「非常勤講師担任問題」から逃げる豊田市教委
8月23日、豊田市教委と交渉
市教委からは吉田教育長はじめ6名が参加、組合からは畦地委員長はじめ5名が参加して交渉がもたれました。
教育長と委員長の挨拶の後に、市教委の回答がありました。中でも注目されたのは、非常勤講師に担任を代行させるという違法行為の問題について、市教委が指導の責任をきちんと認めるか、そして現場の要望に耳を傾ける姿勢を示すかどうかでした。
ところが、市教委の回答は「非常勤講師に担任させないように指導している」というだけでした。T小で非常勤講師を担任にしたのは、校長の責任と言わんばかりです。
担当の中根主事は、三河教労が6月末からこの問題について申し入れても、非常勤に担任をさせてはいけないという問題意識は無く、われわれがしつこく迫って渋々違法だと認める始末だったこと。そしてT小校長が、小規模校の困難さもあり「常勤講師を派遣して欲しい」と要望しても、その声を県教委に届けずに「規則だから」と門前払いをしたこともあること。などの事実を上げて市教委の責任を追及しましたが何も認めません。
そこで、三河教労の調査ではY小でも非常勤講師を担任にしており、校長は、「中根主事から、代替教員は、元の教員の代わりの仕事(担任)をするのが原則だと聞いた。」と述べているような「そういう指導をしてきたのではないか。」と迫りました。
市教委はそれに対して中根主事をかばうだけで、責任を何ら認めませんでした。
また、この春に多くの学校で物議をかもし出した、市教研主催の音楽大会に全校が参加せよという強制については「市教研による強制はされていないと認識している」と、他人事のような回答をしました。
合意を踏みにじる豊田市教委
この日、交渉の持ち方でも重大な問題が2つ持ち上がりました。1つは市教委側の司会者が「交渉」という言葉を意図的に避けて「今から話し合いをします」と言ったことです。これは「三河教労と交渉をする」との合意をなし崩しにしようとするものです。
もう1点は、他市の組合員を参加させたくないと言い始めたことです。
どちらも、長年の話し合いの末に合意されたものを一方的に踏みにじるもので、われわれは「歴史を後戻りさせないこと」「合意を遵守するよう」強く抗議しました。
子どもと教職員の人権を守る三河教労 |
三河教職員労働組合(三河教労) |
未来を拓く |
発行責任者:畦地 治 |
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第111号(2002年10月) |
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子どもたちに、少人数授業よりも少人数学級を
県議会に 少人数学級 実現要求の声を届けよう
12月に開かれる愛知県議会に向けて、「子どもと親が安心できる少人数学級の実現を求める請願書」の署名運動がスタートしました
問題が山積の少人数授業
この4月から、愛知県下の多くの小中学校では、数学や理科、英語などの教科で少人数授業がスタートしました。児童・生徒からは「放課が移動の時間になって、遊ぶ時間が減った」「仲良しの友だちと別々のグループになることがいや」「(習熟度別に分けられ)自分は基礎コースに入ったので人の目が気になる」といった声が聞かれます。先生方からは「人数が少ないので教えやすい」といった声がある反面、「事務・研究時間(空き時間)がなくなり、より一層多忙になった」「少人数授業の相手の先生が非常勤講師で、打ち合わせをする時間がとれない」「生活集団と学習集団が異なり、子どもたちの姿が見えにくくなった」といった不満の声も多く出されています。また、教師・子ども・親の十分な合意もないままに、習熟度別の授業が行われ、児童・生徒間の差別につながる危険な動きも広まっています。
全国24県で少人数学級がスタート
このように多くの問題を持った少人数授業よりも、本当に子どもたちの幸せを願うのなら少人数学級をこそふさわしいという声が今、全国からあがっています。
少人数学級なら、すべての授業が少人数で行えるし、学級のともだちと一緒に受けることができます。今年4月から山形県、長野県、宮崎県、鳥取県など全国24県ではすでに少人数学級の試みが始まっています。愛知県でも、犬山市が来年度からの市費での少人数学級導入を計画し、県に申請をしています。
この愛知でも少人数学級の実現を
9月1日、名古屋市の生涯学習センターに、教師・親が集い、少人数学級の実現を求める署名活動のスタート集会を行いました。歌手のまのあけみさんの迫力あるコンサートで大いに盛り上がり、少人数学級実現に向けて、一人でも多くの署名を集める決意をしました。
この請願署名は12月県議会に向けて集約を予定しています
少人数学級実現のために、多くの県民の声を県議会に届けましょう
夏休み、各地で研修をめぐる闘いが…
教員には自主的で、広く豊かな研修が必要
