a 第8日目 2015/10/15 (木) 経路 −自宅−10/14夜行バスで徳島−府中(こう)駅−17番・井戸寺−鉄道 二軒屋〜地蔵橋−泊 恩山寺近く 民宿ちば− 歩き距離 41.2千歩 24.7km 地図上距離 18km 出発 7時 到着 15時半 晴れ
|
11月14日21時半、家を出た。夜行の高速バスに乗る。狭い車内で、遣りたい放題の客が多く、今回が最後と決めた。 23:00出発。よく寝られた。 |
![]() 6:40 JR徳島線から府中駅へ。 |
![]() 坊さんの遍路と一緒になるが、あっという間に遠ざかる。 共に行く遍路友達期待して歩めど歩速違いすぎたり 彼岸花が枯れてもてなす道続き先行く遍路の次第に遠退く |
![]() ![]() |
![]() 弘法大師の話が多い。弘法さんは、よく出歩いた坊さんだったらしい。そう言う坊さんの話、とんでもないことでも素直に受け入れましょう。 弘法大師はこの村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出した。そこで付近を「井戸村」と名付け、寺名も「井戸寺」に改めたという。 |
![]() |
![]() ![]() 徳島大学病院付近で、羊羹2個の接待を受ける。 |
![]() ![]() ![]() 阿波おどり会館。 際に眉山(びさん)休憩所。 |
![]() |
![]() |
![]() ![]() 昼食はラーメン東大にて。 この仏壇屋の歩道で、向こうから来る中年のおばさんから120円接待を受ける。 |
![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() 千羽ヶ嶽のお豊とお君の墓の表示あるが、詳細不明。 |
![]() 職場の先輩が、遍路の道を迷い、その嘆きを記した帳面を見付けた宿、でした。 |
|
b 第9日目 2015/10/16 (金) 経路 −泊 恩山寺近く 民宿ちば−18番・恩山寺−19番・立江寺−泊 焼山寺登り口 金子や− 歩き距離 29.3千歩 17.6km 地図上距離 14.5km 出発 8時 到着 14時半 曇り
|
8:00出発。 |
![]() ![]() |
![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
![]() ![]() 釈迦庵(弘法大師おむつき堂)お参り。 |
![]() ![]() |
![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
![]() 14:30 勝浦の宿に着く。 チェックイン前には、部屋に入れないという評判の宿。14時半、部屋に入れてくれた。 この宿の先2kmに、もう1件宿があるが、おかみさんが年を取ったので止めたという。先回、短歌の指導を受けた。辛い批評でした。水甕の同人だった。 |
|
c 第10日目 2015/10/17 (土) 経路 −泊 焼山寺登り口 金子や−20番・鶴林寺−泊 吉井町 碧(あおい 送迎)− 歩き距離 12.9千歩 7.7km 地図上距離 5.6km 出発 7時 到着 13時半 晴れ
|
7:00出発。 |
![]() ![]() 傘寿の遍路でも、ここは歩きと思うので、写真に残しておく。 |
![]() ![]() |
![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ここから鶴林寺まで、鶴林寺道。鶴林寺から、大井(おおい)町まで、太龍寺道。共に、国指定史跡という。 |
![]() ![]() ![]() 9:00 那賀川沿いの大井町の部落を下に。 |
![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() 10:30 鶴林寺発つ。 |
![]() ![]() ![]() 鶴林寺遍路の観光バス。 標高190m。 |
![]() 今夜の宿に、約束の電話を入れる。軽四トラックの出迎えあり。 今日は、女将不在のため、夕食、朝食を買いに、コンビニに寄り宿へ。 |
![]() ![]() 遍路に対して宿の宣伝はしていないという。亭主は百姓に出掛けた。 本日の泊、1人。従って、朝まで1人だった。昼間もよく寝て、夜もよく寝た。 何もなし。最高のもてなしなり。 |
朝、水井橋を越えたところまで送って貰った。(高度恐怖症で、高いこの橋は怖かった。鶴林寺の山で、この橋を見てしっまったためらしい。あと、33番雪渓寺へ行く浦戸大橋、36番青龍寺へ行く宇佐大橋がある。今から、考えておこう) 浦戸大橋:県道のフェリーがあった。宇佐大橋:バスを待って、バスで渡った。 |
|
d 第11日目 2015/10/18 (日) 経路 −泊 吉井町 碧(あおい 送迎)−21番・太龍寺−22番・平等寺−泊 22番・平等寺近く 山茶花− 歩き距離 32.5千歩 19.5km 地図上距離 15.1km 出発 7時 到着 16時 晴れ
|
7:00出発。 |
![]() ![]() 7:30 若杉山休憩所。 |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() 8:50 あと0.7km。 |
![]() ![]() ![]() 仁王門、鐘楼門、本堂。 |
![]() ![]() ![]() 大師堂は高野山奥の院と同じ配置という。 |
![]() |
