第13日目 2002/11/08 (金) 経路 伊予路 円明寺 太山寺 石手寺 繁多寺 浄土寺 歩き距離 46千歩 32.2km 地図上距離 27.2km 出発 7時 到着 17時 曇り すれ違ったお遍路さん 4人 宿屋 長珍屋 泊まりのお遍路 1人、団体客多 |
宿から、遍路道に戻らず車道を行った。途中、道路工事中で地図と合わず慌てたが、じき、円明寺に着く。町は通勤通学の人達が忙しく歩いている。私は何か悪いことでもしているのかなと一瞬思う。
7時半、53番円明寺。お参り。誰も居ない。 太山寺へ向かう。車道を西に向かう。先回通っている道であるが、覚えはない。都会の道は、覚えにくい。まもなく、一の門が見えてきた。 |
8時、52番太山寺お参り。 歩きでのある参道を昇り、本堂、大師堂をお参り。記帳して貰う。 |
山頭火の句「もり・・もり あがる雲 へあゆむ」などの歌碑が3つあり。
これから松山市街を南東方向へ横断。大川沿いの遍路道、松山大学のグランドを見て、道後温泉。 |
松山温泉。 |
石手寺少し手前で、案内板に従って、左に入り、暫く行くと石手寺境内に入った。初めて見る、「葉桜の 中の無数の 空さわぐ」 篠原梵 (しのはらぼん、伊予出身の俳人)らの句碑、石仏があった。 |
曼途羅(マントラ)洞窟入口で、お賽銭を上げ洞窟に入る。杖を衝いて裏の出口へ。再び戻り、本堂裏を通り、再び日の光を浴びた。 先回、いろいろな思い出のあったお寺さん、ゆっくり境内を歩き回った。 |
本堂、大師堂お参り。賽銭、お札、般若心経を上げ、記帳。 12時半、51番石手寺正面に。お接待のムスビをいただく。 真っ直ぐ南に。まもなく、地図の点々道の遍路道へ入り、八幡三島神社も確認した。上手に繁多寺へたどり着く。 |
13時、50番繁多寺お参り。坂道を下り、なお南下。 |
13時半過ぎ、49番浄土寺お参り。鉄道を越え、南へ。西林寺が見える。車道に面したお寺を思い出した。 |
15時、48番西林寺お参り。 |
車道から、札始大師堂への右折れは、難なく見つけ、15時半、札始大師堂お参り。近くの墓地に古いお墓がまとまって建っていた。 |
16時、文殊院お参り。番外のお寺さんは、帳面に記帳して貰う。本堂を写真に撮るのを忘れる。新しい綺麗に彫られた仏さんがあった。 |
16時過ぎ、47番八坂寺お参り。山の道の石仏が目に入り、撮るが、露光不足。フラッシュが少し弱いかな。 |
16時半過ぎ、46番浄瑠璃寺お参り。 |
第14日目 2002/11/09 (土) 経路 長珍屋 太宝寺 太宝寺泊まり 歩き距離 26千歩 18.2km 地図上距離 16.5km 出発 7時 到着 14時 雪後雨後曇り すれ違ったお遍路さん 3人 宿屋 太宝寺 泊まりのお遍路 3人
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一本道で迷いようがないと思いつつ遍路道を行く。しかし、いつまで経っても、出口橋がない。
浄瑠璃寺近くでは、見つからなかった売店があり、昼食用にパンを買って、道を聞くと、この道で太宝寺へ行けると言う。ちょっとおかしいと思いつつ、なお行く。 なお、15分程歩いた所で、農作業している人に再度道を聞く。2,3人集まってきて、いろいろ教えてくれる。行けるが遠回りと言う。”桜”に出る道もあるが、判りにくいとも言う。歩いて三坂峠に行く遍路道と念を押して聞くと、この山の1つ向こうの谷、”桜”を通ればよいとのこと。ただ、自分で、歩いて三坂峠に出たことはないようだ。 地図をよく見て漸く理解できた。左に曲がって、出口橋を渡るべきを、真っ直ぐ来てしまった。谷を1つ間違えている。真っ直ぐ行けば、国道33号に出て、三坂峠へ行けるとの事。戻るか、このまま行くかは、お前が選ぶことだ、の雰囲気。 お礼を言って、戻ることにした。 又、同じミスをした。地図をよく見てなく、道を左に曲がることを見落とす。店で歩いて行く道を聞かなかった。 地図をよく見て、途中で右に曲がり山沿いに行く。榎橋に出る。先回、ここで、右か、左か迷ったことを思い出す。ようやく網掛け石に着く。1時間以上費やす。やれやれである。 |
8時半、網掛け石大師堂お参り。ここも先回、峠越えして、漸く安心して、休んだことを思い出す。 |
”桜”を通り過ぎた所で、数匹の犬と一緒の地元の人に会う。この犬は猪を良く追い出す、この犬は年寄りだとか、世間話をする。
三坂峠到着。雪。先回は、風の強い雨だった。峠からは国道33号を行く。ばかに長く歩いた感じがした。 |
雨に降られ、非常に寒い。喫茶店を見つけ、一服。この喫茶店は、先回もお世話になった。ただし、ママさんは覚え無し。
太宝寺参道で、お接待を受ける。現金をいただく。雨は上がり晴れだした。明日の昼飯もパンと決め、店を探すもなし、大福餅があったので、是を買う。 今日は、ミスして時間を使ったが、何だかんだと苦労して時間を浪費して昼過ぎになった。 |
