細井人事闘争に新たな展開 

現役校長の証人喚問が実現!

1、榊原信義氏(現一色中学校校長)の証人喚問が決定!

 1221日(金)に行われた細井人事公開口頭審理において、県教委側から、榊原信義氏と鈴木一雄氏の証人申請が提出されました。そして、次回の公開口頭審理には、榊原信義氏の証人喚問が実施されることが決定されました。また、次々回には、鈴木一雄氏の証人喚問も行われることが決定的な状況となっています。これは、勇気を持って告発した細井先生と、幡豆郡の人事を改善しようとする教職員の取り組みが、県教委を追い詰め、先の2名を証人として出さざるを得ないという状況に追い込んだ結果と言えます。

2、現役校長の証人喚問は初めて!

 20003月の細井先生に対する人事は、英語の教師を小学校に異動させた数年前の人事をさらに上回る異常なものでした。それは、通勤時間が1時間30分以上と県の「異動方針」に違反しているだけでなく、算数の専科を予定していたにも関わらず「英語教育の充実」というつじつま合わせの説明をし、本人の希望を全く無視したひどいものでした。細井先生が、この人事に異議申し立てをしたのは当然のことでした。そして今回、当時校長としてその発端を知る榊原信義氏が証人として喚問されることになったのです。現職の校長が公開口頭審理の場に証人として呼び出されるのは、実に初めてのことです。

3、県教委側から20分、提訴側から1時間の証人喚問

次回の公開口頭審理は315日(金)午後2:00から開催されます。榊原信義氏の証人喚問は、県教委側から20分、提訴側から1時間となっています。榊原氏がどのような意図で細井先生に対する人事を行ったのかが明らかにされることと思います。幡豆郡に勤める教職員のみなさんのご参加を期待します。

4、さらに、鈴木一雄氏、高須正義氏の証人喚問の実現を!

 また、通勤時間に対して何らの検討もせず、人事異動方針にさえ違反する人事を行った鈴木一雄西三河教育事務所管理主事(当時)と、報復的な人事の存在をにおわせた高須正義幡豆町教育長の証人喚問をさらに要求するものです。

 

  子どもと教職員の人権を守る三河教労

三河教職員労働組合(三河教労)

未来を拓く

編集・発行責任者 畦地 治

 

103号(2002年2月)

カンパ、機関紙購読料(年間3000円)は【郵便振込00800-4-79130三河教労】へ




少人数指導は、現実的かつ弾力的運用を!

 2002年度から実施される「少人数指導」について、現場から

「空き時間がなくなる。学級事務など、いつやればいいのか。」

「いっそうの労働強化だ」「学校教育が混乱する。」など不安の声

があがっています。私たち三河教労は、各市町村や学校で、文部

科学省の出した事務連絡を硬直的に実施せず、弾力的に運用する

ことで職場に混乱と労働強化をもたらさないよう求めています。

現場を知らない机上の空論10月19日付事務連絡)

 県教委は、文部科学省初等中等教育局財務課の指導を受けて、2002年度からの新学習指導要領完全実施に伴う授業時数の減少分(小学校単学級当たり週22時間、中学校17時間)を、少人数指導等に回すことを前提とした事務連絡「指導方法工夫改善等に伴う教職員定数等について」(H13.10.19)を出しました。

文部科学省の言う「減少する時間」の算出法

<小学校・各学年1クラスの学校の場合>

    土曜日分  2時間×6学年分(1年生〜6年生)=12時間

    学校裁量分 2時間×1学年分(4年生)    =2時間

          4時間×2学年分(5,6年生)  =8時間   

                        合計 22時間

しかし実際は、学校裁量の時間は、いろいろな運用(朝の読書指導、全校集会など)が各学校でなされており、来年度から新指導要領に切り替わっても、この計算式のように学校裁量分までが単純に「減少する時間」となるわけではない。

 そして各市町では、「持ち時間数の減があってはならない。」という文部科学省の考えに基づき説明会が持たれました。しかし、この、文部科学省の指導は、化石となっている「学校裁量の時間」を教員の持ち時間数として入れるなど現場を知らない机上の計算であり、これまでわずかにあった「空き時間」(教材研究や学級事務、子どもの様子の情報交換などを行っている事務時間)をなくし、現場に更なる労働強化を強いるものです。そのため、全国の教育委員会、教職員組合等から、質問、要望が集中しました。

学校裁量の時間は、「少人数指導」に含めてよい、と修正

 こうした視点からの批判を受け、文科省は、弾力的な運用(学校裁量の時間も、少人数指導の時間とみなすこと)を認めるよう慌てて修正の事務連絡を出しました。それに基づき、県教委も10月25日付の事務連絡で、先の10月19日付事務連絡を一部修正し、「実施に伴う学年別、教科別増加指導時数」の表に「その他」の欄を追加しました。「その他」の欄とは、学校裁量の時間を計上する欄のことです。そして、県教委は、愛知県教職員労働組合協議会(愛教労)の問い合わせに対して次のように回答しました。

 裁量時間については、この文書(10月19日付)は、その後一部訂正した。今後も裁量として実践される計画を持つ学校の場合は、「少人数指導等による増時間数」に含めてもらってよいこととした。他県では、静岡県と岐阜県でやられている。

 

給食指導、清掃指導も「ゆとりの時間」(埼玉県教委、現実的な計算)