![]() ![]() ![]() 7月の台風の水で被害、復旧は諦めたという。 13:00 阿瀬比(あせび)の休憩所で昼飯。今夜同宿の遍路に。 先発つが、追い抜かれる。 |
![]() えらい峠越えでした。 |
![]() ![]() 便所は無かったと思う。贅沢な便所は要らないが、実用的な便所を沢山作って欲しい。 14:50 県道へ。 逆打ちの時、迷った場所。案内札がたくさんあり、ありがたい。 |
![]() ![]() ![]() |
![]() 以前より雰囲気が異なっている。右の民家がなくなり、駐車場となったためらしい。 この左手に、民宿山茶花。 16:00 宿に。 |
|
e 第12日目 2015/10/19 (月) 経路 −泊 22番・平等寺近く 山茶花−鉄道 由岐〜日和佐−23番・薬王寺−泊 薬王寺宿坊− 歩き距離 23.9千歩 14.3km 地図上距離 19.7km 出発 6時半 到着 13時 曇り
|
6:30出発。 |
![]() どうしても平等寺の門前が気になる。 ここで、遍路の坊さんに、あなたは、しっかり歩いている、と声を掛けられたことがあった。ぼろぼろの遍路地図を広げていたのを見ていたらしい。 |
![]() |
![]() ![]() ![]() 樹齢1000年の大杉。 |
![]() ![]() ![]() |
![]() 歩道、ガードレールあり。 |
![]() |
![]() 歩道がないトンネルにあり。車に対する歩行者保護用の注意看板ライト点滅用らしい。 |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
![]() ![]() 由岐〜日和佐まで列車。 電車を待っていたら、地元のお爺さんが、私に聞こえるように、”歩けば、ご利益が倍増するのに”、と そっぽを向きながら通り過ぎました。 バス停の遍路を見付け嫗いう歩けばご利益貰えるものを 俊介 |
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() 夕方まで寝た。 |
![]() ![]() |
|
f 第13日目 2015/10/20 (火) 経路 −泊 薬王寺宿坊−鉄道 山河内〜牟岐−泊 鯖瀬 鯖大師宿坊− 歩き距離 21.6千歩 13km 地図上距離 19.9km 出発 7時半 到着 14時半 晴れ
|
7:30出発。 |
![]() ![]() ![]() JR日和佐駅。無人。 |
![]() きのうより一里余分に歩かんと七時前に発つ日和佐の町を |
![]() ![]() たすきとリストバンドを使えと看板。ボックスの中、何も無し、きっと出口に行ってるんだろう。 幸い、歩道と境界柵があり、歩き安かった。 |
![]() |
![]() 今日の行程20kmは、しんどいので、5km(山河内〜牟岐)列車を使う事にした。 |
![]() ![]() ![]() 時間表を見ると、2時間待ち。歩いた方が早いが、寝転ぶ場所もあるので、列車を待つことにした。 |
![]() |
![]() ![]() ![]() 遍路が、この国道を通らず、旧道を行ってしまう、という愚痴を聞く。 昼食。接待だったような気もするし、お金を払ったようにも思う。定かでない。 |
![]() ![]() ![]() 内妻(うちずま)トンネル 253m。 古江トンネル 144m。 |
![]() ![]() 13:50 鯖大師入口。 |
![]() ![]() ![]() 護摩殿。 本堂。 14:30 鯖大師へんろ会館に。 |
![]() ![]() 泊は、薬王寺で一緒だった大阪の青年と2人だけ。 断る宿坊が多いのに、良く、泊めていただいた。お勤めもしっかりあった。 6:30 朝食。 |
|
g 第14日目 2015/10/21 (水) 経路 −泊 鯖瀬 鯖大師宿坊−鉄道 海部〜甲浦−泊 甲浦 大和旅館− 歩き距離 23.3千歩 14km 地図上距離 19.6km 出発 7時半 到着 13時半 晴れ
|
7:30出発。 |
![]() |
![]() ![]() ![]() 大砂(おおずな)トンネル 198m。 太田トンネル 94m。 |
![]() |
![]() ![]() ![]() 9:40 遍路休憩所。 10:30 海南休憩所。本日、誰もいませんが、常に接待係が常駐している雰囲気です。 ノートにお礼書き込みました。 |
![]() 次の列車は、12:34発。 コンビニのパンで昼食。 バスを待つ、お爺さんと話す。夏の真っ盛り、疲れ果ててここに横たわる若者の話でした。 |
![]() ![]() ![]() 2枚とも、阿佐海岸鉄道阿佐東線海部駅ホームから撮る。 阿佐海岸鉄道の車両室内。我1人のみ。甲浦(かんのうら)駅まで。 |
![]() ![]() 高知県に入った。 |
![]() 最初の遍路で、お盆の休みの頃のことでした。 海部で泊まって、甲浦まで歩いたが、ひん伸びて、喫茶店のおばさんに声を掛けられ、冷たい水をもらい、家へ戻れといわれ、甲浦駅まで歩いたのを思い出した。2回目、3回目とも、喫茶店は遣っていませんでした。 本当にお世話になりました。 |
駅は山にあり、海岸まで2kmほど歩き宿へ。 13:30 宿に到着。部屋に通してくれた。 明日、バスで、伏越の鼻まで行くと話すと、車で送ってくれるという。お願いした。 夕方まで、寝た。 |
次の日へ 前の日へ 喜寿の四国遍路目次へ 四国遍路八十八カ所へ ホームへ |