりしています。一見、学校を見棄てて、自立した別の道を選んでフリースクールやホームスクールで明るくやっていると見られる人たちも、学校に行けない身で悩み、苦しんでいる人たちも、どこかでひどく傷つけられてしまった人たちなのです。さらにいつまでも自己否定を続けて「うつ病」や「ひきこもり」の状態につながっていくこともあります。

 いつから、なぜ、学校は楽しい所ではなくなってしまったのでしょう。落ちこぼれ、非行、荒れ、登校拒否、学級崩壊、学校に関わって騒がれた言葉は変化しても、その根底にある問題は同じで変わっていないし、むしろ深刻化していると言えます。学校で苦しんでいる子や親ほど、学校の再生を望んでいます。

 逆風はあまりにも強いですが、どうか次世代を担う子どもたちとその親を守っていってください。限界にきたら少し休まれたり、登校拒否であれば少しお手伝いできると思います。三河の地に、そして県下に、ますます教労の力が広がることを望んでおります。

 

木村さんは「三河はまだまだ厳しい」と指摘される!

 3500件もの相談経験に裏打ちされた発言にはやはり大変な重みがあります。木村さんは「三河はまだまだ厳しい。名古屋の人たちや研究者は(三河の現状を)よく知っていなくて、甘く見ています。三河のひどさをもっと研究者に知らせた方がいいと考えます。」とも述べてみえます。木村さんの言葉にしっかりと耳を傾け、我々の目指すべき方向に向かって一歩ずつ前進していきたいと、思いを新たにいたしました。




 シリーズ「教科書問題」 NO.3 

 

「特攻隊」の記述は「自爆テロ」を連想させる!

 連日報道されているアメリカ軍によるアフガニスタンへの攻撃は、911日に起きた同時多発テロが発端であった。このテロは、すべて自爆テロであり、その狂気の沙汰とも言える行為に対して、世界が震撼させられた。犯人達の背景にいると言われているイスラム原理主義者たちは「自爆テロ」を「自殺行為」と言わず、「ジハード(聖戦)」と言って礼賛し、ジハードを行った者は「殉教(シャハード)」をした英雄として扱っていると言う。我々にとってはまったく理解しがたいものである。

 さて、そのことを頭の片隅に置きつつ、次の文章を読んでいただきたい。「新しい歴史教科書」(扶桑社)の修正される前の文章である。

 

 同年10月、ついに日本軍は全世界を驚愕させる作戦を敢行した。レイテ沖海戦で、「神風攻撃隊」(特攻)がアメリカ海軍艦船に組織的な体当たり攻撃を行ったのである。追いつめられた日本軍は、ここからあと、飛行機や潜航艇で、敵艦に死を覚悟した特攻をくり返していく。米軍の将兵はこれをスイザノイド・アタック(自殺攻撃)といってパニックに近いおそれを感じ、のちに尊敬の念すらいだいた。

 特攻は「統率の外道」(道に外れた指導の仕方)といわれ、作戦としてはやってはならなぬものであった。多くの若者たちとて、本心から望んで特攻を志願した者などいないだろう。しかしながら故郷の家族を守るため、この日本のために犠牲となることをあえていとわなかったのである。

  『新しい歴史教科書「つくる会」の主張』(徳間書店)資料編P60より抜粋

 

これでいったい何を教えようと言うのか!

 「米軍の将兵は、(中略)パニックに近いおそれを感じ、のちに尊敬の念すらいだいた。」「故郷の家族を守るため、この日本のために犠牲となることをあえていとわかなったのである。」という記述は、イスラム原理主義者の唱える「ジハード(聖戦)」と、基本的に同じ発想ではないか。彼らは「自分たちの国と宗教を守るためなら死を覚悟して戦う」と言っているからだ。このような、人の命をないがしろにするような、非人間的な発想は絶対に許すことはできない。21世紀を迎えた今日に、こんな記述でもって子どもたちにいったい何を教えようと言うのだろうか。

 「つくる会」の主張の根底には「戦争をやらざるを得

ない場合はそれも仕方なし。そうなったら、自国を守る

ために命を張って戦うべし。」という思想が流れている。

そんな思想のもとでつくられた教科書を我々は認められ

ない。我々はあくまでも戦争をせずに国際問題を解決し

ていく方法を模索していきたい。そこだけは絶対に譲れ

ないところである。