ゆとりのない「ゆとり教育」

文部科学省の「少人数授業」指示は労働強化に

 

週休2日制は勤務時間の減少ではない!? 学校5日制実施で少人数授業ができる!?

文部科学省は、来年度学校5日制が導入されるにあたり、「すべての土曜日が休校日になるが、教員の勤務時間は、それと一緒に減少するわけではない。完全学校5日制の実施というのは、それだけで少人数指導とか習熟度別の学習といった工夫をしてきめ細かな指導ができる条件が作られるものである。」と述べています。しかし、これはとんでもないすり替えです。もともとは欧米諸国から日本の長時間労働が批判され、日本政府が週休2日制の導入に踏み切ったものです。ただ当時は指導要領の改訂が間に合わなかったため、やむを得ず隔週土曜休業という形をとったのです。したがって、週休2日制は労働時間の軽減のためであり、少人数授業とは全く別の問題なのです。まさに、土曜日の勤務を平日に上乗せする最悪の労働強化です。

 

現場は混乱 文部科学省の少人数・TTの授業

 そうした立場から文部科学省は、学校5日制導入で減る時間数分だけ、その学校にいる教員で少人数授業、TTなどを行い「時間数を確保せよ」といっています。もし、担任の空き時間は少人数、TT授業に」「低学年の教員は高学年の授業へ」などとなれば、担任として必要な事務(教材研究、ノートのチェック、成績をつける、出席簿など帳簿の処理など)の時間が取れなくなります。現在でさえ、風呂敷残業といわれているのに、いったいいつやればいいのでしょうか。さらに、子どもの悩みや生活上のことでの教育相談活動をする時間もなくなります。先生は「雑務」に追われ、子どもは「勉強」(ドリルやスキル学習―少人数授業やTTではこうした学習形態にならざるを得ない)に追われ、先生と触れ合う時間もない。これが文科省のやろうとしている「少人数授業、TT」の内容です。

 

金もゆとりもない少人数授業ではなく、予算もついてゆとりのある少人数学級に!

 今必要なことは、少人数授業ではなく、少人数学級の実施です。文部科学省は、現場の声に耳を傾け、子どもと教員に真のゆとりが生まれるように条件を整えるべきです。せっかくの週休2日制を歪んだ形にしてしまうのは許せません。

 

  子どもと教職員の人権を守る三河教労

三河教職員労働組合(三河教労)

未来を拓く

編集・発行責任者 畦地 治

 

102号(2002年1月)

カンパ、機関紙購読料(年間3000円)は【郵便振込00800-4-79130三河教労】へ




幡豆郡に公正な人事の実現を!

 細井先生が自らの不当人事を愛知県人事委員会に提訴してから1年半。その間、愛知県教育委員会との間で、取り交わされた準備書面や、それに伴う書証の中から、幡豆郡の人事の異常さが次々と明らかになりました。 

校長連絡会を校長会長が招集!?

 毎年、1月から2月にかけて行われる校長連絡会は、教育委員会が各学校の校長と人事に関する面接を行う会です。当然ながら、教育委員会が各学校の校長を招集して開かれるはずの会議です。しかし幡豆郡では、なんと校長会長がそれを招集しているのです。教育委員会主催で行う会を校長会長が招集する。なんとも歪んだ実態です。このことは、学閥に支配された校長会が、人事を恣意的に行っていることの確かな証拠であるといえます。

教育長自らが不当な発言!

 幡豆町教育長に理由も告げられないまま呼び出された細井先生。その場で言われたことは、「裁判に力を入れて、教師としての本分をおろそかにするとは、本末転倒だぞ。」「私は細井君の悪いうわさを聞いている。人事には理由があって結果がある。今、君が幡豆にいるのは理由があるからだ。」等々。

 人として、教員として認められている権利を当たり前に行使することに対して、いかにも教員の仕事をおろそかにしているかのように言う教育長の発言は絶対に許せません。また、根も葉もないうわさを理由に、細井先生の不当人事を正当化しようとする態度は、教育長自らが、公正な人事が行われていないことを表明したものです。

幡豆郡にまっとうな人事を!

 幡豆郡では、一部の「実力者」による理不尽な人事で数え切れない教員が不当な扱いを受けてきています。「教員を泣かせては正常な教育は行えない。」これは、ある有識者のことばです。わたしたち三河教労は、幡豆郡の異常な人事を打破し、真に公正な人事の実現を目指した運動に取り組んでいます。ご支援をお願いします。

 

 

三河教労 人事110番 開設中

 人事異動は、本人の「希望と納得」が原則であり、愛知県教育委員会も本人の意向確認を行うことを明言しています。不本意な人事が行われた場合は、すぐに下記まで連絡下さい。迅速に対応致します。

・畦地 治(豊田・若園小)  ・土井見江子(豊橋・前芝小) 

・山本健治(岡崎・梅園小)  ・有冨 静枝(刈谷・刈東中) 

・土井政美(幸田・豊坂小)  ・稲垣 和男(安城・南部小) 

※三河教労宛てメール下さい。 

 




 三河教労、岡崎市教育委員会と交渉を行う 

  責任ある立場に立つよう要求します! 