 さて、埼玉県教育委員会は、学校裁量の時間について極めて現実的なカウントをしています。「朝の読書指導」「毎週の全校集会」及び「学年集会」、「毎週のクラブ活動」「隔週の児童会活動」「月1回の全校ボランティア活動」および「全校福祉活動」を学校裁量の時間でカウントし、さらに給食指導、清掃時間も次のようにカウントしています。

主な取り組み

週当たり指導時間増

○毎日給食指導(40分〜50分の学校が多い)

  配膳15分+食事20分+後片付け10分≒1時間

   1時間×185食×1年生3クラス=555時間

   1時間×190食×2〜6年生15クラス=2,850時間

   1時間×190食×教頭や担任外3人=570時間

○毎日の清掃活動(15分)

   1/3×5日×35週×21名=1,225時間

(時間数÷35週)

 

 15.8時間

 81.4時間

 16.2時間

 

 35.0時間

 この表のように給食や掃除の時間も裁量の時間と考えると、私たち教員は、すでにもともとの学校裁量の時間を大幅に超して児童・生徒の指導にあたっているのであり、新指導要領に変わって総時数が多少減ったとしても、仕事が軽減されるわけではないということがはっきりと分かります。つまり「楽になる分だけ、少人数指導に力を入れて働け」というのは、まったく見当はずれもはたはだしいと言わざるを得ません。

「今まで以上の労働強化をめざすものではない」

   「強制的に少人数を進めようとするものではない」

 そして文部科学省は、11月7日、全日本教職員組合(全教)との交渉の中で、少人数指導に関する一連の問題で、次のように述べています。

・今まで以上に授業時間を増やせ、労働時間を増やせということは全く考えていない。

・今まで以上の労働強化をめざすものではない。

・持ち時間をもっと増やして、強制的に少人数を進めようとするものではない。

・計画表は、総括表のつもりで学校へ行くと思っていなかった。絶対条件として受け取られたが問題提起のようなつもりだった。

・各都道府県の計画書の差し替えは大丈夫で、待つと伝えてある。

三河教労、市町村教育委員会に要請

 三河教労は、文部科学省の出した無責任な事務連絡のせいで、学校現場がふりまわされないように、以下のことを各市町村教育委員会に要請しています。

・各学校で、職員の納得が得られるよう十分に話し合うこと。

・教員の事務時間(空き時間)を減らさないこと。

・各学校の提出した計画は、あくまで計画として扱うこと。

・学校裁量の時間は、弾力的に扱うこと。

・これを機会に、少なすぎる教頭、教務、校務の持ち時間を見直すこと。




 シリーズ「教科書問題」 NO.5 

「新しい歴史教科書」(扶桑社)における日露戦争

侵略戦争を「壮大な国民戦争」と礼賛

 この「教科書」は、日露戦争を以下のように記述します。「国家の存亡をかけた…」「日本の生き残りをかけた壮大な国民戦争だった。」「有色人種の国日本が…白人帝国ロシアに勝ったことは、世界中の抑圧された民族に、独立への限りない希望を与えた。」

 最大限の一方的賛辞と、それを補う孫文やネルーらの言葉の抜粋から、日露戦争を対白色人種の戦いにおける有色人種の初めての勝利と補強します。しかし、日露戦争は、満州・朝鮮をめぐるロシアと日本の戦争でした。そして、アジアの植民地争奪をめぐるイギリス・日本同盟対ロシアの争いという性格も持っていたのです。この「教科書」は、「生き残りをかけた壮大な国民戦争」と書いていますが、それは、文字通り「他国を侵略して領土を奪う帝国主義の国」としての「生き残りをかけた戦争」だったのです。

日本と断固として戦った孫文をも引用する厚顔無恥さ

 日露戦争において、日本がロシアに勝ったことは、確かにアジアの人々に短期間でも希望を抱かせるものでした。しかし、それはすぐに苦い現実へと変わります。日本はアジアの解放者としてではなく、より凶暴な侵略者としての姿を現すのです。にもかかわらず、孫文の言葉「日本がロシアに勝った結果、アジア民族が独立に対する大いなる希望をいだくにいたったのです。」を引用することは、二重に読者を欺くものと言えます。

 孫文には日本人の知己も多く、真に中国と日本の友好を願っていました。だからこそ、中国の独立のために、日本に対しては覇権への道から手を引き、帝国主義からアジアの解放を助ける道に立つことを願っていました。しかし、日本はより凶暴な帝国主義の本性を見せつつありました。孫文は、いよいよ侵略行為を激しくする日本に対して「国際戦争は組織的大強盗行為である。いま、日本の軍国主義者がその侵略行為を中国に強行しようとしても、目覚めた中国は全力でこれを拒否する」(『孫文傳』)と言明していたのです。

第一次世界大戦の時、日本が中国に対して行った「二十一カ条の要求」は、中国を日本の植民地にすることを目ざしたものでした。これに対し中国国民から憤激の声が沸き起こり、五・四運動においては、孫文はその先頭に立ったのです。日本の行為は、まさに「組織的大強盗行為」であり、孫文の拒否するものであったのです。

侵略賛美の「教科書」をも「合格」させる文科省の問題!

 この本のように、国益第一主義と侵略肯定という極めて偏った

立場から、都合の良い引用(恥ずべきこと)を行い、子どもらに

誤った解釈を押し付けるものを、「教科書」といって良いはずはあ

りません。これを「教科書」と認める文部科学省の「認識」は、

全く非科学的であり、重大な問題であると考えます。