第17日目 2002/11/12 (火) 経路 ハイプラザうちこ 十夜ヶ橋 松屋旅館 歩き距離 51千歩 35.7km 地図上距離 34km 出発 7時半 到着 16時半 曇り後晴れ すれ違ったお遍路さん 11人 宿屋 松屋旅館 泊まりのお遍路 1人
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大洲市に入る。 |
橋の下に降りると、おばあさんが、お経を上げている。暫く、終わるのを待つ。終わる途端に、どこから来たかと尋ねられた。 大師堂に寄っても、この橋の下に降りてくる人は少ない。良く降りてきたと褒めてくれた。 |
足は歩きに慣れ順調だった。多分、張りがあり、いい足をしていたらしい。靴は脱げとは言わなかった。 先回は、杖にすがって歩いたが、今回は素直に衝いて歩いてきた。ただ、杖は、割に強く衝いて歩いてきた。これから、杖は持ってバランスを取るように使おう。 おばあさんは、大病をして1ヶ月入院したが、この大師様に助けられ、1日で歩けるようになり、このように元気になった。 それ以来、お寺さんの便所、この橋の下の掃除は、毎日きちんとやっている。今日も掃除が済んだ所だった、と言うとそのまま去っていった。 十夜ヶ橋大師堂、お参りして、記帳して貰う。大師堂を写真に納めることを忘れた。 |
大洲駅で19日、一旦帰宅する、高知駅からの夜行バスの切符を買う。 肱川橋を渡り、左折。遍路道が良く判った。嵩富川に出て、右岸に渡り、上流へ。金山橋で、56号線へ。鳥坂峠越えは、先回は山越えしたが、初めての国道トンネルを行く。 宇和町加茂で旧道に入り、右に町を見下ろして歩く。良く覚えている道だ。 明石寺近くで、今のお墓と混在した墓地を見つけた。 |
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第18日目 2002/11/13 (水) 経路 松屋旅館 明石寺 佛木寺 龍光寺 龍光院 BH掬水 歩き距離 41千歩 28.7km 地図上距離 27.5km 出発 7時 到着 15時半 曇り後晴れ すれ違ったお遍路さん 7人 宿屋 BH掬水 泊まりのお遍路 1人
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少し戻り、仕事中の地元の人に教えを請う。後ろ姿を見ていてくれて、間違いそうになると違うと大きな声で言ってくれる。山に入り、姿が見えなくなるまで、道を教えてくれた。時間を掛けても地元の人に聞く事。 |
峠を下り、地図の遍路道と異なる川沿いの道を行く。案内板はあった。 |
宇和島に向かう。 |
芭蕉「父母の志し里に恋し雉子の声」 小泉英「芭蕉忌や母は宇和島の人の由」 の碑があった。 |
第19日目 2002/11/14 (木) 経路 BH掬水 三好旅館 歩き距離 27千歩 18.9km 地図上距離 14.1km 出発 8時 到着 13時半 曇り すれ違ったお遍路さん 3人 宿屋 三好旅館 泊まりのお遍路 6人
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朝早いため、人は少ないが、すでにお城は開門していた。宇和島城の天守閣に登り、宇和島の町を見る。静かな落ち着いた町。 町としては、明石寺のある宇和の方が古いようであるが、なぜ、お城が宇和島か不勉強で判らないが、城下町の宇和島の方が大きい。 13世紀ころから、宇和島に城があったが、今のお城は藤堂高虎が建てたとのこと。その後、伊達政宗の子が入り、明治まで居着いた。昭和24年、伊達家から市が寄付を受け、市の管理となり、37年、解体修理したとのこと。形の良いお城だ。 |
今日も、国道56号を行く。松尾峠は、1.7kmのトンネルを通った。歩道があり、排気もされていて、安心して通過できた。今日は迷う箇所は無く、国道一筋だった。 13時半、早かったが、宿は部屋に通してくれた。 |
第20日目 2002/11/15 (金) 経路 三好旅館 観自在寺 松の屋旅館 歩き距離 43千歩 30.1km 地図上距離 25.6km 出発 7時 到着 15時 曇り すれ違ったお遍路さん 3人 宿屋 松の屋旅館 泊まりのお遍路 1人
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今日も1日、国道56号とのお付き合い。暫く、覚えのある国道沿いの自転車道を行く。 大門で、遍路道と別れ、歩道のない嵐山トンネルを通り、海沿いに出た。初めての道である。 |
トンネルを越えると、柏の集落で、山越えの遍路道の分岐点に出た。先回、腹を決めて3時間の山越えにかかり、おばあさんからみかんを貰った。懐かしい場所。 |
久しぶりに、境内で石仏を見た。 |
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