第5日目 2002/10/31 (木) 経路 百々屋 根香寺 白峰寺 国分寺 高照院 郷照寺 BHニューキャッスル 歩き距離 60千歩 42km 地図上距離 33.9km 出発 6時半 到着 17時 晴れ すれ違ったお遍路さん 13人 宿屋 BHニューキャッスル 泊まりのお遍路 1人 |
百々屋さんから根香寺への歩き遍路道を教えて貰ったが、少し戻る事と道がややこしく、良く判らないので、宿の目の前の車道を行く。
先回は、81番白峰寺、82番根香寺、80番国分寺、83番一宮寺の順だったので、この道も初めて。 歩きでのある山の舗装道路。ただただ、歩くだけだが、見晴らしが良いので助かった。山の上の車道に出た。これは前に通った道で、思い出した。 8時半、82番根香寺に到着。8km、2時間を要した。山道の歩きが、足も軽く早くなった。漸く、足の疲れが、1晩寝ると元通りに成りだした。 根香寺お参り。般若心経もあげた。 |
これから、81番へ行き、80番へ山を下り、79番へと行く。
五色台スカイラインの入口近くの食堂。先回、漸く飯に有り付いたのを思い出した。ここから、山の歩き遍路道に入る。三叉路、80番への分岐点を過ぎる。順調に歩く。 |
10時半、白峰寺裏の崇徳天皇陵到着。どうしても寄る予定だった場所である。
多分、又、花が供えてあればいいのにと期待していながら、もしかしたらないかもしれない、と考えながら、長いお墓より立派に見える階段を登る。 粗末な鉄の柵の中に、菊の花が2束あった。誰が供えるのか判らないが、花があった。先回もあった。 私と同じように思う人が、まだ日本にいるのだと、感激し、たたずむ。 あの西行も、天皇が仁和寺に逃げ込んだ時は、直ぐに出かけたのに、ここへ流されて死ぬまでの9年間1度も来ず、死んだ後も何年も来なかった。 西行 白峰と申しける所に、御墓の侍りけるに、まいりて 「よしや君 昔に玉の ゆかとても かからん後は 何にかはせん」、と不幸な天皇への絶唱である。 |
81番白峰寺お参り。お札を納め、お経を上げ、記帳を済ませ、今来た道を引き返す。先の三叉路の大分手前で、車道に出る。
写真を取り損ねました。古い写真です。 |
80番へのへんろころがしの坂への入口も迷わず見つけ、この急坂を下り始める。途中、昇りの遍路さんと会う。
人家のある場所に出てからの国分寺への道も、迷わず行けた。先回は、迷い遠回りしたが。 13時、80番国分寺お参り。 昼食をすませ、ここから鉄道沿いの国道を行く。 |
15時過ぎ、79番高照院天皇寺お参り。八十場の泉をを見て旧道を行く。 |
16時半過ぎ、78番郷照寺お参り。このお寺さんは全然思い出せなかったが、門を見たら、みんな思い出した。歩く事は、本当によい事だ。 足の痛いのを忘れ、思い出した事に大喜び。ただ、歩くのはお金が掛かかり贅沢である。
今日は、丸亀市内のBHニューキャッスル泊。郷照寺からのたった2kmほど、距離があった。少し大変だった。着いた時は、真っ暗だった。今日は良く歩いた。 |
第6日目 2002/11/01 (金) 経路 BHニューキャッスル 道隆寺 金倉寺 善通寺 甲山寺 出釈迦寺 曼茶羅寺 弥谷寺 歩き距離 53千歩 37.1km 地図上距離 37.6km 出発 6時 到着 16時半 雨 すれ違ったお遍路さん 8人 宿屋 一冨士旅館 泊まりのお遍路 1人
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初めての雨。カッパはリュックを含めて上から被る一体のものにした。風で、裾が振れ、車に巻き込まれる恐れがあるが、蒸せない、着脱簡単、濡れない、で成功。
6時は、まだ暗い。通りの少ない立派な県道を行く。 7時半、77番道隆寺に到着。まだお寺さんは静かだ。 お寺さんは、7時から17時まで、毎日休みなく納経所を開いている。地震、台風、正月でも開いている。大変な事と思う。納経所に、1人も来なかった日は、1日もない、と聞いた事もある。 |
また、舗装道路を南に向かう。金倉寺の近くの歩きの道分岐点は、見落としたので車道を行く。
8時半、76番金倉寺。 平地のお寺さんは、多少の道の間違いは影響なし。高い塔、大きな本堂が見えており、安心して行ける。その分、地図を見るのが少なくなる。 |
