犬山市 2004年度より

すべての学年で30人学級実施

 

  犬山市では2004年度から市内小中学校の全学年で30人学級を実施することを決めました。全学年での30人学級実施は全国で初めてのことです。

 犬山市では30人学級にすると新たに44学級増える予定です。そのため市独自で常勤講師を33人採用し、現在担任を持っていない11人の「校務主任」を担任にして対応する予定です。

2004年度から市町村の予算で

        独自に教員を採用できる!

  文部科学省は法改正し、2004年度 から市町村の予算で独自に教員を採用できるようにする意向です。犬山市では現行制度のもとでも市独自に非常勤講師42人を採用し小人数授業を実施してきました。その結果「学級規模そのものを小さくするのが1番よいことであり、最終目標である」(犬山市教委)として全学年での30人学級実施を決定しました。

 また、「校務主任」を担任にするとしたのも、「校務主任は必要ない」と言明してきた犬山市教委らしい取り組みです。                         

小さな犬山市でも英断!

  他の市町村も真剣に少人数学級への道へ

 犬山市は観光都市です。観光産業不況で市の財政は豊かとはいえません。その犬山市ですが、多額の市の予算を使い少人数学級を実施します。ほかの市

町村にできないはずはありません。要は市町村の教育に対する姿勢が問われているのです。ほかの市町村も真剣に人数学級への道を模索することを要求します。

 

  子どもと教職員の人権を守る三河教労

三河教職員労働組合(三河教労)

未来を拓く

発行責任者:畦地 治

HP http://www.tcp-ip.or.jp/~shun-h/ 

112号(2002年11月)

カンパ、機関紙購読料(年間3000円)は【郵便振込00800-4-79130三河教労】へ


交渉に「刈谷市教委の教育課長が不参加」

            市教委「公的な根拠はない」と回答

 私たち三河教労は、刈谷市教委に対して、教育行政の誠意ある対応として、三河教労との「話し合い」に教育課長が出席することを要求してきました。しかし、刈谷市教委は、私たちが刈谷市への登録団体ではないので、「話し合い」なら応ずる、「話し合い」なら指導主事の対応で十分だとの傲慢な態度をとりつづけています。

他団体との話し合いには教育課長も参加

         三河教労に対してだけ差別的な対応

  平成12年2月に山本議員の仲介で、刈谷市の市民団体と刈谷市の話し合いが行われ、その場に教育部長や教育課長などが出席した事実がありました。9月25日の「事前の打ち合わせ」で、この件をとりあげ、「他の団体との話し合いには教育課長が出席している。それなのに三河教労との『話し合い』には、出席を拒否している。これは三河教労だけ差別しているのではないか」と追及しました。

 これに対して刈谷市教委は「市として対応したのではなく、教育課長も参加している委員会が対応したのだ。」と追及をかわしました。その後、山本議員に尋ねたところ「あれは、明らかに市としての対応であり、委員会と会ったのではない。」との回答でした。事実をねじ曲げてまで、三河教労を排除しようとする刈谷市教委の態度は、決して許されるものではありません。

「教育課長が出席しない公的な根拠はない」と言いながら

        教育課長が出席しないのは不誠実の極み 「三河教労との『話し合い』に教育課長は出席しない」との回答に、「出席しない公的な根拠はどこにあるのか」と、追及したところ「公的な根拠はない」ということを刈谷市教委は、はっきりと認めざるをえませんでした。公的な根拠もなしに、これだけ要求している教育課長出席を拒否するのは、教育行政として、傲慢、失格のそしりをまぬがれません

三河部各市教委対応一覧

 

刈谷市

安城市

豊田市

豊橋市

岡崎市

教育長・教育課長出席

×

×

テープ録音

×

×

組合側出席者の扱い

年休

年休

職免

職免

職免

呼び名

話し合い

話し合い

交渉

交渉

交渉

刈谷市・安城市の不誠実さが歴然とし

ています




安城市教委の閉鎖性を問う       

 去る913日に、私たち三河教労は安城市教委に対し、教育問題・勤務などの改善について申し入れを行いました。また、それとともに「交渉に当たっての要求事項」として次のような要求を行いました。

@安城市教委は、三河教労に対して「話し合い」ではなく、「交渉」を行うこと。

A豊橋、岡崎などと同様に、教育長・教育課長が出席し、責任ある回答を行うこと。

B交渉内容の正確を期すために、「録音を行うこと」を可とすること。

C申し入れに対する検討・返答は迅速に行い、長期間にわたり放置しないこと。

 この要求を基にして、926日に安城市教委(係長と主事)と話し合いを持ちました。しかし、その結果は満足できるものではありませんでした。

安城市教委は交渉に応じる地位にある!