 

 去る11月20日、三河教労は岡崎市教育委員会と交渉を行いました。しかし、私たちが要求していた、交渉に正確を期すために録音を行うことと、回答は文書で行うこという条件については、直前まで要求しましたが、ついに市教委の受け入れざるところでした。

「校長先生が配慮されておる」と逃げを決め込む市教委

 交渉の内容については、市教委側から何らの改善点も示さずに「校長先生にお願いして」「校長先生が配慮されておる」との言葉を何回も繰り返すなど、教育行政としての責任を放棄する姿勢に終始しました。また、指導課課長の福應氏は、回答を行わないだけでなく、菅沼班長一人に任せ、自らは一言も発言しないという課長としての責務を放棄する姿勢でした。それゆえ、回答の内容は全くおざなりであり、明日への展望を何ら示すものではありませんでした。

「授業時間数を把握するつもりはありません」と市教委 

 特に、校長・教頭・教務・校務・校務補佐・担任等の担当授業時間数に話が及ぶと、まったくつかんでいないだけでなく、「把握するつもりはありません」と開き直るという始末。現場の状況に対する鈍感さと無責任さの表れでもあります。これは、文書公開の求めに応じて、自ら調査・報告した豊田市や豊橋市の教育委員会の姿勢と比べ、異常でさえあると感じるものです。また、回答・質疑の中で、菅沼班長は曖昧な答えや、前回の回答と明らかに違う答弁を行いました。この点も市教委の姿勢が問われるというものです。

特殊教育就学奨励費の調書は市教委自ら把握すべきもの

 また、教育委員会が障害児学級の担任に行わせている「特殊教育就学奨励費にかかる収入額・需要額調書」について、市教委の担当者は法令を引用しましたが、その「解釈」自体まちがったもので、早急な改善を必要とすることを要求しました。

 しかるに、交渉が終わった後も、改善をする姿勢がまったく感じられません。

三河教労、岡崎市長にも改善の申し入れを提出!

 以上のように、岡崎市教育委員会は、豊田市や豊橋市

と比しても、教育委員会としての責任ある立場にまった

く立っていないといえます。12月7日、我々は岡崎市

教委に対し、教育委員会としての責務をきちんと果たす

よう申し入れを行いました。と同時に、岡崎市長にも交

渉の改善に関する申し入れを行いました。

 




 シリーズ「教科書問題」 NO.4 

「つくる会」の支援団体が陳情書を提出!

 この11月に「子供たちに良い教科書を届ける愛知県の会」(以下、「届ける会」)が刈谷市に対して、「教科用図書採択について」の陳情書を提出しました。みなさんもご承知のように、この会は「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)の支援団体です。

 今回は少し視点を変えて、この会の陳情書から教科書問題を考えてみたいと思います。

歴史、公民、国語、音楽などは専門性が低い!?

 「届ける会」の陳情書の中に次のような箇所があります。

(前略)なお、教育委員会や採択協議会委員が全教科に亘って均等の力を割く必要はないと思います。理科や数学、英語などは専門性が高いので、研究員の研究に委ねる部分が多く、歴史、公民、国語、音楽などは、一般教養として教育委員が自ら調査研究すべきものと考えます。(太字・下線は三河教労)

 みなさんどうですか?驚くべき主張ではありませんか。いったい何を根拠に「理科や数学、英語は専門性が高い」と言っているのでしょうか。またそれらの専門性が高いのならば「歴史、公民、国語、音楽などは専門性が低い」とでも言いたいのでしょうか。これはまさにそれぞれの学問に対する、また、それを教えている教員の専門性に対する冒涜ではないでしょうか。いかがでしょうか。

「子弟の教育を預かる」「納税者である父兄」などの言葉に見られる人権感覚の欠如

 また、「届ける会」の陳情書の中には「子弟」「父兄」「子供」という言葉が平然と出てきます。「子弟」や「父兄」という言葉には、そもそも女性の存在が完全に無視されています。また、「子供」の「供」は「お供え物」を連想します。よって人権感覚に敏感な人であれば、これらの言葉は極力避けるのが普通です。しかし、「届ける会」にとっては何の抵抗もなく使われているのです。このことは単に言葉の問題だけでなく、「届ける会」の思想を表し、人権感覚の欠如を如実に示していると言えます。また、戦前の教育につながる感じもし、違和感をぬぐえません。いかがでしょうか。

教員や学校から教科書選択の権利を奪うのがねらい!?

 この「届ける会」の請願・陳情は今後も各地で提出されることが予想されます。陳情内容は「教科書の採択決定までの議論の内容を明らかにすること」など、もっともらしいことを言っていますが、彼らのねらいは、教科書の内容を最も吟味すべき立場にある教員や学校から採択の権利を完全に奪うことにあるように思います。それは、「教科書の選択は指導要領を基準にすること」という主張からも明らかです。

 そもそも、文部省(現、文部科学省)が「指導要領には法的拘束力がある」として学校や教員に押し付けたために現場では混乱を来たしています。その指導要領を基準にせよと言っているのですから、押し付けをさらに強化しようとしているわけです。

 私たちは、これからもその動きに注意を払っていく必要があるでしょう。