9時半、75番善通寺。地元のおじさんが話しかけてきた。お寺から、大分離れた所で見かけたが、道に迷わず、よく着いた、とお褒めをいただく。車で来るのとそう変わらない、との事。どこからきたか、から始まる、いつもの質問攻め。丁寧に答える。最後に、74番への道を聞く。正確に教えてくれた。
病院の横を通る遍路道を行く。先回、甲山寺前の川岸に捨て猫がいたことを思い出した。 |
10時半、74番甲山寺。お参りを済ませ、 迷わずに遍路道を行く。 |
11時半、72番曼陀羅寺。 |
12時、73番出釈迦寺。
出釈迦寺近くの石碑。 善通寺から、お遍路さんが増え、記帳に時間が掛かる。イライラはしなくなったが、後ろで観光バスの音がすると、急ぎ納経所へ行く。1番霊山寺まで、これは直らなかった。追い抜かれた時は、きっちりと諦め、ゆっくり境内を見て歩く事が出来るようになった。 |
弥谷寺への道を教えて貰い、2つの大きな池の間を通り、高速道路を抜け山に掛かり、舗装した急な道を登る。暫く登るうちどうもおかしいと感じた。30分登ったかもしれない。急ぎ、戻る。
地図をよく見ると、高速道路を潜った所で、左に入り、池の横を行かなければならない。直ぐ、戻り、直ぐ見つけ、よく見ると、遍路マーク、遍路札もちゃんとある。 確かに、左に曲がる所は、判りにくいが、注意すれば判る。急な坂の舗装道路は、地図からは読めない。ほんの少し前に高速道路手前で、お遍路さんとすれ違い、お互い、道の確認をした、なのに間違った。 高い山越えは、慎重に越えようと思う。 宿屋俳句茶屋が店を閉めていた。石碑が沢山あったように思っていたが、写真は余り撮ってない。チョンボの遅れを取り戻そうと急いだのかもしれない。 |
13時半、71番弥谷寺到着。覚えのある本堂までの長い階段を登る。
境内の石仏。 |
秀吉に攻め滅ぼされた、弥谷寺の隣り天霧山(あまぎりやま)の天霧城主、香川氏のお墓があった。昭和59年住職が、お参りする人のないお墓をここに移し 整備したとの事。皆殺しになったんだろう、と勝手に思った。記録も残っていないのだろう。 参道を下る。途中から道が舗装道路となる。こんな立派な道だったかなと思いながら、なお下ると、見覚えのある、ほこらを右方の小道沿いに見つけた。地図の遍路道はこの旧道だった。 また、道を間違えたかと思ったが、新しい道が出来たと納得。昼飯を食べた「うどん喝屋」もあった。 時間を使い果たし、本山寺へ17時までには入れそうもない。少しずるい事を考えた。 遍路道から右にとり、JRみの駅に向かう。15時過ぎ、みの駅着。駅で地元の人に話しかけられた。いつもの質問があった。丁寧に返答。自分も何回か遍路したと言っていた。 |
15分で、観音寺駅着。歩くのに比べて実に早いし、疲れない。ちょっと、引け目に思う。40年以上、鉄道のように効率第1、期限までに確実に仕上げる、で生きてきた。
一瞬、なぜ、今、歩いているのだろうと、頭に浮かぶ。 16時過ぎ、69番観音寺、68番神恵院に到着。納札、賽銭、お経を上げて、記帳して貰う。神恵院の本堂がコンクリート造りで立て替えられていた。 本山寺へ向かう。先回、通った財田川沿いの道。この信号を越えると、歩道が無くなる。あの信号を越えたら、川を渡り田圃の真ん中を行く。1歩1歩、みんな覚えている感じ。いい気な物だと、自分ながらおかしく思う。 本山寺に着いた時は、真っ暗だった。一冨士旅館の場所が判らず、2度電話する。宿に着いて、理由を考えてみると、方向を間違えていたようだ。 歩き距離 53千歩 37.1km はメーター通りだが、少し、多すぎる、原因は不明。がそのままとした。地図上距離 37.6km は鉄道分も含む距離。 明日の泊まりは、雲辺寺を越えた所と思い、予約を入れたが、何処も満員でだめであった。(明日は土曜日だった事を忘れていた) やむを得ず明後日を予約し、明日は、雲辺寺登り口の大興寺泊まりとした。 先回、宿の予約は当日だったが、全然泊まるところがなかったことがあり、その反省も含めて、今回は、初日から、前日に予約する事にした。 当日予約は、必ず、今どこにいると聞かれたが、前日予約だと、聞かれなかった。なるほどと思った。 |