 @について安城市教委は、地公法551項「登録を受けた職員団体とは交渉に応ずべき地位に立つ」を逆手にとり「三河教労は、県に登録してある団体であるから、安城市教委は交渉に応ずべき地位にない。」という主張を繰り返すばかりでした。しかし、安城市の教育問題等に関しての交渉を要求している団体に対しては、当然「応ずべき地位にある」と言えます。それを否定することはILO87号条約や憲法28条の団結権・団体交渉権を否定することにもつながります。また、他市(豊橋、岡崎、豊田)では「交渉」として扱われているのに、安城市だけが「地位にない」というのはおかしな話です。

教育長・課長が出席し、真摯な態度を示せ!

 Aについては、「対応は窓口となっている係長及び主事のみとする。」との主張を曲げようとはしませんでした。いったい教育長や課長を出席させない理由は何なのでしょうか。他市では教育長や課長が出席し、熱心に耳を傾けたり積極的に発言したりしています。そこには教育現場の意見を聞き、教育改革のために前向きに取り組む姿勢が感じられます。そうした真摯な態度は安城市教委の対応には見られませんでした。

「録音の必要性を認めない」の理由が見えず!

 Bについても「その必要性は認めない」というそっけない回答でした。私たちは「言った、言わないということのないように正確を期したい」ということ、さらに「テープから起こした文書を市教委に送付し、加筆・修正していただいてから公表する」と述べましたが、やはり「その必要性を認めない。」とただくり返すのみでした。その消極的な姿勢や自身のなさに驚くばかりでした。

安城市教委は傲慢な態度を改めよ!

 また、今回の話し合いにあたっては、市教委側が日時を指定したにも関わらず、担当係長が三河教労の到着後もしばらくパソコンに向かったまま動こうともしないという理不尽な態度をとりました。さらに、空き部屋がいくつもあることが明らかでありながら、「あいにく部屋がいっぱいで使えない。」とロビーで話し合いを行うという不始末。三河教労に対するこれらの傲慢で不遜な態度は断固として許すことができません。

 


 シリーズ「教科書問題」NO.12 

      教育基本法は、なぜ制定されたか その2  

太平洋戦争の惨禍

 大多数の国民は太平洋戦争の過程で兵士として戦場に駆り出されたり、勤労動員や空襲、沖縄県での地上戦、広島・長崎で
の原子爆弾投下など、その生命・健康・財産を奪われ、辛酸をなめてきました。学校でも軍事教練が行われ、師範学校生徒と小学校教員にも兵役の義務が課せられました。(参考文献『謎の兵隊〜天皇陛下の教師と兵役〜』総和社発行)

 軍国主義の道を暴走していた帝国は、敗戦で奈落の底に突き落とされました。この戦争の源1931年(昭和6年)の柳条湖事件までさかのぼるならば、あしかけ15年もの長期にわたり、日本やアジア諸国の民衆は苦難の道をたどらされました。国民に多大な犠牲を強いたこの15年戦争の開始も終結も、ごく一部の軍人・重臣の謀略によるものであり、真実は隠されたままでした。無条件降伏は国民を戦災から救うためではなく、国体の護持、つまり戦争を引き起こした天皇制支配機構を温存する意図で行われるというまったくひどいものでした。               [太平洋戦争中の小学校1年用国語教科書]

戦後の民主主義諸改革

 ポツダム宣言に基づき、連合国軍の名前で日本を占領したアメリカ軍により、日本の民主化・非軍事化に向けての改革が進められました。日本の陸海軍は解体され、治安立法は全廃され、次いで日本国憲法が制定され、国民主権と基本的人権の保障と戦争放棄・戦力不保持の三大理念を軸とする、新しい国家体制が制度的に確立されるに至りました。教育勅語も1948年に国会の決議によって失効しました。

日本国憲法の芽生えは日本人の中から育った

 しかし、だからといって日本国憲法の制定も教育勅語の排除も全面的にアメリカに押し付けられた結果だと考えるのは事実に反しています。実は、日本国憲法の基本的な構想はかつて明治10年代に自由民権論者が実現しようと努力しつつ官憲の武力弾圧のために実現できなかった草案に合い通じていました。占領軍は新憲法の原案を起草するに当たり、明治の自由民権論者の私擬憲法草案を参考にし、また日本人有志の憲法研究会が起草した草案から多くを取り入れました。つまり、日本国民が有していた願いを多分に反映していると考えられます。そして、教育基本法の内容も敗戦までの教育に対する深い反省に基づいて決定されたのです。                       (つづく)