13時半、44番太宝寺。本堂、太子堂お参り。境内に、石
仏が集めてあった。
14時、早かったが、いやな顔もしないで部屋に入れてくれた。 |
第15日目 2002/11/10 (日) 経路 太宝寺 岩屋寺 リバーサイトフジ 歩き距離 35千歩 24.5km 地図上距離 20.6km 出発 7時半 到着 15時 曇り後晴れ すれ違ったお遍路さん 2人 宿屋 リバーサイトフジ 泊まりのお遍路 1人
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同宿のご夫婦と、ほぼ同時刻に出発。ご夫婦は、打戻するとの事で、荷物が少なかった。私は、槙谷に出る予定。 |
山の遍路道は、石仏が多い。トンネル際に出る。暫く、車道。 |
河合の交差点で、ご夫婦の知り合いのお遍路さんと会う。浄瑠璃寺へ向かうとのこと。道を聞いて見えた。岩屋寺から降りてきたと思われるが、さすがに早い。 |
8時過ぎ、狩場休憩所到着。ご夫婦とは、この辺りまで、ほぼ一緒だった。 |
8時半過ぎ、ふるさと旅行村で小休止。盛りは過ぎてるようだったが、紅葉が綺麗だった。 |
10時、八丁坂峠。岩屋寺お参りの後、ここを榎谷に下る 予定。 |
平坦な尾根道。やがて下りにかかると、逼割禅定の行場。 |
11時、45番岩屋寺着。本堂、大師堂お参り。 |
紅葉が綺麗。早い昼食とする。昨日の大福餅を食う。ご夫婦と行き会い、是でお別れ、互いに元気で行こうと挨拶し、又山道を上がった。 |
13時半、八丁坂茶屋跡に到着。槙谷への道に入る。初めての道。通る人が少ないようだ。道がとぎれとぎれになる。1箇所、土砂崩れで、四つん這いで越える。傾斜がゆるくて良かった。
人家が見え始めた時、若いお遍路さんと行き会う。盛んに先の道を聞かれる。初めてのようである。土砂崩れが1箇所あるが、道なりに行けば、八丁坂の分岐点に出ると教える。初め、不安げであったが、元気に登っていった。 民家の庭先の道で、幾分不安な感じ、さっきの若者もそのように感じ、私を見て安心したんだなと思う。何かいいことをしたような気がした。 |
13時半、小さな紅葉が綺麗だったので、写真にしたが、感じたようには撮れなかった。素鷲神社 。 |
槙谷公民館、槙谷学校跡。時の流れがないような、落ち着いた土地。しかし、過疎地の風景であった。 |
国道33号に出た。15時、新落合橋のリバーサイトフジに到着。 |
第16日目 2002/11/11 (月) 経路 リバーサイトフジ ハイプラザうちこ 歩き距離 61千歩 42.7km 地図上距離 34.1km 出発 6時半 到着 16時半 晴れ すれ違ったお遍路さん 21人 宿屋 ハイプラザうちこ 泊まりのお遍路 1人
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今日は、歩くのみ、内子まで行く。落合橋を渡り、国道33号から別れ、国道380号へ。天気はよいので歩くのには、最高。 |
分水嶺の新真弓トンネルを越えた、大平の急な下り坂の遍路道を間違え、 遍路道ではなく、国道を歩いてしまった。三島神社へ出た。 |
先回、ここから北のひわた峠に出ようと、山に入ったが、道に迷い、3時間ぐらい掛かり、元に戻ったことを思い出す。今回は、下りであり、多少、道も知っているので、国道の遠回りも苦にならない。 |
今日は、お遍路さんと良く会う。
小田町に入り、旧道を行く。先回は、ここで泊まった。泊まった旅館もあった。国道が新しくなり、所々新道になっていたり、工事中である。
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突合の交差点。大きな橋を渡り、内子町にはいる。 |
12時過ぎ、楽水大師堂お参り。道も狭く、川も前の通りで、安心した。国道があまりに良くなっていたためだ。
山本商店の千人宿記念大師堂も、健在だった。 |
黙々と歩く。不思議なことに、暇で困ることがない。 |
目に入る景色、耳に入る音、覚えのある道角などから、いろいろ連想することが多く、それぞれ、楽しい思いが、次から次へと頭に浮かんでくる。 |
子供も育てたし、このまんま死んでもいいなとも思う。 |
15時、内子橋。”フレッシュパークからり”があった。一服して、旧道に入る所が判らなかったので、道を聞く。
15時半、内子の白壁の町に。 |
本芳賀家住宅と庭。 |
上芳賀邸。 |
白壁の家。坂道の町。芝居小屋の内子座。 |
今日の宿は、内子駅の西側、遍路道に沿った所にあった。
宿で小包を扱ってくれるか問い合わせするとOK。着る物、雨具など余分な物と土産のせんべいを荷造りして、家に送り出す。大分、荷が軽くなった。 |
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