第7日目 2002/11/02 (土) 経路 一冨士旅館 本山寺 大興寺 萩原寺 おおひら 歩き距離 34千歩 23.8km 地図上距離 19.1km 出発 7時半 到着 15時 雨 すれ違ったお遍路さん 3人 宿屋 おおひら 泊まりのお遍路 5人
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もう1日、香川県側に泊まる事になって、良い事があった。
実は、高校の同級生村越君が、番外20番を車で廻っていたが、 どこかで1泊しようとしていたが、行程の調整がうまくいかず、一緒になる事は諦めていた。しかし、1日ずれて、今日、大興寺際の「おおひら」で一緒になる約束が出来た。 「人間万事塞翁が馬」と言うが、ほんとうに何が幸いするか判らない。あわてない、あわてない、である。また、1つ勉強が出来た。 今回、遍路に立つ時、彼も、すでに、八十八箇所は歩いて結願していたので、逆打ちを知らせてあった。2、3日前に、突然、何処にいるかとの電話が入り、連絡し合っていた。 今日は、予定変更で、本山寺、大興寺、番外の萩原寺をお参りする事にした。出発は7時半。 70番本山寺お参り。 本山寺から大興寺への道は、初めてだ。先回は、大興寺から観音寺へ向かった。 財田川に沿って東に向かう。途中、川を越え、南下した。この南下で、道を間違え、一ノ谷池には出られなかったが、地図で、十分に読めていたので、少し遠回りになったが、問題なく到着できた。 |
9時半過ぎ、67番大興寺。お札を納め、賽銭、般若心経をあげ、記帳して貰った。
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萩原寺に向かう。さすがに、お遍路さんとは会わな かった。 |
13時、番外16番萩原寺着。参道には萩が植えてあった。看板に寄れば、雲辺寺、萩原寺は萩の名所との事。 |
本堂、大師堂をお参り。お札を納め、賽銭を上げ、般若心経を唱えた。別格20番の納経帳があったので求め、記帳して貰う。
また、数珠の玉1個、その親玉も購入。これは番外20寺が1個ずつで、数珠が出来上がるとの事。 雨は止む。舗装道路を引き返し、途中から、雲辺寺への遍路道に入る。立派な道が出来、様子が変わっていた。 15時、おおひら着。風呂に入る。 16時半、同級生、村越君到着。遍路、家庭の事など、食事時を含め、話が尽きなかった。 番外20番は、車で5、6日で回れるとの事。 |
第8日目 2002/11/03 (日) 経路 おおひら 雲辺寺 岡田 歩き距離 20千歩 14km 地図上距離 14.1km 出発 6時 到着 14時 曇り後晴れ すれ違ったお遍路さん 13人 宿屋 岡田 泊まりのお遍路 7人
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八十八箇所の最高の高さ920mにある雲辺寺に向かう。粟井川に沿った道が立派な道に変わっていた。舗装道から山道に入る所も良く判った。 |
山道に入ってからも、遍路札が無いかなと探す時には、遍路マーク、遍路札が現れ、間違いなく遍路道を行けた。所々、林が切れると、観音寺の町がまぶしい。 |
頂上近く、平らな箇所に出ると、五百羅漢が並んでいた。大きな像、数で、迫力があった。 |
9時半、雲辺寺到着。先回は、雨でもやって、写真が撮れなかった。お参りを済ませ、本堂、大師堂を写真に収めた。 |
句碑、歌碑など写真を撮る。 |
ケーブルカー駅に行ってみた。食堂があり、子供達が沢山来ていた。今日は日曜日。また、スキーの設備もあり、大きな遊園地。 香川、徳島の県境の表示が地面にあった。 11時半まで、雲辺寺で過ごし、昼食のパンを食べる。体を休めると寒い。 |
しばらく、覚えのある平らな道を行く。山道に入る所もバッチリ。紅葉も始まりだした。 |
先回、工事中であった高速道路も開通していた。 |
14時、岡田到着。
1日の遅れ挽回のため、明日は、JRを使う事にして、61番香園寺に宿の予約をした。 夕食時、懇談。若い人達が良く喋った。私も、このように若かった時があったな、など頭に浮かべながら、聞いていた。
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