今年の夏休みは、各地・各職場において「研修」をめぐって様々な闘いがみられたことと思います。愛知県下では文部科学省の通知を受けて長期休業中の「自宅研修」をとらせない動きが現れたことがことの発端です。完全学校5日制に伴って「指定休がなくなり、その分、勤務日が増えたこと」や、「世間の学校を見る目が厳しくなっている」ということなどを理由にして教員の研修権を剥奪していこうとしているのです。実はこれまで三河地区では、夏休みの動向表に研修の欄がない学校があったり、ほとんど誰も研修をとっていないという状況があり、今年の研修に対する動きを先取りする面がありました。これを尾張部や名古屋市を含めて全県的、全国的に実施していこうということです。
「研修」は法的に認められた権利
しかし、教員には研修権が法的にも認められています。(教育公務員特例法第19条・20条)教員にとって「研修」は「その職責を遂行するために」必要不可欠であり、「研修を受ける機会が与えられなければならない」のです。また、その内容においては、衆議院本会議で法案趣旨説明として「教育公務員に関係しましては、採用その他の面におきまして、国家権力によるところの統制を制限いたしまして教育者に広範な自治を認めまして、すなわちいわゆる教育権の独立を確保し、…もって教育及び研究にのびのびした発達を可能ならしめる必要がある。」と述べています。つまり国家や行政の不当な介入から独立した教育の実現を目指すために研修は必要なのです。現在の文科省や教育委員会の研修に対する考え方は180度間違っているのです。私たちはもう一度「教特法」の立法趣旨に立ち戻って、そこを原点として研修権を守る運動を展開していかねばならないと思います。
「研修」の承認をめぐる問題
研修の承認についても、「授業に支障のない限り」(教特法第20条A)という限定があるだけで、今年になって行われたような、研修内容によって校長が承認しないことがあったり、「できるだけ研修でなく年休で」と言うようなこと誤った考えです。(そもそも「年休をとれ」というようなことは、校長に権限はありません。)私たちはもっと視野を広くするために様々な内容の研修を取れるように働きかけていくことが必要です。
教育問題を幅広く語るためにも「研修」が必要
教員はもっと幅広く、現在の政治、経済、社会、文化、国際問題などにも目を広げて、制度疲労を起こしている学校教育をどうしていったらよいのかを考え得るようにならなければいけないと考えます。もはや教育という聖域も閉鎖性も許されません。教育問題を語るためにも私たちには自主的で、広く豊かな研修が必要です。
シリーズ「教科書問題」NO.11
教育基本法はなぜ制定されたのか
一昨年の森喜朗元首相の「日本は『神の国』」発言に前後して、日本国憲法や教育基本法の見直し、「改正」論議が活発化しています。もっともらしく聞こえる各種審議会の答申や国会論戦をうのみにしていると、平和も民主主義も基本的人権も根こそぎ奪われかねない危険な状況・局面にきています。そこで今回からしばらく教科書問題から離れて、日本社会の仕組みと教育法制について考えていただこうと思います。
教育勅語体制
明治維新から太平洋戦争の敗戦までの日本社会では、大日本帝国憲法の定めるところにより、主権者としての、また神格化された天皇が陸海軍を統率して軍事力を握り、大元帥として臣民に君臨する仕組みになっていました。臣民とは要するに天皇の家来です。
そのため、戦争や軍備を否定するような平和的な考え方が大きく育つことは、残念ながらありませんでした。明治憲法に呼応して「教育ニ関スル勅語」が、教育の精髄を宣言するものとして発布されました。そこでは、人間をつくるということは、忠君愛国の念に徹して、いざという場合には天皇のために潔く死ぬ臣民をつくることとされていました。さらに旧・民法が規定する封建的な家族制度が臣民の育成と結び付けられていました。
国家主義の教育
1885年、伊藤博文を総理大臣とした日本で最初の内閣制度が発足した時の初代文部大臣、森有礼は直ちに教育制度の改革に取り組みました。重要な法令は、すべて勅令(天皇の命令)として公布・実施されました。しかし、それは彼自ら語ったように生徒本人のためではなく、国家のためにする教育制度の基礎固めでした。その背景には、対外的には条約改正の問題を抱え、諸列強との競争に勝ち抜かなければならないという国家主義と、国内的には、当時盛んだった自由民権運動を圧迫するために「善良な臣民」を育成しなければならないという国家主義がありました。
臣民(皇国民)教育の実態
一部の綴り方教師などを除けば、画一的な国定の教育内容と国定教科書により、軍国主義賛美と天孫降臨などの非科学的教育内容が児童に押し付けられました。もちろん教員に対しても教育の自由は否定されていました。当時の教育を受けた人の回想によれば、すべての教科・領域でひたすら暗記が強調される一方で、自分の考えをもつようになることが軽視され、人間らしい感情が育ちにくくなっていたそうです。疑問を口にすれば体罰がふるわれるという教室では、理性・自主性・社会的視野は育ちようがありませんでした。 (つづく) 教育勅語を校長が奉読する様子